昨夜からパソコンと格闘しています。

折角書いたブログの記事が、どうしても投稿できない・・・なんでだ

何がエラーなのか判らず、ためしに書いてるこの記事も載せられるかどうか。

この頃何となく、己を振り返って無力感を感じているだけに、

これしきで挫折したら、またしばらく冬篭りになってしまいそうなので、

何とか上手くいくように、願いながら書いてます。


青森在住の93歳の竹浪正造さんが、56年書き綴っている絵日記、

昨年、テレビの『ナニコレ珍百景』で紹介されたものが、本となりました。

昭和19年に結婚され、息子、娘が生まれて昭和30年から、記録代わりに、

書き始めたものだそうで、絵日記ですから、その頃の生活のようすが、

懐かしく偲ばれる、まさしく私の世代のリアルタイムです。

家族が家族として穏やかに幸福に過ごした時間、

私とはちょっと違うけど、あの時代の健全な家庭の姿が、そこにあります。

奥様や次女を同じ62歳で亡くされたり、勿論この世代ですから、

戦争体験もあったり、諸々哀しみもあったであろう中で、社会人として

功なり名をとげたあとも、「つる(ハゲ)を励ます会」などと、ユーラスな会を

立ち上げたりしながら、矍鑠と自立していられる、素敵なおじいちゃんです。


56年間に書き留めた絵日記は、大学ノート2300冊余りにのぼり、

きちんと整理され、膨大な数ですが、貴重な歴史となる事でしょう。

しかし世の中には、色んな才能がありますね。

誰かに見せたくて書いたものではないのに、毎日コツコツと記録していった事、

温かくユーモアのある絵、読みやすい達筆

この方の生活は、日本人の市井の生活のお手本とも思われます。

「はげましてはげまされて 93歳正造じいちゃん、56年間のまんが絵日記」と、

サブタイトルのついた本、私も折に触れ励まされましょう。


それにしても、私には何にも無い、

何かこれからでも・・・・いいや何にも無い

悲しいかなそれが私、なんて開き直りながら、せめて成熟した大人に

なりたいもの、なんていい年した今頃、改めて思うのでした。

正造じいちゃんのご健勝を祈ります。


今年はうるう年、私の生まれた年もうるう年でした。

28日、めでたくも誕生日には、キタ家に居た仲間が、ケーキで祝ってくれました。

思い出してくれる人達がいることは、独り者にとっては、嬉しい事です。

家族の中でも私を含めて、二月生まれが三人いますので、

誕生会も、いつも合同です。

そうなりゃ一番に祝いたいのは、やはりシオです。

なんたって、1400グラムという、ティッシュの箱くらいのサイズで生まれて、

保育園、幼稚園と、皆勤賞を貰うくらい元気に成長している根性娘。

今年は、いよいよ幼稚園の年長になるのです。

絵を描いたり、字を書いたり、トランプが大好きで、「神経衰弱」や「ページワン」

「七ならべ」「ばばぬき」なんでも、手加減せず相手になります。

母親の仕事の関係で、みんなより長く幼稚園に居ますが、

健気にがんばっています。

この子を見ていると、「何かに守られている・・」と、感じるのです。


先日、シオと図書室で、本を読みました。

『泣いた赤鬼』 浜田ひろすけの代表作で、心優しい鬼の話です。

『これ知ってるよ』と、劇で見たと教えてくれましたが、読み聞かせているうちに、

目頭がウルウル・・・昔から読み聞かせすると、どうしてもウルウルしたり、

『かわいそう象』なんて、何回読んでも、涙が滂沱のごとく溢れて困ったものでした。

娘達はそこに来ると、私の顔ばかり見ていたものです。

読み聞かせの、ボランティアをしようと思ったときもあったのですが、

どうしても、感情移入が激しくて、無理だと諦めました。

年を重ねて、もう大丈夫だと思っていたのに、やっぱり駄目でした。

日頃、ケンカや揉めごとで、泣いたりする孫達に

「女は泣いては駄目、泣いても何にも解決しない」なんて、言っていましたから、

不覚にも流れ出た涙を、誤魔化すのでした。(ちょっと違うか・・・)


