山本清風のリハビログ -4ページ目
それでも私が思うにはこのところおかしいと感じていた高村がやはりおかしいことになっており、こうして陽が暮れてゆくのだなと思っているうちに私たち間に妙な空気が流れて会話はなくなり、気づけば手と手をとりあって春駒通りをふたり跳ねていた。高村を出汁にしたのは悪かったが高村などそもそも存在はしないのだから誰に罪悪感を抱ければよいのだろう、それよりもいまはこの手に伝う温もりを確かめていると、それ以外に大切なものがあるだろうか否ない、断じてあり得ぬと、ふり向けばあいつは、高鼾をかいていた。道理で手が温かいはずである。詮なし詮なしと無感動にあいつを笹の葉に乗せて、川の流れにと放つ。精霊流しとはかつて、生霊流しではなかったろうか? 古事記の蛭子(ヒルコ)になぞらえて、穢れを祓うべく押し流される人身御供その機能としての。私は今度はこころをこめて発語した「オッス、オラ悟空。オメエ強ええなあ」点景になってゆくあいつのアテレコに成功した私は山ちゃんとなり、つまり山寺宏一となって、ドナルドダックの声は俺に任せろ、とカバオくんの声で宣言した。時に西暦2015年、第三新東京市に使徒が襲来したのとまったく同様のタイミングで火山活動を始めた(阿蘇山大噴火が選挙活動を始めたら、火山活動が活発になったとかいわれそうでいやだなあ)
アパートのまえ
叢に朽ちている駆逐艦
私はあなたと一緒に眠ったこともある
股が破れてしかたがないので、来年
別離したばかりであるのだが。

因果律を冒涜するその目鼻だち、
手足口病、耳なし芳一
芳しい長男であるところのその
立居振舞、まいんちゃん。
大人にならなければよかったのに
とは、友人談

くちくちに朽ちた駆逐艦には
耳がない、鼻がない、口ばかりがある
一年経った来年にもきっと
私の悪者ばかりをいっているのである。
本気にしてはならない



春、駆逐艦を信用してはいけない。






赤ちゃん先生も発熱をする。



くっきりとふたえになり、こころぼそいのかひしとしがみついてくる。可愛らしいことこのうえないが眠ると熱があがり、体温計によれば38.9℃とある。



病院の冊子に曰わく「40℃の熱がでても脳はやられないから大丈夫」とどこか文体に違和感があり、もしかするとなめられているのではないかと考える。終わりのあたりで突然、フランクになるからだ。



赤ちゃん先生は九か月になった。朔日から保育園に通い始め、泣いたり、茫然としたりしているそうだ。人生だわ。社会である。



彼のような年代にあり同輩の行動というのは、想像もつかぬほどの刺激をもたらすものらしい。赤ちゃん先生は突如加速度的にはいはいを始め、つかまり立ちをし、段差を乗り越えて、白米を喰い始めた。



同輩の行動とは想像もつかぬ刺激をもたらすらしいのである。



これに伴い危険もまた、増した。寝かしつけてから私たちはパーソナルコンピュータをしたり、菓子を喰ったり、尾籠な話題を語りあったりした。ぷすぷすと音がして、赤ちゃん先生が起きかけている合図である。



そのまままた眠りに就く確率が高く、下手に刺激しないほうが吉である。私はなんとなし、もしかすると細君の話に区切りをつけたかったのかも知れない、赤ちゃん先生の様子をみにゆくと、所定の位置から動かぬはずの赤ちゃん先生が最早ベッドの端におり、私に気づいて笑顔を投げかける───と、



そのまま傾いてゆきベッドの下へと



落下した。



その光景を私は夢にみる、かと思ったがみなかったけれども、精神的大地震が起きたことには違いなかった。幸い下は畳敷きだったため大事はなかったものの、私はすっかりこわくなってしまって寝かせる環境についてあれこれ考えた。



