1コマ目はこちらの記事。
これをアップしたときに、3コマ目のような感想を受け取り、もやもやした覚えがあります。
前世ってキラキラ素敵なロマンチックを想像される方も多いのですが、必ずしもそうでは無いんですよね。時代が時代なら余計に。
私の持論は
「前世で人を殺めたことの無い人なんていない」
です。
これは別に、私たちは生まれながらに罪人だと言ってるわけではなくて(それを前向きに捉えられるならいいんだけど)
悪の概念も時代により変わるし
だからこそ、世にはびこるニュースの加害者を、被害者を、当事者以外で誰が責めることができるんだろう。
ニュースじゃなくてもね。ネットの中でも、現実世界でも。
親でも子でも。
それよりもっと、意識するものは
「私」という存在なんじゃ無いの?
そして、現状を見る力と、できることをしていく地道さ。
先日、オンラインサロンのライブ配信で、因果応報について話しました。
まぁ、残酷といえば残酷な話なので、サロンメンバーは動画を見てもらえばいいんですけど
だけど、前世で人を殺したから、必ずしも今世で殺される立場になるわけじゃ無い。
因果応報の曖昧な点についても言及しました。
結局は、今をどう生きているかなんだよね。
その悪は本当に自分と関係ないのだろうか。
私たちは誰かを悪に仕立て上げるほど、立派な人間なのだろうか。
前世で高貴な役職だったからって、ドヤるほど誇れるものなのだろうか。
なーんてことを考えたよ。
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【3月10日のライブ配信】
◆お金に困る時は、なにを学ぶ時?
◆手から金粉が出るのは?
◆ご先祖様から見たらお墓は?
◆因果応報
◆因果応報は個人の行い。家系に出るのは呪いの類
◆先祖が買った恨みも祈りが届けば救いとなる
◆全てが因果応報なら、関係ないのに殺された人は?
◆前世で悪いことしたのに、今世は良い行いをする羽目になるのは?
◆前世が悪くても、今世の行いによって、守りが強くもなる
◆自助→他助→共助、の順(池上彰さんの言葉)