とあるチンパンジーのアブノーマル

とあるチンパンジーのアブノーマル

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ゆたにの記事を見ました。







わたしはずっと、


ゆたにに頼りっぱなしで


生きてきたつもりでした。




力になるのはおろか


いつも力を貸してもらいっぱなしで


何の支えにもなれてないと


そう思ってました。




実際、わたしは


ゆたにが居なかったら


こんな風に生きていられてなくて


笑っていられてなくて


大事なことにも気づけない


未熟すぎる人間だったと


今、思ってます。




中学生になって


わたしたちは同じようなタイミングで


同じぐらいの大きな壁に


正面からぶつかりました。




それは、簡単に突き破れるような


脆いものではなくて


2人でもがきました。


お互い口にはしなかったものの


ずっと死にたいほど辛かったです。




わたしは、


ゆたにと一緒にいるときこそ


普段通りに振る舞えたけど


そうじゃなければ


何もかも塞ぎ込みたくなるような


そんな気持ちになりました。




自分だけの空間以外は


気持ち悪くて


歪んで見えて


投げかけられる言葉は全て


自分を否定する言葉に聞こえました。




他の誰でもない、


私だけに向けられた


私を否定するだけの


重たく汚い言葉だと


感じていました。




誰と会話してもそうでした。


親と話してみても


価値観のちょっとした食い違いに


ものすごい歯痒さを覚え


またすぐに周囲を塞ぎ込みました。




そんなだったわたしが


やっぱりゆたにとなら


それまで通りの


自分でいられました。






ほんとに、


感謝しかありません。






あまり、


言葉で伝えるのが


上手ではないんですけど


ゆたに宛に書く手紙には


素直な言葉を紡いで


その時の自分のすべてを


託しました。




それの手紙をゆたには


一通も逃がさずに


大切に持っていてくれています。




時々、


ゆたにの部屋で2人、


「あのときにくれた手紙だよ、」


って、話します。


その時々の手紙を読んで


ひとつひとつの場面と


空気を


2人で蘇らせます。




その時に思うのは


わたしたちはずっと


2人で寄り添って


お互いの手を


強く握ったまま


歩いてきたのだな、


ということです。




お互いにとって


お互いが必要不可欠で


一瞬たりとも


疑いや嫌悪感を抱かず


自然体のままで


接していられる。




こんな関係、


とても素敵なものだと


深く思います。




大事なものは


失ってから気づくと言いますが


少し違うと思います。




本当に本当に


心の奥底から大事なものは


失う前から大事です。




失うまで気づけない


「大事」


なんて、


少し空しいです。











ゆたにと


関ジャニ∞と


幸せ記念日のメンバーと


家族と


色んなことを感じてきました。




そのすべてが


今のわたしの一部となって


心の支えとなって


背中を押してくれています。








仲間と言うのは


よくあるフレーズですが


ほんとに信じられる仲間は


そう簡単にできるものではありません。




その、本当の仲間がいるわたしは


それだけで幸せです。















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