2026年1月23日に受験した英検4級の合否発表がありました。


なんと『合格』!!


息子は正解率7割くらいと予想していたのですが、

8割以上ありホッ。





発表まで3週間ほどあり、息子はどんどん不安になり、


『落ちてる気がする...』


発表の2〜3日前から情緒が不安定になっていました。


文字を書くのが困難なため、

前回5級受験の時に住所と名前を書いてもらい、

今回も先生に書いてもらいました。


受験時に両サイドに生徒がいたら、

緊張や不安が高くなるため、

座席も通路側の1番前に。


普段は先生と個別授業をしているため、

同じ教室に複数の生徒がいる状態での受験は

経験がありません。


試験中はかなり過敏になり、

足音やシャーペンのカチカチ音、

人の声などがすごく耳に入ってきて、

心が乱れて集中力を失う場面も多かったようです。


学校の定期テストも

集団で受けたことがなかったので、


文房具を落とした時に

手を挙げて先生に取ってもらうとか、


何か質問がある時は

手を挙げて先生に来てもらい小声で聞くとか、


そういうルールが分からないまま来ていました。


英検受験で試験のルールや雰囲気を知れたことは、

社会への第一歩で大きな経験だと思います。


次は来年度の英検3級受験を目指して

また猛勉強を始めました。


目標があることは本当にいいですね。


生活にハリが出ます。


学校の個別授業や、放課後デイの学習支援に行く目的もはっきりし、楽しそうに通うようになりました。


今回の合格は、ひとつの結果で、

息子が手に入れたのは

それ以上のものだと思っています。


不安と向き合う力。


緊張の中でもやり切る力。


そして『自分はできるかもしれない』という

小さな自信。


この経験は、きっとこれからの人生で

何度も息子を支えてくれるはずです。


英検を合格するために、

その裏で積み重ねた挑戦が

なによりの『財産』。


息子よ、合格おめでとう!








