一番この世で上手く行かないのは自分ではないか?というわだかまりを感じている。
「精神疾患」や「発達障害」そういうものは何もない。
逆に言えば、何も人生が存在したことがない、人生が上手く行ったことがないという
そういう風に感じる自身を説明する言葉を、何十年もどう説明すれば人に伝わるのかわからずに悩んでいる。
アスペルガーというよりはむしろアスペルガーが苦手なカサンドラ、
アスペや人格障害とはむしろ対照的である、HSP気質、
むしろ「精神的に健康であることが取り柄」であると実感しているけれど
そうだけど、そうじゃない。
動作性IQが低いからと言って、精神疾患ではないし、
動作性IQが低いからと言って、発達障害でも知的障害でもない、
言わせてもらえば、人からチヤホヤとされたことがあるし、
すごく人として優秀だと、完璧すぎる、そんなに何も問題がない人間なのだからと
あなたのことは誰でも受けて入れてくれるでしょ?とか
褒めちぎられに褒められまくったりしている経験をしている
だけど上手く行かない。
反対にいえば、まあいじめに遭ったり悪口を言われ放題になったりする経験もしているけれど
その両方の共通点として、褒められたり悪口言われたり、
どちらにせよ、他人に感想を投げつける隙を与えるだけ与えて、
こちらがどんな人間であるのか?どんな気持ちでいるのか?を、誰も「言わせる側を」与えてくれないし
伝えさせてもらえないという そしてアクションがとれずに 通り過ぎて何もかも終わっていく
これは自分の動作性IQの低さが他人に作用を引き起こしていることを理解だけはしてる
相手にどうしても先手をとられてしまう、そしてそれに納得がいっているわけではない。
カモにだけはされないように、人間として努力は務めたとしてもせいぜいただ「褒められてしまう」
他人に『感想を投げつける隙を与えてしまっているだけにすぎない』というわけだ。
他の人は感想を投げつける隙を与えず、他の人はみんな人生というのを持っているのではと感じている
「他人にどう思われようがどうでもいい、自分がやりたいことをやる」
というのが理想の中で、自分は何も行動をとれないうちに、感想を投げつけられ放題の対象になってしまう
対人関係というのは、ほんの1秒、2秒の初対面の視線合わせの仕方で
その後の一生の関係が決まってしまうという心理があるらしい
それでいうのであれば、その1秒、2秒の自分の視線合わせが遅かったことで
肉体労働とか猿山の仕事では「できないやつ認定」をされがちである
だけどもともと自分は生まれた時から聖書を教わっていて神様を信仰している人間であるので
いちおう神様に信仰している人っていうのは、何事もまじめに、仕事とかも懸命にこなすものである
これを読んでいる人が私をどんな人だと想像するかわからないので
一応自分の人格について弁明する。
なので一応多くの人に「この人は何も問題がない」と認めてはもらえる、
だけど「遅い」という部分が全面にでてしまえばどうすることができない
仕事はとりあえず遅ければ怒られる、そして怒られたところで、
生まれつきの動作性IQが低いということを改善することはちょっと難しい
「お前の問題は遅いだけ。本当にそれだけなんだよ」って実際職場で言われたこともある。
正確に言えば、「特に遅いってことはないと思う」て言われるくらいふつうにこなしていたりもする
だけどそのために、他の人は何も苦労していない部分であくせくと苦労をしていて
ふつうのことができない、アスペルガーではないか?って気にしていたのだけれど
心理テストの結果ではアスペとは対極、つまり、「ただ遅い」ということがそういう風に心理的な作用を引き起こしていた
私は8年前に右半身麻痺になってしまった人間なのだけれど明確な原因は特定できていない
ただ、生まれた時から機能不全家族で、ストレスが積み重なった結果だろうと思う
困窮し続けてきたことが原因。
ただこの「困窮」というのは一体なんのことなのか、「困窮」という言葉でしか説明できない部分が
つまり人生が上手くなりたたせることができていないということ
実のところ「動作性IQが低い」というところでもあると思う
実際自分自身に触れる部分の原因の話だ。
知的障害や発達障害の人はそう言えるからある意味伝えるという行為に関しては羨ましいとさえ思う
自分が「どの枠組みで上手く行くか」「何故上手く行かないか」を伝えることができない。
そして機能不全家族というものがもたらした心理的にも
なんだか虐待家庭育ちの人はあたりまえのように「俊敏性」がある気がしていて
何か問題というなら、別の精神疾患を持って病んでる人が多い気がする
そういうところでももしかするとまったく合わなくて
人として言葉の通じる対人関係も仕事もなんにもないように感じて来る
動作性IQが低いという人間の人柄と人生。いちばん文章で伝えることがむずかしい部分ではないかとも思う。
「世の中何事もスピードで決まる」という。そしてすべてが遅ければ、すべてが何も手に入らない。
どれだけ優秀だ、優秀だ、と、よいしょして貰えても、何も手に入らない。
むしろサイコパスで性格の悪いヤツが「タイミングを制する」という
スピードを味方につけることで実際支配してくのが世の中だ。
もし、私が人格的にまったくの問題がない人間だと見抜いて、褒めてくれるのであれば
「ただ遅いだけ」というこの事実がどれだけ社会の醜さに出し抜かれて、誰も、何も手に入らないか、
誰か真剣に味方に立って、親身になって、ただ少しのサポートして、話を聞いてくれる人はいないものだろうか?
