人生ずっと困窮してきてる、そんな話を、知り合う人、知り合う人が、話す「隙」を与えてくれることがなんもなかった
「人から声かけられる」ってことがいくらあったとしても、
私が自分のことを伝えるって能力が低いのか
「その人にとっての友好的な態度」を不躾に投げつけて押し付けられて終わるだけで
会話してないのに、会話した気にでもなって、
大体は相手が自分が恵まれてることを基準にしてるだけ。
自分がめぐまれて育ってるってことを知ろうともしない卑怯な人間がなんて多いんだろうなって気持ちになる
「虐待を受けて育った」とはひとことで言うのは難しいことも「相談をさせない」っていう巧みに困窮させられた気がする
単純に「暴力は受けていない」ということで
問題家庭だと思っても、未成年の時にそういう捉え方をしたことがなかったし
もしくは10代の頃、思い浮かんだり、話しても、それで終わり程度で、「話が消えてなくなる」のが当たり前だったんだけれど
大人になって、初めて深刻なことだったってことがわかる、どういう組み立ててで物事が行われているのかが。
上2人が暴力を受けて育ったっていう話を
まず生まれてすぐからずっと聞かされて育ったという立場で
だけど自分だけは父親から暴力を受けていないという立場だった。
それを「めぐまれていること」かのように洗脳されることが
そもそもおかしいってことに大人になってから気が付いた
まだ幼稚園にもなってない、3才の頃に
おまえは暴力を受けていないんだから、めぐまれている、甘えている、だとか
母親に言われて育っていて
暴力を受けていなければ、
まだ人生が幼稚園にすら上がってない3歳時の
幼児の人生や人格が
「めぐまれて」「甘えている」と格付けしてずっと言動を投げつけられて
自分がめぐまれていて甘えているんだということを思えば当たり前にそう思い込んで生きていたんだなと
母親のその「毒」が「お前は殴られ放題になっていろ」っていう風に洗脳されていて
よく考えてみれば何にもめぐまれてないのに何も甘えられていないのに
「はい、もうめぐまれたね?」「はい、もう甘えたね?」って何かが成立したことに勝手にされて
文句だけは投げつけて良いゴミ箱として良いように扱われていたんだなと
人に相談に乗りたいみたいな気持ちはあるんだけれど
リアルでもまあそうだし、ネットからコンタクトとるのは、
リアルでもゴミ箱扱いだったのに、「ゴミ箱扱いにされるだけ」という苦痛が相次いで、
本当世の中トラウマだらけになる
「殴られてはいなかった」し、
性的虐待とかそういう話し聞くと、本当にひどい話だなって思って
そんなひどいようなことは何もないしめぐまれていると思っていたんだけれど
ただ、性的虐待を受けて育った子供が、他の人間からも性被害を受けることや
殴られて育った女性が将来に旦那からもDV受けるとか そんな話は本当に多いけれど
つまりはそういうことなんだなって、
親にそういう扱いを受けて育った自分に対して
誰もが、「こっちのことを見なくても考えても、見たような態度でとりあえず投げつけておけばいい存在」として
扱ってくるだけで、とにかく私の身に起きたことは、私にとっての身に得られることを
誰ひとりも私にはしなくて良いと思っているということを永遠とされ続けるだけの人生になってしまってることに
何も言わせてもらえなかった。
最近読んだエッセイの「私が放置子だった頃の話」とか読むと
自分もネグレクト育ちと言えるのかもしれないと思うけれど、
こういうエッセイ本読んだりすると
これはひどいなと、そこまでひどくなかったかもしれない、と悩むけれど
(というかこうした本にされる話は、これは放置子ではなくて完全に犯罪だといえると思う、本当に嫌だ、起訴して欲しいと思う)
機能不全家族という言い方がまあ一番誤解ないわけだけど
お金はなかった、
だから基本的に問題はそれで、うちは貧乏だ、というようにしていたけれど
貧乏ってひとことでいうより理由がお金があっても子供のためにならず父親が使ってしまうからだったりで毒親という方が正しいのだろうし
貧乏って言葉を使うことで
巧に洗脳に気が付かないで生きてきたんだっていう気もする
ほんの一瞬だけのことで、それだけのことって思って流れて過ぎ去っていくけれど
周りの子が綺麗な服着ていて
自分だけ穴だらけの服を着ていて恥ずかしいなって思って少し距離置いて離れたりとか
いじめられたり変な子だって目で見られても
「自分が恥ずかしい人間なんだ」って本気で思い込んで人と仲良くなれなかったことも思えばあった。
大人になってから環境依存や洗脳ってすごく大きいのだと気が付いた。
なぜか母親から言われるのが「過保護に育てた」
靴の結び方もわからなくて、びたんびたん引きずってて、
親も教えてくれもしないし結んでもくれないし本当に困ってて
いつも恥ずかしいと思いながら紐が結べなくて
なかなか結び方が覚えれなくて困ってた記憶があるんだけれど
自分が不器用なだけかもしれないけど、それ自体がどうかっていうのはわからない
ただ覚えれないというか、親が教えてくれるという行為をしてくれたことがそもそもないし、
ずっと言われ続けていたのが「過保護」
「余裕がないから放置していた」とでも言われたら気になりもしない些細なことが
どういう育て方をしたかの「格付け」の言動で急に歪んで感じる部分もある
