彼女は今述べた様に仕事ができなかったので毎日上司から怒られていた。その事を何故か自分のせいだとは思わずに上司のせいにばかりしていた。私から見ても怒られて当然の事ばかりなのだが、彼女は自分の非を認めようとせず、毎日毎日上司の愚痴だ。
そして、それに比べると注意される事の少なかった私に怒りの刃は向いてきた。
南チーフも私に対してはそれほど強く言わなかったが、杉崎さんに対してはかなりキツい口調で注意する。
チーフが何もかも注意するので、周囲からも自然に注意しやすい人、怒りやすい人、バカにしやすい人、できない人、というレッテルが貼られ上司や営業など関係ない部署の人達までも彼女をバカにする様になっていた。まあ、営業などからすれば、冗談のつもりで言っている様な事も彼女にしてみれば、バカにされていると感じるのかもしれない。

よく学校などでもそうだが、怒りやすい人と怒りにくい人というのがいる。怒りやすい人になってしまうとみんなと同じ事をしてても先生の機嫌が悪かったりすると怒られる。「何で俺ばっか・・!」ってよく言ってる子がいた。それと同じで彼女も「なんで私ばかり・・!」とよく言っていた。

私には何故か敬語で話してくる同期の営業達も杉崎さんには「おい、おまえ(すでにおまえと呼ばれている事自体バカにされている)いつもチーフに怒られているけど、大丈夫かよ?」といった具合だ。

同期入社で同級生。しかたないが私と彼女はどうしても周りから比べられた。
よく言われていた事が「同期は友達じゃない。ライバルだ。」という事。会長、社長、専務、チーフ、上司達は私と杉崎さんを見ると必ずと言っていいほど「ライバル。競争。」という言葉を浴びせた。あたかも仲良くしちゃいけない様な空気だった。もしかしたらあえて仲が悪くなる様に上司達から仕向けられたのかもしれない。それの方がお互い向上心がつき、争って上を目指す為二人とも努力するだろうと思ったのだろう。
自然に杉崎さんには全く無かった競争心にも火がつく様になった。

比べられるのは仕事内容に関する事だけじゃ無く、性格や外見に対する事も比べられた。男っぽくサバサバした性格の大瀧さんと女っぽくぶりっ子な性格の杉崎さん。
カジュアル派でシックなパンツスタイルが多い大瀧さんとフェミニンでミニスカートの多い杉崎さん。
人と比べられるのは嫌なものだ。私が嫌だった様に杉崎さんも嫌だったと思う。二人は何も共通点が無かった。二人の溝は目に見えなく少しずつ深まっていった。


待ちに待った夏休みが来た。

私は専門学校時代の友達と会う事にした。専門学校の時といったらみんな気兼ね無く話せて、同じ目標を持って頑張ってきた仲間だ。私の中で仲間という意識が特に強かったのが専門学校の友達達だった。その日は5人と待ち合わせをして渋谷で食事をした。久しぶりに会えたというので、学生時代に戻った様な安心した感覚に包まれていた。

当然「職場はどう?」みたいな話になる。私は日頃のうっぷんを晴らしたかったので、職場で感じた事や杉崎さんへの不満をぶちまけた。私の中ではスッキリした気持ちだった。誰かに聞いてほしかったので「やっぱり専門学校の友達は心が開けるな~」などと思って満足して帰った。

しかし、後日2ヶ月ほどしてまた会う事になったのだが、その時「リリコちゃんってさ、仕事の愚痴の話しかしないよね。この前仕事の事ばっかりしゃべってたじゃん。」と言われた。
ガーン・・凄くショックだった。ずっと一緒に頑張ってきた仲間だと思っていたからだ。
私の気持ちを分かってくれたとばかり思っていた。どんな時も私の見方になってくれるとばかり思っていたからだ。
仲間、友達という言葉がガラガラと崩れていった。

私は社会人になって世間の風当たりの強さに打ちひしがれていた。別に愚痴を言いたかった訳じゃ無く、ただそんな気持ちを同じ様な立場の友達同士と、分かり合いたかっただけなのだ。
そして、私が苦しんでいるのが面白いといわんばかりに「ところでこの前言っていた同期の人。あの人と相変わらず仲悪い訳~?」と笑いながら聞いてきた。
親身になって聞いてくるという感じではなかった。あきらかに面白がっているのだ。

私は「もう、なんでも無いよ。」と言ってそれ以上その子には仕事の話を二度としないと誓った。

その時集まった友達は5人いたのだが、一人は縫製工場に入社後1ヶ月で辞めて、その後アパレルの在庫管理の仕事をしていた。もう一人はアパレルの企画パタンナーをしていた。もう一人は子供服のパタンナーをしていた。もう一人はジュエリーの販売をしていた。
そして、その「リリコちゃんってさ、仕事の愚痴の話しかしないよね。」と言った子は家事手伝いだった。社会に出た事ない人はその子だけだった。
他の人は「うんうん。そうだよね~!分かる分かる。」「うちもこうだよ~!」って感じで聞いてくれていたが、その家事手伝いには分かる訳も無い。同じ様な立場の友達同士と思っていたが、同じ様な立場ではなかったのだ。その子にしてみれば、つまらない話だ。そして気に食わなかったのだろう。
自分には逆立ちしても入れない世界の話だからだ。他の4人は私が主席だったという事もあり多少は尊敬という気持ちがあったと思う。憧れていたとか、目標だとか、一生ついてくなどと言ってくれていた。そしてアパレルの企画という場所がどれだけ大変な所かという事も知っていた。

専門学校の主席というのはとても分かりやすい。実際にみんなが描いた絵が並ぶ、みんなが造った服が並ぶ。優劣は一目瞭然だ。

しかし家事手伝いには悔しいという気持ちしか無かったのかもしれない。その後も色々嫌みな事を言ってきた。
しかし、私としては痛くも痒くもない。だって、負け犬の遠吠えにしか聞こえないからだ。
それが私と同等な人が言ってきたなら受けて立つが、ボクシングで言ったら私はプロの選手で、その子は周りにいる野次馬だ。その野次馬の言った事に少しイラついたからといって、殴った所で相手はだたの素人。あっという間に負けてダウン。そんな素人に勝つのは当たり前だから全く面白い試合じゃない。と、いうかプロじゃない素人とは試合もできないのだ。
いわゆる同じステージにいない人だ。同じレベルでもないのに戦う気なんておこらない。
世の中にはこうゆう負け犬と言われる人種がけっこういる事をその後知った。負けているだけじゃない。負けてなお勝ってる相手を認めようとしないのだ。

学生の時からそうだったのかもしれないが、学校を卒業してはっきりとそれぞれの路が別れている事を悟った。別にそれは悪い事ではない。みんな、それぞれの人生があってそれぞれの生き方がある。
そして、私も大人になっていた。遊ぼうと言われれば笑顔で遊びに行くし、結婚式があれば笑顔で出席する。仲間、友達意識は時と共にだんだん薄れていった。大人の付き合いだ。心が許せる相手なんて何処にもいないのだ。それが普通なんだと悟った。