なにも思いつかなかったが。とまれ、目を離せなくなったことだけは、わかった。



「へろへろ」
これはかつて、赤ちゃん先生の発声であった。



「うー、まんまんまんまん」
これは最近の、赤ちゃん先生の発声である。



「お父さん、月は潮の満ち引きによって数センチ程度伸縮しながら公転していることが最近の研究でつまびらかになったのですよ」
これは赤ちゃん先生の喃語を翻訳したもの。大学時代、第二外国語として喃語を学んだのがいまになって、役だつとは。



赤ちゃん先生はパンツ式のおむつの端をちぎるとき(パンツ式のおむつは履かせるときにはパンツだが、脱がせるときには両端の仮縫いめいた部分をちぎり、尾籠を除去するという暴力的な仕組みになっている)私が



「ふんッ!」
といいながらひきちぎると、爆笑をする。





なので、私も笑ってしまう。






赤ちゃん先生はあと少しで八か月になる。

掴まりだちをする、横座る、いざる。或いは離乳食を喰らう、大人の食しているものを欲す、かつ喰らう、など。或いは更に萬緑ではないものの吾子の歯生え初めたりなんかした。私はそのころ人間がすっかりいやになっていた。

毛髪は相も変わらず和毛でそれでも、池上彰よりは生え初めてきた。いっぽうは進歩しいまいっぽうは衰退するのだから当然といえば当然である。私はイブプロフェンなくば頭痛やまず、なんやちくちくするな思たら足に夥しい紫斑めいた症状があらわれていたし、パンツのなかにナイフをもった女子高生がはいっていた。

女子高生をつまんで窓から捨てると、赤ちゃん先生が目があうだけで破顔するため私はにこやかになり、非可逆な時の流れを惜しんではまた無理を、押した。

赤ちゃん先生は泣きそうになるを堪え「ウー、メンメンメンメンメンメン」と喃語するようになった。なかなかに愛嬌があり、もうすぐしゃべるかも知れない。

赤ちゃん先生は手ずから哺乳瓶をもつようになった。マイルスデイビスに酷似している、というかいつでも赤子のほうが歴史の先にたっているのだから、マイルスが赤子を模倣したのである。

私は紫斑病になった。検査結果如何によっては、入院するかも知れない。



乞うご期待なのである!






なかにだしていいか
と訊くのでとりあえず
やめてください
そう答えておいた

どうして私に訊くのだ

乗れなかった電車の
窓からみる女の子はいつもかわいい
覚醒しながら夢を記述してゆく
そんな私に医薬品名をあげる
夢が壊れたのである
夢が
毀損したのである

愛しているから許せない
愛してもないのに許せないのは
仕事だから
だから仕事が悪いのである
だから仕事のできぬお前はもっと
もっとも許さぬ

なかにだしていいか
と今日も訊くので私は
なかにださなかったのですか
そう訊ねたら
そう
とそいつは微々

泣いた。






しんしんと雪は降りゆく
しゅくしゅくと鉄路は縮む
火花が散る伽藍の夜に
通過駅はかつて華やいでいたを知る
あの日あの時あなたはここにいて
地中深くに
永久の誓いを立てた
どうか風雨に傾ぎませんように
どうか地異に年月に

しかして地軸がずれ
世界が容易く傾ぐ夜
あなたは私に守ってほしいと思うかどうか
私自身
自信がないのだ

ずっとひとりだったのだと誓いは知った
ずっと待っていたのだと
身を横たえてはじめて知った

それぞれ屹立するそれら誓い
距離を等間隔ならしめぬ風雨
年月のかつての永久のつよさのそして
よわさの

それでも誓いはそこにまだあると






私は山本清風である
そんなことはどうでもいいのである
美味そうな香りをつき従えて
山本清風がやってきたのである

そんなことはどうでもいい
かつて不死鳥であったものが気球になった
ばかりか絨毯になった
どころか私が乗っていたのは
四人乗りのナンなのであった
なんなのだろう
大の大人のネパール人がふたりがかりで
手ごねやなんて

