犯罪白書によれば、「平成28年の裁判確定人員は32万488人。そのうち、無罪確定者は104人。裁判確定人員総数のうち、無罪となった人員の割合はおよそ0.03%。 平成28年の確定裁判の有罪率はおよそ99.97%」となります。この点に関し、某法律事務所のホームページの記事は、「微罪処分が約29.7%、不起訴率が61.8%であるので、刑事事件全体における実際の有罪率は約26.8%となる」と注釈しています。 これに対し、疑問が生じました。日本は三権分立を制度として採っており、立法、行政、司法の三権に分かれ、相互に抑制均衡を図り、各権の行き過ぎを抑止しています。上記無罪判断のうちで微罪処分は警察、不起訴処分は検察官により行われ、これらは行政による無罪判断となっており、司法による無罪判断はやはり0.03%にすぎません。また、略式起訴は、被告人が検察官に申述書を提出すれば、手続規定に違反するか、正式裁判請求をしない限り、有罪無罪の実体判断をすることなく、有罪となります(被告人が正式裁判請求をした場合でも有罪率は99.97%に準じます)。 検察庁側から「起訴すべき案件を慎重に選んでいるから、99.97%の有罪率にも合理的根拠がある」と主張する見解がよく聞かれます。しかし、民主主義にせと三権分立にせよ、人間の権力者に対する不信からリスク回避のために発案された制度であり、慎重に案件を選別すれば99.97%の有罪率にも合理的根拠があると主張するのであれば、「三権分立」も「抑制均衡」も制度として存在する必要がないということになりかねません。ちなみに、モンテスキューは、1748年に『法の精神』で「すべて権力をもつ者はそれを濫用しがちである。彼は極限までその権力を用いる。権力の濫用をなしえぬようにするためには、権力が権力を抑制するよう事物を按配することが必要である」と述べている。この三権分立が制度として具現化したのは、1788年6月21日に発効したアメリカ合衆国憲法においてである。 ところで、2013年6月国連拷問禁止委員会でマリの人権人道大使が「日本の刑事司法は中世並みだ」と発言したことに対して、上田秀明人権人道大使が、「日本は、刑事司法の分野では、最も先進的な国の一つだ」と開き直りました。この時に、会場の、声を押し殺して苦笑する雰囲気を見て、同大使は、「笑うな。なぜ笑っているんだ。シャラップ!シャラップ!」と叫び、会場全体が驚愕してシーンとなりました。1788年のアメリカ合衆国憲法で三権分立が具現化した以上、事実上刑事裁判において司法が行政の追認機関化している日本の現状は「中世並み」と言い得るかもしれません。さらに、最高裁判所が死刑判決を出した案件でも、法務省が最終的に慎重に死刑を執行すべき案件を選んで死刑執行する現状では、司法は行政に上下でサンドイッチされていると言えます。 日本の捜査は弾劾的捜査観ではなく糾問的捜査観に従っていると言われています。すなわち、被疑者は捜査機関と対等の当事者ではなく捜査の対象に過ぎないということですが、有罪率99.97%でその有罪が行政1権で決定され、糾問的捜査観に従う以上、無罪推定原則(国際人権規約B規約14条2項)に反するのではないでしょうか?