今日はバレンタインなので、ブラウニーを焼きました。


ブラウニーにはちょっとした思い出があります。


大学時代、夏休みの交換留学でアメリカのイリノイ大学に行った時に、


ホストファミリーが初めて作ってくれたおやつがブラウニーでした。


当時はブラウニーなんて知らなくて


『なにこれ!めちゃくちゃおいしい!』とびっくりして


レシピをもらって帰ってきました。


それからブラウニー作りにハマって、

クルミやナッツを入れて自分なりにアレンジしたり。


ブラウニーを作ると、当時を思い出します。


初めての海外で、英語が通じなくて悔しくて

帰国してから猛勉強。


翌年はイギリスの交換留学に参加。


他の国の留学生たちとも仲良くなって、

あちこち一緒に出かけたり、

お互いの国の言葉を教えあったり、


帰国後も交流があり、

友達の国に遊びに行ったり、

結婚式にも招待されて着物で出席したり、


本当に懐かしい思い出です。


お菓子作りでよみがえる青春時代。


子供たちの不登校でしんどい時も、

昔の楽しい思い出が支えとなって

頑張れたような気がします。


ずっと慌ただしく来ていましたが、

今年のバレンタインは

数年ぶりにほっこりした気分になれました。




息子は忘れ物がとても多いです。


小1の時は、ランドセルが空っぽのまま帰ってきたり、


水筒を学校に置いてくるのは日常茶飯事。


荷物が2個以上になると、もうダメです。


いまだに放課後デイの送迎車にも


水筒、上着、おやつ、、、


2回に一回はなにかを置き忘れてきます。


行く時も体一つで出て、リュックを玄関に忘れてくることも。


以前は正直イライラして、


『えー!またー?』と怒ったりしていましたが、


怒るのをやめました。


というよりも、怒る気がしなくなりました。


発達特性のことを学ぶ中で、


ワーキングメモリ』と言う言葉を知りました。


『今やることを一時的に覚えておく力』


この力が弱いと、


持ち物管理や準備がとても苦手になる、と。


さらに注意欠陥や多動の特性があると、


途中で別のことに気が逸れて、


『持って行く』という意識や行動が抜け落ちてしまう。


息子は出かける前、家から外に出ることや、


今から予定をこなすことに不安が強いため、


すごく注意散漫になり、饒舌になります。


緊張や不安が高まり、


不安をごまかすためにたくさんしゃべる中で、


持ち物のことが頭から抜け落ちてしまう。


息子の特性を理解したら、怒る気がしなくなりました。


私の役割は、


いかに出かける前の不安を減らしてあげれるか


それはやっぱり


笑顔で送り出してあげること』。


それからは水筒や上着の予備を準備して、


息子が忘れてきても、


『代わりがあるから大丈夫』と


気持ちに余裕ができました。


『忘れてきたん?先生とのおしゃべりが楽しかったんや!それは仕方ないな』と


自然と思うようにもなりました。


4人しかいない家族。


毎日笑って楽しく過ごしたい。


忘れものくらい、まぁいいか!となりました。


不登校で家にいる時間が長いから、


家での時間を安心で楽しいものにしたい。


家が1番の安全地帯


それだけは守って行きたいと思います。







子供たちが不登校になってから

学校に送り届けた後の45分間が私の戦場。


スーパー、銀行、役所を猛スピードではしごして

ダッシュで迎えに行き、帰宅したら

昼ごはん、遊び相手、家事、入浴介助。


みんなが寝静まったあとは

子供部屋の温度を整えて

やっと『1日が終わった、、、』と眠りにつける。


そんな私が、昔からずっと好きなのが


『ほっかほっか亭のからあげ弁当』


高校のアルバイト時代、お昼はいつもコレ。


当時はゆず醤油の美味しさを知らず

いつもバイト仲間にあげてたら

それきっかけで仲良くなったことも。


今はゆず醤油を追加で頼んで

たっぷりつけて食べます。


当時はお弁当350円くらいだったはず。


ここ数年で急激に値上がりし値段が倍に!

今は700円くらいします。


収入は変わらないのに、物価は2倍( ;  ; )