Reiko cantabile



明日から三月というのに、雪がしんしんと降りました。

横浜の郊外は、10センチも積もったようです。

生協の配達の若いお兄さん、最後の我が家には夜九時頃になりました。

「大変ね、気をつけて帰って・・」と声をかけましたが、

働く人たちはみんな一生懸命です。

雪の事故が起きませんように・・・・









懸念されていた、天皇陛下の心臓手術も無事に終わられました。

美智子皇后さまの、ほっとなさったご様子に、私たちも本当によかったと、

思いました。国民の不幸に、お心をよせられる真摯なお姿には、

ご公務とはいえ、その心労は、いかばかりかともおもわれ

震災の一年目の慰霊祭に参加されたいと願われる、お二人の

お気持ち、その純粋な想いに、只、感動いたしています。


一年も経とうというのに、被災地はどれほど立ち直っているのでしょうか。

瓦礫処理の、協力を求められているのに、東京都と、静岡島田市しか、

受け入れているところは無く、神奈川県も、受け入れを決めたけど、

地元の反対で、頓挫しています。

放射能の影響を、心配するのも分かるけど、「絆」やらなんやら口で

言ってるばかりでは、何の足しにもならないのではと思うのです。

瓦礫が始末できなければ、何も手がつけられないのですから、

最大限の安全を確認して、気持ちよく引き受けようではありませんか。


反対意見に、石原都知事は「黙れと、言えばいい」と、言いましたが、

黒岩県知事には、そんな事言えるわけもなく、只、只、理解を求めていくと、

声を詰まらせましたが、どうすれば頑迷で聞く耳持たない、反対の人たちを、

納得させる事ができるのでしょうか。

原発は、日本全体の問題です。いままで恩恵を受けていたのですから、

そのリスクも共に負いましょう。どれほどの影響があるというのでしょう。

福島では15万人が、住みかを失い、又、未だ収束していない原発の

近くに生活している人々も、居るではありませんか。

汚染から子供を守るということも、風評被害を懸念するのも分かるけど、

今の日本はとにかくみんなで、力を合わせて進まねばなりません。

自分たちの迷惑にならない事ばかりを、声高に言うのはエゴではないでしようか。


慎重に出来るだけ迅速に、被災地の方々の力になれること、考えましょう。

黒岩知事も、どうかめげずに進んでください。

私たちも、あの震災の記憶を、もう一度思い起こし、

せめてゴミの始末のお手伝いくらい、なんとかしたいですね

口ばかりでなく、態度で示して行きたいものです。






土曜ドラマ「キルトの家」ご覧になりましたか・・・・

山田太一が書き下ろしたドラマで、いつもながら面白く見ました。

高度成長の頃、働き盛りの人々が、住んだ団地も、今は高齢者の

目立つことは、何処も同じに感じられます。

そこを舞台に、駆け落ちをしてきた若いふたりと、人の世話にならない自立した

生き方を目指す、変わり者と周囲から見られている老人達との、

ふれあいは、初めこそ敬遠していた若者も、次第に心を開いていきます。

そこにたどり着くまでに、震災の経験も目の当たりにした、若い二人は

兄嫁と義弟という関係だったのです。


山田太一という方は、時代の空気をよく知る方ですね。

あの名作「男達の旅路」 「岸辺のアルバム」 「想いでづくり」

そして「今朝の秋」 「ふぞろいの林檎たち」 「遠まわりの雨」等々

オンタイムで見た、たくさんのドラマは、どれも時代の今を、

描き考えさせられました。

そのなかに描かれる人々の、悩みや喜びや信念は、とても健全であり、

共感出来るものです。

「キルトの家」も、年を重ねて来た者たちの頑なさや、折り合いの付かない、

諸々の感情に、寄せる眼差しは優しく、しかし僅かでも、生きる希望を

感じさせられ、「そうだよね・・でも生きていりゃこそ、なんとかなるさ」と、

思えるものでもありました。


いつ何が起きるか判らない、いいえ、何かが起きるのが当たり前、

年寄りになればこそ、その変化をいつでも受け止めていく覚悟が、

いつのまにか、できて来るのだと言うことを、私たちも思い知るのですが、

このドラマに登場するお年寄りの、人生をたどる独白がそれぞれ圧巻です。

年取った個性的な美人は誰、と思ったら、懐かしい緑魔子さんでした。

若い二人は、杏ちゃんと三浦貴大くん、ともに二世俳優ですが、

とても魅力的でした。これからが楽しみです。

とくに貴大くんは、声と笑顔がお父さんにそっくりでした。
山田太一氏のドラマ、もっとみたいですね。

どこかで再放送してくれないでしょうかしら。

あの「想いでづくり」なんて、改めてみながら、あの頃の時間を

たどって見たい気がしますね。




日本海側では、大雪です。

どれだけ降れば気が済むのか、天の神様に聞いて見たい。

年老いてきた義兄達の住む、長野の北部は雪に埋もれています。

雪下ろしに苦労している事でしょう。

昨日、古牧温泉から帰ってきました。

行く前から、「大丈夫?・・」とか「滑らないようにきをつけて」とか、やけに

周りの人たちが心配してくれてました。(よほど危なっかしくみえるらしい)