それよりも、今思えば杉崎さんの方が堂々としていた。お互いプロ同士真剣に同じステージで戦っていたのだ。
彼女は白金の大きな家に住んでいた。いわゆるシロガネーゼだ。父親は商社だと言っていた。母親は働いていない。いわゆる典型的なお嬢様だった。
だから専門学校よりも短大に行ったのだ。ガツガツ働くぞ~という感じでは無く、花嫁修業的な感覚だった。彼女にしてみれば、別にそんなに真剣に技術を身につける気も無いし、「アパレルでデザイナーしてますぅ~」という肩書きが欲しかっただけだと思う。彼女の頭の中は仕事の事よりもプライベートの事でいっぱいだった。まだ仕事も身に付いてないのに、余計な事を考えているのだから、そりゃミスも多い。
けど、実際デザイナーというのはそんな遊び心があって、余裕がある人の方が向いているのかもしれない。
私といえば努力と根性って感じで、ガツガツ頑張る派。三島から新幹線で来て、優等生ぶって何でもテキパキこなす。嫌な奴って言ったら嫌な奴だ。
杉崎さんの雰囲気というのは私には出したくても出せない物だった。

夏休み明け、杉崎さんの態度は急変していた。
私がしたのと同じ様に、杉崎さんも短大の頃の友達に私の事を愚痴ったのだろう。
でも多分その友達は私がされたみたいに冷たくあしらう事はしなかったんだと思う。杉崎さんの身方になって同情し、一緒に共感しあったのだ。
「やっぱり短大の時の友達はいいわ~。本当に心が通じあうし、私の事心底分かってくれる。ここの誰かさんとは全然違う。」という様な事を言っていた。
「そりゃそうだろ。」と思った。
私には、その行為を攻める事はできない。私も同じ事をしたのだ。
それにしても二人が同時に学生の時の友達に愚痴っていたのには驚いた。そして、あんなに共感されたんだと思うと私の方がかわいそうな気がした。

二人は全く違う人種だ。その頃はそれがとにかく気に食わなかった。けれど、そもそも同じ人間なんていない。別に違くたって良いんだと何で思わなかったんだろうと、今になって思う。
二人共まだまだ子供だったのだ。
始めの頃は杉崎さんを何の害も無い明るい子だと思った。実際ニコニコしてよく話をする人だったし、同期入社はどんな子が入ってくるか気になっていたが気兼ねの無い子だと安心した。
杉崎さんも私に対して悪い印象は無かったと思う。同期だから仲良くしようという気持ちが伝わってきていた。

けれど、毎日隣の席で一緒に過ごしていると彼女の短所ばかりが目につく様になる。
まず、驚くほど何も知らない。
前にも書いたが、彼女は短大の家政学科を2年、専門学校を1年出てここに来た。本当は専門学校に3年間通わなければならないが、短大でも編入すれば良いという制度があった。そもそもその制度こそ間違いなのだが、やはり短大に通っていた2年間のブランクは大きい。専門学校で朝から晩までみっちり勉強している人に比べると、服飾に関する事の授業時間も日数も少ない為学びきれていないのだ。
何でこんな事も知らないわけ??何百回そう思ったか分からない。

専門学校を出た子なら誰でも分かる様な簡単な事でも知らない事が多く、技術もかなり劣っていた。
その為、チーフや上司に言われた意味が分からず、もう一度席に戻ってきてから私に聞き直して来る為、私が簡単な言葉で説明し直さないとならない。
私は通訳でも先生でもないのにだ。
しかも自分がやっている仕事の内容をいちいち全部質問してくる。
「これってこれでいいかな?」「ここってどうやるの?」「この意味って何?」「この記号って何?」「この色目とこっちの色目どっちがいいと思う?」こんな質問が間髪入れずに2~3分ごとにくる。とんだ足手まといだ。
おのずと上司か怒られる率も彼女の方が高くなる。

私だって自分のやる事が山ほどある。人のやっている事まで手が回らない。新人だから自分の仕事で手一杯だ。なのに私は、自分がやっている仕事と同時に杉崎さんの仕事も聞きながら把握しなければならないはめになった。
質問攻めに適当に答えて間違っていたりしたら大変なので、最初の頃はひとつひとつ丁寧に教えていた。そのうち覚えてくれるだろうと思ったのだ。けれど、覚えるどころかそれにつけ上がって、同じ質問を何度もしてきたり、人が答えているのにまじめに聞こうともしない。

以前書いたメンディングテープの件が良い例だ。

アイロンの水が無くなっているのを見て「水入れた方がいいかな?」と質問してくる。
当たり前だ。そんな事聞くまでもない。「入れた方がいいよ」と言ったのに、「いいや~このままで」と言ってカラカラの状態でシーチングにアイロンをかけていた・・もうどうしていいか分からない。
全てが無知からくる行動だった。
せめて私が上司なら言ってる事も聞くと思うが、同期なので杉崎さんも余計なめているのだろう。そうゆう時「じゃあ、聞くなよ!」と心の中で突っ込む事しか私にはできなかった。キレるのは簡単だが、そんな事したら二人の関係を二度と修復できなくなるんじゃないかと思ったからだ。まだ入社したばかりだし、先は恐ろしいほど長い。
我慢と忍耐も大事だという事はなんとなく私にも分かっていた。

出来ない人が嫌いなのでは無い。学生の時も出来ない人は腐るほどいた。けど、私に被害は無い。だってその人がどんなに下手で遅くわからんちんでも私の作品に何の関係も無いからだ。私は私の作品を完璧に仕上げればそれで良い。何のストレスも無い。人の事なんて知ったこっちゃない。

けど、仕事となるとそうはいかない事が多い。共同の作業があるからだ。
私が完璧にこなしても彼女が完璧じゃ無いと私にまで被害が及ぶ事になる。責任は同じになるのだ。
例えば杉崎さんがヘロヘロのシーチングをストックの所に置くとしよう。(先輩パタンナーの地直しは新人が勉強の為にする事になっている為、まず朝一で10枚以上の地直しをし置いて置かなければならないのだ。)
南チーフが「誰!これアイロンかけたの?やり直しなさい!!」と激怒。
シーチングに誰が地直ししたかなんて名前がついてる訳では無いので杉崎さんはとぼける。「分かりません~誰だろう~大瀧さんかなぁ~?」下手すりゃ私のせいにせざるおえない態度をとる。しかしチーフも日頃の仕事ぶりを見て分かっている為、「杉崎さんじゃないの?」と言っている。
『だから水入れろって言ったのに・・』私は心の中で思う。彼女は事前に私に聞きはするものの、実際は怒られなきゃ分からないのだ。チーフに怒鳴られて初めて気づき学ぶのだ。
私のイライラはピークを過ぎ、呆れに変わっていた。

朝礼で南チーフに言われたのだが、○○ちゃんやあだ名で読んだりしてはいけない事になっていた。
社会人とはそうゆうものなのかと思った。
そうゆうお達しがあった直後なのに杉崎さんは「リリコちゃ~ん」とか「リリちゃ~ん」と大声で呼んでくるので焦った。
「あのさ、ちゃん付けで呼んじゃ怒られるよ。そう南チーフも言ってたし。」そう言っても、ほよっ?って感じで全く分かってない。

そして何より腹が立つのが、彼女のぶりっ子だ。
私はそれまでぶりっ子というものに会った事が無かった。私の地元静岡県には全く居なかっのだ。子供の頃から振り返ってみてもぶりっ子という人種に会った事がない。どっちかって言うと勝ち気で言いたい事はズバズバ言う男勝りな女子が多かった。静岡県民の性格というと「あけっぴろげ」と良く言われていた。だから自分のイメージを作ったりはしない。ありのままの自分をさらけ出すというのが普通だった。
驚くなかれ、私が大人しいと言われていたのだ。周りがどれだけ酷かった事か想像してほしい。
面と向かって「リリコちゃんには負けないからね!私が絶対勝ってやる!」とか「リリコちゃんより私のが凄い!」とか勝手に勝負を挑まれたり、自分アピールばかりする子が多かった。それもかなりうっとうしかったが、ストレートでまだ良い。表と裏が無い分対抗しやすいからだ。

