皆さん、こんにちは。


関東も梅雨入りして、気候が不順な毎日ですが、お元気でお過ごしでしょうか。


色々と皆様にご心配おかけしておりましたが、6月6日夕方に、母が息を引き取りました。86歳でした。

私と孫たちにも囲まれて、穏やかに旅立って行きました。


4年前、私より1年遅れて乳がんが発見され、すぐに手術で摘出しました。

が、私と異なる種類の乳がんで、大変進行の早い悪性度の高いものだと告知されました。

拙著「それでもガンはやってきた」に、その時の様子を描いてあります。


1年後、肝臓と肺に転移が見つかり、抗がん剤治療が始まりました。

週に1度点滴を打ち、2回打つと1回休むと言うペース。

新薬だったので思いの外効果があり、2年半治療を続けました。


横浜市大病院での通院治療でしたので、しんどい時もあったと思います。

髪が抜け、ウィッグを作りました。

体重も20kg減ってしまい、服も靴も入れ歯もサイズが合わなくなりました。


でも鈴が実家に行って車を出すと、母は黙々と仕度をして治療を続けてくれました。


帰りに上大岡の京急百貨店でお買い物をするのが、何よりの楽しみだったと思います。

帰宅すると、「ありがとうございました。助かったわ。」と毎回言ってくれて、親なんだから当然だよ~と言っても必ずお礼を忘れない人でした。


母は、こう言った悪性度の高い癌に罹ったことを聞いても、そのことを恨んだり、悔やんだりすることは1度もありませんでした。

ただ事実を受け止め、出来る限り病気と向き合い、生き抜いて行きました。


鈴に見せなかっただけかも知れませんが、不安もたくさんあったと思います。

でも、どんなときも誰に対しても、明るく、最期まで笑顔を絶やさずに居て、多くの方に愛されていました。


昨年秋には癌が脳に転移し、今年の3月になると話すことが出来なくなりましたが、それでも笑顔を絶やさず淡々と穏やかに過ごしてくれました。

家族はそんな姿にどれだけ救われたことでしょう。


亡くなる前日、病院に行くとほとんど反応もなく眠ってばかりいました。

話しかけてもあまり反応がなく、時折鈴が手を握ると握り返してくれましたが、目を開けることはほとんどありませんでした。


幸い個室でしたので、鈴の息子と娘が付き添うことが許されました。

そして翌日の夕方、少し呼吸が乱れてきたなぁと思っていたら、すぅっと呼吸が止まり瞼をぎゅっとつぶって、本当に眠るように逝きました。


「お母さん、私を産んでくれてありがとう。育ててくれてありがとう。あなたの娘で幸せでした。」と告げて、お別れしました。


元気だった頃の母と


人の人生に関わる仕事をさせて頂く中で、母の介護をさせてもらった経験はとても勉強になりました。

納得のいく人生の終わり方、鈴も母の様にいつも穏やかでありたいと思います。


合掌



対面のカウンセリングセッション、講座などは6月15日より順次開催致します。

横浜サロンは、当面の間、母の納骨が済むまで閉鎖となります。

ご了承くださいませ。


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