「過保護に育てた」という母親は自分の好物が何なのかさえ知らない。
ひどいことをされた、虐待を受けた、とか人に言えるような伝えられるようなことではなくて
大人になったからギリギリ今ではこういうのも毒親の一種なんだろうっていうのがわかることでも
小さな子供がおとなしく言われ放題いる以上に本当に何もわからなかったことが
今思えば自分の人格や行動に巧みに洗脳を受けて蝕まれていたことに、10代の頃なんか気がつかなかった。
ただ、本当にめぐまれていたと思える部分だって多々あるし
自分は世界一めぐまれてる人間なのかもしれないって小学二年生の頃は最大級にそう思っていたし
だからか、1999年、小2の頃の記憶が最高峰で、そこから先がガラガラとなくなってしまったような感覚がずっとある
父親が使ってしまうというお金のひとつが、パソコンやゲーム関係だった、
だから自分は95年、4才のときからパソコンというのを触り始めて、
家族でみんなゲームをやるということがあって明るくて楽しかったりもしたし
自分もいろいろ得意げだった、小3ではホームページを作り始めたし、
小学5年生になって親の監督すら頭が良いから必要ないとされた上でインターネットを使いこなすようになってたときくらいから
2002年に、FF11っていうオンラインゲームが現れて。
ゲーム自体はどうしようもない難しさの難易度で、ただたくさんの他のプレイヤーの人がいて
多くの人がゲームには諦めて、ただそこで生活して住むだけに存在しているみたいな感じになっていたので
独自にゲームとは関係なしに、存在の在り方をみんなで自己主張したりして
それが妙にリアルで。「本当に別の仮想世界があるみたいだ」というすごく衝撃的で画期的な世界だったんだけれど
大人になってから、環境が土台がめぐまれていないということでどんどん振り落とされて行くようになるから
この時が今のところまでの人生では、実は自尊心の鍛え方、備え方の精神が最高峰になってしまったのかもしれない。
頭が良いということを生かせて、認めてもらえる世界。
礼儀正しい行いをしていたら、周りに礼儀正しい人間が寄ってきて、
素晴らしい対人関係を作れる世界。それをネットゲームで、そういう正しい現実みたいなもの、学んだ機会があったんだよね
それが日本人は白黒つけずグレーににごすという文化もあって、現実にはそうもいかない
白を主張する人間をグレーに汚して、黒をグレーにして処罰しない世界が現実だから
「オンラインゲーム」というできることの選択肢が限られている世界だからこそ
その少ない選択肢の中の
「他人を犠牲にして自分のことだけを考えるのか」「他人のことだけを考えて、自分のことは別にいいんだ」という人間の選択肢が
きっぱり分かれていて、白を選んだ人間は白の方で付き合えるし、素行の悪いやつら素行の悪い奴らと絡んでるっていう
たくさんの人がいる中で、明確に分かれた付き合いが存在するようになっていたように感じてる。
(当時MMOといえばアメリカで先行していたので、やっぱりアメリカの形式なんだろうか?)
だから明確に礼儀正しく中の世界で生きていれば自然に礼儀正しい人間が集まってくるっていう
ある意味だから本当に、現実以上にしっかりとした『現実世界』のようだった。
現実は、選択肢なんか何も選ばせて貰えず、不躾に妄想を投げつけられるだけ投げつけられて終わる世界だった。
オンラインゲームの世界が現実だ、なんていったら、え?何気持ち悪いことを言っているの?と思うところだと思う、
当時そう思っていたけれど、だけど実際に現実というものはもっとおぞましく気持ち悪く醜悪で汚いものだった。
子供と話すのは苦手で、学校では友達ができなかったから
「顔も知らないたかだかゲームで知り合っただけの相手」と割り切りながらも
当時に仲良くなった同い年だったり年の近い子とかがいたりとかもしたのだけれど、そうして話していたときは
大人になってからの方がむしろ、当時には本当にふつうの友人関係を築いていたように感じる。
むしろ、大人になってからの方が、偏見ではない現実と重さに気が付く
顔や名前を知っていたら「知っている気がする」というおぞましい認識力の餌食にされて友達なんか作れない。
顔や名前を「うすら舐めた態度」で知られて隣に並んだら、
人間の言葉通じないところから一方的なコミュニケーションを投げつけられて、
品行方正も教養も何もありはしない、永遠に人間としての言語通じないだろうと思う輩から話しかけられて終わるだけだったり
教養のない輩に、「顔や名前」を知っているという偏見を与えてしまう危険性があり、むしろとんでもない、対人関係なんか作れない
ゲームの中の世界ではむしろ顔もわからないからこそ、「なんにもわからないってことくらいわかってる。それもくみ取るから。」っていう
だからこそ「コミュニケーションを計れる側」という風に感じていた中では、品行方正や教養やマナーがちゃんとあったように思う。
もっと簡単にいうと、対人関係にめぐまれたと思う。
しかし対人関係にめぐまれたと思った運も、その中で使い果たしてしまったのだろうかと思う。
さらにいえば今どきのネットのSNSというのは荒れ放題だったりとかするわけだけど。
当時インターネットなんて触れるのは特別なお金持ちだけとか言われていただけに
(実際は70年代のアメリカとかのコンピューターとかではないので