でも味は変わらず、サクサク感は増したので

本当においしくて、なつかしい味です。


これを食べたらお腹は満たされ

なつかしさで心まで癒されます。


月に一度は食べたい私のごほうびご飯。






小4の娘には、

光過敏、聴覚過敏、選択的注意障害があります。


『光や音に敏感なんだな』

言葉にすると簡単ですが、赤ちゃん時代は

本当に大変でした。


理由も分からず、毎日のように泣く。

眠りは浅く、すぐ目が覚める。


朝5時、炊飯器のタイマーの『カチッ』という小さな音で目覚めてしまい、

『あと1時間寝たいのに』と思いながら、朝一緒に起きていました。


炊飯器は、洗面所のドアをガッチリ閉めて

そこでタイマーを入れるようにしました。


セミの鳴き声は『耳が痛い』と動けなくなり

ドライヤーは最弱で

換気扇は怖がるので止め

加湿器は蓋を開けて仕組みを見せたらやっと安心。


生活はいつも『どうやったら刺激を減らせるか』の工夫ばかりでした。


光も同じです。


朝日のわずかな光で起きてしまうので

窓一面に段ボールを貼り、毎晩ふさいで、毎朝はがす。


地味だけど、かなりの重労働。


でも真っ暗にすると怖がるので

小さな室内灯はつけっぱなし。


『太陽はまぶしくて、電気は平気』

子育ては不思議の連続でした。


さらに『選択的注意障害』もありました。


周りが騒がしいと、目の前の人の声が聞こえない。


耳は正常なのに、聞き取れない。


運動会の練習では

先生が何言ってるか聞こえないから、自分だけできない』と泣きました。


先生の近くに配置してもらい

耳元で説明してもらうようになって

やっと笑顔が戻りました。


教室で課題をする時も同じようにしてもらいました。


するとみるみる自信がついて

声も大きくなってきました。


環境が変わるだけで、こんなにも違うんだと驚きました。


ノイズキャンセルのヘッドホンも使いましたが、成長とともに恥ずかしがるように。


小学校3年生頃から好きなアイドルができ

YouTubeで歌を聴いたり、映画館に行ったり

ライブに行くようになりました。


『映画を見に行きたい!』と言った時は

大音量が心配になりましたが

好きなアイドルの声はいくら大きくても

大丈夫だと分かりました。


同じ映画を何度も見に行き

自信がつきました。


次に『ライブに行きたい!』と言い出しました。


音響や声援で耳や頭が痛くなって

倒れてしまうんじゃないかと心配し

1ヶ月前から体調を整えて行きました。


ライブ会場では開演前からたくさんのファンが

写真を撮ったり、ダンス動画を撮影したり

ファン同士で交流もあったり

すごく楽しい雰囲気に娘は大喜び。


ライブは超満員で大音量でしたが

好きなアイドルが目の前で歌って踊って

手を振ってくれることに娘は嬉しくて

聴覚過敏はどこかに行ってしまったようでした。


小学校では普段は

静かな少人数クラスで授業をしていますが

以前よりは音に慣れ、35人学級の教室に

行ける日も増えて来ました。


過敏は『治す』よりも

『安心できる環境があれば自然とラクになる』

ものなのかもしれません。


推し活をしているとき


好きなことに夢中なとき


あんなに過敏だった光や音も

不思議なくらい気にならなくなります。


まだ電車や繁華街は耳がしんどくことがありますが、


好きなことを見つけたら

それだけで世界を広げていける


他の人より少しだけ

太陽がまぶしく

音がうるさかっただけ


そう思って、娘が好きなことを通じて成長していく姿を見守っていきたいです。


小3で不登校になってからも

学校に通っていた時のように

放課後デイに通い、早寝早起きを心がけました。


『規則正しい生活を崩さないように』


親として、どこか必死だった気がします。


不登校から1年後。

思い切ってゲーミングPCを買いました。


仮想空間やYouTubeでゲーム配信を始め

息子はやっと居場所を見つけたかのように

夢中になりました。


夜が来てもフレンドからのお誘いがあり

朝までやることも何度もありました。


でも私は止めずに

