はじめまして。

今四年生の男の子を持つかーさんです。
家族は、私、夫、息子、ねこ、ねこ、です。

今までmixiとかFacebookとかTwitterとかに、書き散らすだけ書いてきた日記を、
少しずつまとめてみようかなーと思って、ブログを始めました。

神奈川在住で、半分沖縄人です。

音楽が好きです。ハードロックとヘヴィメタルをこよなく愛するベーシストです。
小説好きです。書いてます。
エスニックが好きです。インドカレーとかタイカレーとか毎日食べていたいです。
ちょっと不思議なことも好きです。
キャンプとか旅も好きです。

こどもは、りんごの木という幼稚園に通っていました。
とても楽しく、素敵なところでした。


よろしくお願いします(^o^)


私が中学生のときに、せっせと小説書いたり絵を描いたりしてたら、
小学校時代からの仲良しの子に、
そんな将来にも繋がらないことをする意味がわからない、といわれ、
その子はほんとに小学生時代の頃からの目標だった美容師になった。
私は何となく日々楽しいことをふらふらとしながらおばちゃんになった。
あのとき、なんで?って言われたんだけど、
なんでって言われてもよくわからなかったなあ、って感情だが何となく残ってる。

私は、将来の目標を決めて努力するなんてことが出来るほどしっかりしていなくて、
その子が美容師になったときは、バイトしてバンドやってやっぱり好き勝手していて、
今もきっとあの子は美容師をしていて、
私はまだ家に籠もってなんとなく小説を書いている。

私はいつも将来のヴィジョンが何もない。
ちゃんとした人たちが、
100メートル先を見て生きているのだとしたら、
私は多分5メートル先と空の上くらいしか見てないんだろうなあ。
何回か、みんなが見ている100メートル先を見ようとしたことはあるんだけど、
……なんか、私には、遠すぎてよくわからない。
私の座右の銘は、
「今日が人生最後の日だったら、今日やろうとしていることをやりたいと思うか?」と、
「七代先の未来にとってよいと思えることをする」
なので、考えてるのは多分5メートル先と空の上のこと。
そう考えると、私の100メートル先は、
今日いちばんやりたいことをした結果の、
100メートル先しかないのかも。

私、「将来」って言うものが、ほんとうにわからないのかも知れない。
「将来の目標」ってどんなもののことをいうのか、
どんなものを指すものなのかが未だにわかってない気がする。
一応、考え方の姿勢とか、自分がもう少し成長したときにこう在りたい、というものはあるのだけど。
きっとそれぞれ、自分が安心して心地よく生きるための形が違うんだな。
そして、自分がいちばんほっとする場所にいるのが、
自分にとっての一番いい生き方なんだ、と思う。



沖縄に半年いた頃の日記。


おきなわに来ました。
息子が通う学校に手続きに行ったら、
ちょうど息子が入るクラスが帰りの会の途中だったので、
先生が、「挨拶してく?」と言ってくれて、
私と息子で挨拶しに行きました。

私は、東京でも沖縄でも神奈川でも、子どもは同じだと思ってた。
どこで育っても子どもはその子らしく育っているものなんだと思ってた。
だけどクラスで挨拶したときに、沖縄の子どもたち見てちょっと衝撃だった。
すっごい元気できらきらしてて、ほんとに、こどもっ!って感じの子どもたちだった。

ちなみにこの、普天間という街は、沖縄だけど全然田舎でも何でもなくて、
一学年四クラスある、都内と同じような規模の学校で、
沖縄の中でもそれなりに結構賑わっている街で、
そして沖縄の子どもたちは実は自然と戯れてなんかいない。

車は多いし夏は暑いし
大人はなまけものだし(これがいちばんの理由だな)
ということで、子どもたちは外で遊んでいなくて、
結局クーラーが効いたところばかりをうろうろしてる。
従姉妹の子どもたちに、普段どこで遊んでるのって聞いたら、
公園は暑すぎて遊べないからいつもスーパーのプレイランドにいる、
って言ってたもん(T_T)

そして沖縄はずっと、偏差値は47都道府県の中で最下位。
確かに沖縄って万年失業率高くて、
仕事に就いたとしてもサービス業が本当に多くて、
給料は安いからどこの家も夫婦共働きで、生活に余裕がない。
あとやっぱり教育的な意識も低くて、
夏休みに沖縄のそれなりの規模の本屋に行ってみたら、
児童書が全然なくてすごく驚いた。
あるのは教科書ガイドと適当な参考書と、テレビ絵本みたいなのばかり。
それがその本屋のある地域の母親のニーズなんだと思った。

そのかわり、沖縄は子育てがしやすい。
子どもと一緒にいて肩身せまい思いをすることがすごく少ない。
誰も彼もが子どもに当然親切で、そんな中で育ってる所為か、
道ですれ違う子どもがすごく人なつっこい。
子どもはうるさいから大人の世界とは別のところで暮らせ、
大人がいる場所に連れてくるならちゃんと迷惑かけないような躾してから出してこい、
という都会的な感覚はなく、子どもがいるのがあたりまえの社会。
だから、子どもが子どもらしいふるまいをすることで、怒られたりはあまりしない。

