なにをしていても

どんなときにでも


人の目を最優先に

気にする


とにかく

わたしは このことに

長い時間とらわれていました



わたしね

今でこそ笑えるけど


たぶん

10年くらい前だった


マンションに住んでいて

ご近所さんのお葬式に

参加する機会があった


同じ棟に住んでいる方の

お葬式だったので

数名のご近所さんと列席して


列席の一番前の席になってしまって

すわっていて

お焼香の時間になると

当時わたしは一番若くて

一緒に行ったおばさま方に

一番に行くように言われて


ご親族が見守る中

焼香台の前に

ひとり立ち


周りに葬儀場のスタッフも

目に入り

ガタガタ震えて

お焼香させていただこうと

思った時に

香炉が入っている焼香台の隣に

お数珠が準備されていて

このお数珠はお借りしていいものなのか

自分のお数珠で構わないのか

一瞬のうちに迷って

大人数の見ている前で

お焼香をした後

頭がぐるんぐるんして

お借りしようと

一瞬手にとったのだけど

自分も持っているから

そちらを使おうと

考え直し


手に取った

葬儀場のお数珠を

また元の位置に戻し


自分のお数珠で手を合わせた


その間、カチャカチャと

ひとり震える手で

不穏な動きをしていたわけ


あの時の緊張感と恐怖は

今、ふと思い出しても

恥ずかしくて


しばらくは

葬儀に参列させていただいた

ご家族に合わせる顔がないと

思って落ち込んだ


その後も

葬儀の前と同じに

お付き合いしているけど


その一件はね


わたしは

何をする時も

いっつもいっつも


自分が

何をしているか

人に観察されているような

気持ちがつきまとっていて



自分の思った通り

したいように

行動してこれなかったんだ


いつも

これがただしいのか

こうしたら

人に認めてもらえるのか


そういうふうにしか

動いていなかったってことを

象徴する出来事だったのですよ



「ちょっと緊張して

あわあわしちゃいました」で

済むことだと思うけど


わたしにとっては

消えてなくなりたいほどの

おそろしい出来事だった



そういう出来事にしているのは

自分であって

どうして

そんなに人の目を

気にして生きていたのか


そんなに

一つ一つの動きまで

自分の思う通りに

動けなかったのか




そして40代あたりから

ヒーリング

占い

エネルギー

などのいろんなことで

自分を家族を友達を

癒そうとまで考えて

学びに行ったのに

気がつけば

「それほど変わっていないかも」と

愕然としながら

それでも

なんとかしたいと

アンテナをはりめぐらせていたなかで



生きづらさの原因を

根本解決して

リバウンドしない心理学に

出逢って

やっと



わたしは

自分でえらんだものに

自信を持とう!!



人と違っても

わたしがすることは

悪くない!!



そう思って生きることに

決めたのです


決められるようになったのです



自分にOKを出すって

考えていると

めちゃめちゃ

難しくて

不可能に思えるけど



原因が必ずあるから

解決して

腑に落ちたら

知らないうちに

変わっていけるもの



以前のわたしのように

自分を責め続けることだけは

やめよう