しかし、三沢市にある古牧温泉は、太平洋側なので、雪もそれほどでは、

ありませんでした。寒さは昼間でも零下三度ほどでしたけど・・・・

三日間のんびりと過ごしました。

雪景色も、屋根からツララが滑り落ちる様も、時折、横殴りに降る粉雪も、

しっかり堪能しながら、とろりとぬめりのある温泉に、しっかり浸かりました。


ホテルでは、津軽三味線や民謡ショウ、そして様々な地区のねぷた囃子の

演奏、ハネトとよばれる踊り手の実演など、毎夜楽しいものでした。

「ラッセェラ ラッセェラ ラッセラッセラッセラー」の、掛け声を

一緒に叫び、手拍子も賑やかに、東北の祭りを味わいました。

津軽三味線の音色は、力強くお腹に響くようですが、そのなかにも独特の

哀調が感じられ、ジッと聞いていると、厳しい冬の寒さに耐えて、エネルギーを

蓄えていく人達の、哀しみや喜びが胸に染み入るようでした。

最近は何度か東北に来ていますが、やはり冬の今が、ここで暮す人々の、

生活が、実感として感じられて、あと少し頑張って欲しいと願うばかりです。

とはいえ、私のような他所からの旅人は、のれそれ(一生懸命)に、

持て成してくれ、「あずましくしてって」(ここちよくしていって)と、言ってくれる、

応対に、のんきに気持ちよく、過ごしてきただけなのですけどね。


一人で何でも出来るのは、いつまでなのかしらと、考えます。

誰かの手助けが無ければ、無理となったら、もう旅行はしません。

それまで悔いのないように、出かけようと思っていますが、

余り周りが心配すると、今の私の状態は傍目には、それほどひどく、

見えるのかしらと、思ってしまいます。

ですから要らぬ心配は、どうぞなさらないで下さいな。

花笠を被り、一緒にはねたキタ夫妻、息を弾ませながら、

「70代の私たちには、これは無理・・・」と、

タイジさんは、ふくらはぎを痛めたと、湿布を貼っていましたっけ。

それでもみんな楽しく満足の旅でした。



Reiko cantabile

Reiko cantabile

Reiko cantabile
 雪道はコタツ馬車に、

 きららが庭を、案内してくれます。








Reiko cantabile

Reiko cantabile



Reiko cantabile
 



   どこではねてるか、わかるかな。 

雪下ろしに大変な思いをしている人々には、申し訳ないけど、

横浜に降る雪は、ちらちらと・・・きれいでした。

初雪に間をおかず、昨日降った雪も、今朝は凍結で道路を歩く人たちを、

大分悩ませたようで、首都圏では、滑って怪我した人がたくさんいたようです。

ニュースで見てましたが、何故こんな時に、ヒールや革靴で歩いたり、

自転車で走ったりするのでしょう。

雪を知らないというか、なめているのですね。怖さを知らないのが怖い。

私のように外出する必要の無いものは、こんな時は家から出ないことです。

滑ったりして、ひと様にご迷惑をかけてはいけないですもの。

窓から降ったり止んだり、日が差したり翳ったりする様子を、

時々眺めながら、じっとしていましたよ。週末、青森の温泉に出かける予定も

あるので、体調は整えておかねばなりません。


由紀さおりさんの歌が、世界で躍進しているそうです。

ダルビッシュやテニスの錦織くん、なでしこジャパンのほまれちゃんも、

その活躍は嬉しいですが、中年の由紀さおりさんの歌声が、

海外で、評価される事は、むしろその実力から当然と思われます。

アメリカのジャズバンド ピンクマティーニとの共演は、今年は日本でも

見られるでしょうか、楽しみな事です。

テレビで、童謡「私のお母様」を、歌っているのを、懐かしく聞きました。

これは、私が小学三年生の頃、ラジオの子供のど自慢に、どういうわけか、

ふたり選ばれ、学校代表で出演する事になり、学校の授業の合間に、

音楽室で、男の音楽の先生に、猛特訓を受けたものでした。

熱心な先生で、時間中にも一人呼び出され、担任に嫌な顔されたり、

みんなから特別扱いの視線で見られて、とても嫌でした。


それに私の歌、「やさしいお母様」は、何度、歌ってても好きになれず、

もう一人いた子の♪月夜のお庭の花畑 仲良しちょうちょは花のうえ♪という

歌のほうがいいと、思ってました。

体育館で行われた公開放送、私はいつもの普段着でしたが、出演する子は、

みんなお洒落して、よそいきの可愛い洋服で、もう一人の子は特別に又、

水色のベレー帽を被って、エナメルのクツまで履いていました。

そのことで先ず、私は気後れしてしまったのです。

なにせ子供でしたから・・・・結果は鐘二つ、あんなに練習したのに。

鐘二つよりも、私にもよそいきはあったのに、母が着せてくれなかったことを、

恨めしく思ったのです。

「いつもどうりで、いいですからと、先生はおっしゃったのよ」と、

母は澄ましてましたが、それでもよそのお母さんは、ちゃんと晴れ着を用意

したではありませんか、私は母の冷たさを恨めしく思いました。

由紀さおりさんの、お母様の厳しかったお話と、透き通る歌声を聴きながら、

私にも数少ない、母との思い出のに、ひたりました。

でも今時、こういう歌は歌われない事も無理ないですね。

この歌詞ですもの、なんか笑っちゃいますよね。



 私がおねむになった時 やさしくねんねん子守唄

   歌って寝かせてくださった ほんとにやさしいお母様


 夏はねびえをせぬように 冬はお風邪をひかぬよう

   おふとんなおしてくださった ほんとにやさしいお母様

 