専門学校に入学して、東京に出てからも専門学校という場だったからだろう。どっちかって言うと職人気質な愛想の悪い人が多かった。私もそうとう愛想が悪かったと思うが、それ以上に不器用で上手く立回れない性格の人が多かった。大人し過ぎて話もしない様な人もいた。ただ黙々と課題をこなす。その人達がけして悪い人だという訳では無い。分かりずらいけど、その人なりにやさしさや思いやりを持っているがとにかく分かりずらいだけだ。

静岡県民は思った事をそのまま口に出す事が多い。腹黒くは無いがその分人を傷つける事も多々あると思う。でも思った事を言ってくれる方が私としては傷ついても気持ちがいい。私は傷つく事よりも、相手が思っている事を言わない事の方が怖かった。どんな酷い事でも思っている事を言ってくれた方がよっぽど良い。それによってその人に対する接し方も分かるからだ。
時と場合にもよるが、私もそうしてきたし、周りもそうだった様に思う。

静岡県に比べると関東の人はクールだった。自己表現をあまりしない。なんとなく気どってる感じがした。始めの頃はみんな怒っているのかと思ったくらいだ。
笑い方もハンカチを持って「クスッ」って感じだ。静岡県では「ガハハガハハ」と笑う。
反応も悪い。驚く様な事を言ってもリアクションが薄い。自ずとテンションも低くなる。

偶然三島駅で小学校の時の友達に会った事があった。もの凄いハイテンションで間髪入れずに話しかけてくる。そして、一通り話し終えると「どうしたのリリコちゃん?元気ないじゃん!って言うか、クールじゃん。やっぱ東京人は違うねぇ~!」と言った。
それを聞いて、「私が!?まさか・・クールに??」と驚いた。
初めて東京に行って関東の人に出会った時に私自身が感じた事だ。それを言われてしまったのだ。私は知らないうちに静岡県の性格では無くなってしまっていた事にショックをうけた。
子供の頃はこんなにハイテンションだったんだろうか?と思った。と、同時にこんなに気どらなくていいのか?とも思った。
私自身毎日生活する中で関東の性格に染まってしまっていたのだ。

関東では色々な事が違った。私は一度話たら友達だと思ってしまう性格だったが、周りはそうじゃないらしい。毎日一緒にお弁当を食べて会話をしていた子に「友達でもないのに・・」と言われた事があった。
『え~~!?』だ。びっくりした。毎日お弁当を食べて会話までしているのに友達じゃないって!?じゃあ何したら友達なんだ!?(それから17年ほど経つがその子とは今だにつき合っている。もうさすがに友達と認めてもらえただろう。)
高校の先生に「関東の人は冷たいから気をつける様に。」と言われた。「そんな事ないよ~みんな良い人だよ~」と言い返したが、先生は「いや、大瀧が思っているほど関東人は甘くないぞ。」と言っていた。意味が分かった様に思う。
関東人は冷たい、気どってる、簡単には心を開かない。そんな所だろう。
けれど生きていくにはそれが普通なのかもしれない。競争ばかりの社会で思った事を何でも言っていたらすぐに負けてしまう。全員がそうなら良いが、一人だけそうゆう人が居ると変に見える。自分をさらけ出すのは怖いものだ、少しでも良く見せたいと思うのが普通の心理なのかもしれない。心を開かないというのも自分が傷つかない為の防衛手段なのだ。自分を守る為にみんなそうしているのかもしれない。

しかし、場所が場所だっただけにさすがにぶりっ子は居なかった。
杉崎さんを見て「これがぶりっ子かぁ~」と始めのうちは面白がっていたが、だんだんイライラしてくる。
『思った事ハッキリ言えよ!そんな風にしたって誰もかわいいと思わないんだよ!』心の声が今にも飛びたしそうだ。
いつもそうならそれはそうゆう性格という事になるのでぶりっ子ではない。
裏表が激しいのだ。言う事と思っている事が違う。トイレじゃ信じられない様な醜い言葉を口にしていた。
自分ができないから怒られるのに、上司を恨んでいた。トイレじゃタバコをふかしていつも文句ばかり言っている。それを私は「うんうん」と聞かなきゃならないのが嫌で、だんだん避ける様になった。

大学生というのは毎日合コンをしているらしい。そんなに暇があるのか?どうゆうスケジュールで動いているんだ?と疑問でしかたない。
杉崎さんの口癖は「あ~あ。短大の頃に戻りたい~!」だった。短大がとにかく遊べて楽しかったらしい。専門学校は誰からも相手にされなくて課題が大変だったから嫌だったと言っていた。
その考え自体私をいっそうイラつかせる。
『だったら何で専門学校に行ったんだよ!まじめに服飾の事を学ぶつもりもなくてどうゆう事だ?そもそも何でこの人が就職試験に受かったんだ?本当にデザイナーになりたかったのか?』
まじめにやってきた自分と彼女が同じステージにいると思うといっそう腹立たしかった。
専門学校では一生懸命頑張ってきた。いや頑張るという苦痛すら無いほど学ぶ事が楽しかった。私にとってデザイン画を描いたり服を造る事は遊ぶ事と同じだった。
私は嫌な奴だろうか?嫌な優等生だろうか?

そしてやたらと口にするのが「デザイナーになるのがずう~っとずう~っと夢だったんですぅ~」だ。
軽々しく誰にでも言うその言葉からして、絶対嘘だと思った。
ずっと夢だった事は簡単に口に出来ない。私は中学の卒業文集にも高校の卒業文集にも「将来の夢」は書かなかった。書く欄があったけど、あえて書かなかったのだ。人に言った事も無い。誰が自分の夢を人に言うものか。その思いが強ければ強いほど怖くて言えないものだ。
デザイナーという言葉もなんか照れくさいし、うさんくさい感じがした。デザイナーという言葉をかっこいいと思っている人はかなりダサイ人間だと思う。私は自分からデザイナーデザイナーと言う人ほど大した事無い人だと思っていて、実際その様な事が多い。

その後本格的にデザイナーになった後、職業を聞かれても「アパレルの企画です。」と答えてデザイナーと言った事は無い。
「私、デザイナーになるのが夢って人に言った事一度も無いな。」と杉崎さんに言った事がある。
彼女はハッとびっくりした様な顔をした後、「そうかもしれない・・本当に思っている人は言わないのかも・・」と言った。

そうして分かったのが、大学という場所にはぶりっ子がいるという事だ。
そのままOLにでもなって週末には合コンして寿退社すればそれで良い。けど、この世界は違う。女性が男性と変わらず第一線で働いている専門職の世界だ。他に誰もそんな人はいない。
ここに来るまでの心構えが私とは180度違っていた。まるで世界の違う人だと思った。そんな世界の事は知りたくもなかった。そんな人とつきあいたくもなかった。

こんな彼女が専門職のデザイナーに合格したなんて、社長はどうかしてる。
社長がとにかく彼女を気に入ったのだ。
彼女の何処を気に入ったかというと彼女のぶりっ子を気に入ったのだ。明るくてかわいいとよく言っていた。上っ面だけの明るさとかわいさをだ。

