今回は私の家庭の話。なんとなく書きたくなったので書きます。
父は私が小さいころから単身赴任でした。よそで女を作って遊んでいた事も知っています。父は頑固一徹。そして猜疑心の塊。さらには亭主関白でいつも母とは合わなく喧嘩していました。
父は融通効かない性格なので、母はいつも嘘をついていました。父はどこも母をつれていかない人でしたが、母は父に
嘘ばっかりついていました。でもその気持ちわかります。
電話鳴れば「誰からよ?」、「男か?」、「それ何よ?」、「郵便物何よ?」、いちいち事細かく聞いてきます。本当うざめです。
浮気している人の特徴ですよね。自分が隠しているような事を怪しむ傾向にあるんですよね。
結婚してすぐ単身赴任になって季節労働者な為半年に1度内地から帰宅して、そして1ヶ月家にいてまた内地にいきます。これが一緒にずっといたらすぐ母と離婚していたでしょう。
私には10個年の離れた兄がいますが、いつも父に殴られ吹っ飛んで行っていた記憶があります。ちょっという事きかないとすぐヤキ入れるような親父です。
母は夜のお仕事です。3歳位から夜はいつも一人でした。そして父は単身赴任でいつも家にいません。
母も男を作って浮気をしていました。幼い私の横で他の男とセックスするような母です。幼いながら私の記憶に残っています。
私と兄は10個も年が離れています。私が4歳の時兄は14歳。母は夜仕事なので面倒見る人がいないので、私の面倒をみろと、兄は母に言われていました。
しかし14歳のやんちゃな不良少年でしたので、夜は私を置いて遊びに行ったり、それか不良野郎のたまり場が我が家でした。夜は両親がいないのでね。たまり場です。
そして兄がいない時、兄の友達の一人は私の体を触ったりしていました。それも鮮明に覚えています。
嫌だといえば一人ぼっちにされると思ったので特に抵抗はしていなかったような気がします。
そこまでエスカレートした触り方じゃなかったので。今思うと思春期なボンズですから触りたかったのかななんて思います。
私は幼いころから、一人で留守番、一人でいる事が苦手でした。
夜が来るのがすごく嫌で、母が仕事に行くのが凄く嫌でした。泣きじゃくってた記憶が今でもあります。一人にしないでと。
そして母が大好きでした。
そして物心ついた19歳のころ、母は不倫相手と一緒に過ごすようになります。本当それが嫌で嫌で仕方なくて体重も1ヶ月で15キロ落ちました。この不倫相手は母と不倫するようになって、奥さんに捨てられ家も職も失って車中で生活していました。こういう事になってしまったのは母のせいだと言って自分も夜のお店をやめて、一緒に車中で生活するようになったんです。母はこの時借金だらけでした。自分の店もうまくいかなくなって。
もうこの状況が嫌で仕方ありませんでした。
だから私はもうやめてと何回も懇願し、そしてやっとその不倫相手は姉の元へ引き取られる事になりました。
父も母の借金を知り、すべて借金を返済してくれました。
なんだかんだ言って父は母を愛していました。
今まで父に嘘を言っていた母の気持ちはわかりますし、浮気する気持ちもわかります。
この最後の不倫相手は、父にないものをたくさんもっていました。怒らない、母を色んなところに連れて行ってあげているんです。
父は旅行も連れて行かない、すぐ切れる男です。
浮気は良くないと思いますが、浮気される側にも問題があると思います。
私はこんな家庭環境にいたせいか、嘘をつくことが苦手です。
そして極度な寂しがりやです。
私は父の事は正直苦手です。今までほとんど離れて暮らしていたわけですから、どう接していいかわかりません。
でも親なんで愛してますよ。
でも母は本当いろいろありましたが、大好きなんです。愛してます。残りの人生幸せにたいと思って頑張っているけど、まだまだ足りないみたいです。もっと頑張らないと!!
もう単身赴任も定年で、ヨボヨボになって帰ってきた親父。もう口も回らないし、何言っているのかわからない。物忘れも激しいし。
耳も遠すぎて。
母は父をなんだかんだ愛しているのか、私に愚痴を言いながらきちんとお世話をしています。
そんな私は父と1ヶ月住んでみましたが、やはり私とは合わなくて私は現状借金まみれで家を出る事になりますが、これもまた試練ですね。
頑張って生きていかないと。
死ぬ気で頑張らないと・・・。生活立て直さないとな。一人で生きていく時がきたな・・・。変わる予感。
そう感じています。