 私がおおきくなったなら ご恩をおかえしいたします

   それまで達者でまっててね ほんとにやさしいお母様











今日は朝暗い中で、神戸では、鎮魂の祈りが捧げられました。

震災から17年。悲しみの記憶は薄れる事はありません。

たくさんの人が、手をあわせ頭を垂れ、祈る姿は、胸を打ちます。

祈るという行為は、人が出来る一番美しい姿ではないでしょうか。

心を無にして、祈りの形をとるとき、目に見えない何かに、

身をゆだね敬虔な気持ちになるはずです。

神戸のともし火は、人々の祈りの中で、揺れていました。

復興した神戸の人々が、被災した東北に寄せる熱い支援も

頼もしいものです。

これからも、共に祈り進みたいと思います。



彼は、ずっと昔から、そう小学生の頃から、その女の子が好きでした。

女の子の兄と同じ年で、貧しく辛い境遇の中で、兄妹のように育ちました。

女の子の父親にも、恩義がありました。

大人になった女の子は、不倫のはてに、子供を身ごもりました。

一人でお腹の子を育てようと、心に決めていました。それを知った上で

「結婚してくれ」と、彼はプロポーズ 「そんな事出来ない」と、娘は言います。

どうしたらその娘に、自分を受け入れてもらえるか・・・・

高価な花は送れない身の上、考えた挙句、

道端に咲き乱れている黄色い野草のオオハンゴ草を、

毎日毎日摘んで、娘に送ります。

周りの人たちに、訝しがられながら・・・

娘の部屋は送られてくる黄色い花で、一杯になっていきます。

あの、百万本の薔薇の歌のように。

夕べの道で花を摘む男の上に、晩鐘が聞こえます。

彼はそっと指を組み祈るのでした。自分の想いが娘に届くようにと・・・・

これは、あの「北の国から」正吉くんです。

男気があって実直で大好きなのです。

「時代」の中で、蛍と結婚し、五郎さんを、

大喜びさせるすごく、良い奴なのです。



                             


