見も蓋もない話だけど、大概の子供は親が期待するような自走なんてしない。


養老孟司先生も「バカの壁」で仰ってる通り、子供は人工物でなく自然そのものだからだ。

本当にうまいことを言うなぁ。

自然をコントロールするなんてできないし、こちらの思う通りの流れにできないのは明白だ。


人から一方的に与えられた勉強を好き好んでやるなんて不自然だ。


でも、小学校にはいれば毎日宿題を出されるし、

習い事を始めれば宿題や課題をこなさなきゃならない。

それはもうやりたくなくてもやらなきゃいけないわけで、たいていの子供は嫌々ながら「しゃーねーな、やりたくないけどやるとするか」と心のなかで呟いてぼちぼち(だらだら)やるわけである。


で、世に言う「勉強習慣」というやつは、そのやりたくないことでも自分のなかで折り合いをつけて諦めてやることによって、日々のやりたくないモード思考をいかに打ち消していくかという習慣に尽きる。


能力は生まれながらに決まっているのならば、平凡な、所謂一般的な能力しかなく、その上で均一な教育を受けなければならないならばそういう自分の心のベクトルを変えていくしかない。


嫌でも続けるための方法に関する本なんて巷にゴロゴロ転がっているのでそれを読んで工夫することが可能だ。

巷にあるダイエットと同じで心酔して信者になれば一定の効果はあるし、それに飽きれば(効果が薄くなってきたと感じたら)他のやり方を試せばいい。

自分が気に入る方法を見つけるのも楽しい。

まぁ、基本的に人から与えられる課題をこなす継続力のもとは執念である。


そんな小手先で凌ぐしかないわけだけど、

一つだけ小さい頃から身に付いていると絶対に何事においても有利というか自分の身を助けてくれるし、積極的に親が関わり助けるべき事は読書習慣をつける事だと思う。

これは小手先では身に付かない。


何度もこのブログで紹介している「プルーストとイカ」にかかれている通り、読書によって後天的な脳の神経経路ができるからだ。



文字を読んで理解することはほぼほぼ訓練だ。

しかも自分の好きな本を読んで楽しみながらできる習慣付けだ。というか、楽しみながらでないと続かない。


でもそれでも子供が読書習慣を自走して身に付けるなんて考えない方がいい。

その読書習慣はほとんどその子供の親の執念の賜物だと考えた方がいい。


それこそ養老孟司さんの時代はテレビゲームもネットフリックスもYouTubeもないわけで、

あるのは溢れるほどの自然と自由だったわけで、

そんな状況で楽しいのは虫取と読書になるのなんて当然の流れだし、

それこそ読書習慣が自走で手に入ったことだろう。


でも、いまは違う。

SwitchやYouTubeなんて小学校に上がる前から親公認で子供が触れられる時代である。

さらには、自然なんて虫がいるから嫌い!と子供ではなく親が言い出す時代である。

(これらは大袈裟ではなく娘の幼稚園時代に見聞きした私の実体験なのでたぶん一般的なのだと思う)

そこから読書習慣への道に辿り着くにはかなりのロスタイムが生じるだろうという結論に至るのは難くない。

なぜならば、子供が小さい頃から読書習慣へのロードマップを考えて行動している人は共通してわかっていることだと思うけど、時間は有限である。

つまり、読書の時間を作ること=静かな環境の時間を作ること=TVやYouTubeなどデジタルの時間を減らすことに自ずとなるからだ。

もちろん、そういうお母さんはゲームの導入をためらう傾向が多いと思う。


まあ、でも、これは余談だけれども、読書とは関係なく、キャンプやスキーや海での自然体験は「一歩間違えたら人は簡単に死ぬし、自然はそれだけえたいの知れない大きな存在だ」ということを身をもって知ることができるので、ホテルに滞在してサービスの質に悦にいったり、逆に些細なことをチェックするようなちまちました日常の延長を体験するより得るものが大きい気がする。

海よりプールがいいとか虫がいるからいやだとかいう都会思考の延長にだけ楽しみを見いだしていると物事を図る物差しが金銭感覚しかないような世界観に繋がるような気もする、


さて、では、自分のこどもに読書習慣をつけようとする母親の執念とはいかなるものか?

それは以下の通りである。


毎日大量に擬音のみの絵本を読み聞かせ、

やっと単語のある気が狂うほどの繰り返しの表現の絵本に移行し、

それでもめげずに続けると1つも意外性のない単調なストーリーのある話を読めるようになり、

文字数が増えてきて喉が枯れるほどハードな読み聞かせになってきても続け、

自力読み(我が家では娘が私に自分が読めることを隠していた)を始めても読み聞かせをせがまれ、

今度は自分で読んだ方が早いから読んでくれるなと言われ、

たくさん読んでいるうちに、こういう、すぐ読んじゃうような字の少ない、話がおもしろくないのはもうよしてくれと言われ、

ここまで字ばかりなのはやめてと言われ漫画を借りるようになり、

漫画の大量読みをすると今度は児童向けライトノベルを読み出して、やがては本格的なライトノベルも読み出して、

ハリーポッターやダレンシャンに至る。

そして、

まだまだ伴走の時期があることをめまいがしながら続けるのである。


なんで?そんなに急ぐことないじゃない?

そんなに頑張らなくていいんじゃない?

子供が読み出すときがタイミングなんだから待てばいいじゃない?そんな制限のある子育てなんてうちはしたくない。

という声が上がるだろう。


でも小さいうちから読書習慣をつけるまでのロードマップを想定した環境を整えてあげると、その子の世界がのびのび育っていくのを目の当たりにすることができる。


自ずとTVやYouTubeに頼らない日々を送れるし、

その子の興味の移り変わりを感じて一緒に楽しめるし、

思考力や世界観が変わっていき、

簡単に親の考えに対して客観的に見るようにもなるし、しっかりと自分の意見もいうようになる。(しかも幼稚な理論ではない)

独自の世界を作りつつあるのが近くにいてわかる。


結論からいうと、そこだけ頑張るべきなのだ。

そこだけは最低限、自走できるまで付き合うべきだと感じる。


だってほとんどの子供は自然物であり、自走なんてしないのだから。