社長は高級クラブが好きでよく行っている様だった。水商売の女性が好きなのだ。ああゆう人達はみなぶりっ子をしているのだろう。まあ、それでお金をとるのだから別に良い。でもそれがとにかく好きというバカな男性がこの世にはけっこういるのだと分かった。
ぶりっ子=かわいい女性と思い込んでいる様だった。
企画内の上司には怒られてばかりいる彼女も社長のウケは良かった。それと正反対に私は社長から嫌われている様だった。いわゆるあけっぴろげで男勝りの気どらない性格が災いしていた様に思う。でも、そんな事はどうでもよかった。社長からのウケなんて日々の仕事をきちんとしていればそのうち良くなると思っていたからだ。
彼女の化けの皮はいずれ剥がれるだろう。その時が楽しみだった。
大阪店から内野専務がやってきた。その日を迎えるにあたって、前日から社内が物々しい雰囲気になっていた。内野専務は初めは本社の東京にいたが今は大阪店にいるらしい。京都出身の岸和田育ち。京都大学を主席で卒業、某デパートの営業でトップに君臨しその後、引き抜かれてこの会社へ来たと言っていた。
京都出身の岸和田育ち、考えただけでも苦手なタイプだ。
京都の人というのは本音と立前が違う。弱そうに見せて実はしたたかだ。それに岸和田のあの"だんじり"の威勢の良さが加わった日には、もう鬼に金棒な最強の性格なんだろうと思った。

課長や営業が殺気だって掃除したり伝票を片付けたりしている。「ああ言われた時にはこう返す。このミスはこうフォローする。」などと予習をしていた。
「とにかく怖いから、覚悟してね。」誰もが口々にそう言う。
事務の土倉さんは専務専用の牛乳を買いに行ったりしていた。「専務はコーヒーは牛乳たっぷりのカフェオレでこの牛乳で作らないと怒られるのよ。」と、めんどくさげに言っている。

そう言えば、お茶当番というのが新人にはあり、これが覚えるまで一苦労だった。
朝の場合は、課長はアイスティー、南チーフはホットカフェオレ砂糖2杯、桜井チーフはブラックコーヒー砂糖1杯、という様に人それぞれ飲み物が決まっていて、それを企画全員分入れなければならない。それが、朝、昼、3時と全員がバラバラで、朝はお茶、昼はコーヒー砂糖2杯ミルク1杯、3時はアイスティーの人とか、もちろん朝昼3時と同じメニューの人もいるのだが、何曜日だけ3時はココアの人とか、とにかくめんどくさいのだ。それも1~2ヶ月もすれば暗記してさっさと入れれる様になるのだが、入ったばかりの頃は、会社という所はこうゆう仕事と関係無い事も覚えなければいけないのか・・と思ったりした。(もちろん自販機もあります。)

そして、いよいよ専務が来た。営業課長の石田さんが、「専務に新入社員を紹介するからみんな集まって!」と言って来た。石田営業課長は「とにかく怖いからね、気をつける様に。」と言って、自分も深呼吸したりしている。「じゃ、いよいよ行くよ!」などと、いちいちみんなを緊張させる様な態度をとる。相沢、木島、鈴木の営業3人と、私と杉崎さんで専務室に入って横1列に並んだ。
石田課長が「こちらが、新しく入社しました新人です。じゃ、一人づつ自己紹介して。」と言うと、履歴書を専務に手渡した。その手も心なしか震えている様に感じる。

最初の相沢くんが、「営業に入社しました相沢です。まだ入ったばかりで分からない事ばかりですが、すぐに先輩方に追いついて、営業成績をあげれる様一生懸命がんばっていきたいと思いますので、よろしくお願いします!!」とハキハキと元気な感じで挨拶した。悪く無いと思った。そんな感じで、全員の挨拶が終わった。

と、同時に、専務が持っていた履歴書をバサッと床に投げつけた。
「一生懸命がんばるなんてな、あたりまえや~~!!」
専務が大きなドスのきいた声で怒鳴った。
みんな、『一生懸命がんばる』と言ってまさか怒られると思っていなかったので、ビクッ!!と肩をふるわせていた。
専務が椅子からゆっくり立ち上がった。何を言われるのかドキドキした。
「一生懸命がんばるなんて、当たり前過ぎて意気込みでも何でもないで!今まではな、一生懸命がんばったら認めてもらえてたかもしれん。でも社会に出たら、一生懸命やって無いヤツなんておれへん。みんながやってる普通の事や!!一生懸命がんばったって、結果出さな何の意味もないで~!」
そう言うと石田課長が拾った履歴書をまた受け取り、履歴書と人物を照らし合わせて、上から下までなめ回す様に見た。
「相沢!何やチャラついとるの~お客の信頼がそれで得られると思うてんのか?それじゃ営業成績もあがらんわ。合コンばかりやって脳みそ腐っとるんちゃうか!」
「木島!何だこの字は?え?これでよく書類審査通ったもんやな~。この字でお客様にお礼のハガキ書いたり、手紙出したり、もっと基本的な台帳記入とかあるんやで!読めへんやないかい!人間な「何大学出ました」って名札付けとく事できへんねん。なんなら上智大学卒業って顔に書いとくか?それならみんな信用してくれるわ。でも字はそんな事より表に出て行く。どんな頭が良くてもな、これじゃパーにしか見えへんで!」
「鈴木!何や、暗いなぁ~。人間には雰囲気ってもんがある。営業だったらそんな暗いオーラ出してたら客よりつかへんで!でもそれは自分で変えられるもんや!!」

いよいよ私の番だ・・・
「大瀧!なんや、あれやな・・あれに似とるな。朝の連ドラの・・・松嶋や。」
その当時、NHKの朝の連続ドラマ小説で『ひまわり』というのをやっていた。そのヒロインが松嶋菜々子だったのだ。
「ひまわり見とるか?」と聞かれた。私は「その時間にはもう家にいないので見てません。」と答えた。「あれはな、ちょうど新人で君たち位の子が奮闘する話や。」とそれだけで終わった。

「杉崎!うわっ面だけでもの言うてもダメやぞ。うわっ面だけの人間は人がついてこないからな。誰も真剣に相手にしてくれへんぞ!」

以上だった。ホッとした。
けど、他の4人は落ち込んでいた。

専務の事をみんな怖がっている意味は分かったが、なんとなく専務の意見は好感が持てた。私だけ何も注意されなかったというのもあるかもしれない。
専務は事前に何か情報があったのだろうか?会ったのは今日が初めてなのに、見た目だけで、それぞれの内面を言いあてたのだ。確かに相沢くんは女の事しか考えて無い。合コン大好きなのも事実。見た目は二枚目で、キッチリしたスーツを着て髪型も整えて精一杯努力している様だったが、学生時代のチャラさがまだ抜けきれていなかった。木島くんは上智大学卒業という事だったが、全く外見からはそれが伝わってこない。パッとしない外見に汚い字。専務の言いたい事も分かる気がする。
鈴木くんは、父親が居なかった。母親も水商売らしく、自分は彼女と同棲していた。この会社に入る前はバーテンをしていたそうだ。なんとなく陰がある。杉崎さんは、ぶりっ子だ。ニコニコして相手の喜びそうな事を言うが、裏じゃトイレで愚痴をはいてタバコを吸ってる。