彼が、夕暮れの晩鐘の中で祈る姿は、ミレーの絵よりも美しく、素敵でした。

しばらく振りに、観返したドラマ「北の国から」。

良いドラマは、何回見てもいいですね。心が洗われます。








恒例の どんど焼も七日に行われました。

年初め、それぞれのお仲間との顔合わせが、賑やかに終わりました。

今年もよろしくと・・・それぞれにご挨拶しました。

最近では、みんな揃えば、いつものように、お酒とともに、ワイワイと

学生時代の同級生のようなノリに、なってしまいます。

そして昔の歌声喫茶「ともしび」のように、懐かしい歌、唱歌、ロシア民謡、

青春歌謡、の大合唱になるのです。

忘年会も、クリスマス会も、新年会もそうでした。

カラオケが無くたって、みんな歌詞カード片手に、

男性コーラス、女性コーラスとそれは真面目に、楽しそうに歌います。

今年も元気に、遊びましょ、忙しくなりそうです。


「一人でお邪魔します。何にもしなくていいから、布団だけよろしく」と、

ユウから電話です。

お正月は、彼のベットの下に、寝かせてもらいましたから、むげにも出来ません。

夕飯の、ポトフを食べながら、ipod。 ipad。 iphone。 などの、取り扱い方と、

その違いを、レクチャーしてもらいました。

日頃、目や耳にしてながら、良く判らないものでしたから。

「ふぅーん」と、世の中の進歩を、只、只、感心するばかりのばばちゃんです。

家でのぶっきら棒な会話や、口数の少なさを、親は心配してますが、

私が「ねえ、それはどう違うの」と、聞くと、面倒がらず、

きちんと説明してくれます。どんなことも、判りやすく丁寧に、

そうだよね、毎日顔を合わせいてるわけではないもの、私とは・・・・


四、五年前の面影は何処に消えたか、近頃、思春期神経性大腸炎に、

悩まされているというのが、気がかりですが、ほっそりとした身体つきと、

小顔は、今時の男の子を思わせる15歳となりました。

これからも、色々教えてね。これはユウに聞こうと、思っていた事を、

忘れてしまう事もあるけどね。「なんだったっけ・・・」なんて、

二胡のビブラートの掛け方も、じっくり教わろうと思っていたのに、翌日は

朝早く、ギターの部活へと、出かけてしまいました。

後姿を見送っていたら、曲がり角で振り向いて、小さく手を振りました。

そんなところは、以前のまんま変わってなく、とても嬉しく思いました。


どんよりとした空模様の冷たい日、何も予定の無い週末です。
何故か思い立って「北の国から」のDVDを出してきて、

「95 秘密」と「97 時代」を半日観てました。

純や蛍や正吉君たちが、ユウと重なったのかもしれません。

やはり若さっていいな・・・どんなに至らなくとも未熟でも、

それを眺めているだけで、元気になれる気がします。

寒さが身に染む、もう小正月です。




皆様、明けましておめでとうございます。

今年こそ災害の無い、穏やかな年でありますように、願います。

どんなお正月をお過ごしでしたでしょうか。


私は只、気ぜわしく慌しく、過ぎた三が日でした。

自分の城に戻ると、何故かどっと疲れが出てしまいます。

若者達と接する事は、ある意味刺激的ではあるけど、その分非常に

エネルギーの要ることと、最近気づきました。

いかに日常が穏やかで、少々退屈だとしても、その中にいる自分が、

やはり一番幸せなのだと、改めて思うのです。

昨年は「絆」という字が、選ばれてましたが、「絆」とは家族は勿論、