そこまでではなかったのだと思うのだけれど偏見の目でそう見られていたのではないかって気もする)
FF11に関しても、これは今や23年間、未だに続いているオンラインゲームだけれど
2002年の当時には、プレイしているからには、特別な体験をしているからには、マナーや教養をちゃんとしたい。っていう
当時に向き合っている意識は、人としての他者に向き合う誠実性が高かったのかもしれない。
(そういう人と、そうでない人の差は歴然で激しかったと思う)
今どきはオンラインゲームと聞いてもめずらしくないので
「ゲーム」だとかいうマナーを守れないしょうもない多数の人間が
空気を奪い取って埋めつくしているのではないかと感じてしまうのだけれど
ぶっちゃけ、当時FF11は富裕層で、教養がちゃんとしている人が多かったのかもしれないとかも思う。
残酷な現実があって、持ってる人のところに持ってるものが集まる、
持ってない人は、更に奪われて2重にも3重にも地獄や苦しみを味わうことになる、なんていう側面があって
持ってる側に自分がうまくいられている時、どんどん手に入るものがあることも知っている。
だけどたとえば、パソコンなんか4才からやっていたせいで
お金持ちでしょ?とかお金持ちだ、嫉妬、羨ましい、とか
困窮してる現実があるにも関わらず、今思えば、ありもしないことを言われ放題で生きてきたんだなと思う部分があるのだけれど
趣味っていうのは贅沢してるから手に入るとは限らない、食べるお金もないからこそ、
それが注がれたものに集中するしかないから持ってるだけ
困窮して苦労して生きてきてんだよこっちは、苦労してるから頭使ってるんだよ
豚みたいに生きてねぇでちったあ私と同じくらい頭使ってみろよとブチ切れてみたいな気持ちには何度もなったんだけれど
むしろそういう気持ちにならなかったことを後悔していることも何度もあるんだけれど
それでも、なんだか「虐待を受けてる」とか「困窮してる」とかいうことはタブーな空気を感じて言えないことが多々あって、
むしろお金持ちで親から愛されていることを前提に考えることで「この人には優しく礼儀正しく丁寧に扱わないとやばいぞ」っていう
権力のある空気を確立させるように持っていくことは当たり前のことともされていたのかもしれないという
実際どうかわからないけれど、なんらかの、ゾッとするなにかに、「めぐまれている人間だ」という風に
振る舞った方が楽だという感じさせられる何かがあったような気もしている
ロクに話もできないのは、世の中洗脳される馬鹿が多いせいで、それしかどうしようもできないっていうのがある気がする。
中には苦労している人に課せられるその残酷な現実のせいで、物を知らないで生きるようになる心底豚みたいな人間が多いのだと思う
苦労してる人間はなめられないように身振りを整えないといけないという現実があるのに
日本人ってやつは、自分がめぐまれてるくせに、その鏡を見ることを知らずに。ぼーっとしてる。
「自分はそんなにめぐまれてない」とか思って
人を急いで嫉妬しようとしていて、本当は自分が身ぶりをとりつくろったりしないといけない事実がないくらい
豚みたいにめぐまれているから、めぐまれてない苦労してる人を嫉妬して おとなしそうな態度とって
無欲で罪がなかったかのような、馬鹿な行動を自分がとらなかったかのように得意げにぶりぶり人を吟味して
楽をして知能を使わないけれど自分は賢かったみたいな顔をしている豚みたいなのが多い。
めぐまれてる人間として責任をもって、教養やマナーを学ぶ必要があるだなんてさらさら考えない、
めぐまれてる側がよりによって頭を使わないで、
どっしりと構えた態度もとらないから、そんな醜悪さを発揮している、それが日本って国だ。
これは大分大人になってからの話だけれど、困窮してるとか、虐待家庭でそだったとか
話をしたとしても、なんか貧しくて教養や知能がない人間の話の世界で当然って話でもしてるのかな?っていう
ちょっとひんまがった概念の世界に巻き込まれかねないというか
同じように、困窮していたり、虐待受けてたり、そういう経験を持つ人間じゃないと
仲良くなれないだろうと、何度も思ったりしたけれど、それが、それで関わった結果、
いやーな、不の連鎖みたいな、人としてのそんな教養のない世界に巻き込まれないといけないのかっていう
人間ってヤツは自分の我の強さや押しつけがましさだけはふんだんに発揮する生き物だから、
マイナスな話をしたらつけこんでもいいみたいな非常に危険な本能持ってるやつが多くて
そこでプラスな話を無理しているだけでじゃあつらいだけっていうなら
何がどうしても、「だれともかかわらないことが正解」という状況しか見いだせないし
まあ、何がどうとかではなくて、何をともあれ、真実を考え始めたら、そんな心底疲れる中で、
子供の頃は、自分のことをめぐまれていると思っていた、そう思わないと心底疲れたからだと思う。
先に書いたけれど、「めぐまれている方がやさしくされるし、めぐまれてない方が冷たくされる」
残酷な真実がある中で、めぐまれているやさしい世界の方を感覚的に選び取ってきたりもして生きてきたと思っていた、10代の頃は。
そしてそれを「うらやましい」だとか即座に投げつけてくる人間がいる、
めぐまれてない人間に親切にする発想はさらさらないのに、嫉妬することは敏感察知な糞な人間、どれだけ多いことか。
