「殿下!」
「その声は――銀桂か。如何した」
秀は銀桂の声に鋭く反応した。
「青花に何かあったのか」
できる限り冷静に、秀は言葉を重ねた。
銀桂がやっと耳を頼りに秀の許へ姿を見せた。
「――いえ、ご安心くださいませ。青花様が両殿下をお呼びするよう申されましたので、私が伝えに参ったのでございます」
銀桂は呼吸が落ち着くのを少し待ってから用件を説明し、秀の不安を晴らすことも忘れなかった。
「珀家の佳人殿が何故わしにまで声を掛けてくれたのだ?」
「青花様は『庭師殿、暫しお仕事が中断されます間、私たちとひと時お過ごしになりませぬか?御礼と思ってくだされば是非に』とのことにございます」
銀桂の言葉に秀と偲冨は顔を見合わせ、視線で会話をした。
――「怒っておられるのか」
――「怒っておりますね」
――「どうにかならぬのか」
――「無理にございます」
――「何か方法は」
――「・・・・・・・・・」
秀の瞳から答えが返らない。それは大人しく青花の誘いを受ける以外の選択は無いことを残酷にも偲冨へと告げるものだった。
「ん?銀桂、そなた何を大事そうに抱えておるのだ」
横で顔を土気色にさせた偲冨を無視し、秀は銀桂が両腕に抱えている包みが気になった。
「その包みの布は・・・・・・青花の領巾ではないのか」
銀桂の包みは青花の領巾と同じ淡い紅色で、触れた感触も上質な絹だった。
「何故、何も答えぬ。銀桂」
秀の言葉にどう答えればいいのか銀桂は視線を泳がせ、落ち着きなく体を小さく動かしていた彼女は一瞬気が逸れてしまったのか、包みを抱えていた腕が緩んだ。
「あっ!」
大きく声を上げ、驚き青褪める銀桂の顔を視界の端に捉え秀は身を屈めた。
落ちた包みを開き、秀は中身を検めようとし突然手が止まった。
「これは――」
振り仰ぎ見る秀に銀桂はますますその顔色を青白くさせる。
「銀桂、そなたがやったとはわたしは思ってはおらぬ。しかし、どうしてこんな事になったのか・・・それを訊いては駄目か?」
努めて優しく秀は銀桂に問い掛ける。
「――実は、その・・・・・・・・・」
銀桂が逡巡し、話そうとした時だった。
「周の娘子(おじょう)さん」
偲冨が突然銀桂を呼んだのだ。
はいっ、と驚き慌てながらも銀桂は返事をし「何でございましょうか?」と律儀に反応する。
秀は自分の疑問に銀桂が答えてくれそうになっていただけに、わかりやすく偲冨を睨んだ。
「悪いな」と、さしてそうは思っていない風に詫びの言葉を掛けられても、と秀の眉間には皺がくっきり刻まれた。
「すまぬな、周の娘子さん。そなたは珀家の佳人殿の言葉を伝えにきたが、何故わしの仕事が中断されると申されたのか、・・・・・・珀家の佳人殿は何か言うてはいなかったか?」
いえ、と銀桂は再び律儀に答え偲冨の言葉を真剣に聞いていた。偲冨が言い終えると、暫く間を置き小さく声を上げた。
「申し訳ありません。私の言葉が正確ではありませんでした。青花様は『雨の匂いがする』と申されて、それで急ぎ私がこちらへ参ったのです」
「雨の匂い・・・・・・と、な」
「はい。すぐに止む雨と仰っていましたから、お仕事には差し支えないと思われます」
「そうか」
偲冨は話を聞き終えると何事か考え込むように腕を組んだ。
「では、銀桂――」
秀は偲冨が割り込んでくる前に話を戻そうと口を開いた瞬間、またも偲冨がそれを邪魔する。
「秀」
「なんでございますか――」
秀は苛立ちも隠さず答える。
「わしがおまえに言ったことを憶えているな」
秀にはすぐに偲冨が何を尋ねているかを理解した。
「それは、く――」
首飾りですね、と言うことを許さないとばかりに鋭く偲冨が遮る。
「憶えているなら、構わぬ。それと・・・・・・周の娘子さん、お誘いは次回にと、そなたの主に伝えてくれぬか?では、わしは失礼する」
秀にも銀桂にも口を挟む隙を与えず、偲冨は颯爽と二人から離れてゆく。
呆気に取られて立ち尽くす二人に構わず、偲冨の足取りはしっかりしている。しかし突然、開いた歩幅のまま足が止まった。すると、偲冨が勢いよく振り返った。
「潤姫は息災か」
秀への問いかけだった。
「えっ、・・・・・・ええ」
この時、予想外の行動ばかり取る偲冨に気を取られ、秀は気づかなかった。
秀の答えに満足そうに笑みを浮かべ再び背を向け去って行く偲冨は、自分の母を妃としての名ではなく、「潤姫(じゅんき)」と名を呼んだのである。
妃ではなく、一人の女人として母を呼んだのだ――。
(何故?どうして陛下の叔父君様であるはずのあの御方が・・・陳妃様の御名を口にされたの?公子殿下は気づいていらっしゃらないようだけど――)
ちらりと銀桂は秀の顔を盗み見し、未だ呆然とした様子に安堵した。
銀桂は少しばかり秀たちの会話を聞いていた。
(まさか――あの庭師の殿下の昔の想い人が・・・・・・陳妃様?もし、そうだとしたら・・・青花様をお慕いする今の公子殿下のお姿が過去の御身と重なったとしても頷けるわ)
銀桂の胸にちくりと小さな痛みを感じた。
幼い頃、両親を殺され、一人生き残った幼い銀桂は人買いに攫われ、買われ、売られてはまた買われる。幼すぎて使えない、と家畜のように扱われていた自分を救ってくれたのは珀家の人たちであり、今の主人である青花であった。
颯爽と騎馬の人となって現れ、自分を救ってくれた。
ぼろぼろの布を纏った汚れた自分を厭うことなく、家族として迎えてくれた。――銀桂の胸には常に恩に報いるよう、青花たちの幸せを願っていた。
「・・・・・・・・・似て、おられるのですね」
ぽそりと銀桂は呟きを漏らした。
「何か申したか?」
銀桂の呟きにはっとして秀が訊き返してくる。
「いいえ、何も申してはおりませんが・・・どうかされましたか?」
銀桂は努めて普段通り侍女として落ち着いた声で、逆に問い返した。
「いや、わたしの勘違いだったようだ。すまぬな」
いえ、と銀桂は短く答えだけだった。
銀桂の言葉になんの疑問を抱くことなく納得した秀の様子に、心の内で胸を撫で下ろすと銀桂は本来の用件へと話を戻した。
「恐れながら、殿下。青花様がお待ちです。どうか急ぎ四阿へと足を運んでいただきたく存じ上げます」
「ああ、そうだったな。では参るとするか」
「はい。お時間も丁度良いかと思われます」
「時間がどうかしたのか?」
銀桂は秀の言葉が聞こえなかった振りをし、秀を案内する為に前へと進み出た。
(この御方が幸せを導いてくれるのならば――)