「松屋町っちゃなんばっちゃややこしか」
「まっちゃまちちゃうなんばゆうてるやんか」

放出がはなてんなら
スーパー玉出はすーぱーたまてんですやんか
漂着物を神様とせよ
笹あ持ってきましたんや
レディーファーストを否定するとせよ
略奪された花嫁を奪還するのが男ちゃうんか
呪的逃走経路→こちら

今年は羊が夢をみないので
きみが好きに夢を描いてよろしい
お先にどうぞ

「なんばゆうとると」
「なんばゆうとるやんか」



そして山本清風がやってこない






 彼女は「徒手空拳で組手すると子宮口にひっかかるため気色が好い」といい、また「騎乗位でね」とつけ加えた。「神秘だよ」と。「おなじ試合相手と何度も組手すると相手の形状にあわせて子宮口が移動する、”デュクシ”を迎えにいくんだよ」と。
 私はたしかにおなじ相手としていると”デュクシ”が”デュクシ”のかたちにぴったりあうようになる、と聴いたことがあったがそのように練成された”デュクシ”がたまたまほかの男の”デュクシ”と相性ばっちりになっていたら地獄だな、とも思っていた。
 太腿に搭載された女給の太腿をはねのけ私はご婦人たちにひらひら手をふりながら、そういえばこのブログは育児ブログになったのだ、と目を閉じた。

 赤ちゃん先生は五か月になった。首が座り、腰が座りして自分の足を不思議そうにしげしげ眺めたりする、莞爾と微笑んだりする。こちらが微笑むと微笑み返す。リアクションは素直に嬉しく、その成長は女性の十七歳から二十七歳よりめまぐるしい。
 恥ずべきことに私は高校時分わりとちやほやしていただいたが、赤ちゃん先生を正面に抱っこ紐して街をゆくとき、その感覚をしみじみ思いだすのである。先生は笑顔をふりまき、特筆目の大きい笑顔のひとに、微笑み返す。すると相手は「かわいいですね」といわざるを得ない雰囲気になり、街ゆけばすれ違うひとみな「きゃっ」という感じになるのである。
 ですから私は自分ではないのに思春期よろしくの自意識過剰めいた、構えた感じになってしまうのであり、先生は女性や老人(つまりかわいいということに敏感かつそれが表出しやすい)が好きで、前述した条件から接客業の女性など大好きである。
 私も疲弊しているとき仔猫などみかけると「キャーッ! カワイイー」のごとくなってしまうことがあるが、これは酩酊して常識のリミッターが外れるのに似て、かわいいの表出が抑制できなくなっているわけである。宅急便のひとなど抱っこして応対すると、斯様に腰から崩れ落ちることがあって、おもしろい。

 暗い部屋のなか。日付変更を過ぎて私が室内をくるぐるうろつき廻っているのは、狂っているからではない。赤ちゃん先生が眠ってくれぬのである。平素であれば粉ミルクを一八〇ミリ与えたところでとろとろと眠るところ、ときにこんな夜がある。
 妻君は抱いているだけで眠るらしい。乳房のやわらかさ、母乳の香り、或いは生得的な性別、そのようなものが作用しているかも知れない、私だとそうはいかない。顔をこちらに向けて抱っこ紐、両の手のひらを握りたちどまることなく、歩きつづけねばならぬ。誰も寝てはならぬ。この間は『ケイゾク/映画』を一本、観た。
 隣で眠る赤ちゃん先生の手を私はそっと包む。それはどんな女性の手よりもすべらかにやわらかく無論、ちいさくて、感触を楽しんでいると赤ちゃん先生が目を醒ましてしまったので妻君が起き抜けに対応している、私はたぬき寝入りをしている。
セット割



平素より誠にお世話になっております、文学結社猫の猫です。過日の文学フリマでは弊社の山本が大変お世話になりました。このたびは弊社刊『イカサレ』と『青なら。』のセット割通販をご案内もうしあげます。