そしてさらに不幸マウントとかしてる人間は本当にふさわしい努力してきたのか?って気持ち悪いと思っているし
もしくは本当にひどい残虐な目にあってる人間と比べたら、ふつうにそれだけの運はあったとも言えるかもしれないけれど
でもそれくらいの立場の人間だからこそ、
やさしくされるとき、それは根本的にめぐまれているからで、
冷たくされるとき、それは根本的にめぐまれていないから、
その両方を見てきている感覚がある。残虐な事実を知っている気がする。
何か合理性があることが存在するわけじゃないんだよ。
「めぐまれていない人間にこそ優しくする」
これを行うには相当なからくりを認識しないといけなくて
そのために知能を使う人間なんか、どこにもいなくて
人はめぐまれている人間にやさしくして、めぐまれてない人間に冷たい態度をとる『癖』を持っている。
納得のいかない理由でちやほやされて、納得のいかない理由で人から責められる
「頭が悪いけれどやさしい人」なんて存在しない、
頭が悪かったら、めぐまれている人間に急いで貢いでやさしくして、めぐまれてない人間から奪い取って
「自分は正しいことをした」という満足した顔しかできず、自分が裏側で真実では何をしたかも恥じを知ることもできないし
他者と接するという時点で、頭を際限なく使うっていうのは、必ず必要なことだから。
「日本人のやさしさ」なんてものは存在せず、コミュニケーションの知能が機能していないんだということをすごく目撃してきた気がする
日本人はそんなんで、自分が賢い、正しい選択をしたと、心底自分の中で慢心して思い込んでいるのをすごくよく知っている気がする。
根本的にコミュニケーションもへったくれもなんにもなく足りていない。
やさしい人間なんか見たこともない、だいたい死んでほしい人間はたくさんいても、生きていて欲しい人間はいない。
人間のいやなものしか見たことがない、笑顔で友好的な顔をふりまいてくるヤツは関わっちゃいけないやつだし
でなかったら、話しかけてくる人間はいない。自分は人生で、とにかく対人関係なんてあったものじゃない。
しかし自分も中学生で不登校になったりしたときは
ふつうにバンドやりたいと思ってたくらいのもので(それもふつうの気持ちではなかったと思っているけれど)
ふつうにゲームとかインターネットとかやって不登校って、
ふつうに自分がしょうもない人間なのかなっていう気持ちになっていたりとかしていたくらいなのだけれど
ただお小遣いをいっさい貰っていなかったし、
(ただし、9才の頃から懸賞サイトで自分で稼げとは言われていてそれでCDを買うお金をゲットするくらいのことはできていた)
自分だけが好きな自分用のゲームをやっていたかといえばそんな経験はなく
親がやっていたおさがりを数年遅れでやってるだけの、作り物のめぐまれている立場で、
その割に「めぐまれていて我慢を知らない」お金持ちの話と混合され兼ねないし
当時は別に「相手にしなければいい」という程度で気にしてはいなかったけれど
深刻な「ずれ」を産んでいて、
コミュニケーションが役に立たなかったことは人生と
対人関係による自分の死をちゃくちゃくと選ばされていたんだなと感じている。
自分が人生振り返って深刻に後悔を感じているのはコミュニケーションが『役に立たなかった』こと。
話をしたつもりだった、十分いろいろ楽しんだり話したりしていた気がしてたけれど
全部ごまかしと、とりつくろいのコミュニケーションしかした経験がいっさいなかったとか気が付かなかったのだなと。
「自分はめぐまれている」という感覚を持ってして、高い知性と教養を常に学ぶ姿勢で生きてきたつもりだったけれど
現実に、めぐまれていないという「ずれ」が圧し掛かっているのに、それを根性論だとか相手にしないだとか
コミュニケーションで解決する場なんか存在しなかった。人とのコミュニケーションが成立する場なんかなかった。
ま、それがとりあえず大きいのが。単純に金の問題になったとき。アルバイトとかビジネスとか自分がすることについてもそう。
思えば、そんなに深刻に考えていなかったことが、深刻だったと、
良い年齢になって気が付いてからじゃもうコミュニケーション計る機会もないし遅いことがたくさんある。
中学卒業して、高校に行くお金もないから年間8万とかで通える定時制高校があって
そこにしたのだけれど、高校の入学式の前日にまずモスバーガーで先にアルバイトをすることから始めたんだけれど
いままでいろんなブラックな方面のアルバイトしかとにかくなくて嫌な思いしかしてきたことがないけれど
初めに働いていたモスバーガーがそれがかふつうにひどかったのかもしれないんだろうか?
当時は初めてのアルバイトだったし、そんなに大したことじゃないと思ってたんだけれど
まぁ店長はオラついた物腰でなんかバンバン指示出すような人。まぁあんな感じなものなんだろう。という程度だったんだけれど。
何がどうひどかったとか詳しくは書かない。
とりあえず飲食業だけあって忙しさは今までしてきた仕事の中でトップで半端じゃなかったかもしれなくて
ただでさえ精神的に不安を抱えていて解消することもできない中生きるためにそれをするしかないっていうそれも嫌だったんだけれど。
世の中には「バイト先で友達ができる」とかいう現象があるのかと思うと考えたくない気持ちになる。
虐待家庭のエッセイ物の話を読んでいると、バイト先とか、どこか家庭以外では対人関係や