身近に居る人たちとも、大切にせねばならないものなのです。

たまに面倒くさかったり、或いは鬱陶しく感じたりしながらも、

手放してはいけないものなのでしょう。


付かず離れずが一番いいと思います。

互いを思いあいながら、自身も寄りかからずに居れたら、

どんなにいいことでしょうね。

困った時や、寂しい時、辛い時には、さりげなく寄り添い、助け合える、

そんな「絆」で、ありたいです。

夫と別れた17年前は親子三人でした。

今、ムコサンを入れて9人となった正月の食卓は、それは賑やか、

この人たちとの「絆」に、感無量です。

娘や孫達にとって、いつも甘いばかりの私ではないのです。

嫌われたって、言いたいことは言いますが、

でもこの世で唯一無二の、理解者になろうと思っています。


成長していく孫達の、勢いに戸惑いを感じながらも、

それを受け止めるエネルギーが、まだあることを感じて、

「よーし」と、我が身と我が心を奮起させていますが、

やはり静かなねぐらに戻ると、「ここが一番・・・」と、思う正月です。

「帰ってきたの・・・」と待って迎えてくれる友もいるし、

そして戻ってきた日に、みた夢に、キヨシさんが出てきて、

又、嬉しい私なのでした。

今年も、どうぞよろしくお願い致します。




押し詰まり、御節の支度を始める前に、今年の総括をいたします。

三月に起きた、あの未曾有な震災後、一時は全て虚しく、悲しく感情の

コントロールが出来なくなった時期がありました。

それは私の、人生観さえ大きく変えてしまうものでした。

そのことに触れると、思考が停止になってしまうので、ここでは辞めておきます。


手仕事をよくしました。

古い着物を解いては、リフォームして手当たり次第、作りました。

針箱は常に目の前にあり、袋物からワンピースまで、ひたすらチクチクと、

縫いました。 そのせいでしょうか

手の指が腱鞘炎になりかかったり、視界に黒いものが飛ぶようになったり、

私の悪い癖で、何でもやりすぎてしまうのは、良くないと気づきました。

そして二胡に取り付きました。

良い音が出るまで、大分時間が掛かりましたが、近頃はすこしはましに、

なってきた気がします。しかし・・・芸術?は奥が深い、

「なんてすてき」と、感動させるには、まだまだなのです。

只、演奏できればいいと、いうものではないので、もう少し時間が掛かります。

精進いたします。いいな、この精進という言葉、・・・・謙虚で。

「絵」も「花のアレンジメント」もやってはいますが、これは精進するなんて

ものではなく、楽しみだけのものなのです。

自分が楽しめればいいと思っていますから・・・


旅行も身近に居る良い友達のおかげで、たくさん出来ました。

そして歌の会やら、踊りの会やらも発足して、新しいお仲間とも知り合えました。

心境の変化は、孤独感を全く感じなくなったという事でしょうか。

よく涙も流しましたが、多くの哀しみに対してのもので、自分では、

痛む身体と共に、「よく頑張ったね」と自分を誉めてあげたいと思ってます。

元気になるためには、先ず自分を認めてあげなくてはと・・・

少々甘いですが、自己評価をして見ました。

良くも悪くも今年は忘れられない一年となりました。

皆さんは、どんな年でしたでしょうか。

又来る年も、目をしっかりと開いて、たくさん物を見つめ、考えられる、

時を過ごしたいと願っています。

良い年をお迎え下さい。