こちらのことを褒めてくれた人が、褒めてくれるのであれば。具体的にこちらの話を聞いてくれたらよかったのだけれど。
なんだか誰もこちらが、行動をとるように、言動をとるように、促してくれない感じがしてくる
人の中にいると、相手に悪意がなかったとしても、
1秒、2秒の遅れが、私側に話がなかった、私はもう話した、私は十分に主張していた、もう終わった、などと
認識されてしまいがちな気がする
しかしこういうせっかちなのも日本人の特徴な気がしていて日本人が嫌いな部分の一部でもある
外国の人の方がしっかりとこちらが話をするまではしつこく迫るとか行動を実際にとってくれる気がする
特に東京生まれ東京育ちなので
せっかちな人間だけが制してせっかちな人間だけの言葉で終わっていく
知的障碍者が仕事が上手く行かないので困窮してしまうメカニズムなら、こう話せば理解してもらえるだろう、
その時は「知的障害」だと言える
知的障害とは違う「ただ遅いだけ」という部分がまた説明も難しい。
申し訳ない言い方かもしれないけれどたとえば勉強もロクにしていなくても学年トップの成績をとったことがある、
これはたとえばの話だけれど、勉強のことなんかもちろんどうでもいい。
いろいろなことをやってきた経験はある、
だけどそのどれもが地道にひとつひとつ創り上げていく過程で「スピード」で振り落とされる
仕事も、趣味も、対人関係も。
右半身麻痺になった理由はわかりやすいかもしれない、他の人がふつうにこなしていることを、
ふつうにスピーディーにこなすことに追いつくだけで、腱鞘炎になったりとかをもともと繰り返していた。
そしてそれが最終的に右半身麻痺になったとも言えるかもしれない
ふつうのことがふつうにできない発達障害ではないか?と何度も疑っていた。だけど少なくともアスペではないらしい。
知的障害✕ アスペ✕ 人格障害その他精神疾患✕
まあ残るは、ADHDの可能性だけは残ってるんだけれど
ただ、多動性障害というには、「多動」って聞くと、無動性障害じゃないか?、それも対極のようにも感じて来る
それも正確にはADHDの特徴の一部だという可能性もあると今考え直しているのだけれど
HSP気質であり、「標準っていうのはどのくらいにあるか?」っていうのが
生まれつきわかる気質のようなものがあるので、
「標準がなんなのかわからなくてモタモタしてしまう」というアスペルガーの不器用さとは対極なので
仕事をしていて、なんだかんだ遅くないし、標準くらいっていう風に持っていくことができていたりすることもあるのだけれど
しかしその過程で遅さが目立ったりして、
実際は最終的には遅くないように調整してるのに「遅い」と怒られるという理不尽で怒られることが日々尽きない。
そしてそれが「遅い」って怒られるならともかく、例えば視線合わせが1秒、2秒合わなかったことで
「あいさつができないやつ」と認定されてしまったり、他の誤解を招くことも多数あることがキツい。
「動作性IQが低い」という事実がどういう風に誤解を招くかがわからないことが怖いことだったりする
実際は私はカサンドラ気味の人間で、気持ちの良いコミュニケーションがとれない人間が極端に苦手である。
動作性IQが低い人間としては、
きちんとした挨拶を交わし合う、コミュニケーションをきちんととる、
ということでカバーをしていかないとどうすることもできなくなってしまう部分があるのだろう
これは大人になってから気が付いた
コミュニケーションをとらない、あいさつをしないという人間がいることで極端にペースをくずされてしまう
そしてけっこう、「コミュニケーションをとらない」「あいさつができない」こういう人間は多いものである。
あとそんなものしなくても自分の中で自分ひとりでスピーディーにできれば~っていう
この手のマウント思想を持ってる人間はやたらと多いので世の中ストレスなものである
つまり私にそういう態度をとれば私に勝てるということを執拗に見抜いて、
意図的にコミュニケーションをとらなかったり、意図的にあいさつをしなかったりするのだ。
そうすれば私を蹴落とせるということをわかっているから。
自分みたいな「動作性IQが低い人のための解決策」というのがどうしてもわからない、
AI検索をしてみたら、「きちんと言葉でしゃべることが得意な理性的な人間と相性が良くて逆にいえばその反対の人間と相性が悪い」という、
そう、まさしくそれが言いたかったという回答が返ってきた。
なので求めているのは『私は発達障害があるので同じく発達障害がある人と慰め合いをしたい』ではなく
ヘタにいろんな問題がある人の集まりに顔を出すと余計にストレスが溜まってしまう。
しかし発達障害Cafeというところに顔を出してみたことがあるのだけれど
発達障害のある人のためにはそうした自分の悩みと向き合うための場所が作られたりしているのに
ただ動作性IQが低くて何も物事が成り立たないという人のためにはなんの場所も提供されていないのだ。
逆に、「あいさつがきちんとできて、認識力がまともな調和がきちんととれる人間の中で囲まれて連携をとりあうこと中で、
自分の身を守らないといけないという」危機感というのは大人になってから理解して実感を感じている。
私はもともとバンドの世界で生きて行きたいと13才の頃とかには決心した人間で
とあるアーティストの人に対してのきっかけから他の芸能人だったりする人に対しても
「この人となら友達になりたいな」とハッとした気持ちにさせられたりとかすることがあって
できれば音楽ができてアーティストになれたらいいと思った、だけどそれが無理でも
だから自分自身も芸能人になって、みんな友人が芸能人という状況なら、と考えたりしていたこともあるんだけれど
それはただ夢見がちとかそういうことじゃなくて、自分の身の周りに最悪な人間が集まらないために
芸能人の人っていうのは、そういうところがきちんとできてる人だという風に直感したから、自分の身を守るための直感かもしれない
実際、ふつうに人格的には認められて、
芸能として誘われたことがあるし、褒められた経験があることはちゃんと糧にはなったと思う
ただ自分側が見られる側になりたいわけではない
というよりかは動作性IQが低い人間にとっては観察してくる人間がいるっていうのは恐怖そのものでしかないのが実際かもしれない
たぶん自分が精神的にまったくの健康だという部分を生かしたいという本能なのかもしれない
自分の人間としてできる部分を生かして人間らしく生きたいと思ったから
でもそれはふつうの人とふつうに関わりたいという欲求でもある
年の若い頃はまるで、さも逆かのように考えていた。
危険回避のためにそういうことが必要なんだってこと。人がいったいどれだけ理解してくれるものだろうか。
求めているのは単に
「精神疾患やコミュニケーション障害がない人」と関わりたいということだったりする
だけど一度自分が機能不全家族育ちで、生まれた時から上手く行かない状況があって
仕事も何もかも完全に上手く行っていない状態から、「まったく精神疾患のないふつうの人」と
どうやって交流をとっていけばいいのかがそれが難しいこともある。
動作性IQが低いということを、なんらかの発達障害があるのかと、自分でも疑ったし、
他人からきっとそういうタイプみたいなミスアンダスタンディングで対応されることもあるような気がする
日本人はアスペルガーが多いということでアスペ的な対応をされることがある気がする
しかしきちんと分析した結果むしろ自分はアスペが苦手なカサンドラだということがわかってきたので
苦手なタイプとして対応されるというストレスにさらにストレスを投げつけられる
誤解を招くことがあると踏んだり蹴ったりなことが多い。
ただ精神的にいくら健康であったとしても他人に褒められて認められたとしても
動作性IQが低い人の特徴。というのを理解してもらえることがないように感じる。
何かができる人は同時に動作性IQが高いことを込みで考えられている世の中のロジカルがある気がしている。
いやなんなら10代の頃は自分で自分のことを逆だと思っていたので自分が理解していなかった部分もあるけれど
理解できるようになった30代からでは、こうして文章はかけたとしても、人としての交流の場所がない。