会話が成り立っている様子が描かれているものが多いのだけれど、そういう機会がどこにもないことに
とにかく心が折られた。親以上に、仕事という場所を憎らしく思っているくらい。
仕事先ではなにか自分側は成立してるからOKって顔しているヤツだらけだ。
ただなんだろうね。高校生くらいが、アルバイトしながら定時制高校に通い始めたときに、
何もバイトしなくても、高校や大学に行かせてもらえる子供はたくさんいるのに
「めぐまれている側」として精神をなんとか平常に保ってきたものが
本当にこれは無意識だったのだけれど気が付いたらガラガラと
自分の中に構築してきたものがすべて崩れ去っていった感覚があったのかもしれない。
自分の精神の作り方が、いっきにわからなくなる何かがのしかかってきたかもしれない。
ある意味自分で働かないといけないんだって現実に行動が始まった15、16才っていちばん「なにか」がひどかったものがある。
それから中学卒業したばかりの子がとりあえずできるアルバイトって
現代日本では、飲食店のレジ打ち、接客業が基本だけれど
当時、「接客業って苦手なのに、よりによって苦手なバイトしかないんだな」と思っていたけれど。
大人になったら、「苦手」ってこんなからくりだったのかって、よく考えないとまさか気が付かなくて
自分はパソコンとか使うのが得意なのに、よりによって、接客業しかないんだなと。
特別な話ではなく、そんな悩みを抱えていたんだけれど。だけどもう一歩、問題を掘り下げると、
そもそも中学生までの人生の間に、「モスバーガーで食事をとる」なんて経験したことなかった。
お小遣いもらってなかったから、特に飲食店だの、食べ物関係なんかの取り扱いには疎い。
提供されたことがないのに。提供する側から入って、要領が悪いって怒られなくちゃいけない。
大人になれば、そりゃ日頃、コンビニで買い物してマックで食べたり、わざわざカウントすることもなく
たくさんしている行為かもしれないけれど「簡単なコンビニやマックでのバイト」って、
大人だったら、自分側がたくさんそんな買い物をしたり利用した経験がたくさんあるから、簡単かもしれないけれど、
そもそもお金の受け渡しのやりとり、買い物をするっていう経験がしたことがないのに、
お客さんからどんどんお金を受け取って、レジにいれて、渡して、って、行動にまず疲弊させられたけど、
大人なら簡単だけど、買い物の経験がない子供なら大変なこと、がわざわざ子供向けなんだよなとか今考えて思った。
これが経験のない中学生だった人間が「いちばん簡単な作業」としてさせられるのかと
ちょっと違和感や疑問があるかもしれない、むしろ、大人からしたらなじみ深いかんたんなことかもしれないけれど。
コンビニではまた問題視されてるけれどお酒やたばこやエロ本なんかの取り扱いもあるよね。「大人にとってなじみ深い」を
若くていちばん最初に経験してないときに「働く側としてかんたんなこと」としてやらされるのが
当たり前っていう世の中違和感だらけなのかもしれない。
これが15才の唯一の選択肢なのか?って疑問を感じる。
かんたんな作業や接客業が苦手な、アスペルガーなのか?って自分のこと疑問抱いていたんだけれど、
むしろ28才位の頃にテスト受けた結果は、アスペルガーとまったくの対極と言われた、
(ただの敏感察知のHSP気質)
ただ世の中いろいろなものがそもそも逆なんだ、っていうことに
深刻に疲弊されて、なんも疑問を抱かなくて、気が付いてないことだらけなのかもしれない世の中は。
まあ、疲弊している理由に自分の困窮が原因だったっていうことに当時は、気が付かなかったけど。
お金をもらえてる子供だったら
中学生でも親からのお小遣いで、日頃から遊びにいって、お腹が空いたらモスバーガーでパッって食事食べたりするのがふつうなのかな。そんな些細なことに何も気が付かない。
ちょっといまはモスバーガーが高くなっているからあれだけど
マックだろうがどこでもお金を払って食べるなんて経験は自分にはなかった。
『中学生がまだ消費者に立った経験がない』っていうのは
何も大げさなことではないかもしれない、「考えてみればそう」っていうことなのかもしれないけれど
なんも経験がない側が逆に働く側に立つの?っていう。
精神的に不安を抱えている中さらに追い込みをかけてくる感覚があったんだよね
それもやっぱり、都心部の中心に近いところにある、人が多い中だったから、
ストレスがどれだけ大きいかという問題に鈍感なのが当然で自分自身も含めて気が付く人間がいることなんかなかった。
とにかく自分が食事を運ばれた経験ないのに、モスバーガーで提供はされてないのに提供する側になるっていうのは
都会でどんどんどんどん人が来て流れて行く中で会話も何もないことが大変であることに
何も意識はしていなかったけれど、心をとにかく無にするようになるというのを覚えて、
心神喪失状態みたいになって、内包する中で何かとてつもなくひどいものがあったのかもしれない
食事とか運びに行くとかいう何かがパニック障害のようになって、何か精神性が切れてしまったものがあるかもしれない。
誰も声をかけてはくれないし、気にかけてはくれないし。何事もなかったものとして、ただ時は過ぎ去っていくだけだったけど。
とにかく、誰も誰かが声をかけてくれるという現象がどこにもない。