【セット内容】
・イカサレ
・青なら。
 各1冊=合計2冊/1000円(税込・200円引き)

ご希望されるかたは小生のメールアドレス
 28neco@gmail.com
までご一報ください。
追ってご返信と振込口座をおしらせいたします。
(恐縮ですが手数料はお客さま負担です)

なにぶん足作業につき、猫毛やカリカリのにおいがついてしまうかも知れません、ご容赦いただければ僥倖です。それではご案内もうしあげます。文学結社猫の猫でした。



主宰
 文学結社猫は文学フリマに参加します。

   【第十九回文学フリマ】
   11/24(月祝)11:00-17:00
  In東京流通センター第二展示場
   文学結社猫(1F/A-05)

 新刊は『イカサレ』の姉妹篇にして独立した小説『夜の信号が何処までも青なら。』です。本書のなかで"クソサブカルナイーブ野郎"という表現が登場するのですが、これは巷でいう"サブカルクソ野郎"とは微妙に違います。サブカルクソ野郎は「はっぴいえんど」を聴いていてクソサブカルナイーブ野郎は「マイブラ」を聴く、といえばわかるでしょうか。”クソ”の位置も”野郎”にかかるのではなく全域に及び、イントネーションはまるで、放物線を描くかのようです。

 前回ご好評いただけなかったイメージ曲集を今回も。主人公の国重崇一(クニシゲシュウイチ)はクソサブカルナイーブ野郎で色々とめんどくさいのですが、AKGのヘッドフォンを目深にかぶり中古レコード屋でレコードのふちをたすとす鳴らしているような、いわゆる現実逃避型の男子高校生です。
 彼が聴いているのはmy bloody valentine、New Order、The Smiths、Public Image Ltdなど海外のニューウェイブ以降、といった感じなのですがこれは、擬態(ポーズ)なのですね。背伸びしているし恰好つけているわけです。性質的には完全にかまってちゃん、凛として、セカオワを聴いてしかるべきなのに、それは自意識が許さない。めんどくさいですね。



◆オープニング
Good morning Hide/L'arc~en~ciel


主人公の人間性を正確に表すにはこの選曲以外ありえません。マイブラとか聴いているものの、その本質は英語詞の邦楽、という感じ。その装甲と本質の温度差をこそクソサブカルナイーブ野郎と呼ぶのでしょう、めんどくさいですね。この曲はスミスっぽいネオアコも、ニューオーダーっぽいベースのハイポジションも入っています。Sakuraのドラムがいいですね。



◆中盤①(自己対話)
透明少女/NUMBER GIRL


くるり、ナンバガ、スーパーカーなどのいわゆる96年組みは、サブカルクソ野郎とクソサブカルナイーブ野郎の中間あたりでしょうか。透明人間になる練習をしていた多感な季節の私はあまりナンバーガールを聴きませんでしたが、ミッシェルを聴くタイプのほうが実はめんどくさいということを経験から知っています。



◆中盤②(岡崎香織里)
微かなカオリ/Perfume


クソサブカルナイーブ野郎はなぜかパフュームちゃんは聴いている、という印象です。きっとヤリチンが書いた女性視点のいじらしい歌詞が胸を打つのでしょう、ワンチャン毎に一曲書ける計算です。メールとかケータイとかすぐ言葉が古くなってしまうのが現在形の難しさですね。私はてごしーなので中田ヤスタカのことをお兄ちゃんと呼んでいます。



◆エンディング
spending all my time/Perfume


パフュームがつづいてしまいましたが本書の仮タイトルは『ネトラレポリリズム』だったので、問題ありません。ポリリズムでさえないですが。男女関係はミニマルミュージックでありポリリズムで、そのすれ違いにこそ物語的なエモーショナルを感じるのです。たとえハッピーエンドでもバッドエンドでも、その過程こそは少女マンガが1億年と2000年前から描きつづけてきた、恋の醍醐味です。さあ、Heavenlyを召しませ。