コミュニケーションをとらず、いきなり始まる、というものが自分は苦手なわけだ。
あいさつをきちんと相互に交わし合いながら、
お互いが精神的に健康な人間で、気持ちよく伝えあえるという証を証明し合うという
きちんとお互いの探り合いで伝えていくという手順を踏んでいくコミュニケーションがないと
自分は無理な人間なわけだ。
勝手に何か始めようとする人間がいるときにそれを抑え込む能力、
問題を起こした人間がいるときにそれ抑え込む能力が弱いわけだ
相手がしようとしていることを上回る速度で制さないといけないため
なので私がすることは10人いたら10人の人ととりあえず話し合いをして
横に横にと繋がって連携をとりあって行くということをして守ろうとする本能がある
「遅い」というのは犯罪被害に遭いやすいかもしれない特徴になりかねないので
とにかく人に伝えることでどれだけ情報共有しあうという、言語化能力の高さが武器なわけだ。
認識力というのはどれだけ遅くなっても、後世後になっても残るし決して変わるものではないからだ。
動作性IQが低いことで「人見知り?」などと言われてしまうことがある
いきなりあいさつもなく始まることが苦手なだけだ
むしろまったくの今初対面の知らない赤の他人と、冷静に理性的な話を、誰とでも話をして詰めていくことを求めているのだけれど
10人いたら10人の人と、いちばん話をするのが自分だという場合だってよくある
そしたら「友達が多い」などと言われることがある
そうじゃなくてそれは危険回避のため、
自分側は主張が遅く、
それにも関わらず、どこかの誰かからとにかく一部の人間から一方的な概念を投げつけられるのが苦手なので
一部の人間と話すということをしないために危険回避のために全員と話しをする必要があるという
こういうタイプの人間が「困窮している」とネットで伝えることに対してハードルが高いような気がしている
「周りとの調和がとれません!」「自分の考えをどんどん言いたいです!」といってネットで主張し始める人が多いからだ。
私側は主張が遅いので。
人と交流とれぱ
少なくとも私側が危険人物なことはないし
みんな私が話を聞く側に回るので、
みんな私のことは受け入れてくれる。ということもあるらしい。
だけどきちんと主張のターンが回ってこない、実際は私がどうなのかというのを聞く風に、人が私を受け入れようとしないので、
何年も経ってから「よく考えたら敵しかいなかった」という気持ちになる。
もちろん優秀だって褒められているとしたら悪いことしかないというわけではないけれど
自分の居場所にはならない。
人といる時に、自分側が何かひとつでも納得ができたことがない。
私側は納得していないのに勝手に周りの中では決まっているようにしか見えない。
これは私の動作性IQの低さがそういう風な状況を招いているのかもしれない。
常に空間を読んで、相手を優先していたら褒められるくらいは当然として
むしろ理不尽な悪口を言われることの方が記憶として大きく残ってしまう
動作性IQが低い人の特徴としては言語能力が高いことが多いという。
私は1才から文字だけの本を読むことができた
なので典型的かもしれない
そういう人はいるものというらしい。
だけど世の中で実際どうやって生きていったらいいのか
例えばADHDの人のための本とかはたくさん今の世の中出回っているけれど
「言語IQが高く、動作性IQが低い人が生き抜く方法」というアドバイスの本はあるものだろうか
私が知らないだけだろうか ありそうではあるけれど
記憶力分野のIQでは50問中50問全正解とかで150とかとれたことがあるのだけれど
産まれたときからのいろいろな記憶のほとんどを覚えているし
正確なことがわかっていればわかっているほどに、整理してから言いたくもなるもので、
そういう意味でも言葉や行動が遅くなる。
知的障害や発達障害がある人間は狙いやすいとでも思われて、
頭のおかしいヤツから絡まれやすいという特徴があると思うんだけれど
私の『動作性IQが低い』というのも、頭のおかしいヤツから捕まえやすい信号がでてると思われることがあるらしく
しかしこっち側は、精神疾患はまったくなく、潔癖であることを守っている人間なので、
そして記憶はぜんぶしっかりと覚えているし、狙いやすい人間ではない。
そういう人間に絡まれないための産まれたときから今まで潔白を守ってきた人間だっていう
「神を信仰している」という、この言葉としても、行動の管理とか、精神疾患とかそういうものは
鬱になった時でも人に比べたら少なくともしっかりとしているとは思うので
万全の体勢があるようにも思うのだけれど、でも、隙があると思われることがあるにはあるから
そんな時にはまじでこいつ殺してやりたいなと、捕まえやすいとでも思われたことが本当に腹立たしい気持ちになる
多くの人が、動作性IQが低いという悩みを持っていないということであれば
精神疾患あるヤツ世の中多すぎるっていう、そういうやつらに「捕まえやすい対象」と思われた経験がないから
きっと自分の方が腹立つ経験が多いのは事実でしかないだろう
話を聞かされるだけ聞かされて、そして永遠とこちら側が話をするターンが回ってこない。
自分の感覚をついつい押し通してしまうことがあるなんて人間にはこちらの悩みはわからないだろう
残念ながら、誰と話しても、
こちら側は、相手を見えるけれど相手側はこちらが見えない。ということによく成りえる。
一瞬一瞬の「ついついする行動」っていうのが誰もが、
私よりスピードを出していて私にその人の癖を見せつけて来る、
だけど向こうはこちらを伺えない、
ということが引き起こってしまう。
10代の頃だったらこんなことはきっぱりと言えなかった、
「自分側が見えてるつもりでも、人って実は人のことをこちらをよく見ているのかもしれない」と。
自分も完全な人間ではないので、そういうものだろうと思っていたのだけれど
年取るほどに、誰もが自分側の主張をすることに味を占めた底の浅い頭でも持っているのかとそんなヤツしかいないのか?と疑いを感じる。
そういうヤツ疲れるんだよ。っていう意味で落ち着きのある人と交流がとりたいのだけれど
なかなか。一方的な主張をしない人でお願いしまーす。とは言えない。
あと日本人が逆にそういうところの自己コントロール能力がすごい足りない気がしてる。
若い学生のうちは主張もしないで、周りと合わせることがとうぜんにできているのに
30代超えて年取ってくると突然周りとの調和がどうでもよくなってもう自分の考えしか見えない他人と話し合いはしない
並行世界で生きてるみたいな 日本人ってとても極端な気がしている
要はちゃんと自己コントロール能力のある人と交流がとりたい、
動作性IQ低くて記憶力が高い、というのは、
どちらかというと自己コントロール力をきちんとすることに長けているはずなんだと言えるんだけれど
そういう誠実さで勝負するように、
頭の中でなんども、なんども
何が正しいかを思いなおして考えなおして
反復して、本当に誠実なことはなんなのか?っていうのを
考え続けるということを幼い頃から自己トレーニングをしてきたと思う
だから同じようにそういう誠実さに気を付けている人間と関わりたいというところなのだけれど
だから他人も自分と同じようにコントロールが高くないということに恐怖を感じやすいんだけれど
なかなかそれが合う他人との対人関係につながらないというのがキツイ
そもそも30も過ぎるともう友達を作る機会がないというけれど
特に日本人、日本人ってチンパンジーのように若いうちは群がって、
チンパンジーのように大人になったら他人と調和を測らないのか?気持ち悪いやつ多いなと感じているんだけれど
「友達を作りたい」というと良い年してなかなかそういうことは…などという人がいるんだけれど
むしろ若いうちは他人を避けることしかとにかく成す術がなかったので
年取るほどに身の保全のために善良な社会の形成のために友人関係というのが
必要だということに尽力を尽くしたいという気持ちが芽生えてくるのだけど
そういう有意義な対人関係を求めているというのが大人だからこそっていうのがそんなにも伝わらないものだろうか?