『思う存分楽しんで』と言い

先に寝ていました。


息子は幼稚園から小学校3年生まで

ずっと我慢して周りに合わせて無理して過ごして

すごくしんどかったと思うんです。


自分の苦しい思いを言葉にして

私に伝えることも難しく

帰っては暴れてを繰り返していました。


朝までフレンドと遊ぶ息子を止めることは

やっと居場所を見つけた息子の芽を

摘んでしまうと思いました。


解放されて別人のようにイキイキとしている息子は

大きな可能性を秘めているようにも感じました。


また、今まで頑張ってきた分

思い切り自由を味わって自分を解放して

新しい自分を見つけて欲しいと思いました。


たくさんフレンドができて

家ではそのお友達とのやり取りを嬉しそうに話し

毎日がとても楽しくなりました。


みんなアカウント名で呼び合うので

不思議なニックネームが飛び交います。


それもそれぞれのセンスが光り近未来のよう。


1年半くらい時々昼夜逆転の生活をしていましたが


息子がある日


『もう夜中にやるのやめるわ』と言い出しました。


『オールしたら次の日しんどい』


徹夜で朝までやると結局眠くなり

昼過ぎまで寝てしまい1日を無駄にしてしまう。


体もだるい。


夜中はみんなが深夜テンションなのか

フレンド同士のケンカも増えました。

それもだんだん疲れて来てしまい


『やっぱり昼間にやるほうが楽しい』

となりました。


私が先回りしていろいろ言わなくても

全部自分で気づきました。


自然と息子は昼型の生活に戻っていきました。


親がコントロールしなくても

一度解放されて自由を味わえば

自分で学んで納得して

ちゃんとバランスを取るようになる

と思いました。


私も息子からそれを教えてもらいました。


不登校になったら 

生活が乱れてしまうんじゃないか?と

親は心配になり、ついつい管理しようとしたり

規則正しく生活しなきゃと頑張ったりしますが


少しだけ信じて子供に任せてみるのも

ひとつの選択肢ではないかな、と思います。


遠回りに見えて

それがいちばん近道の時もあるかもしれません。


子供自身が体感して学んで成長していく。

すごく大切で自立の第一歩かな、と思います。



赤ちゃん連れの旅行は荷物が多いと言います。


でも、うちの場合はそのレベルじゃありません。


毎回、ほぼ引っ越し並みの大荷物です。


人に言うと、だいたいびっくりされます。


『そこまでしなくても』

『不便を楽しんだらいいのに』

『甘やかしてない?』


そう思う人もいます。


でも私の想いは違います。


これは子供のためだけじゃなく

『私』のためなんです。


慣れない場所で緊張や不安が強くなって

パニックになって

泣いて

ぐずって

空気が悪くなって

親も子も疲弊して


『もう帰りたい、、、』てなるあの感じ


あれが1番怖いんです。


せっかく勇気を出して来たのに

全員しんどくなって

『やっぱり旅行やめといたらよかった。

次からもうやめよう。』

そうなるのが1番つらい。


家に近い状態にして安心して

『旅行て楽しいね』

成功体験となり 


『また来たいね』

そう思うための荷物なんです。


息子は極度の味覚過敏、触覚過敏それに対人恐怖も強めで

娘も味覚と聴覚が過敏で、低血糖症もあります。


だから、ずっと旅行は避けてきました。


『楽しい!』より先に『トラブル』が頭に浮かぶからです。

 

息子が小4、娘が年長の時に

夫が平日に休めることなり、 


『平日なら空いてるし、いけるかも?』


思いきって予約をしました。


私たちにとっては、かなり勇気のある決断でした。


ホテルは、家族単位で泊まれる独立したドーム型を選びました。

 

隣がいなくて、音が少なくて、人も少なくて

それだけでハードルが下がります。


とはいえ、問題は『ごはん』。


バイキングは食べられるものがなさそうだし

他にたくさん人もいるだろうから最初から断念。

 

息子の食事は

普段は3食、白米にふりかけのみです。

今はそれしか食べられなくなりました。

(食事の話はまた後日)