・・・う~ん。恐るべし専務の洞察力。
しかし、一生懸命がんばると言って怒られたのには驚いた。やはり社会というのは厳しいものなんだとしみじみ感じた。
電車に乗ってるサラリーマンが嫌いだった。毎日同じ場所に行き、同じ仕事をする。何て魅力の無い人達なんだろうと思った。けど、朝から晩まで働く事がどんなに大変か分かりかけた様な気がする。
このおじさん達はこんなに辛い思いをして職場に通っているのか・・一生懸命がんばるのが当たり前の場所に毎日毎日行っているのかと思うと、尊敬の念が湧き出た。



企画では、地直し修行も終わりいよいよ本格的にパターンを組み始めていた。
桜井パタンナーチーフは何も言わない。聞いてもあまり答えない。
「あの~・・一応、ここまでできたんですけど、袖が上手くつかないんですよね。」と、言ってもだまっていてこっちを見ようともしない。新人に対する対応はこんなものなのか・・?と思い、電話に出たりしていると、その間に妙にきれいに袖が付け直されている。
上司というのは学校の先生と違う。教える事に長けてる訳では無い。ましてや服作りをする企画は職人達の集まりなので、みんなとにかく愛想が悪い。
一応は見てくれるが何も言ってはくれない。その付け直された袖をじっくり見て、そこから学びとるしか無いのだ。本当はコツや特徴など大事な所を言ってくれるとありがたいのだが、先生じゃないからそこまでしてくれる人は滅多にいない。学校を卒業すると、こうゆう事になるのか・・お金を払っていた時とお金を貰う時では立場は全く違くなってしまう。

しかし、一人だけかなりうるさく注意してくる上司がいた。デザイナーの瀬川さんだ。年は45歳。彼女はとにかく活発な人で、エアロビやら乗馬やらボクシングやら色々なスポーツをしていた。勝ち気で自己中を絵に描いた様な人だ。よくデザイナーには多いタイプだが、実家が高級中華店をやっていて、かなりのお金持ちでお嬢様らしい。
ちなみに企画内で結婚している人は一人もいないし、もちろん子供がいる人もいない。

私は運良く瀬川さんの目にとまらなかったが、たまたま席が隣だった事もあり、杉崎さんが朝から晩まで瀬川さんに怒られ続けていた。隣に仁王立ちになり杉崎さんの組んだトアルを見て文句を言っている。それをみんな見て見ぬふりをし、知らん顔している状態だった。『触らぬ神にたたりなし』といった状況だろう。
新人が入ってくるといつもやる事らしく、たまたまなのか何なのか、今回の生け贄はは杉崎さんだったのだ。
まあ、私が思うに、彼女の変なぶりっ子がカンにさわったんじゃないかと思う。瀬川さんに仕事で何かを聞かれた時に「わっかりませ~ん。聞いた事もないですぅぅ~♪」とか、瀬川さんの気を逆撫でする様な返答をするのだ。杉崎さんとしては、分からない事もぶりっ子すれば、大目に見てもらえるんじゃないかと思っている様だが、そうは甘くないのが企画だ。彼女のぶりっ子は企画内の上司(特に女性)の気を逆撫でしているが、本人全くそれに気づいていない。

杉崎さんが、急騰室で「はぁ・・・」と一人ため息をついていると、課長がやってきて、「大丈夫?」と声をかけてくれたのが、とても嬉しかったと言っていた。
さすがの杉崎さんも堪えたのだろう。
それでも彼女は強い女性だと思った。普通なら、あれで辞めてもおかしくないのだ。
課長は寡黙で何も言わないが、たまにそんな一言を言ったりする。絶対に怒らず一番やさしい人と言われていたのはやはり本当だった。

南チーフはいろいろと忙しいらしく私たちのパターンをたまにしか見ないが、一週間もたってないのに、「いつまでノロノロやってるの!!仕事が遅すぎるわよ!!」と怒鳴られた。
トアルを組むのは新人には時間がかかる。思う様に形にならない。しかも初めてで慎重になる為余計時間がかかるのだ。でも、しかたない・・もっと早く奇麗に組める様にならなければ、普通にデザイナーの描いたデザイン画を組む事はできないのだ。組んだ後パターンにおこす仕事もまだ慣れない為手間取った。学校の授業ではたっぷり時間をさいてくれていたが、その100分の1くらいの早さで仕上げなければならない。先輩パタンナーの凄さが身にしみた。
しばらくパタンナーのアシスタントをやった後、今度は杉崎さんのやっている生産管理とグレーディングの仕事と交代する事になった。生産管理とグレーディングは課長が受け持っている仕事だ。
杉崎さんに「ねえねえ?課長って怖い?」と聞くと、「全く怖く無いよ。何度も失敗したり間違ったりしたけど、怒られた事は無い。」と言っていた。
杉崎さんの話では彼女が仕様書を書いて工場にファックスすると、必ず工場から電話がかかってくる。
「これ、生産枚数が記入してないけど、何枚造るんだ?」とか、「これタイトスカートだけど、ファスナー書いて無いよ。」とか・・
いわゆる仕様書がミスだらけで工場さんが教えてくれている様な状態だ。
そんな状態でも、課長は「あっ!僕がチェックしなかったからだ。ごめんごめん。」と言って彼女を攻める事なく電話に出ていたと言っていた。

生産管理とは工場に出す現物品の仕様書を書くのが主な仕事だ。工場と直接やりとりしたりする事もあったり、工場さんが質問して来た事に的確に答えなければならない。パタンナーのひいたパターンを理解していなければもちろん書けないし、自ら工場に説明したりする事もある。生地の用尺が何メートルかかるか形入れをして計算したりもする。まあ、その辺の事は難しいので課長がやっていたが、私はとりあえずひたすら仕様書を書くという日々を送った。仕様書を書いては工場にファックスする。今ならきっとパソコンで書いたりメールでやり取りしたりすると思うが、その頃は手書きだったのだ。
スーツの裏地の色目を選ぶ、ファスナーや芯の色目や種類を選ぶ、伸び止めテープの種類を選ぶ、ボタンなどの付属の数や大きさを記入する。ドライネームを選ぶ。間違ったら大変な事になる様な事をどんどん記入していく。
これはもう現物なので間違ったら取り返しがつかない事になるのだ。スーツの裏地の色目も何色を選ぶかでその印象は変わる。それも全てその人のセンスという事になる。夏服など薄い生地になると、芯地の場合は変な色をあわせてしまうと表から透けて見えるなんて事にもなりかねない。

それとグレーディング。グレーディングはある方式がある為それを丸暗記するしかない。まあ、暗記までしなくても見ながらやれば良いのだが、覚えないとなかなか進まない。
今はCADで簡単にできる事もまだこの頃は手書きでやっていた。
それから2年後CADが会社に入ったので、随分と楽になったのを覚えている。

確かに課長はやさしかった。声を荒げたりイラついたりする事もない。ただ、だまって淡々と仕事をこなしていく。その課長の人柄か、どの工場長も課長の事が好きらしく良くしてくれていた様に思う。
その為、私がミスしても杉崎さんがミスしても「新人?頑張ってね!」と温かく見守ってくれた。学生あがりの新人のやらかす事は、いつの時代も同じなんだろう。