「IQの差が大きいと人間の言葉が通じなくなる」とよく言ったものだけれど
まさしく自分自身のIQの高低差の大きい部分で、
他人と人間の言葉が通じていないことが多い。
仕事においていえば
ASDとかADHDとか別の障害の人が多いからそういう人と混合されると先に書いたけれど
自分の動作が遅いのを見るなり他の人には言わないのに私に対して
「メモをとるように」とかえらそうに言わせさせたりしてしまうことに思い出しても腹が立ってきて
動作をとることが苦手で、記憶力が高い人間なので、
逆であって。別に頭ではぜんぶ覚えてるのに、
さらに人と会話しながらメモをとるという手先だけは動かすというマルチタスクの仕草をして見せるということをすることが苦手で
だいたい調和さえ計ってくれれば何も問題は起きないので
「自分の中でこうだと思ったらこう」という調和を測ることができないのが
自分だということが自覚ができないモンスターがいるときに問題が起きる。
だいたいそんなヤツは必ずいるものなのでそこでつまづいてしまう。
私にマウントとろうと思えば取り放題だからだ。悔しくないのか?なんて聞かれたら
ぶっちゃけ殺してやりたいと思うくらいにめちゃくちゃ悔しい。
「何事もスピード勝負」というところで
人と関わるほどに自分の価値が実際より低く貶められる感じがしてくる
だいたい悔しい思いをすることが多いから人と関わることは避けがちになることもあるんだけれど
トータルで言えば、少なくとも平均よりは自分の方がなんだかんだできているのだな、っていう
経験則からのある程度の自信があることもあって
一方的な偏見に晒されないために、10人いたら10人全員と関わる、という、
本気でやる気だして本気で褒められまくるという経験もしているけれど
逆に先に褒められてしまったとしてもそれはそれで後がうまくいかないという
物覚えが良いことで、はじめのうちは逆に「早くできる人」だと誤解されてしまうことがある。
だけど半年とか1年とか、年月経つほどに「長くやってると早くできる」という伸びしろがどうしても
生まれつき動作性IQが低いということには伸びしろがないので。
仕事していて半年とか1年とか経ってくると怒られやすくなるので
仕事も最長で1年半しか続いたことがない。
そういえば日雇いの派遣を7カ所登録して、
週7日間1日づつ別々の会社で働くということをしたことがある
毎日別のところで働いたとしても別に予定表とか見なくてもきちんと記憶していたりとかして
こういう行動が「マルチタスクが得意な人」だと誤認されてしまうこともある
何回か「マルチタスクが得意で羨ましい。私できなくて~」みたいなこと言われたことあるんだけれど
動作性IQが低い人にとって、マルチタスクということは本当に避けなくちゃいけない事なのだけれど
そういう風に『私の感想』を相手に投げつける隙と余裕がたっぷりとむしろあったっていうことが
こっちからしたら「いや羨ましいのあんただよ」というモヤモヤが残る
そもそも。人にそんななんか羨ましいとかいう言葉とか投げつけてる余裕が感じることがない。
羨ましいという言葉を投げつけることができるとき、
その人は自分が羨ましい側だということを理解できていない気がする
こちら側は別に「何もできていない」ということがどうしても人に理解されない。
もちろん、なまけてると言いたいわけではない
逆になまけているとしたらそれをどう治せるのかもわからない
遅い分、誠実さと認識力に研ぎ澄ませていたいという気持ちが強くて
もっと誠実であることはできないのか?ってただ嘆きたい感情もある
私はただ精神的に健康に、認識力を正常に保つということを持続的に続けているだけだ。
そのためにも自分は何もしていない。という時間を多くとってしまいがちだ。
私が言っているのは10年前のことだったり15年前のことだったり。
4年ぶりだったり8年ぶりだったり、
ぜんぜん10年なんて1か月くらいの速度で経ってしまうのではないかともう諦めている。
その場その場にしかすぎない言動の浴びせ合いみたいなものが発生すると極端に苦手だ。
それを命かけて言えるのか?10年後でも20年後でも、神の目前では4000年後でも
保存されて永久に残ることを誓って言えるのか?ってイラだってくる
そんなこと気にしないでポンポン言動をする人間で世の中腐りきっているのだなということに疲れ果てて
何もする気が起きないという鬱に悩まされている
誠実じゃない人しか世の中いなかった
自分しか誠実な人間がいないのか?という風に嘆きの感情を感じてきてしまう
地道に着実に、明確に認識力を保存する、ということを自分は昔から行ってきていて
実際の行動ができないという抑鬱に悩まされている
行動がとれない分
記憶だけはきちんとしている
そして自分がこういう人間だということを伝えるようなタイミングはなにもなく
「この人はなんらかなのだろう」というナニカの直観力で、認められるという現象が発生することがある
例えば。8年前に1回やったことを、5年前と2年前と今、計4回目で何かをしているとき。
そんなにできることじゃなくてたった8年間でたった4回しかできてないから
8年もかければ4回できることが、
嬉しいからたとえばツイッターとかでそれを書いたりするじゃない?
これはXとかだと不変的にある話かもしれないけれど
「いつもそれをしてる人」じゃなくて「していない」から自分の中ではいつも8年分の気持ちもせめて人間として心を暖めて
気持ちだけを暖めているだけに過ぎないことを、人から「それをしてる人」という風に納得されてしまう
ほんとうはそれが仕事につながったり、
何者かで世の中に存在することに繋がっていきたい
こうして遅いせいで、「それ」で交流をとっている人は毎日それを行ったりして交流とっていると思うんだけれど
数年に一度しかしていないことで、人との交流になるか?っていうと
そもそも人との交流にさえ、ならなくて
「それ」に関係してない、外側からの目線だと上手く行ってるように見られて嫉妬だの言われてふんだり蹴ったりになってしまう
逆の人もいる。動作性IQが高くて記憶力がない人。
そういう人はぶっちゃけパッパと行動するから、たくさん人と交流とれると思う。
「8年前のことなんてもう覚えてない」とかいうかもしれない。だから誤解なく今の「行動」を見せつけられるから
趣味にしろ、仕事をしたり対人関係を行ったりとか、
逆の方が、本人は覚えてないという割に、円滑な行動というのが行われた人生がその人は持ってる気がして
羨ましいとかいう言葉を言われたら、それこそ羨ましいしと悔しい気持ちになる。
羨ましいと言われることを私自身は何も持っていないのに
「遅い人は捕まえやすい」という特徴があるから
「羨ましい」という風に吐き捨てられる対象にされてしまう。
私自身の行動が何かにつながる前に、私はなんにもつながってないのに、返ってくる言葉が「羨ましい」
私は他人から、観察されるために、感想を述べられるためにがんばってるわけではない。
遅い人間に感想を投げつけやすいと判断するだらしのない人間が寄りつきやすくなる危険を感じている
ただ、私が、円滑に行動ができるように、
「私自身が行動する」ということを
誰かにサポートして欲しいとどこか願ってる。
そのために私は何ができるのか?
私は何をしたいと思っているのか?
