真心に生きるあなたへ
おはようございます☀️
いつもご覧いただき、
ありがとうございます!
私たちが毎日、何氣なく使っている「ありがとう」という言葉。 一日に何回くらい口にしているか、数えたことはありますか?
コンビニでお釣りをもらったとき。 子どもが靴を揃えてくれたとき。 同僚がコーヒーを入れてくれたとき。
「ありがとう」は日本人にとってあまりにも日常的すぎて、その本当の意味を深く考えることは、なかなかないかもしれません。
僕もそうでした。 でも、この言葉の語源を知ったとき、恥ずかしながら目頭が熱くなったんです。
今日は、そのお話をさせてください。
「ありがとう」は、もともと「有り難し(ありがたし)」という言葉から来ています。 漢字で書くと「有ることが難しい」。
つまり、**「あること自体が、めったにない(奇跡である)」**という意味なんですね。
これだけ聞くと「ふーん」で終わるかもしれませんが、もう少しだけお付き合いください🌿
この「有り難し」という感覚の原点には、お釈迦様の有名なたとえ話(盲亀浮木)があると言われています。
果てしなく広い海の底に、一匹の目の見えない亀がいる。 その亀は百年に一度だけ海面に顔を出す。
一方、広い海面には一本の丸太が浮かんでいて、その真ん中に小さな穴が一つ空いている。 百年に一度浮き上がる亀が、たまたまその丸太の穴にすっぽりと首を通す。
それくらい「有り難い(めったにない)」ことなのだと。
では、何がそんなに「有り難い」のでしょうか。 それは、私たちが今ここに、この体で、この命で、生きているということそのものなんです。
考えてみると、本当にそうですよね。 お父さんとお母さんが出逢わなかったら、自分は生まれていない。
そのお父さんとお母さんにもそれぞれの両親がいて、その出逢いがなければやっぱり自分はいない。
五代遡れば32人、十代遡れば1000人以上のご先祖様がいます。 その中のたった一人でも欠けていたら、今ここにいる「私」は存在しませんでした。
戦争があった時代、飢饉があった時代、疫病が蔓延した時代。 それでもご先祖様たちは必死に生き延びて、命のバトンを繋いでくれた。 その奇跡のような連鎖の果てに、今の自分がいる。
それはまさに「有り難い」こと。 決して当たり前ではない、途方もない奇跡の上に私たちは立っているんですね。
だから「ありがとう」は、単なるお礼の言葉ではないんです。
「あなたがここにいてくれること自体が奇跡です」
「この瞬間が存在すること自体が、かけがえのないことです」
という、命の根っこへの感動が込められた言葉なんです🙏
僕がこの語源を知ったとき、真っ先に浮かんだのは祖父母の顔でした。 そして、名前も顔も知らないけれど、確実に存在した何千人ものご先祖様たち。
その全員が命を繋いでくれたから、今日の自分がある。 そう思ったら、ただ「ありがたいなぁ」と、それしか出てこなかったんです。
面白いもので、この語源を知ってから「ありがとう」を言うときの氣持ちが変わりました。 言葉の温度が、ほんの少し上がったような感覚です。
スーパーのレジで言うとき。 子どもに「おはよう」と言ってもらえたとき。 なんでもない朝に目が覚めたとき。
「ああ、これも有り難いことなんだな」と、ふとした瞬間に感じるようになりました。
今日、もしよかったら一つだけ試してみてほしいことがあります✨
夜、お布団に入る前に、目を閉じて「ありがとう」と三回だけ唱えてみてください。
誰に向けてでもいいですし、特に相手を決めなくても構いません。 ただ「ありがとう、ありがとう、ありがとう」と。
その言霊は、今日一日出逢ったすべての人へ届きます。 そして時空を超えて、命を繋いでくださったご先祖様のもとにも届くと、僕は信じています。
日本語には、たった五文字でこれほどの想いを伝えられる言葉がある。 そのことが、もうすでに「有り難い」ことだと思いませんか?
何百年もの間、日本人が日常の中で繰り返してきたこの小さな感謝の言葉が、巡り巡って自分の人生を、そして周りの人の人生を、静かに豊かにしてくれます。
それでは今日も素敵な1日を✨
ご先祖様、守護霊様
いつもお守りいただき
ありがとうございます
顕彰大神通力🙏
(けんしょうだいじんつうりき)
山名令修 & 山名慧実