あくせく働く毎日に自分は社会の歯車に収まってしまっているなぁ、、、なんて思ったりする。
だがしかし、無造作に置かれた幾つもの歯車を目の当たりにして僕は気づいた。
人が持っている歯車は一つじゃないんだ。
自分が毎日働く事は自分の持っている『働く歯車』であり、自分は違う種類の歯車を持っているのだと。
それは『家族の歯車』であり『友の歯車』であり『地域の歯車』であり、もっと言えば『生物の歯車』であり『宇宙の歯車』であるのだろう。
自分の持つ歯車を『誰に』『何に』『どんな時に』『どれだけの期間』使うかで自分の生活は動いて行くと感じたら、社会の中で愚直に生きることは単一作業の毎日ではあり得ないとふと気づいた。
同じ時間に生きる人間が、それぞれの歯車を持ち寄り合わせて人間社会が動いて行く。
同じ時間に生きる生物が物質が、それぞれの歯車を持ち寄り合わせて世界が宇宙が動いて行く。
そうやって動かしてきた歯車がもたらす未来は
只々回っているだけの時計のような存在なのか
それとも複雑な組合せの機械のような存在なのか
それともある瞬間に止まり動かなくなってしまう存在なのか