私がきちんと「行動をする」ということが手に入るために
せめて「見せること」をがんばっていただけに過ぎないつもりなのに
「感想」を与えてしまって
誰もサポートしてくれる人は手に入らず、ただ何もしていないのに
何もする前に
自分が何かそれをできている人だと思われて殺されて終わってしまう
共鳴を求めているのに、手に入らない
日本人は「恥ずかしいから見せない」などという、
その向こう側に矢継ぎ早に自分は無自覚に行動してしまうという
自分の問題を隠しているだけな気がして卑怯だという気持ちがしている
動作性IQが遅いということとやる気がないということは別なので
「こういうことにやりたいという気持ちがあるから誰か見つけて」という悲痛な思いでアピールをしているつもりなのだけれど
認識力と組み立て力はちゃんとあるということを、表明しないとしょうがないから見せるしかないんだけれど
「見せる」という行いは
できなくて嘆いているにも関わらず、
困窮してる人間に対して、精神障碍者が、観察や感想を述べるための格好の獲物にされかねない。
私が思っている以上に世の中は
自分の中のせっかちなはやとちりな解釈を相手にただ投げつけたいだけの不躾な人間がどうにも多い様だった。
私自身が動作性IQが低いことはどうにもならないので。
むしろ他人がせっかちなこと。こっちの方がどうにかならないの??と内心いつもキレたい気持ちでしかない。
誤解や勘違いっていうのはいつだって、する方が悪いと思っている。
「人は無意識に誰もが他人を傷つけてるもので~」っていう言葉に「それは違う」とカチンとくる気持ちを抱いていたのはこれだ、
だいたい、動作性IQが高い側が低い側を傷つけて貶めて終わっている、
だって早くできるやつは早くできるなら待ってればいいだけなのに、
杖ついて歩いてる人が走ってる自分に追いついてくれない!傷ついた!なんて何を言ってやがるんだと。
そんなこと言い出すヤツが瞬発的な感想で他人を傷つける側、お前が人を傷つける側なだけなんだろうという気持ちがしてくる。
人間っていうのはひとりでは生きてはいけないもので。
他人と相互的な化学反応を起こして「文化」というものが形成されていくものだけれど
どうしても相互作用と化学反応を起こす関係が誰ともどこでも築けなくて終わる
というか。誰と話しても、何かを押し付けられて、嫌な思いだけしてストレスだけたまるという違和感しかない。
動作性IQが低いというのは、相手に舵をとらせてしまうことになりがちだ。
自分は何もかもが始まる前に、終わってしまう。
「スピードで勝負」
「実際にやってるかどうかで勝負、」
「実際やってない人間は口ばっかりの人間で~」とかいう組み立て認識で人を吟味する人間は多いだろう
だからせめて口ばっかりの人間とどう違うのか
誠実さで勝負しようと考えたり
他でカバーしようと努力したことを
「褒められる」だとかいう感想を述べられて、作用のないところで終わってしまう
自分がどうしても遅いからそういう一般の舞台に立ってできない、
ふつうにしてたら仕事も趣味も対人関係も
別に何もできない、
ならどうするか?っていうことに関して、いろいろと誠実さに研ぎ澄ませて考えている
4000年前の人間だろうと4000年後の人間だろうと変わらないような「本質」で勝負したい、
もう、10年後だろうと20年後だろうといつだっていい、
やっぱり気持ちが変わった~とかコロっと10年後には気持ちを失ってしまう人とは自分は違うのだと
固まった誠実な意志を武器として
出来る限りのことをしたい。…というのは自分のアイデンティティとして当たり前のところだ。
世の中ADHDとか、特殊な脳みその人を、うまく生かすために、っていう試みだってあるのだから
きっと自分が何かできる場所はきっとあると。
遅い分、明確な認識力を壊さないようにしようと
私がしていることは、ただ自分が何もできなかったとしても、
そこに存在する価値というのをただ深い所まで見て「認める」ということで
ギリギリ、精神の安定みたいなものを保っている
人として誠実であればいいんだみたいな。
だけど本当に何もできなくて
人が日にいろいろなことをしているということにもう完全についていけない気持ちでいる。
人と比べるとイライラしてくる、
ああ、あなたにとってはそれが「当たり前」で押し付けることが当たり前なのか、と
何を当たり前にしているんだ?と
そういうの見ると
なんとしても自分だけは何もしないという形で
なんとかストレス回避をして対処しようとして、何もしていない状況に追い込まれる
自分に表れる精神的な症状といえば抑鬱なので。
もう生活保護から抜け出す方法がわからない、
他人と会話をすれば、「私はこんなにいろいろなことが当たり前で当たり前すぎて当たり前のことが当たり前で
あなたもきっと当たり前のことがいっぱいで当たり前で…」
みたいなブリブリブリブリブリしてる感覚、人間のいたるところから毎秒感じて疲れ果てて、もう、何もできない気持ちになる。
とにかくとりあえず日本人がストレス、別にアメリカとか外国とかなら風呂に一週間に一度しか入らないとか、
ジーンズとかジャケットとんか上着なんて洗濯は数か月に一度くらいのもん、
とかそんなにいろいろなことしてるの当たり前じゃなかったりとか
自分に俊敏さがないからこそ、日本の至るところに存在する、「それ、必要なの?」っていう
必要のない無駄な統率行動によく気が付く
日本人がすごく気持ち悪いなという風に感じているんだけれど
無駄に中身のない俊敏な行動を統率しあげてそれを自分の世界では当たり前にして会話もなく終わるみたいな
日本に存在する同調圧力が
無意識な、意味のない、中身のない、会話もない、ただのせっかちさで終了につながってる気がする。
私はもともと日本人とはいろいろなものが対極で合わないと感じているんだけれど
動作性IQが低いことで恐ろしいことに「てきとうな日本人の当てはめ」をバンバンと投げつけられて
対人関係が気分の悪いものにしかならず子供の頃からこの年になるまで
一度もまともに、自分側が納得した対人関係が成立したことがない。
褒められたりとか良い言葉を投げられるからこそムカついてくるし恐怖を感じる、犯罪被害に遭ったときも
だいたいこちらを褒めて来るとかいう行動から入ってきた相手だったし
こちらのアイデンティティを気持ちよく出せる場所があったことがない。
自分が言ってることが正しい、事実だと弁明したいのだけれど、それはちゃんと「褒められる」ということ
もし悪く思われてるだけだったら、それは単に自分の努力不足もあると思うわ、努力した結果、
褒められることを成し遂げてから、やっぱり動作性IQが低いということで理不尽なせっかちな人間しかいなくて終わるんだなという
やるせないふんだり蹴ったりな気分でいる
いつだって相手の方がアイデンティティを出してくる方が先なんだよね
それでこちらの悪口をなんか言われるとかこちらに悪口言う資格があるとか思うヤツがでてくるものなら本当にむかついてくるし
悍ましい危険を感じている
10人いたら10人と関わって…と先に書いたけれど
でもせっかちな人間とは関わらない方がいい
舵とりをしたがる人間は避けた方がいい
たぶんいろいろな避けた方がいいタイプの人間が多いだろう
でもだれともイマイチ、99%言葉がなんも通じてないなと感じるなら
誰とでも同じようなものなら、1%の同じ認識力を使って誰か人と会話しなくてはいけない。
大人になってから。「合わないのは当然だからこそ。誰とでも話せる。」という認識力が手に入ったけれど
大人になれば、こういうものなのだと安心しようとしたものなら、
世の中めぐまれてる頭のめでたいやつが多いもので
合う人間としか話せない!というアダルトチルドレンだらけでアダルトチルドレンから妄想で突っかかって来られるもあるわけだ
そして残りの1%の合う部分だけで「会話を続ける」ということに至れば
そしてこれを「対人関係がある」と見なされる。
99%納得いってなくても、何か1%の一致で行動を選び取らなくてはいけなくて行動したときに
「もうこの人は何者かなんだろう」「この人はなんらかの人生が成立した」みたいなてきとう認識力を当てはめられて
私はどこにも存在しなくなるという、人生で一度も何か、こちら側が納得して、行動をとるということが成立したことがない。
ただでさえ日本人とは相性が悪いと感じているのに、
極めつけには、動作性IQが自分は低いということが何かの同調圧力に当てはめられて
常に最悪な気分しか残らない。少なくとも「他人から理解される」という上では。
ひどい抑鬱で
ずっと悩んでいるんだけれど
抑鬱の原因も動作性IQの低さから来ている部分はあると感じている
朝にやろうと思ったことが昼になって夕になって夜になって
次の日の朝になって昼になって夕になって夜になってまた次の日の朝になる
自分の心に元気があるときに、
人が朝にやること、昼にやること、夕にやることという情報が入ってきた時に
自分がその通りにできないことでだんだんガタガタになってきて
気が付いたら20時間寝てしまうことがよくある
人が「10時まで寝たからもうすっきり」とか「10時間も寝ちゃった寝すぎだよ」
とか言ってる情報が入ってきたときにもふと鬱になる、ヒューズが切れてくるというのだろうか
自分は昼まで寝てるどころか夕になっても夜になっても次の日の朝まで
24時間超えて寝ても、ぜんぜん時間を経過させてしまう
動作性IQとは少し違うのではないかという話になるんだけれど
ヘンな話、自分は容姿を褒められる方で
20時間以上も寝てしまったらふつうの人は顔がパンパンにむくんだりとか
容姿がくずれたりすることを想像するのではないだろうか?