炊飯器

ふりかけ

いつものお茶碗

スプーン


過敏な息子にとって、食器が違うだけで

『味が変わった』と食べられなくなるから

プチプチに包んで食器も持参。


もちろん台所用洗剤、スポンジも入れて

現地で洗います。


水も同じ。


ぬるくなると

『まずい!』と飲めなくなるので

氷入りの水筒は必須。


コップだとこぼしやすいので

我が家は常に保冷用のステンレスの水筒で、

一日中冷たさをキープしています。


今回は製氷機がないホテルで

コンビニで氷を買いました。


お風呂セットも、自宅から。


体を洗うタオル

風呂用イス

ひしゃく

家のシャンプー

ボディソープ

いつもの歯ブラシ

歯磨き粉

コップ


どれも欠かせません。


家と同じ環境じゃないと

不安で軽いパニックになるから。


ひしゃくが必要なのは

シャワーを直接かけると刺激が強くて

くすぐったくなり逃げ回って危ないから。


そして、布団。


潔癖症で誰かが使った布団は嫌がるので

お気に入りの布団や毛布を圧縮して持参。


車のトランクは、プチ引っ越し並みに満タンです。


こんなに万全に整えていても

初めての場所で寝たことに疲れてしまったのか


起きたら不機嫌でぐずりがひどくて

翌日の予定を全部キャンセル。


少し肩を落として

チェックアウト後に帰路につきました。


家に着いた瞬間、息子は一目散にパソコンへ。


さっそく仮想空間のフレンドに会いに行きました。


息子には仮想空間のほうが楽しかったのかもしれないです。


そんな息子も

日が経ってから旅行に行けたことに自信がつき

『また行きたい』

と言うようになりました。


初めての家族旅行で、大量の荷物でしたが

子供たちが安心でき

楽しいものだと気づいてくれたら

また世界が広がります。


1回目はまずまずの成功となりました。


そこから毎年一回、近隣県に旅行に行きました。


車のトランクに大量に荷物を詰めるので、

車で行ける範囲です。


娘が低血糖症で疲れやすいので

片道2時間以内の場所にし

ブドウ糖飲料や車椅子も必需品。


翌年は朝夕はホテルバイキングに挑戦してみました。


夕飯のバイキングは

子供向けにハンバーグや唐揚げ、子供用カレーもあり

娘は大喜びでいろんな種類にチャレンジし

息子も気持ちが上がり、チャレンジしました。


でも、夜と朝のメニューが違うことを知らなかった子供たちは

朝のバイキングに昨日美味しかったハンバーグやカレーがないことにショックを受けました。


娘はまだ受け入れの幅が広いので

食べれそうなものを選びに行き

ハムやウインナー、パンケーキ、オレンジなどを

見つけて喜んで食べていました。


息子はこだわりが強いので

昨日と同じものがない時点で

この世の終わりみたいになっています。


『食べるもんないやん、、、』


仕方なく、家から持参した

お茶碗とふりかけとスプーンでご飯を食べましたが

『見られたら何か言われる!』

と他の子供たちの目を怖がり

カバンをテーブルに置いて隠して食べました。


ホテルのご飯は家と味が違うといい

あまり食は進まず不機嫌になってしまいました。


でも夜のバイキングは大丈夫なことが分かり

1つ安心材料が増えました。


娘も低血糖症がマシになってきて

次からは車椅子はなしで

自分の足で歩けるように。


毎回ホテルの洗面所で

炊いていた炊飯器も

だんだんホテルのご飯だけで

済ませられるようになり

御役御免となってきました。


年々成長を感じる2人で

荷物が少しずつ減ってきて

車のトランクに余裕がでてくるようになりました。


でも、息子が中学生になり

思春期で自分の容姿が気になるようになり、

鏡やガラスなど姿が映るものを

極度に嫌がるようになりました。


どんどん悪化し、うっかり映ると

叫んだり、パニックになります。


こんな状態の中、夫の実家に

墓参りのために帰省することになり

ホテルに泊まることになりました。


今回は、新たに


模造紙

養生テープ

ハサミ


を荷物に入れ出発しました。


ホテルのフロントにも

鏡恐怖症のため鏡に紙を貼ることを

快諾してもらいました。  


洗面所や部屋のドレッサーだけじゃないんです。


トイレットペーパーホルダーが銀でできていて

鏡のように自分の姿がうつるし


洗面所や浴室の蛇口も銀でできているので

