壬申の乱から1300年以上経った今。



天武と天智、兄弟じゃない説
十市皇女19の年で自害説
父である天武は大声上げて泣いたにも関わらず
母の額田王はというと、
娘が亡くなったのに一切それに触れていない‥


ツッコミどころの多さよ真顔

何も言わない親なんかいる?
それとも歴史から抹消されたのかな‥凝視


正直たくさんの人が思うところだと思う。
私達が教わってきたのは、勝者の歴史だから。

負けた側のこと
不利になることは
書かない。

即位していた大友側に
クーデターをしかけたのは天武の方。

まさに寝耳に水だったろう。

したたかに水面下で動いていた持統と天武にはあっぱれ昇天としか言い様がない。

よく十市と高市は恋仲にあったと言われるけど、違和感が残る。

指揮を取ったのは高市のはず。
そもそも大切に想っていた人の旦那に
いくら父の命だったとしても
刃を向けるのはきつかったろう。

誇らしげに歩けはしなかったはず。
もし本当に十市を想っていたなら、ね‥‥。




山振(やまぶき)の たち儀(よそ)ひたる 山清水 酌みに行かめど 道の知らなく

高市皇子




こんな繊細で優しい歌を読んだ人にしては

歴史が語るあなたのイメージは、
あまりにも違いすぎるのよ