有馬と野川台の境に



宮前区の歴史を独断と偏見で探す散歩ブログ。


さっそく今日は、有馬と野川台の境を散策しました。





実は、近所の86歳の田村さんが、野川台からお嫁にきたそうで、お嫁に来る前の実家の近くに杉の大木があって、そこから梶ヶ谷の古墳あたりまで見渡せた、と教えてくれたんです。

そんな大きな大木なら見てみたい。ついでに今でも梶ヶ谷あたりが見渡せるのか見たかった。


しかし、5本の杉の大木は見つけられない。


そんな中、この公園に昔おっきな杉の木があったと公園の近所の方に聞いた。


もしかしたら、杉の木があったのかも。

残念ながら、住宅もみっしり建っていて、とても梶ヶ谷までは見渡せない。


「子の神」の祠があるのか、探したが、これも跡地があるらしいのだが、探せなかった。

子の神の交差点近くの、お宅にあった鳥居と稲荷の祠らしき。とても大きな木が2本、祠の前後にあり、祠自体も家神さまにしては大きいなぁと思った。



ただ、今日は風があり竹藪のザワザワと鳴り響く音が胸に心地よかった^_^




さて、そのまま上に上がっていくと、ベンチがあった。




有馬のちょこっとベンチ

こちらは3号


こちらは2号


何号のベンチか、案内はなかったが、その目の前に大きな畑があった。


そこで農作業をされてるお父さんに話を聞かせてもらった。


この道は大山街道と中原街道を繋ぐ主要な横街道で、有馬側がナラの木、野川台側がクヌギの並木道だったそうだ。

今は全て切ってしまって、唯一切り株が一箇所残っているだけ。



この辺りも古墳が多く、土器や茶碗なんか、ちょっと掘ると出てきたけど、50年以上前はあまり規制もなかったから、ちりとりの大きなやつで遺物を集めて、横の溝に捨てていた、とか。


今は、それこそ遺物が出ると工事がストップして、教育委員会に連絡して、費用も所有者持ちになる。


それって、所有者さんの負担大だなぁ。


農作業のお父さんはいろいろ教えてくれて、

権六谷戸の逸話やら、

久末のお話とか、

山田富士の話、

塞の神なども教えてもらった。

もう、御嶽講は2.3年前に辞めてしまったそう。

 



お年を聞いたら、昭和9年とおっしゃってました。



背中はピンとして、畑仕事も危なげなく、慣れた手つきでこなしていて、見惚れるほどでした。


ここ1ヶ月ぐらい、地元出身の昭和初期生まれの方たちとお話をさせてもらう機会をいただいていますが、皆さんこの土地の言葉でお話してもらうのですが、少し早口ながら、耳に心地のいいお話の仕方です。


一つのお話から、3つも4つも謎が生まれて、追っかけて行くのが大変ですが、ぼちぼちブログを進めていこうと思います。



野川台から見た大山方面。晴れていたら富士山が綺麗だろうなぁ。

近所の田村のおばあちゃんが、幼いころは晴れたら横浜港まで見渡せたと話していた。