愛されている証拠。

今の旦那さんと出逢うまでは、たとえそれが傷でもいいから欲しかった。


突然ですが、私は父から虐待されて育ちました。

父は病気でした。

父について、今思うと…あぁ、味方がいなかった可哀想なひとだな、と感じます。

ですが、私がそう感じるのは、生きているからこそ。そう思えるのです。

両親が離婚してからは、数回会ってから会う事は禁止になりました。

それは母が父に会うことに対し、気に食わないからです。

母に関しては、確かに暴力はされませんでした。

ですが、母に関しても思う事はあるのです。


父は病気でした。

父は、父方の祖父が亡くなってから突如取り憑かれたように生気が感じることがなくなりました。

大人になった今の私が思うのは、きっと、祖父が唯一の味方だったのでしょう。

父方の祖母は、教育に厳しいひとでした。

私の幼稚園の頃のクリスマスプレゼントは、毎年絵本。小学生へ上がると数学・漢字のドリルでした。

今流行りの玩具が欲しい。などと言いたくとも…幼い私はグッとこらえて笑顔をつくる事、ただそれが精一杯でした。

きっと父もそう育ったに違いありません。

だけれど、祖父は味方してくれていたに違いないのでしょう。


私は、自分の父のことを知れば知るたび、私の母は、なぜ見捨てたのか。と感じてしまうことがあるのです。

母が父を愛してくれれば、その愛は私へ来たのではないのか、と時々思うのです。

そう思ったのは、虐待をされる前のホームビデオの映像を虐待されていた時に繰り返し繰り返しブラウン管テレビに移しては眺めていました。

そこに映る私はまだ幼くて、まだ私は父からは、ちゃん呼びされていて、父、母に抱きしめられて大切にされていました。

一体いつから私はちゃん呼びされなくなったのかな…。

きっと、良い子じゃないからかな…。

パパ、ごめんね。ママごめんね。

毎日毎日、心の中で謝ってました。

寂しくなっては、ブラウン管に映る幸せいっぱいの私に時には嫉妬し、時には幸せを、時には微笑んでいました。


父と母が喧嘩し、揉め始める度に、私は心の中で必死に謝りました。

私は私が存在しなければ良いと考えることが多くなり、ついに私も病気になってしまいました。

小学生で死を考えました。


私は私が思う父は、まだあのブラウン管テレビに映っている父で、母があのひとは変わった。という父では無いのです。

だから、私は父に木材で背中を顔面を殴られても、まだ父に愛されている。と感じていました。

この父は本当の父じゃないと、まで思ってました。


つづく



反抗期の時のわたし↓