2011年5月21日にACIMのレッスン終えて、留守してました。

 

当時、ACIMのテキスト・レッスン・教師用テキストは日本語された本は出版してなくて、テキストは訳せない!とぶん投げて、レッスンだけ訳して感じたことを書いていました。

考えられない方(当時のスピリチュアル・リーダー達やスピリチュアルな芸能人)からのメッセージもあり、何とか最後までUPしました。

 

5年たってた。。。

 

で、今はノン・デュアルに関して他のブログ(自分のドメイン)で書いていこうと準備中です。

ACIMに関しても書き直そうかと思います。

 

なぜか。。。。ACIMのテキストはノンデュアルじゃないけど、レッスンはまー使えるかな?

ACIMでは、内容をいじってはいけないといっていますが。。。

神という人が作った概念やキリストに固執してるので、なかなかノンデュアルに行けず、スピリチュアルな気持ちよさ、理解したつもりの気持ちよさで、迷いに入り込んじゃうかも知れないので。。。

 

僕自身、悟り、許し。。。。気づき。。。

いったりきたりで。。。

 

気づきってなんですか?

 

愛って何ですか?

 

非二元論ってなんですか?

 

答えはまた今度。。。

 

最後まで読んでくれてありがとうございます。

 

そして、それが生活を進めていく上で何をもたらすのでしょうか?

2010年2月6日に初めて本日UP終了しました。

一年以上かかりましたが、これでレッスンのUPは終了です。


この一年と4か月。。。
色んな事がありました。。

私生活では、病気。。。失業。。。家族観での不和。。。

心が荒ぶれる事も多々ありました。。


そして。。。
今は、って言うと。。。


本当の豊かさ。。。
歩んでいたと気が付きます。。。


色んな問題と捉える事も。。。
問題ではなく。。。自分の心のとらえ方に間違いがあっただけ。。。
それも自分の人生の単なる過程の一つ。。。


ぶれるのは、まだまだ学んでいる証拠。。。

エゴは物質的満足や精神的満足を求めて、いろんな事を見せてくれます。

ACIMでは、いまいち対処方がわからないときなどありませんでしたか?

これからは、ACIMにとらわれず、古典仏教(パーリ仏典)や道元さんの言葉やこれまで学ん事を借りて書いてゆきます。


見えない世界があるとかないとかにこだわらず。。。
今自分が見てる世界に対してどう対峙してゆくのか。。。
実践的な事が書いていけたらと考えています。


自分の事ですが。。
エンターテーメントの世界に身を置いていましたが。。。
より、思考を深める為、変えていこうかと思います。。

エゴが求める事に没頭することにより、自分がどんどん見えなくなったことも多々あります。

エゴは何を求めているのでしょうか。。。
エゴの誘いに乗らないで、この世界で仕事しながら生きていけるのでしょうか。。。




私は宗教家でもありませんし。。。
まして教祖になるつもりもありません。。。


それでも心の平安を求めて。。
実践していく中で、いいと思う事を書いていけたらと思います。



耳を澄ますと。。。トラックの通り過ぎる音。。。子供の声。。。
目を開くとPCの画面。。。ネタが飛び込んできます。。。


それに反応して、心はざわめきだします。。。
落ち着きがありません。


五感で感じた事に無自覚で反応している時。。。
人はエゴに左右されています。。。
(身の危険は別だとは思いますが。。。)