全部に貼りました。


クローゼットのとびらが全面ガラス張りで 

紙が足りなくて、上半身が映る部分まで貼り


足元にカバンやスーツケースを置き隠しました。


『やっと落ち着けるわ』と

息子もホッとしていました。


もちろん、チェックアウト前に紙をすべてはずして元に戻しました。


毎年旅行に行くたびに少しずつ旅にも慣れ

荷物が減っていくことも

成長を感じるバロメーターになっています。


娘は低血糖症もほぼ改善し、

ホテルで食事もできるので

着替えだけ持参で行けるようになりました。


息子は過敏やこだわりが強いので

まだ念のために炊飯器やふりかけが必要ですし、

食器やスプーン、布団の圧縮、お風呂セットも

まだ必要です。


でも嫌がらずに旅行について来て

楽しんでくれているので良い経験になっていると思います。


旅先でご機嫌で過ごせるようになっただけでも

旅行は大成功です。


現在中2の息子は、
幼稚園時代も行き渋りがあり
登園に苦労しました。

小学校は車で送迎すれば

なんとか毎日行けましたが、

味覚過敏で給食が食べれない

潔癖症で掃除ができない

体操の時間の着替えがうまくできない

読み書きがだんだん難しくなってきた 

テストで点数が取れなくなって来た

そしてついに友達関係がうまくいかなくなり

コロナ禍の小3の秋に完全に行けなくなりました。

理由は1つではなく
いじめがあったわけでありませんが 

あのまま頑張って登校していたら
深刻な友達トラブルに発展していたと思うので
その前に登校をストップしたことは英断だったと思います。

医師や相談員の方からも
ベストな選択だと言われました。

逆に3年生までよく行けたね、
よく頑張ったね、と。

登校はやめましたが
自宅で過ごすだけでは引きこもってしまうと思い、
休むと決めた日から放課後デイに通うことにしました。

そこでは同じように学校に行けない小学生の男女2人来ていて、
先生たちと公園に行ったり、
トランプやボードゲームをしたり、
少しだけ学習したり、

とにかく失った自信を取り戻せるよう自己肯定感を上げる療育をしてもらいました。

何年もかけて失った自信を取り戻すことは、それはそれは長い年月がかかります。

不登校が6年目になり

いつの間にか
息子は転んでもまた立ち上がる力が 
少しずつついてきていました。

落ち込んでどん底になる日もあれば
回復して自信を取り戻す日もあり

そんなデコボコな毎日を繰り返し
少しずつ強くなっていきました。

今では、つらいことや理不尽なことがあっても
自分で自分をコントロールする力を少しずつ備えてきています。

同年代への対人恐怖症があり
まだまだもろい部分はありますが

不登校を決めた日から5年以上経ち
自信もついてきました。

怖くて受けらるなかった
中学の定期テストや英検受験をしたり

人前で特技のオペラを披露したり
漫才の台本を書いたり
いろんなことにチャレンジするようになりました。

その中でも彼の主軸となるのは
YouTube配信です。

自宅で過ごす時間が増え、
家族以外に自己表現できる場が必要だと思い、YouTubeチャンネルの開設をしました。 

小4でYouTube配信を始め、
本人なりに試行錯誤し、
1年前から収益化もし、
毎月のお小遣いを自分で稼いでいます。

1つの大きな夢が叶い、
すごく自信になりました。

息子の自信になることを見つけ
一緒に寄り添い、
時に背中を押すことが私の役目だと思っています。

プログラミングとの出会いは小学2年生。

放課後デイでプログラミング講座がスタートし、元システムエンジニアの先生が教えてくれることになりました。

最初はパソコンは使わず、模型を使ってプログラミングの仕組みから教えてくれました。

息子はすぐに夢中になり、毎週その講座が楽しみに。

ただ、発達特性からか隣の子が褒められたら息子は逆に否定されたような気持ちになったり、

自分が1番早く理解し1番早くできないと焦ったり、

他の子より少しでも遅れたら、悔しさで帰ってから泣いたり暴れたり、

感情が乱れて大変でした。

集団だと先生を独占できないことにも不満が募りました。

『僕の話を聞いてくれへん』

どれだけ説明しても、息子の気持ちはおさまりません。

不登校になってからは、同じように不登校の男の子と2人でプログラミングを受講していましたが、やはり同じ気持ちになってしまうので、先生の配慮で1人ずつ受講することに。