私が通っていた年間8万の定時制高校というのは
今や無料(現在では高校の11万までが無料だから)で通える高校に指定されているんだけれど
けっこう貧乏で苦労していて通ってるって子も中には居たような感じではあって
いつもの4人組みたいに一緒にいたうちの2人が
一度前の学校を中退しているとかでその2人とも年は2つ上なのだけれど
中学生の頃からの親友で、どっちも母子家庭で、親に月5万渡しながら通っているとかで。
中でもそのひとりの方は、単刀直入にいうと完全に虐待家庭で、
その母親がノイローゼで動けなくて仕事も家事もやらなかったりして
まだ弟が小学生なのにと、早朝に起きて、家事やってから、バイトに行って、その後学校に来て、親に月5万渡してるとかで。
それは自分の方がまだマシだなと感じるひどい話だったんだけど
いやおんなじだよと、自分の親のタイプと親のタイプが似ていると言われたんだけれど
話聞いてみたら向こうの親も元ちょっとした芸能人でオンラインゲームをやっていて、
ちょっとそういう気位だからセンスがあったりその恩恵があって良いところはあるんだけれど家庭は崩壊していると
たしかにそっくりと言えばそっくりだった。
その相手とは、どっちもひどい家庭環境ということで、年が16と18で結婚できるから
結婚しようかと話していたり付き合っていたけれど まあ別れた相手で。
その元彼の話をここでどうのこうのと書くのもあれなので。ただ、なんていうのか。
誰もこっち側のゾーニングを尊重してくれる人間が誰ひとりもいなくて。話を聞き出してくれる人がいない。それはその元彼も同じだったという。
成人して大分過ぎてからこの言葉も有名になったけれどHSP気質というヤツで
自分は人に合わせるのがうまい。相手側の認識をすぐ理解してかんたんに合わせることができてしまうんだけれど
そのせいで相手は、こっちが自分に合わせてくれるのを当然だと思い込んで、
こっちのゾーニングを何ひとつも大切にしようとしなくなるんだよね
これ大人になっても こういう出会いしかないっていうの今まで変えられたことがなかった。
いつもいつも最悪なのは相手のゾーニングの中で空気読めないみたいなヘマをしたら
こっちが悪いことにされて悪口とかさんざん人に言い振り回されやすいんだけれど
こっち側の空気なんかそもそも100のうちの1すら読んでもくれないなんにも聞いていない尊重してもくれてないのに
100のうち100、合わせられなかったらこっちは悪いみたいなこと言いたい放題なんでもござれになる
本当に出会う人間出会う人間、死んで欲しいやつしかいないし、
生きてて欲しい人間いないけれど自分は生きて欲しい尊い人間だと思えてくる。
だから別に自殺したいとかはない。こっちに非があったことなんてそんなにはない話で、胸張って言えるつもりはあるし、
なんでこんな身勝手な腐ってる人間しかいないんだよと。
その元彼に関しては、だからこっちの悪口は言わなかったと思う。それだけで、
その後の成人してからの対人関係を思い起こすと、いままでの対人関係の中ではマシだった、ちゃんとした関係だったように思えてくる。
ところで自分は説明しにくい話を、簡単にあっさりと言って性分化疾患だし性別違和というやつで
20までは女として20からは男として生きているのだけれど
そもそもそんな人間は世の中にあまりいるものではなくてまあ苦悩する立場ではあるのだけれど
何がどうとかではなくていかがわしい欲望の世界と一緒にされるのは不快だし、自分はただ誠実な真っ当な人間として生きていたいだけである。
しかし小学生とかの頃は何も考えずに男で居て、成人したら丁寧な人間でいたいし、女になるとか、
逆が良かった、っていうのは本当12歳くらいでも思ってたし自分の人生には初めからわかっていて絶望していた。
成人してから男になるとか、大人になったらそんな醜悪な大人の男、とかいう、汚ねぇ感じのものの中に入るとか嫌だなとか思ってた。
というわけで10代の頃も最悪ではあったわけだけど、
20代の頃は更に最悪だった。
というか対人関係作れる場所がどちらにせよとにかくなくて特に20代になったらもっと最悪だった。
25の時にパワハラがひどくて友達が作れないしもう25になっちゃったなってもう人間じゃないみたいな気持ちになってたときにとにかく抜け出さなくちゃってもともとバンドやりたいけれどどうしてもバンドが組めない、
そしてお手伝いを始めた音楽ライブバーがあって、
セッションでライヴもやって、せっかく良い関係築けたと思ったのに、そこで暴行を受けた事件があるんだけれど
それがなくても、思えば、困窮してる身で、なんとか音楽をやりたいって思ったせいで悪夢のような最悪な目にあってきた気がする。
音楽って自分にとっては災いのようなものだった気がしてくる。
ただ音楽自体には神様からのメッセージのような癒しがあって、苦しみが深ければ深いほどに
素晴らしいと感じるものがあると思っていただけなのに、なんでそれに群がる人間はこんな最悪な人間が多いんだろうかと思ってしまう。
その25の時の会社っていうのももともとバンドやってた人たちが創設した会社だっていうんだけれど
会社立ち上げの話を出したのは10年ちょっと前くらいの当時19くらいとかのギターの人で
細かい正確なところまでは忘れてしまったけど、それで当時30くらいの年の離れたボーカルやってた人間が社長になったのか?