無意識での行動が少なくなればなるほど、今を生きていると言えます。
いつでも自分の心を監視するのは、至難の業ですが。。。

出来るだけできる様にしたいものです。。。
なぜなら。。。
苦しみを生まないから。。。

苦しみを生まない癖をつけていくことが大切だと思います。。。




ACIMは終わりましたが、何度やり直してもOKですので、残しておきます。

今まで読んでいただいてありがとうございます。
そしてこれからもよろしくお願いいたします。
結びのことば
 
  
 この奇跡の道の教えは始まりであって、終わりではない。あなたの友であるお方が一緒に行ってくれる。あなたは一人ではない。そのお方に頼んで、 それが無駄になる者は一人もいない。なんでも困ったことがあれば、そのお方には必ずその答があるので、ただそのお方を頼りにしてその答えを尋ねさえすれば、喜んで教えてくれるだろう。何であれあなたを困らせるようなことがあれば、それに要する答えを全部与えずにおくようなことはしない。すべての問題を 解決し、疑いをみな解消する方法を知っている。そのお方の確信はあなたのもの。あなたはただそれを頼みさえすれば、ちゃんと与えてもらえる。
  
 あなたは確かに生家へたどり着く、それは太陽が昇る前も沈んだ後も、その中間の薄暗い時間帯も、それの軌道はきちんと敷かれているのと同様に確 かなこと。実際、あなたの通り道はそれ以上に確かだ。神が自分のもとへ呼ばれた者たちの進路を変えることは不可能であるから。では自分の意志にしたがって、あなたが自分の声として受け入れたお方についていき、自分の本当に望むことや本当に必要なものについて話すことだ。そのお方のは神に代わる声であるしあなたのでもある。したがってそのお方は自由と真実を語る。
  
 もう特定の課題は与えられていない、その必要はもうないのだから。これからは、この世界から退くときはただ神とあなたの真の自己に代わる声だけを聞き、かわりに実在を探し求めるがいい。その御声はあなたの努力を指導し、どうしたらいいのか、どのように自分の心を向けるのか、いつそのお方のもとへ黙ってきて、その確かな指導とその確実な言葉を頼めばいいのか正確に言ってくれる。その言葉こそ神があなたに与えてくださったもの。その言葉をあなたが選んで自分のものにした。
  
 そして今、私はあなたをそのお方に委ねる、そのお方に忠実に従っていき、そのお方に導かれて、あなたが本物だと思いかねないような困難や色々な 苦痛を一つひとつくぐりぬけられるように。それにそのお方は過ぎ去ってしまうような楽しみなどあなたに与えるようなことはしない、永遠に続くものや良いものしか与えないのだから。そのお方にあなたがさらなる準備をする手助けをしてもらうことだ。そのお方は、毎日あなたにあなたの御父やきょうだいや真の自己 のことを話してくれたことで、あなたの信用を得るようになっている。これからもそれを続けてくれるだろう。今からあなたはそのお方と共に歩むことになる、そのお方と同じように、自分がどこへいくのか確信を持って、どのように進めばいいのか確信して、その目標に自分が最後には無事にたどり着けると自信を持って歩むがいい。
  
 終わりは確かであり、その手段も確かである。これにたいして、「アーメン」と唱える。あなたが何らかの選択をせまられるたびに、神があなたのために何を意図なさっているのか正確に知らされる。そしてそのお方は神とあなたの真の自己にかわって話し、あなたが決して地獄に落ちることのないようにしてくれるし、あなたが選択するたびに天国がより近いものになるようにしてくれる。だから我々は、これからはそのお方と共に歩み、そのお方に案内されて平安と確かな方向へと向かう。我々は喜びと共に道を進む。神が扉を開いたままにして我々を迎えてくださる生家へ向かっているのだから。
  
 我々は自分たちの道をそのお方に任せて「アーメン」という。平安のうちに我々はそのお方の道を続け、すべてをお任せする。自信を持ってそのお方の答えを待とう、何をするにもそのお方の御意志を尋ねるのだから。そのお方は神の子を我々が愛するように愛している。そしてどのようにしてその人をそのお方の目を通して見たらいいのか、またそのお方が愛するように愛したらいいのか、我々に教えてくれる。あなたは一人で歩むのではない。神の天使がすぐそばにいるし上から見守ってくれている。神の愛にあなたは囲まれている、そして一つ、私は決してあなたを慰めのないままにはしないということを、しっかり覚えておいてほしい。