そして、ついに3ヶ月が過ぎた。

瞬きをする暇も無いとよく言うが、まさにそんな感じで、あっという間に過ぎ去った3ヶ月だった。
チーフに私と杉崎さんが呼ばれた。
「まあ、二人の仕事の感じを見て、このまま続行しても大丈夫だろうと思います。これからは正社員として頑張るように。」との事だった。
営業の3人も継続OKが出たようで喜んでいた。


はぁ・・・良かった。
ホッとしたのもつかの間、今まで以上にプロとしての修行は過酷なものになっていった。

次に二人に課せられた課題は、先輩デザイナーのデザインした服を組むという事。
いよいよ本格的にパタンナーデビューという訳だ。
しかしその前に待っていたのは、シーチングの地直し修行だ。ひたすら何枚も何枚も1日中地直しをする。
※地直しというのは、生地というのはもともと縦糸と横糸が平行になっていない。そのまま服を組んでしまうと平行になろうとするする力がだんだん働いて、元に戻ろうとする為組んだ服がゆがんでしまう。それを防ぐ為に最初にスチームアイロンで縦糸と横糸を平行に整える事。

それが、私の目には平行になっている様に見えるが桜井チーフの目で見ると歪んでいる様で、なかなかOKが出ない。それがいわゆるプロの目というやつで、私も3年後、入って来た新人がどうにも平行にアイロンがかけられないのを見て、「何で分からないんだ!」と思ったが、これは腕が上がらないと見えないものらしい。その時、新人の私もそうだったな・・と思った。

そして、もっとめんどくさいのがアイロンをかける前に縦糸の折糸一本を抜くのだ。
最初意味が分からなくて、「え!?糸を一本抜く?」と疑問に思ったが地の目を通す目あすにする為に普通は折糸にひっかけて線を引くのだが、その代わりに糸を抜くのだ。
それがブチブチ切れてなかなか上手く抜けない。それができてやっとアイロンをかけれるのだ。パタンナーの先輩方のシーチングをひたすら地直しした。
気がつくと、手にはまめができていた。その水ぶくれを針で刺し、つぶしてまたアイロンをかける。
手だけ動かしていてはダメで全身の力を入れてかける事を学んだ。

一枚一枚アイロンをかけながら、いかに地の目が大事か染み渡ってくる。アイロンのかけ方がいかに難しいか、地直しがいかに大事か、身を持って教え込まれたのだ。
そして、ここにいる人達は皆この事を知り尽くしていた。熟知していた。私は専門学校を出たとはいえ、まだ何も分かって無かったのだ。



そして、新幹線通勤についての取り決めもあった。
「新幹線通勤をするのか?」と聞かれたので、「はい」と言った。
実を言うと入社前は「一人暮らしをします。」と言っていた。先生方にも必ずそう言えと言われていたし、超氷河期のリストラ時代に何処の会社が新入社員の新幹線通勤を許可する所があろう。そんな事言ったら、入社試験は必ず落とされる。

しかし、私の心は重かった。一人暮らしはしてみたいが、父親が癌になって入院し、その後の経過も良くなかった為、母はとても弱気になっていた。母親にそんな事を言い出せるはずもない。
母親がよく私に言う事は「私はお父さんが居ないし一人っ子だからおばあゃん(母の母)しかいない。だから、おばあちゃんが一番大事だ。服飾関係の事も習いたかったけど、(母も服飾専門学校に行きたかったらしい。)おばあちゃんを置いて東京に行くなんてできないから諦めた。万が一の事があったら困るもの。」とよく言っていた。
『万が一の事』母はこの言葉をよく使い、何かあると『不遜だ。不遜だ。万が一の事を考えない。』と言う。
母は自分を犠牲にしておばあちゃんを大切にした。という事を言いたい訳だ。
私は親は親の人生。子供は子供の人生。と思っていた為、そんな気全くなかったが、その考えを押し付けようとしていた。

私は一人っ子で母親にとって私の存在はなくてはならない大きなものだった。子供の頃から母親には大事に育てられたのと同時に、母は私の事を自分の分身の様に思っている節があり、自分の思う通りにしてほしがった。それは私にとって全く不必要な事だろうと、迷惑な事だろうと、マイナスになる事だろうど、そんな事は関係無かった。私の意思や性格とは関係なく自分の思う通りにする事。
それが例え私にとっての足枷になっていたとしても、母にとっての幸せなのだろう。
それでも私は母親が納得し安心するならそれも親孝行だろうと思い、母が言う通りにしてた。それにいちいち争うのがめんどくさかった。「はいはい」と言っておけば波風をたてないですむ。親子関係は一生続くもの、なるべくもめ事はさけたい。

それに、実家から通う事にはメリットも多数ある。生活費がかからない。これは大きいメリットだ。家賃もなければ光熱費も食費もタダなのだ。例え、2万くらい実家に入れたとしても安いもんだ。
それに何より一人じゃ無い。おばあちゃんが毎朝起こしてくれ、母がお弁当を持たせてくれる。洗濯や掃除がされ、住みやすい環境が維持でき、帰って来ても夕食が用意されていて話をしたりできる。これは精神的にもかなりゆとりができる。それに引っ越しもかなりめんどくさい。私も実家に依存していたのだ。

正直、学生時代とあまり変わらない様な気持ちでいた。三島から東京まで1時間、プラス千駄ヶ谷までは20分くらいだろうか?今まで学校があった飯田橋とあまり変わらない距離だ。
東京という所は東京都内に住んでいる人というのは以外にも少ない。ほとんどが埼玉や千葉、神奈川などの近隣の関東県だ。ざらに1時間や2時間かかる。しかもその地域の人達は満員電車だ。立ちっぱなしのぎゅうぎゅう状態。それに比べれば天国だ。
それに意外と新幹線通学や通勤の人が多いのに驚いた。三島始発の新幹線が朝はけっこうあって、沢山の人が乗る。皆、通学や通勤の人達だ。学生時代の同級生や知り合いや近所の人など、数えればかなりの人が新幹線で東京まで通っていた。

問題は交通費。学生時代は学割がきいて1ヶ月6万円だった。一人暮らしをするより遥かに快適で安い。
家賃だけで6万くらいとんでしまう。しかし社会人になると新幹線代は1ヶ月9万円した。

社長は税理士だか何士だか分からないが、そうゆうお金関係に関する相談役みたいな人を雇っていた。何処の会社も雇うのかもしれないが、私は事務関係では無いのでいまいち分からない。
その人に新幹線通勤について聞いてみた所、新入社員に9万出すという事はまず無いという事。力があるか無いかまだ分からない子には3万が妥当だろうという事だった。
まあ、しかたない。3万でも多い方なのだ。
「最初は住むって言っていたんだからね、それが今違う事になっているんだから・・」とかなんとか社長はかなり恩着せがましかった。社長の私に対する印象はまた、かなり悪くなった。
最初の面接といい、新幹線通勤といい、社長が私を嫌いになる要素はもう十分に揃っていた。「3万も払いたく無いからもう雇いません。」そう言われてもおかしく無い状況だった。
よく、社会人になって一番大変なのは新入社員の時だ。という事を上司から聞いていた。
先輩のデザイナーやパタンナーの人は、「とにかく入ったばかりが一番辛かった。」と言う。
ある程度は覚悟していたものの、実際なってみると、実感する暇もないほど、大変だった。
まず、自分が今まで専門学校で習ってきた技術というのはスタート地点に立つ為の、いわば体力作りのようなもの。
マラソン選手になるのに、日頃の基礎体力がなきゃ走れないのと一緒で、日々の筋力トレーニングや食生活で体作りをした状態の事だ。
まだ、走るテクニックや戦略を学んでいない状態だと思ってくれればいい。
もちろんその基礎がなければ、実際に長距離をプロとして走るなんて見当違いな事考えないと思うし、その道もひらけない。
専門学校の3年間で学んだ事は大切で、身に付いた技術は言葉では表せないほど重いものだ。
服を作るという世界は3年かかってもまだ学び足りないほど奥が深いものだった。
初めて洋服のパターンをひいた時、縫製をした時、1ミリのずれも許されない事を知った。計算は小数点第2位まで出す細かいものだった。ファスナーをつける。ベルトをつける。ポケットをつける。細かい行程の一つ一つがこんなに手間がかかっているんだと、身を持って時間をかけて知った。
私は大変な世界に足を踏み入れてしまったんだと、少し後悔した。
服を作るという事に怖さを感じた。
でも、自分で作るという事に誇りも持てた。楽しみがあった。完成すればそれは、長旅を終えた冒険家のようだった。
山あり谷ありそれでも仕上がった時の喜びは、わざわざ時間をかけて学ばなければ体験する事はできない。