そのかわり、子どもが子どもとして、特別扱いもされてない。

私は、人は学ぶことが幸せで、知識を得ることが幸福だと思っているので、
普通に、子どもにも、いろんなことに興味を持つ機会を設けてきた。
でもこっちに来てみたらその観点がそもそもない。

うまく言えないんだけど、
子どもというものがそこらじゅうにいることが当然すぎて、
あまりに生活に密着しすぎていて、
特別なにもしなくても勝手に育つだろう、
という観点しかないものだから、
子どもに何かをしてあげようという視点がない。
だから夏休みとかも、驚くほどどこにも連れて行って貰ってなかったりとか、
ただ大人のおまけに連れ回されてるだけだったりする。

私が知ってる社会の一般的幸福って、
いっぱい勉強して、いい学校を出て、いい会社に入って、
それなりにいい収入を得る、というもので、
それで幸せに暮らしている人を私は周囲にたくさん知っているし、
私もそういう価値観の中で生きてる。

ただ、朝、駅でバスから降りて電車に乗り込んでいく、
サラリーマンのお父さんたちの顔を見ていると、
あまりに能面のように無表情のまま駅の階段を駆け上っていくので、
たまにそれを見ていて辛くなる。
だってあんなぎゅーぎゅーのバスに押し込められて、
電車に押し込められて、そこでまともに人間の顔をしていたら、
頭おかしくなると思うもの。

一方沖縄に来ると、同じ年代のオジサンたちの顔が緩みきってる。
スーツを着て歩いてる人は、那覇の中心地とかじゃないと見かけられないし、
とても同じ国の同じ年代のお父さんたちの顔とは思えない。
だけど、こちらでそうやってにこにこ顔で働いているオジサンたちの収入は、
都会の電車に押し込められて出社していく人たちの、半分以下だろうと思う。

沖縄は本当に第三次産業しかない。
暮らしてみた印象でだけど、
ホワイトカラーと呼ばれるような職業についてる人の割合は、
多分東京の三分の一にもならないと思う。
ほんとに沖縄は、ただ生活していくのがすごく大変。

というわけで、私は何が人として幸せなのか、
わからなくなっているところなのでした。

私も、沖縄があまりに暮らしやすくて、
来て一週間で既にまったく帰りたくなくなっているけど、
多分肉体労働向けじゃないだろう息子さまを見ていると、
沖縄でこのまま暮らして高校まではなんとか卒業させて、
その上の学校には行かせられずにこっちで適当なところに就職、
というのはちょっと可哀想だと思うもんな~。

あーーーわからなーーーーい!
とりあえず私の本心としては一生ここにいたい!

けど難しいこともたくさんあるなあ。




目の前のことを見る人
三日後の未来をいちばんに考える人
一年後くらいを見て動く人
十年後を目指す人
五十年、百年後に今の行動のゴールを見る人
二百年後のために生きてる人、

世界には、これが全部あるんだなって思った。
それぞれの強みと弱点があって
それぞれの役割があって、
だから今まで人類は長い間進み続けてきたんだなと思いました。

ポジティブな人、ネガティブな人、
それも同じでそれぞれに違う役割があって、
だから人はありのままの自分でいられることが何より必要なんだろうな。
今、日常的に非常事態になっていますけど、
だからこそ、その人の本質がそれぞれにとても出てきているような気がします。
何も否定しなくてよくて、誰の真似をすることもない。
それで、誰の真似をしてもいいし、何かを否定してしまうものでもある。
それは仕方がないことなんじゃなくて、
わたしたちはそういうものなんだと思いました。

わたし、やっと、みんな違っていることが、ほんとうに意味があることなんだって、少しだけわかった気がした。
今、人というものがとても愛しいです。
人の中に、人として、生まれてきてよかった、生きててよかった。


わたしたちは、とても個で、
そして突き詰めれば、人はみんなでとても、ひとつなんだということ。






『おかあさんへ』


出来の悪い娘で すみません
照れに負けて
ありがとうと
面と向かって言うことができない
不出来な娘で ごめんなさい、おかあさん。
あなたは確かに完璧な人間ではなかったけれど
欠けたところも数多い人だけれど
まちがいないのは
欠けたまま足りぬまま
それでも多分人生でいちばん、いっぱいの背伸びをして
あなたの人生で成し得るいちばん最高のところで
わたしたちを、育ててくれたのでしょう?
他にはもうどれだけ絞ってもひとしずくの水も出てこないほどに
わたしたちに、すべてを注いでくれたのでしょう?

自分があたえられる、いちばん素敵なものを
子どもたちにあげたいと願って
あなたにできる精一杯、これ以上はない精一杯の力で、
わたしたちを育ててくれたのでしょう?

わたしが他と比べ手がかかる子どもであることを嘆かず
誰かと比べることなく
あんなに人の所為にすることの好きなあなたが
わたしがよその子と違ってしまっていることを責めず
わたしが悪いのだと言わず
なんの疑問もなく、この子はこんなにいい子なのに
みんなわからないなんて変ね、そう心の底から
本気で考えていた
あなたのおかげです。

わたしが今、わたしのままでいられるのは
みんな、おかあさんのおかげ。
きっとそれをしあわせというのだと思う。

だから今、わたしがこれほどにしあわせに暮らしているのは
おかあさん、
ただあなたが愛してくれたおかげです。

ありがとう、おかあさん。