とりあえずはテスト的に。
海は子供の頃から身近な存在であるとともに、畏怖の象徴でもあった。
それは、育った海には離岸流があり、学校でも遊泳禁止を説かれていたのと同時に、泳ぎを徹底的に覚える必要があったからだ。1kmは最低でも泳げなければならない…そんな風潮もあり、誰もがその程度は泳げるようになった。つまり、生活の上で大切な条件のひとつであったわけだ。
この思いは成長に伴って「当たり前のこと」として身についた。が、職場での異動で上京した時にその条件は崩壊した。どうも世間では泳げない人がいるらしい…随分と偉そうに聞こえるかもしれないが、正直に驚いたのである。かくいう、私のパートナーも泳げない。一緒に海に行ったのなら、自分の命を賭してでもパートナーを救わなければならない。今でもその思いに変わりはない。
また、畏怖であることの理由はもうひとつ。それは、地元が漁師街であり、生活の基盤として海…漁港があったこともある。農家が収穫物と畑を大切に思うように、猟師が山を神格化するのも同様ではないだろうか?
というわけで、私にとっての海は、思い出のひとつというよりは、生活の延長であり、日々の暮らしであり、人生そのものでもあったのかもしれない。