なんか本当はCD会社とかがよかったけれど無理で、イベント系の建設になったとかいう。
だけどだよ、私も33にもなるから「そういうことか」とわかる、ようするにそういうチャラチャラとした無責任な気持ちでの会社の創設、
なんかその言い出しのギターの人よりも、元ホストで酒飲みながら出勤して~とかいうなんだあのヤベェやつって感じの人間の方が
よくわからないけど今は上の立場とかなんかよくわからない事情でやっていて、いろいろひどかったけれど、
そういう自分の夢だとかいう何処か浮ついた、ちゃんとしてないやつらに巻き込まれて嫌な思いをしなくちゃいけないってことだよ。
ひどい人間がとにかく多かったので、そのギターの人は会社の中ですごく「良い人」だという立場になっていたんだけれど
よく考えたらぜんぜん良い人でもなんでもない、いやお前がまだ19とかで会社が立ち上げたあげく管理ができなくて
年上メンバーに丸投げして社長譲ってこんなんになったんだろう?って話だな。
未だにつぶれていないのだけれど、定着してる女の従業員はみんな誰か社員のセフレだとかいう、管理もなんもできてない危ない会社だからつぶれた方が良い会社だと思う。
この会社自体もそもそもまたひとつの記事として晒して書きたい気持ちはあるんだけれど割愛して。
とにかく音楽っていうのは頭の悪いやつらが悪いことをなぁなぁにするための都合の良い巣窟として扱っていて。
音楽って言葉でだまされて、頭の悪いやつらが許しちゃってるという社会現象の事実がある
とにかく最悪で醜悪でひどいとしか言いようがない。
自分は生活困窮してきた身で、そういうやつらに付き合ってられるような身じゃないんだと、だけど騙されたっていうのが本当にショックで。
その犯罪者だらけのその温床になっていた音楽ライヴバーも、これに関してももう、本当に改めて記事にしたいものなのだけれどなかなか気力が起きず
この会社もやめて、新しく27の時に働き始めた内装施工の雑工、まあ簡単にいえば日雇いの派遣会社でも、
バンドマンがやたら多いということで。もともと音楽がやりたかったから、何かの縁なのかって、それでも音楽を続けたかった人間としては、やっぱりそういうところなのかという気持ちにはなったのだけれど
それでみんな仲良いみたいな感じで、プライベートで会って話したあるときのことなんだけれど。
なんかその仕事先の人2人と、その元仕事先の人間と(今企業して金持ちでどうたらみたいな)、
その人が他の人連れてきて、お店で話してたときに、初め、俺稼いでるからいいよいいよみたいなこと言ってたのに
なんか急に「会計ひとり7000円ね!」とか言い出して、あとでその同じバイト先の人が出勤一緒になった時に
「あのさあ状況が見えてなかったけれど、あいつ絶対金ぼってる」って告げられたのだのとかあったんだけれど
なんていうのかね。「みんな仲良さそうな感じでやっている」っていうので巧にだましこんでくるんだよね。
なんならこっちは初対面の人間にすぎなかったのに。
その仕事先の人間の人も、だから私はただの初対面の人間なのに巻き込んでるってことに怒ってはくれてたんだけれど。
ただその人は自分が27にしてダンスを始めるきっかけになった人だけれどその人ともトラブルになって
許せないのはやっぱりめぐまれている配慮のない馬鹿な価値観中心にすぎないってこと。
だから俺様な態度でオラついて平気でこっちの文句や悪口なんか言ってそれが通じるということになっている
「めぐまれてない人間は、めぐまれてる人間に合わせて配慮してね」と平然とそういうことを言い捨ててやがるんだよ。
世の中そんなやつだらけだよ。
そしてめぐまれてない人間に配慮するやつなんかいない。
この金とってきたやつの件もそうだよ、つまりなんだ?俺は金稼いでるから、金ないお前はさらに金差し出せってこと?
よく考えたらこういうことが平然とまかり通ってるというわけで。ほんとう晒してやりたいよねって気持ちであるんだけれど。
そしてその会社の他の仲良くなった、そのみんなでお店行ったときにもその場で居合わせたひとりの人は
その人もまあバンドマンで天然な感じの人で、決して怒らないし人が良い、みたいに言われてたんだけれど
ただ話聞いてると、やっぱり家庭環境でたとえば父親のために働くとか母親のために家事をやるだの
考えたこともないんだろう、っていうめぐまれている人間だと思った。
めぐまれているヤツが自分がめぐまれてるから怒らないことを人が良いだの、
自分がその人とちょっと似てるみたいな扱いをされていたのが、
よく考えたら仲良くなれそうだとは思えないし、
天然だけど、元ホストをやっていたとかいう、
アスペで不器用な人間で、そういう人間ってどこかめぐまれてることを当たり前になっている。
自分にとってまさしく『災い』みたいな人間だなということに後になってからちょっとそう思えた。
音楽やってる人間は、まず生まれ育った環境がめぐまれている人間が多い。
めぐまれていて、他人に配慮ができない、頭の働かないヤツだらけ。
まじで最悪だよ。人が良いとか言われてるヤツもけっきょく同じ穴のムジナなわけだ。
ちょっと卑屈的かもしれない。そう感じてるから、何か相談をしようと思ったりしなかっただけで
もしかしたら相談事があれば聞くくらいの気持ちを持って、こちらに話しかけてきてくれてたのかもしれない。
音楽とかで仲良さそうな態度とろうとしてくる人間には本当に警戒が必要だなと思った。
そもそもこっちはそんなに、なんにもめぐまれてない。
あとなにがどうとかじゃなくて。何かのキーワードとかで仲良くなろうとするヤツね。そもそもこっちのことを見ようともしなくなる。
音楽ってふつうにキーワード化してて下種い世界で最悪なんだよな。
音楽だけじゃなくて、それが趣味だったりとか、何かの主張性を持つ物、すべてが。
そして男が最悪だっていうこと、大人になってすごく知らしめられたなというところでもあるんだけれど。
マウント思考が当たり前で、権力を行使して生きていることの権化で。
精神的に男なのに、女の中にいるしかなかったから、
男しかいない中に当たり前にいれることに、居心地よく思っているのも生理的にあるんだけれど
それが何故か20歳過ぎてから友達ができずにいた中、声かけてくれた人というが大体元ホストとかいう人間が多くて