ヘンな話なんだけれど、24時間超えで寝て起きた時に鏡を見て、自分の容姿が良いことに気が付いた時に
「これは必要な時間だったんじゃないか」って感じて来る
「全部を諦めた方が良い」という風に達観してくるというのか
15年~10年前に、体内時計を整える、睡眠を整える薬だと言われて飲んでいた薬があったんだけれど
それを飲みながら、1日7時間睡眠ほどで毎日仕事に行くということをしていたわけだけど
ただどうしても薬を飲んでむりやり7時間睡眠にすることに生きた心地がしなかった
鏡を見て映る自分の顔もヘンに見えていた。
どうしても「時間の経過についていけないストレス」というものに関してはどうすることもできない。
鬱病というか
自分にとってはこれが正常なのかもしれないと感じて来る
そしてそれを少しでもそうやって言ってしまった時に
精神科とかだと「ということは悩んでることはないということですね?」という風に言われたことが何度もあったんだけれど
薬を飲みたいと思っていないし
そうなってくると精神科に通うことも難しいように感じる。
「人それぞれですから」みたいなこと言われるんだよね
元気そうに健康そうに見えるという、
自分でも20時間超えで寝て、何もせず、だれとも関わらず
たったひとりきりの世界で生きているなら
自分ではこれでもう良いと成り立っているかように感じてしまうのだけれど
なんだか精神科に通う人は、自分がどうのように精神疾患があるのか組み立てたものが存在しているようだと感じる
別にそういうものが何かあるわけではないという説明できないことがとても難しく感じる
健康なんじゃないか?っていう風に自分でも感じるし他人にも言われるんだけれど
でもそれには簡単なことを行動しようとしても3日くらいかかっちゃうのはふつうなので
一日中何も仕事をしていないことはまず前提であたりまえになってしまうし
一日中、全部の時間が自由でも
朝にすること、昼にすることとかついていけず何もできず
時間を捕まえられないことが自分にとっては当然のことすぎて健康に感じてしまう
抑鬱、鬱病だというと
「ひきこもり」という言葉があるけれど
ひきこもりの人はまた自分の中で定義した存在を持っていてそのようになるような感じがしてくる
私にとっては日本が慣れてる国だと感じないし、
アフリカが知らない外国だとも感じないし、
定義っていうのが自分の内側からそこにはない
10人いれば10人と会話する
人見知りだとか自分の中でとか所有してるそんなものはない
そこらへんに「自分は精神疾患がとくにない」と感じる部分でもある
太陽がでていれば、身体が動かしやすくなるし、
外を歩く、風を感じる、というのが生きてるというエネルギーを感じる
自然を感じることがいちばん、健康を感じる行為だと思うので
一日でも家から出ない日があるとか歩く日がないというのは
すごく耐えられなくなってしまうこともあるので
ひきこもりとは反対だとも思う
なんか自ら健康を害することを五万としてる人間が多い気がする
日本人はそういう気質があるようなのでゾワゾワそわそわとしてしまう。
自分は肉体労働の仕事をしていた期間の方が長かったのだけれど
私が言語性IQが高く、動作性IQが低いというなら
まさしく関わってはいけない世界というか
肉体労働とか苦手であるにも関わらず。
そのあたりのストレスは少ないからだ。
逆に言語からのストレスが感じやすくもあって
少しでも精神疾患とかそういうものに関わることが僅かなストレスがもうまったく耐性がなくて耐えられない
自分が築き上げて来た行動から、むしろ動作性IQが高そうな人柄に間違われることもあるのかもしれない
そこで動作性IQが低いというのがまた上手く行かない
「何がわからないの?」とか言われてしまうこともあったかもしれない
何もわからないことはない、ただ遅いだけ、どうすることもできない
動作性IQが低いと空気が読めないと感じてしまいがちかもしれない
自分もアスペなのかと疑っていたけれど
正確には、空気が読めないわけではなくて、理解することに、1、2秒の遅れがある
でも会話とかの盛り上がりの場であれば、2秒遅れたらもう次の話題に移ってしまうのでついていけない
「自分はいつも2秒遅れてから理解している」
自分で自覚を持って、人のいる場に居てみたら、まさしく、確かにその通りだった。
だけど子供の頃は特に自分を遅いと感じることはなかったのだけれど。
けっこうきゃっきゃっと盛り上がってることが多かったし。
対照的に「速い」ということもけっこうあったから
凸凹があるのは
ASDとかADHDとかなんらかではないかと疑うのだけれど
検索していたら
「動作性IQが低い人は絵を描くのが下手」などというのがでてきた
私は視覚分野に関しては誰よりも速くできるみたいな自信発揮する時もある
私は0才から絵を描いて
1才から文字を読むことができた人間なので
「絵か文章でしか生きて行けないだろう」と低い年齢の頃から感じていた。
視覚分野に関しては、得意だったり苦手という結果だったりでチグハグでちょっと「?」になる
代わりに自分は運動と音楽ができなかった。
楽器の演奏とかは動作に関わるものだからできないとかなり精神的な苦痛を感じているのだけれど。
「折り紙が苦手」「靴紐が結べない」「集団スポーツができない」というのを見かけたのだけれどこれは本当に当てはまる。
絵?関係なくないか??
ただ絵は上手いのになぜか字はヘタだったりする
あれだ、風景画とかは得意なのにデザイン系は苦手
仕事としてとりあえず使われるようなものが苦手。
ノートをとるのは苦手だった。下手したら白紙でなんも書いてないくらい。
だけどテストでは実際平均以上はとるから発達障害とか問題はなんにもない子みたいに見られてた。
「頭のみの記憶」でゴリ押しする、数学もぶっちゃけやり方をただ記憶するというだけで
なんか何も計算していないようなこんなんでいいのか?っていう違和感と冷や汗を感じながら
なんだかんだ平均以上とったりしていたんだけれど
だけど反復横跳びとかスポーツテストの結果で学校でトップ?だったり
めちゃくちゃすばやいみたいなこともあったりするのでよくわからなかったりする
なので動作性IQが低いという悩みを持っていることを傍からして理解されにくいだろうと思う
ヘタに褒められたりするし「上手く行くのかもしれない」と希望を持ってしまったことが後に大きなストレスを残してしまったのかもしれない。
15年前に検査した時の私の動作性IQは80で、
実のところ障害というのは60くらいだったりするので
私の場合、低い方であって障害ではない。
例えば80代位の年の人と一緒にいたら私の方が動きが速い
だけどどこか10代、20代、くらいの若い人間を見ると「怖い」っていう恐怖を感じることがある
動作性IQが低い人の特徴のスレッドで、
「視野が狭くなりがちで気遣いができなくなりがちだから本当に使えない」という書き込みがあったんだけれど
それに関していえぱ、10代とか若い年齢の頃を思い出せば、特に顕著に自分も覚えがある、
この場合の
「動作性IQが低いと、視野が狭い」というのが
「認識力が鈍くて、視野が狭い」というのと異なるという部分が
言語化されない部分だと思っている
認識力はあるので、
誰もが初対面同士の10人が集まる中で
私が最初に話しを切りだしたりするのだけれど
しかしそれがみんなお互い「知り合い同士」になってくると
とたんにそれぞれが
「自分の中での知ってる人」という
感情の押し付け合いをそれぞれ持ち始めるので
そうなってくると私はついていけなくなって、
初めは話しをしていたのに、だんだん何も話ができなくなっていくという
対応できる範囲が狭くなりがちで、
そうなってくると「人見知り?」とか言われがちになってくる
「動作性IQが低いと空間把握力の低さに関係してくる」とあるんだけれどこれはどうだろう
飲み屋さんとかで初対面の人に「友達多いよね!」とか言われるということについて
…?初対面だぞ?友達がいないから、とりあえず飲み屋とかに来てようと思って初めて来ただけだぞ??
