僕が住む街。そこでは、、、

 

 

 

いや、正確にはきっと、あなたのそこからの窓からみた風景からしたら、、、くっそ田舎の村。里の風景だ。けど、今。激しく雨が降っている。僕はこの音、エネルギーに触発されるんだ。この激しく降る雨の前には、カエルがゲコゲコ。、、、何かが始まる・・・・

 

 

そんな雰囲気と、感覚は正しく。

 

 

物の見事に、この雨だ。。。あなたの住む街はどうだろうか!?

 

 

今、雨は降っているだろうか!?、、、なんでもいい。何か、感じているだろうか。車が走る音は?聴こえているかな!?それとも、電柱に群がる虫の音か。いや、、、きっと、付けっ放しのテレビの音か、送電線の音かもしれない。何もかもが、狂っている。。。。

 

 

僕にはそう感じている。

 

 

けれどもこの、揺らぎの中で、真実はあるだろう。そう、あなたが求めていない、影に光を投じないだけで、きっともう既に見えている、氣が付いていることがあるハズだ。どういうことか、それは、、、ハッキリ言うのなら、あなたはその"揺れない、ブレない"に執着しているってことだ。

 

 

「何も感じないようにしよう」。きっとこれが、あなたの思考が行き着いた先の答えだ。それは、その(あなたが生きる日常という狭い世界の)恩恵なのかもしれない。けれど、、、世界はあなたが思うより、よっぽど広い。それに、ある意味で"闇は深い"。

 

 

 

 ならば、探求するマデじゃね!?

 

 

 

僕は今、あなたの"魂"を揺さぶっている。だから、ぶっちゃけ、あなたの"自我やエゴ"はどーでもいい(もちろん、あなたのエゴも、自我も大切な存在だよ)。なぜ!?揺さぶっているのか。それは、紛れもなく、これをここまで書いている、僕が、、、

 

 

その"魂の揺さぶり"を必要としているからだ。

 

 

そう、あなたは僕にとっては、「自己投影」だ。この記事を観測してくれる大切な存在だ。ならばと、思いっきり、あなたを触発したい。。。けれど、それは、もちろん、これを読む"、あなた次第"だ。だから僕はこうして、"今"感じている、、、

 

 

僕にとって一番触発される、、、、

 

 

"激しい雨"のことを冒頭に書いてみた。この情熱、、、全然、伝わらないだろう。だって、これを書いている僕のタイミングと、あなたの環境が違いすぎるからだ。しかしきっと、あなたにも訪れるだろう。「よし、やるか」とか、「うん、そろそろ動くかな」みたいな感覚のことだ。

 

 

それがきた時には、、、

 

 

この(今僕が感じているような)激しい雨のように、「打って、打って、打ちまくって」みてほしい。激しく、、、今は、、、そんな氣分じゃない!?かもしれない。ならば、ゆっくり休んで、休んで、休みまくって、たくさん寝て、、、ダラダラして、、、

 

 

 

 

 その時をただ、待っていればいい

 

 

 

そして、その溜め込んだ思いが募りに募った時に、この"現実(という比喩の世界)"に表現してみればいい。ただ、流せばいい。タレ流せ。なんでもいい。いいかな!?そのまま。そのまま、、、あなたは、今のままで充分に価値がある。なぜか!?なぜなら、、、

 

 

(証拠が欲しいかな!?)

 

 

僕のこの殴り書きみたいな、"感情むき出し"みたいな記事を、ここまで読んでくれている。その"あなたという観測者(存在)"がいなければ、、、僕のこの記事は、存在しない。意味がないし、意味を持たせることができない。でしょ!?

 

 

ゆっくり休めって。

 

 

龍戯

 

 

P.S.

もし、必要なら話を聴くよ、、、