そこからは先生を独り占めして集中できるので、吸収するスピードがぐんぐん上がりました。

環境を少し変えただけで、こんなに変わるのか、と驚きました。

ある日、教材会社が全国の受講生を対象にプログラミング大会を開催し、息子も参加することに。

一生懸命作って提出したプログラミング作品のことも忘れた頃に
『小学生部門で2位に入賞』と知り飛び上がるように喜びました。

賞状と賞品をもらい、初めて社会で認められたと自信がついたと同時に

『来年入賞できなかったらどうしよう。もう来年やれへん。』

特性上、喜びと同時に不安がいつもセットで襲ってきます。

嬉しさと不安は隣り合わせ。

かなりぐずりましたが、そのあとは大会のことは忘れてまたプログラミングに取り組みました。

1年たちまた大会の時期がやってきました。

参加しないと決めていましたが、良い作品ができたので先生から推薦され、息子も悩んだ末に提出することにしました。

すると、ついに

『金賞受賞』の知らせが届きました。

『金賞て、優勝のこと?』と最初はわからず、やっと理解できて喜びになりました。

また今回も賞状と賞品をもらいましたが、前回より重みがあります。

全国1位に本当に喜びました。

努力が報われたこと

継続できたこと

恐れずに作品を提出したこと

息子が殻を破った瞬間かもしれないです。

合否があったりランキングされたりすることを極端に怖がり避けてきましたが、継続して学んで知識が身につくことも大切なことだと息子に気づきが生まれました。

英検は合否があるので避けていましたが、この経験があるので、気持ちが変わり受験できたのかもしれないです。

『落ちたら絶望』から、『落ちたら次また受けたらいい』という気持ちの変化も出てきました。

挑戦したからこそ見えた景色があります。

この経験は、きっと一生の財産になると思います。

『ゼロにしたらあかんねん。

1をずーっと続けるねん。』


児童精神科の先生にそう言われてからは

この言葉が私の指針となっています。


娘は小1の入学式の翌週から

学校に行けなくなりました。


年長の時に早く小学生になりたくて


ランドセルを家の中で背負って歩いたり

お道具箱もハサミやセロテープを

1つ1つ好きなものを選んで


夢を膨らませていました。


入学式当日は私からスムーズに離れて教室に行き

式でも無事終わりホッとしていました。


翌日から集団登校で上級生と手をつないで

歩いて登校しました。


来週からも当然行くものだと思って

日曜日の夕方に学校の準備をしていたら


『もう行かない』


愕然となりましたが

その場は私も一旦引きました。


夜に2人になった時に聞くと


『1週間頑張って友達を作ろうと声をかけたりしたけど、無視された。

1人も友達ができなかった。

楽しくない。

行きたくない。』


大人も同じですよね。


新しい職場や新しい習い事など、

知らない人ばかりのところに入って

頑張って声をかけたけどうまくいかなかったら、

落ち込んでもう行きたくなくなりますよね。


娘の気持ちを尊重し、まずは学校に慣れるために

休み時間の10分間だけ行ってみることにしました。


先生にも頼んで、

先生が一緒に他の女の子と話したりしてくれましたが、

緊張が強くて声が小さくて相手に聞こえず

うまくいきませんでした。


また休み時間はうるさすぎてしんどいというので

静かな授業の時に15分だけ行くのを続けました。


帰りたくなったらいつでも出て来れるように、

私は廊下の端っこで待機していました。


外国人の先生の英語の時間や

図工、体育、いろいろチャレンジしてみましたが、

どれもヒットしません。


そのうち教室に行くのもイヤになりました。


私と2人で登校し、空いた部屋を借りて、

そこで塗り絵をしたり、カードゲームをして

1時間過ごすことを続けました。

学校に少しずつ慣れてきたら私ではなく

先生と2人で別室で過ごせるようになってきました。


別室で先生との個別授業に

毎日1時間通えるようになりました。


個室で先生と2人きりだと安心でき、

少しずつ元気になって行きました。


でも学校に行けない子がだんだん増えてしまい

先生や空き部屋が足りなくなってきてました。


登校しても先生が来れなくて結局私と過ごしたり、

先生が来てくれたけど、空き部屋がない日もありました。


学校中を歩いて空き部屋を探してると

チャイムが鳴って帰る時間になったり


1年生の間は楽しく行けそうになると、

何か見えない力のような、もののけのような


何かに阻まれてうまくいかなくなり、

不安定な状態で過ごしました。


頑張って行ってもうまくいかないので、

毎月相談に通っていた児童精神科の先生に


『頑張って行ってる意味が見出せない。

もう辞めたい。』と弱音を吐くと


先生が

『ゼロにしたらあかんねん。

1をずーっと続けるねん。

ゼロにしたら終わってしまう。

ゼロを1にするのは

めちゃめちゃ難しい。』


『お母さんしんどいやろけど、

1日1時間でも、

週1回1時間でもいいから、

頑張って連れて行ってあげて。


いややったら制服に着替えて行かへんやん。


行くっていうことはなにか楽しいことがあるねん。』


この言葉は胸にグッと刺さり、

私の指針になりました。


ゼロにしないで

低空飛行でいいから

1を続ける大切さ。


同時期に

スクールカウンセラーの先生と週1回会えるようになり

絵しりとりをしたり、

自作のマンガやイラストを見せたり、

ダンスを披露したり

先生と2人でお弁当を食べたりできるようになりました。


このまま順調に行くかも?と思っていたら


12月頃からまた崩れました。


夜が近づくと泣いて暴れるようになりました。


大声で泣き叫び、壁やドアを足で蹴り続けました。


まるで夜驚症の時のような状態で

『まだ治っていなかったのか』

と絶望しました。


年が明けても続き、

暴れ方がエスカレートしていきました。


暴れ出すと正気を失い追いかけてきて、

叩いたり蹴ったり暴力をふるわれました。


夜中に息子とマンションの駐車場に避難し、

相談員の先生に自宅まできてもらったこともありました。


そんなひどい状態は4月の春休みまで続きました。


毎日暴れていたのが隔日になり、週2回、週1回と

頻度は減りましたが、まだ暴れていました。


2年生になり支援の先生が代わり、

4人ほどの小集団での個別授業が始まりました。


毎日ではないですが学校に行くようになりました。


すると暴れなくなり、

少しずつ穏やかになってきました。


学校での居場所がなかったから

暴れていたのだと思いました。


1年生の時は居場所探しに必死になっていましたが、

少しの時間でも行くことを諦めなかったから、

2年生もスッと行けたと思います。


親として判断は難しいですが、

子供が行きたい気持ちが少しでもあるなら

手を引いて連れて行き、


『好きな先生の顔を見て挨拶して帰る』


それだけでもすごく貴重な時間で

次につながると思います。