というところで、瞬発的に空間把握力の高さを発揮することがあるのかもしれないけれど
だけど同じ人間と何度も会ってるうちにだんだんと、
相手に「言わせてしまう」量が増えていくような
舵をとらせてしまうというか、
居心地が悪くなって、対人関係が続かない、
でもたくさんの人間がそれぞれ初対面同士で集まる場所とかだと自分の切り出しが速いことも多いらしい、
動作性とは関係ない「認識力」から来てると思う
だけど「慣れ」というものが
その人が持っているだんだん動作性という「癖」のようなもので
誠実さとは無意味なものでマウントをとらせてしまう
かなり悔しいし気分悪いし納得が行ってない、
速さマウントなんて誠実さが何もない
だけど多くの人間はそれを無意識に行ってしまっているように感じる
動作性IQが低いからこそ自分は認識力という誠実さを固めて持っているつもりだ。
だからめちゃくちゃ褒めたりされることはある、
だけどかといってそれで「仕事をどうするか」といった時に
その「褒めちぎられ」が何かに活かせるかというとまったく活かせる気がしない
ところでこの「動作性IQ」という概念はもう廃止されたということなんだけれど
つまり、それでもこの言葉で伝えたいと思ったのは
なんとなくのニュアンスということになる
視覚認識がどうのとかって言われると
私にはしっくりこないな
「動作が遅いだけ」という自分の特徴から
自分には動作性IQの良い方がしっくりくる部分があるのだけれど
だから相手に話しをさせることはできるけれど
こちらが話すことはできなくてストレスをため込むしかない。
対人関係が最悪なことしかないという気持ちでいるのはそれなのだ。
だからこうして文章を紡ぐ機会があるときに文章に残すということでなんとか
自分の自我を繋げ止めようとする、ということが思えば10代前半から自分の本能になった。
それこそ10代の頃にネットから人と会った時に
「まさかこんな大人しい人だと思わなかった」などと言われたことがある
いったい何を想像されているというのだろうか
ネットごしだとわからない部分なのだろうか
ネットから暴言吐かれるなどあるけれど
悪口言ってくるやつというのは
人がどれだけ何もこっちは悪いことしてないし
ただこちら側は黙っていて
相手を優先するだけ優先して
何も言い返せないし
殴られ放題にただなってるだけで
ただでさえストレスをため込んでるのに
更にそういうことを何故言われなくちゃいけないのかということを
よっぽど理解できないんだろうなと
別に認識力はある、深い所までいくらでも
探って理解していくというのは当然のことだと思っている
そうなってくると
人の話はいくらでも聞けるけれど、
自分は何も話せないのは当然。
だから何年も経ってから、実際その場にあったことを、
その気持ちを文章に残すということが自分にとっては当たり前。
言動が遅いから、その場で人生が作れないし
だからせめて記憶で覚えておいて
何年か経ってからでも文書におこすというのが10代半ば頃からいつしか作られた自分だったのだけれど。
文章を書き起こせる→頭が良い→ハキハキズバズバとものをしゃべれる→動作が速いみたいな認識力でも抱く人でもいるのだろうか?
私にはただ本当、
頭だけでもせめてきちんと誠実な認識だけはきちんとして、
記憶をつなぎとめて、
文章なら書けるのだから
文章は書かなくちゃと10代くらいからそういうような感じだった
よく考えたらそれは
その場その場の
言動能力の遅さから来ていた。
10代の頃はこれでは自分が「ださい人間」だと。なんとか直さなくちゃと
バンドがやりたいけれどどうしてもできない苦痛とか中学生高校生とか何度もため込んできて
25の時に音楽ライヴバーで組むということをしてそしてその相手から犯罪被害に遭った経験がある
ただその時に飲み屋街で「褒めちぎられる」っていう経験をして。
その時友達もいないし仕事では良い様にぶん殴られて怒られてるだけだから
もう人間じゃないみたいな鬱な状態でいたんだけれど、
飲み屋街で急に人として褒められたことで
何が起こったんだ?みたいに不思議に思っていたんだけれど
それが最初に書いた
自分は動作が遅くて、
1秒、2秒の遅れで、できないヤツ認定される
そして案外仕事はあいさつもせずに言語化もせず
すばやい行動マウントで人を蹴落とそうとする人間が多い、それで、やられたわけで
飲み屋さんっていうのは
なんというかどれだけ自分がしゃべるかとかいうわけではなくて
ただその場にいるという認識力だけでよかったり
認識力があるっていうことは
もしかすると人にすんなりと認められたのかもしれない
過去のことを思い出すと本当に悔しい
まず動作が遅いということをさもこちらが認識力がないかのように仕立て上げるという
仕事のパワハラ、思い出すだけでも本当に腹が立つし
25の当時は対人関係で絶対にやってはいけないことをした
相手に舵を握らせるということをしてしまい続けていた
自分が遅いということで、
人に舵を握ってもらって、ついていった方が
きっと何かが成し遂げられる、
何もできないという気持ちでいた何かが変えられるはすだと思っていたのだけれど
自分にとってスピードがいちばんの欠点であるなら
それは人に絶対に舵は握らせてはいけないということだった
自分みたいな人間は
何か間違えたら犯罪被害に遭いやすいということを
いじめに遭った経験とかバワハラに遭った経験をしているにも関わらず
そんなに深刻視していなかった。
自分が10代の頃「このままじゃださい」と感じていた
自分の行動力のなさは
自分の心や感覚が壊れないために
身を守るために必要だったのだな理解した。
大人になると本当、舵を握って良い気分になるやつは多いよなと思う
自分はそれでもまあ一応
頭が良い方に入る様なので
そこまでひどい目にあった経験というのはなかった
ただもう少し自分が頭が良くて
きちんとしっぺ返しを食らわせてやれたらよかったのに本当に悔しいなと思っている
ただ、知的障害とかある女性とかが
DVとかですごい酷い目に遭わされてる人の話とか
散々たくさん聞いた覚えがあるので
自分が遅いという特徴から
「言われ放題になりやすい」という現象があるので
人がどれだけ遅い人間に対して牙を剥いてくるかを知っているので
実際知的障害とかある女性とかが犯罪被害に遭って狙われている深刻さもわかる気がしている
人のことを、頭悪いよなとか、人が馬鹿に見える、とか思っていたこともさんざんあったのだけれど
でも頭が悪いように感じるということは、
やたらと自分が遅いことでマウントとってくる、牙を剥いてくるやつらが
これだけたくさんいるんだなと感じている中で
しょうじきなところ「足りてないように感じる」と感じたりした、その他の人は
やっぱり離婚した旦那からDV受けていたとかそんな話聞いたりだとか
思ってるよりひどいことっていうのはその辺にゴロゴロと存在しているものだなと思う
自分がスピーディーにパッパと済ませてしまうやつはそれに気づかないで
周りを伺わないで、物を知らない世界線で一生生きて行くんだろうなと
嫌味たっぷりに言うけれど。速い人間っていうのは人を伺えなくてだいたい性格が悪い気がしている。
子供の頃、自分は動作性IQが低いという風には感じていなかったんだけれど