なんというか大体は天然な人間なのだけれど、正直どうなんだろうと思ってしまう。
男が強者だっていうの振りかざしてくるようなもの内包して持ってる人間だらけで
心の中でモヤモヤとした気持ちのまま、仲良くなろうとも思えずで。
すでに生活保護受けて6年目になるけれど
何か人と交流とる場所にもはやいることができる機会もなく、人と出会うことがない、このままどうすればいいのかもわからない。
そういう状況になる直前にまだダンスやっていた時、クラブ界隈とかで声かけてきた人間が
「ふつうの人です」という顔をした人間がどれだけロクでもない人間なのかも、話し尽くせないけれど
たまたま声かけて知り合った元アイドルで配信活動をしているという人と、きっかけに事務所に誘われたことがあった。
そしたらその人からすごくその良い感じで声かけてくれたその人の衝撃的な話聞かされて、
所謂ところ本気じゃないけど女殴ってヒモして、こんな活動していると、
だけどその人物は、こちらに対しては愛想よかった、なんだろう、イケイケな声掛けをされる時はだいたいこんなもんだ
そして「日本はやっぱり男が得だよ~」とか言ってきたんだけれど、「それ」をわかっていて
女殴って、女の金の世話になるのか?とちょっとどす黒い話があまりにも多すぎて
とても受けつけられないことしか私の人生にはないのが本当に悲しい。
今にも生活保護になるような状況の中でそれを聞いたら是非うちでやるべきだ!みたいに事務所の人が応援してくれたんだけれど
そもそもアイドル業が得意ではないので、私、どうすればいいんだ?って感じだったのだけれど。
人としてちょっとあんまりにも尊敬できない人としか出会いがないっていうことも何か一挙始めよう!とは努力したいと思えない要因だった。生活にどう困窮してるかという話しよりも、私の対人関係運の悪さが、ちょっと呪わてるレベルではないか?と思う
生活に困窮していたといっても
義務教育くらいの年齢の頃私が育った環境は、世界でトップクラスに教養がある地域だったらしい。
所謂温室で、ほのぼのとしていて、物事がうまくいってなくても、黙って小さな声でしゃべってまじめな顔をして大人しくしていれば全部が平気だった。
そして女の子として育っているのでお嬢様が多ければなおさら、大きな声でしゃべる男性がいるだなんてとても理解ができないみたいな環境。
だけど私は精神的に男だしそれはちょっととても居心地が悪い、
そして親が金持ちでこれから先の人生が保証されてる人間が許される、「素っ気なさ」の中で生きていたのだということが
10代の頃にはよく理解できず。自分が生まれ育ってきた環境が自分にとって関係ないとは理解できず。
だけど20才すぎて男としてアルバイト生活で生きていたら途端にマウント脳ででかい声で
知性ない態度でしかしゃべれない男が当然だと思って生きてるのはなんなんだろう。
なんでその中間がないんだろう?性別的な人間の癖がどうしても許し難くて、それが仕事に関わってるってことがどうしても納得できない。
自分が男性か女性か、悩み事がそういうところでもなかったら、少しだけパァッとはっちゃけることでもストレス発散して
そんなきっかけから人とコミュニケーションをとるきっかけが生まれたかもしれないけれど、
自分の性別がどちらにも当てはまらないという悩みの本質は、コミュニケーションの機会が奪われているという、
そんなに楽しくキャアキャアとLGBTだとか語ったりして交流とれるものではない、どうして人間ってこんなにも貧しく、
男か女か見計らってから、貧しいコミュニケシーョンをとりはじめて、人間としての大切な話を他者から奪うことが得意なんだろうな。
単純にセックスしたいとかそういう感情だったらそういう気持ちにならなかったかもしれない。なんか遊び人の人がうらやましくも思う。
困窮してる人が性風俗とかに溺れる話が多いかもしれないけれど、むしろ自分はそういう風にすらなれない程
コミュニケーションの機会がなんにもなく奪われる状況においやられてる気がする。
こうして文章を書くことでネットから交流をとれたらいいのかもしれないけど
4才からパソコンやってた自分は、先に書いたけれどネットで交流がとれるだろうということに期待と慢心を抱いていたんだけれど
それがどういうわけか、バーテンダーやってた時代に、やっぱりネットなんかわからないジャズバンドの年寄りの人と交流とって話して
直接でしか話せない人とのコミュニケーションしか、きちんとした対話じゃないような気がするという感覚も知ってしまってる
もともとパンクに憧れてた人間でもある、きちんとした直感的な濃度でコミュニケシーョンがとれないのは許せないと感じていて
ネットっていうあんまりにも人との感度が足りないものは許せないという感覚も持ってる、ネットからの交流の入り口は
今もXをやってはいるけれど、どうしてもなかなかちゃんとした人との交流には至らないし、ネットからも対して交流がとれてない
本当に他者とコミュニケーションとることに困窮している
驚くほどに、誰かとは交流がとることができるものだとお花畑が咲いていて
自分は交流がとれる星に産まれてることに自覚がない人間だけで、
交流をとろうとしたり会話に踏み切った瞬間、そこに何か妄想がすで生まれていて、
私が恐ろしいほどにどれだけ孤独か通じないことが本当につらくなる
どちらかといえば家庭環境にはめぐまれていなかった。
どちらかといえば身体は弱かった。どちらかといえばが19の時に腰をやってしまったし、6年前にそれが響いて右半身麻痺になっている
身体障害ではない、どちらかといえば、どちらかといえばが積み重ねた結果、主張する定義も持ってない、
そのちょっとしたひずみが、自分の自己紹介、どんな人間でどんな空気の場所にいてどんな環境があってどんな会話をして
すべてを奪ってきて、仕事も対人関係も、趣味も、そこには人間がいる以上、すべてを自分から奪われて、ずっと困窮させられる、
もう少しきちんとした会話と対話ができること、それこそ中学生から願っていたけれど、もう20年も経つ、30代になったのに
未だに、中学生の頃に願った、基盤っていうのを築くことがなんにも成せてないまま、生活に困窮しているんだなと思う