そんなこんなで就職するのだが、ここからが、いわゆる売り物を作るって事で本番なのだ。
チーフが言った。
「今まで学生の頃は自分の服を作るから、責任は全く無い。間違えたって自分の着る服を自分が間違えたのだから怒りは自分に向くだけ。
でも、これからは商品を造るのよ。自分ではなくお客さまがお金を払って買う。失敗は許されません。いくら新人でもそんな事はお客さまにとって関係の無い事。
何十年やってるプロ中のプロの桜井チーフが造った服と、新人が造った服、こっちが新人が造ったから安く売りますって事無いでしょ。お客様は同じ値段で買う。どうゆう事か分かる?新人でも、プロって事よ。」
背筋がぞくぞくと、寒くなった。
こ、恐い・・・服造りの恐さがまた身に染みてくる話だった。

新しい技術を勉強していく必要もあった。
今まで、数字でしか考えてこなかったパターンを今度は立体として把握できなければならない。
それは、今までの数字をベースとして、新しくドレーピングの技術を習得し、今度は感覚でトアルを組んでいく。
しかも、学校でひいていたパターンの何十倍もの早さで仕上げなければならない。
それプラス、全体的な仕事の流れの理解(いわゆる企画内全部の仕事ができるようにする為)と、電話の応答や先輩方の手伝いなどをこなしていく。

まずは、杉崎さんは生産管理の仕事とグレーディングの仕事を受け持つ事になった。
いわゆる課長のアシスタントだ。
この仕事も大変なのだが、とりあえず、私の受け持った仕事から説明していこう。

私は、パタンナーのアシスタントに決まり、ひたすら先輩のひいたパターンをコピーカットしていく。(縫い代付きパターンにするという事)
この仕事はとにかく朝から晩まで立ちっぱなしの中腰で、カッターナイフで方眼定規をあててカットしていく。
縫い代というのは場所によっても物によっても様々なので、その場所に適したセンチで切っていく。
パタンナー全員分のコピーカットが次から次へとくるので、休む暇なんてない。それはすべて本日送りに間に合わせなければならないのだ。
私も忙しいが、もちろん先輩のパタンナーはもっと忙しい。どんどん新しくパターンを仕上げなければならないのだ。

夕方の6時近くになると、「送り」と呼ばれている作業があった。
いわゆる、服のパターンを生地や付属と一緒にサンプル工場に送るのだ。
その付属選びも私の仕事だった。
生地に合わせて、色番をチェックしながら裏地、芯地、スレキ、ファスナーなど必要な付属を注文する。
朝注文した付属は3時頃業者が持って来るので、それを膨大にある送り用パターンの中に振り分けなければならない。しかも、コピーカットもまだまだあるのだ。
自分が頼んだものなのに、微妙な色の違いの付属が多くて、どの生地にあてたものなのか分からなくなる。
しかも、たのみ間違いのミスも多い。「この服、よくよく見たらエフロンファスナーじゃなくて、コンシールファスナーじゃん!」とか、そんな事もおこる。
ブランドネームやドライネームなどの細かいものと、デザイナーに渡されたボタンなどの付属類。それらを仕分けしてパターンと一緒に袋に入れ、出す工場に分けて送り状を出して梱包作業をする。
工場も色々なので、間違ったら大変な事になる。
送り状の貼り間違えなど・・慣れてないと、とんでもないミスが続出する。(後後、工場さんから電話がかかって来て判明する。)

「ふ~。全部終わった。」とフッと机の上を見たら、ファスナーがぽつんと置いてある。
・・・・・がーん!!入れ忘れてる。
しかも、何処の何だかさっぱり分からない。
たよりない記憶と注文書をてらしあわせて、思い出してみる。
多分、山田ソーイング工場のベージュのスカート用ファスナーだ!
走って佐川の所へ行って荷物を出してもらう。
高くびっちり積み上げているのに、嫌な顔ひとつせずに探してくれた。一度荷物をあけてしまったので、「ガムテープ持ってくる!」と言うと、「ガムテープあるよ」と、貸してくれた。
先輩の教え「佐川を敵にまわすな。」

佐川が来るのは4時・6時・8時・10時と二時間おきに来るので、その時間にまにあうようセットする。
10時は言わないと来なし、こうゆう事もあるので、必然的に佐川急便の人とは仲良くなっておかなければならない。
「すみません・・まだ、できてないので、10時にお願いします。」と何度言ったか分からない。
まあ、営業は営業で、※各店舗への膨大な出荷があるので、そっちも終わってない事も多く、あまり引け目に感じる事はない。
しかも、千駄ヶ谷はアパレルがひしめき合ってる街である。どの会社も10時頃まで出荷をしていた。

※営業の出荷はもう出来上がっている商品をデパートやスーパーやショップに出荷する作業。

そして、意外に大変なのが、電話だ。
アパレル関係の店は(付属屋やボタン屋や生地屋など)会社名がカタカナの事が多い。
しかも、今まで聞いた事が無いような変なカタカナ英語やフランス語を付ける会社が多く、ここに書いて良いのか分からないが、例えば「サンライン・サンガーレン・サンティス・トローネ・トノサダ・タキサダ・タキヒョー・ラフィーネ・ラフォルス・ラフィネス・ラティラス・・・などなど」何て名乗っているのか全く分からない。
「すみません、もう一度お願いします」と3回聞いても聞き取れない。
しかも、相手側はもう、知ってると思い込んでかけてくるので、ハッキリ言ってくれないのだ。

後、ファックスの送り方も間違った事がある。コピー機についてるファックスなのだが、てっきりコピーは下にむけてとるから下向きかと思ったら、ファックスは上向きに入れないとダメだとか・・
いつも送る所は短縮で入れてあるから良いが、番号を入力したら間違えたとか・・
私は会社に入るまでファックスを一度も送った事がなかったのだ。
そんな、こんなで、経験している事が圧倒的に少ないのが、新入社員なのだ。