ただ自分が抱え込んでいる問題は、生まれつきで
生まれつき人生が決まっているようなものだと思っていた
自分は生まれた0才の時から、父親がゲームやっている画面を見ながら育った。
自分もRPGが、ファンタジーが大好きで
幼少の頃から物語を作る空想をしていて
自分は物語を作る人間として生きるために生まれてきたのだと
もう決まってるようなものだと思っていた。
運動はできないし、アクションゲームもできない、
実はRPGって自分が何もしていなくてもボタンひとつでどんどん
激しい展開が進んで行って小さい子供の脳みその教育にすごく悪いのだとか
しかも0才からゲームの画面を見て育ってしまうと前頭前野の働きに影響に与えるのだとか
自分もう終わってるじゃないかって子供の頃、自分を嘲笑気味だったのだけれど
だから動作性IQが後天的に低くなってしまったのだろうか。それはどうかわからない。
だから、12才、13才頃にバンドやりたいと思った時から
そんな自分を克服することに、自分の殻をなんとか破りたいと思っていたのだろうなと思う
ただ動作性IQが低い人が向いていることとして「ライター」というのがでてきたのだけれど
それこそ幼少から自分は物語を作る人間としてしか生きて行けないだろうと思っていた。
逆に大人になって散々な経験をしてきてからの、
RPGっていうのもよく考えてみるとまさしくなのだ、という気持ちになる
現実にはどれだけ遅くてマウントとられてしまったとしても
誰にも観察されず、自分が感想を述べられることはなく、
自分のペースでできるという
そしてファンタジー特有の現実には存在し得ないであろう超展開というのも
地道にひとつひとつコツコツ積んで行けばなんとかなるという発想が、
動作が遅い自分にとっては現実にはそれができなくてどれだけ苦痛かということから
「何か殻を破ったものが存在しないだろうか?」という、
現実に存在し得ることができない自分が
存在し得る世界線というのを発想していく世界なのだ。
ある意味、それを幼少からわかっていた。
実のところゲームクリエイターの世界の方が、
きちんと人として話をとことん話込む、
理性的で感情的にそこまでならない人間の集まりであることが多い。
つまり自分の苦手な人が少ない世界だと思う。
「他は無理だ」という畑のようなものはある。
もし「農家として生まれ育ってバンドがやりたくて都会にでてきたけれどうまく行かなくて結局田舎に帰って農家を継ぐ」などという話が
人がイメージの世界で持つ一般的な事柄なら
私は自分ではなくて、「親がゲームをやっていた」という立場なので
自分にとってゲームというのが産まれる前から存在して親がやっている農業のようなものだ。
ゲームをやっている親を眺めて
幼少の頃から客観的に
大人としてゲームというものを見つめる、ということをしてきた人間だった。
この辺りが「ゲームは子供が楽しむもの」「若い世代が楽しむもの」という風に認識している人が
ただでさえ多くて、認識力が噛み合わない部分だ。
自分は自殺したいというほど精神的に苦しんだことはないんだけれど
そもそも
「都会に生まれ育って親がバンドマンでゲームをやっていた。」
この畑が合っていないというのは
よっぽど私側の話を、誰も聞いていなくて
私側が人に合わせているということが事実でしかないからだ。
同じ立場じゃない人間に何がわかるんだ?という気持ちがするので
よっぽど私側の人の立場に立てない人間に、
さも私と関わりがあるかのように、思わせたことが腹立たしい。
毒親とひとことで言っても、
『父親母親像』
というのを勝手に想像する人間がいる限り
「親がゲームをやっていた。」
この辺りがとても大きい特徴だと思う、
だから、自分自身が存在しないという
幼少の頃から年齢にそぐわず大人で、客観性に優れるという自己が作られていった部分があるだろうと思う。
物事には、何事も構築的に存在しているということが、理解できるし、
勝手な構築で他人を想像する人間が嫌いだ。
本音を言うと、
ゲームを作る、物語を作る、という組み立てて、世界の構築をきちんとできない人間というのが極端に苦手だ。
一歩距離を置いたところから客観視で見るということができない人間な気がするからだ。
子供の頃から思っていたんだけれど
オタクじゃない人間の方が
現実の人間にゲームの世界みたいな妄想を抱いて
現実をゲームにする
現実の人間に妄想を抱く人間が多い気がして
オタクじゃないやつむしろ気持ち悪い、というのを感じてた。
無趣味とかいう人間気持ちが悪い、一定数ほんとうに当てはまる。
合う対人関係とか仕事とかを求めて、
だから10代の頃にプロミングの資格をとったりしていたし
やはりゲーム業界に就職することを目指すべきだろうか?と思うと
しかしゲーマーは動作性IQが低い人が多いだろうか?と考えたら
それもむしろ高い人が多い気がしてなかなか難しい
対戦ゲームとかしようものならついていけない。
自分はゲームが好きだという気持ちはあっても
実際はクリアしたことがほとんどない
そしたら好きだという人は同じゲームを何周もクリアしているという話をよく聞くので
どこでそんな時間を作れるんだろう?という風に疑問を抱くのだけれど
やはり動作性IQが高い人の世界線を自分が想像できていないのだろうか。
やっぱり「動作性IQが低い人は口ばっかり」というのが「ゲーム好き」という風に名乗ろうとしてもそれも当てはまってしまう、
そしてそもそも「親がゲームをやっていた人」の特徴として
知ってる人の特徴を挙げるなら、コミュニケーション力が高くて、調和力はあるけれど
同じくゲームが好きだという心での気持ちはあっても実際はそんなにでもないという感じがする
人に将来のことか
どうすればいいのかと
悩み相談でもしようものなら「やればいいじゃない!」みたいな感じで返されてしまう
先に書いたけれど、
やってる人間の中に混ざることはできないし
交流をとるとか何かにつながることが自分にはどうにもできないようだった。
だけどやってない人間からしたら、
ああ、はいはいみたいな、ポイッと簡単に言動を放り投げることができるとでも思われてしまうという苦痛。
記憶や認識がいくらあったとしても、交流にも仕事にも、自分には、何も繋がらない。
「ただ動作性IQが低い」という悩みがどうしても人に伝わらない
とりとめもない文章になってしまったけれど
言語化されることがその場その場では不可能なことをなんとか言語化しようとしているからだ。
ここまでの長文を読んでくれて「なんとなく」理解してくれる人というのはいるだろうか?
この文章内でさんざん書いたようなことが起きているということを
「どうやって」その場その場で、伝えるのかという方法がわからない
対話で悩みごとを相談したりするその聞き手というのは
「病んでる」とか「メンヘラ」とか基本的にそういう話を聞きたがる
認識の歪みは、それを解除するだけで伸びしろがある。
だけど両親共虐待家庭育ちで、親がイケイケドンドンのバンドマンでゲーマーだったという立場の自分は
どこか反面教師にして、「認識の歪みの解除」という客観視が得意になった。
ただ動作性IQが低い、
遅いと行動ができない、仕事、趣味、対人関係、
「人間である証」のなにもかもが成立しない苦悩の中にいる