『夜の信号が何処までも青なら。』
青なら。
価格:700円
イラスト:いとうのぞみ
方言監修:猿川西瓜

───何度も何度も夢をみる。いまみた夢のつづきがみたくて、夢のしっぽをまるでよすがに手探りしている。浮かんだり沈んだりの浅い眠りのなか、僕が夢みようとしていたのはもしかしたら、理想の自分だったのかも知れない。理想の自分がでるまで僕は何度も何度も、サイコロをふりつづける───

カップルに起きた出来事を男女双方からそれぞれ聴いたとき、パラレルに生きているのではないかと思うほど証言が、食い違うものだ。あらゆる一切から逃げつづける高校生、国重崇一(クニシゲシュウイチ)がふたりの少女と奏でるポリリズムにしてミニマルな青春。既刊『イカサレ』の続篇でありながら独立した小説として楽しめる、クソサブカルナイーブ野郎の攻略本。



─────────既刊情報─────────



『私はあなたに触れたいという欲求が私はあなたに触れられないという禁則から逆説的に生まれていることを知ったとき、私はあなたに生かされていると感じる。』(イカサレ)
イカサレ
価格:500円
イラスト:いとうのぞみ
方言監修:菊池有里子

───星間の距離感をわたしたちは星座と呼び、心の距離感をわたしたちは恋愛と呼ぶのだ。かつて遠い昔の瞬きをわたしが星と認識するように、認識したときにはすでになくなっているかも知れない、そんな可能性がわたしの恋だった───

浦崎(うらがさき)市という町を舞台に、関西方言を用いて黒髪JKポニーテール処女の川原明日架(かわはらあすか)がクソサブカルナイーブ野郎から告白されたり、女友だちのトイレに嫌々つきあったり、カースト上位のいかついヒゲメンからSNSでグイグイ来られたりしながら青春の中心で「わたしはあたしがわからない」を叫んだ卒塔婆ムーブメントを牽引するヘヴィノベル。

『文学フリマ非公式ガイドブック小説ガイド 2014年春』掲載作品。



『ニーバー、アイ ヘイト ユウ。 川町サーガ#2』
ニーバー

価格:500円
合作著者:栗山真太朗(少年憧憬社)
表紙絵:藤井久実子

本名クラスタ二人の仲が悪くなっただけの価値はあった!
最高のエンターテインメント×ユーモアの極北がここに完成。
再びあの川町を舞台に、事件が動き始める―――高井探偵事務所が、秋山クレハが、遍く人々や動物が縦横無尽に川町を駆け抜ける。文フリの本名クラスタ「栗山真太朗×山本清風」が捧ぐ殺しあいのようなリズムセッション。さあ、禁断の合作が幕を開ける。



『先読 【サキヨミ】』
先読

価格:600円
表紙絵:西本愛

〝仕事やめたい〟ロスジェネとゆとり世代に挟まれた私たちの生きる道。
社会は道徳を説くが、説いている社会が不道徳に満ちているのはどうしてだろう?
アルバイトの田西源五郎(たにしげんごろう)は毎朝恋人の殖栗(えくり)と同伴出勤するのだが、彼には視えざるものの視える能力があって―――貨幣版元株式会社株式会社の営業を通じてくり広げられる能力者たちとの熾烈なる社会人系能力者バトル。姿の透けている同僚、夢を操る得意先、そして謎の代表取締役ある秘密のため会社を暗躍する田西を社会の不条理が襲う。「やさしさとは何か?」
文学フリマで公開し賛否両論を巻き起こした大人向け荒唐無稽。



─────────寄稿情報─────────



『見上げた男』/大坂文庫

『絶対移動中vol.16 小説を書くことについて』/絶対移動中
絶対移動中


『逃避癖のための句誌羇旅』/西瓜鯨油社
haiku