ミスしては、怒られる。でも、ミスしたのは自分だからしかたない。
しかし、私は、ミスをばれずに処理する方法に出た。
例えば、ファスナーを入れ忘れたのに気づくとしよう。そしたら、工場に先に電話して、「忘れたので別に小さい袋に入れて送ります。」と言っておくのだ。多分チーフに相談しても、怒られた後に同じ事を言うだろうと思った。
そうやって、うまくミスをばれずにカバーする術を学んでいった。
ミスは最小限におさえる事が鉄則だが、万が一おきてしまった事には、どうすれば一番迅速に処理できるか考えた。
その為私はチーフから怒られる数が圧倒的に少なかった。

私は今まで自己中心的な人間だと思って生きてきた。
思った事は何でも言ってしまうし、相手に気を使うという事もした事が無かった。
自分が思った事を言って、思った事をする。それが私にとって幸せで満足する生き方だった。
しかし、私は社会人になってある事に気づいた。と言うか目覚めたと言った方がいいかもしれない。
実は人の心が意外と分かるという事だ。
そして、その人がどうして欲しいのかを瞬時に判断できる事が分かった。
なぜなら、上司が怒っているようならどう振る舞えばいいか、喜んでいるようなら何て言えばいいか、出しゃばり過ぎず、でも引っ込み過ぎず、積極的過ぎてもいけない時がある。クール過ぎてもいけない時がある。それらを判断して空気を読み接するのが上手かった。・・・と、思うのだ。(あくまでも自分の意見なので)

だって、びっくりする話だが、機嫌が悪い上司に今聞かなくてもいいトンチンカンな質問を平気でしたり、機嫌良く何か質問してほしそうにしている上司に「何が良い事あったんですか?」とか気が利く質問もせずに、ムスっと黙っていたり、具合が悪そうにしている人に気遣う言葉もかけない。多分こんな事したら怒られるだろうなぁ・・っていう事を平気でしてしまう。そんな人が、意外にもけっこういるのだ。
そして、企画の現場には特に多いように感じた。
そうゆう人達は、おそらく自分の事しか頭にないのだ。

そんなトンチンカン連中の代表が杉崎さんだった。
杉崎さんはなんと、状況も空気も何も読まず何でも思った事を言ってしまう。
しかも、ぶりっ子全快で言うのだ。
「うっそ~っ知らなかった~!」とあまったれた声で言えば、今まではみんな許してくれたのだろう。ぶりっ子すれば、相手の怒りが治まるんだ。と思っているらしい。
チーフが明らかに不快感を示しているのに、全く気づかない。
でも、ここは、実力主義の職人社会。結果が全てだ。
かわいく謝ったから許されるというものでは無い。
そんな事は通用する世界ではないのに、それに全く気づいていない。
何度も、何度も、同じ事をする。ようするに人の心が分からないのだ。
トイレで杉崎さんは、タバコをふかしながら「何で私ばかり怒られるわけ!!ふざけんなっ!死ね!」と言っていた。
やはり、何も分かってないのだ。

杉崎さんは服飾専門学校3年卒という資格では無かった。
普通、アパレルの企画に就職するのには服飾専門学校3年以上卒の学歴がいる。
しかし、家政科系短大2年卒から服飾専門学校へ編入して1年勉強する。それでも、3年間専門技術を学んだ事になり、就職できる。
しかし、内容は全く違う。家政科系の短大とは服飾だけでなく調理やら何やら色々やるらしい。それに、普通の勉強もやって、学科数が少ない。それで専門学校に来たって全然習得しているものが違うのだ。
専門は3年間毎日服飾についての勉強をこなしているので、作っている服の数も全然違うし、学んでいる知識も違う。月とすっぽんだ。同じ扱いにするのがそもそも間違っている。

しかも、短大に行った理由というのが笑った。
両親が専門学校より大学を出ていた方が、聞こえが良いから短大にしなさいと言ったと言うのだ。
世の中の親というのはほとんどが、こんなバカばかりなのだろう。
家の母も始めは短大に行けとか言っていたのを思い出した。
でも、私は断固反対した。服飾専門学校に行くのが私の夢だったからだ。
もう、必要無い事は勉強したくなかった。好きな事を勉強したかった。
だって、義務教育でも何でもない。自由に好きな事を勉強できる機会はこの時期しかないのだ。
しかも、わざわざお金を払って勉強する事を無駄にしたくなかった。

そして、その差は仕事に入ってすぐに出た。普通に使う専門用語や生地の名前が分からない。
南チーフが「この、アンゴラの生地を使って・・・」などと説明している時に、杉崎さんは「アングラって何ですか?」と、堂々と質問してしまう。
チーフの眼は点となり、怒鳴られる。
「は?杉崎さん、アングラじゃなくてアンゴラ!アンゴラうさぎの毛の事!あなた何学校で勉強して来たの?知らないの?それで卒業できたの?それともふざけてるなら出て行きなさい!
・・・大瀧さんは知ってるわよね?」
私はもちろん知っている。アンゴラうさぎもアルパカと言うらくだの毛も、生地の授業があって勉強したし、何しろアンゴラ混のウール地の防寒用コートを造っている。その事を伝えると、チーフは安心したように微笑んだ。
はっきり、言うと杉崎さんからすれば、嫌な対応だったかもしれない。
けど、素人でも知ってる用語だ。知らない方がおかしい。
杉崎さんは本当に何も知らなかった。
もし、ちょっとでもかじった事がある言葉だとすれば、「しまった~。聞いた事あるけど忘れちゃったから、後でこっそり調べよう。」という事もできる。
けど、本当に初めて聞いた言葉だったから、みんな知らないのが当たり前だと思って質問したのだ。

また、先輩のパターンをやぶってしまったと言って慌てていたので、「アイロンかけて、メンディングで貼っておけば大丈夫だよ。」
と教えてあげたのに、「大丈夫だよ。平気だよ。」と、言ってセロハンテープで貼り出したのだ。
私が今度は慌てた。「大丈夫じゃないよ!!ダメだよ!メンディングじゃなきゃ!」と言っているのに、
「え?メンディ・・・何?」とか言って、セロハンテープで貼っている所を南チーフに見つかり、
「杉崎さーん!何やってんのよ!メンディングで貼りなさい!何でわからないの??」と怒鳴られた。
製図を貼る時のテープはメンディングテープで貼ると決まっている。何故なら、セロハンテープは永久性がない。時期がくると剥がれてしまう。それにつるつるしているから上から線が書けない。製図をひいた事がある人間なら誰もが知ってる常識だ。
私ですら、そんな事も分からないのか・・と唖然とした。


南チーフはとにかく厳しく怖かった。でも、言う事は何一つ間違って無く、仕事の腕はピカイチで怒られても反論も何も出てこなかった。ただただ、自分が悪いんだと思うばかりで、反省するしかない。
南チーフのドレーピングの技も、デザイン画の絵も正座をしながら見たいくらい凄いものだった。
だから、それらに関する事を注意されたら、もう何を言われても「はっは~」と両手をあげて水戸黄門で最後にやる土下座のシーンのように従うしかない。従うという言い方は良くないとしたら、ありがた~いお言葉として受け止めるのみ。言ってくれてありがとうございます。って心境だ。
それだけの揺るぎない力が南チーフの技術にはあった。
南チーフは誰彼かまわずに悪い所があったら注意する。
チーフパタンナーの桜井さんにも、気にせず言うのだ。もちろん課長にも言うし、専務にも社長にも言う。
でも、誰も南チーフの事を嫌っていなかった。
会社にいる全員が南チーフの事を尊敬しているようだった。
しかし、それはそれなりの高い技術を持った人で、杉崎さんには分からないようだった。