我が家の庭の花桃たちも綺麗に咲き誇っている。桜をはじめ綺麗な花々の季節到来である。新型コロナウィルスによる不安な状況のため、お花見は控えざるを得ないが、頭の中で綺麗な桜を思い浮かべてみる。どこの桜がいいかなぁ・・・と想像することも楽しい。パッと思い浮かぶところは…京都の円山公園のしだれ桜か、横浜の三ッ池公園か、はたまた桜美林大学町田キャンパスの桜…。もっと思い浮かべたいが、想像力が乏しいことに気づいた。桜が美しい林の学園については、私の世代くらいまでの方は、高校野球・甲子園関連でご存知の方も多い。1976年、甲子園初出場でPL学園をやぶって初優勝した、♪イエス、イエス、イエス♪という歌詞がある校歌、男性パートと女性パートから成る校歌、ということが話題になったこともあるようである。校歌が気になった方は、桜美林のホームページにアクセスしてください。
今年で創立100周年を迎える私の本務校の桜美林大学は、創設者のキリスト者、清水安三が、米国オハイオ州のオベリン・カレッジで学んだことに由来する。同志社を卒業した清水安三は、1921年5月に中国北京の朝陽門外に崇貞学園を創設し、貧しさの中で暮らす子女の教育に夫人とともに従事した。帰国せざるを得なかった戦後直後から清水は、町田の地に本拠を構え、「桜美林学園」で教育活動を開始した。
以下に清水安三の「建学の精神を核として」という拙稿の一部を示したいと思う。桜美林の大学教育開発センターのニューズレターに2015年に執筆したものである。学部時代の私は政治経済の経済ではなく、政治を専攻していたため、democracyや米国の”package aid”などを考察した文献も興味深く多少は読んだことを憶えている。昨今の緊張した国際環境について母と色々と話していると一人で一生懸命語ってしまう。じーっと聞いてくれる母に感謝である。話を以下の拙稿に戻す。
「建学の精神を核として」
清水を生涯にわたって支援し続けた人物の一人が倉敷紡績やクラレなどを経営した大原孫三郎である。戦後に帰国した清水は、孫三郎の子息、總一郎の支援も得て、オベリン大学に因んだ桜美林学園を創設し、次のような建学の精神を掲げた。「桜美林学園はキリスト教主義の教育によって、国際的人物の育成を目的とする。本学園の理事だった故大原総一郎博士はそのご生前、『百年後の日本』と題する懸賞文を募ってはどうかと、政府に提案されたが、果たして百年後に日本なる国が、世界の地図の上になおも存在しているであろうか、私はひそかに心配している。日本国民は、世界にかつてない非攻非戦主義のパシフィックな憲法を持っているが、果たしてパシフィスト精神を持っているであろうか。そこに、日本の存亡の問題が存している。日本国民が、軍備を用いずに祖国を護ろうと思うならば、少なくとも周囲の各国民の感情を害してはならぬ。常に、周囲の各国民との間に、意思の疎通を図るべく努めねばならぬ。では誰が、周囲の国民に、日本国民程にbeloved nation “愛好すべき国民”はないと、思わせ得るであろうか。それは、語学の達人である。よって本学は、我が国の周囲の国々の言語を教えんと欲するのである。更に、語学だけでは足りない。己を愛する如く隣人をも愛せよ、と教えるキリスト教を、みっちり教えるべきである。かくてキリスト教主義と語学、この二つをよく体得した人材を能うだけ多数教育せんとするのが、本学の建学の趣旨である」と。
清水安三のこの言葉は、今もってタイムリーであり、心に響くものがある。昔も今も、桜美林大学の特長なのである。
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国際的事項であっても、国内的事項であっても、はたまた個人間のことであっても、相手のあることは難しいことは確かである。理想主義は大嫌いという意見もあるだろう。理想と現実の間をどうするか…両立、バランス…大きな課題である。
ビル・ゲイツは、色々な問題はあるにしても、大きな流れで見れば、確実に社会はよくなっている、という趣旨のことを言っている。首肯できるが、素直に首肯することが難しい局面でもあろう。拙著の『大原孫三郎』についてレポートを書いてもらうと、「大原は金持ちだったから…」とか、「誰かできる人が頑張ってリーダーシップを発揮してくれることを願うばかりである…」というような行でしめくくる感想文のようなものもある。確かにそうかもしれない…しかし…である。幾多の障害にチャレンジし、乗り越えてきた先人たちがいる。表裏で揶揄されたり、批判的な言葉もうけてきただろう。好き嫌い、賛同する、しない、ということは勿論あるだろうが、考え、行動し続けた清水安三も大原孫三郎も部外者ではなかった。ビル・ゲイツもしかり、であろう。
(下の写真は桜美林大学HPから拝借)。
