こんばんは。

繰り返し戦略の軍師!ルフランです。

 

今回は自分自身が後悔しない生き方について若輩者なりに考えてみました。

とは言ってもね、生きていれば後悔することなんていくらでもあるんだよね。よくみんなさ、「後悔しないように生きます」とか、「安定した暮らしができればいいです」とかいうんだよ。

それって違くない?ってお兄さん思うんだよね。後悔はするのが普通だし、まず安定して暮らせればいいってさ……

嘘つくなよ!!我慢すんなって、そう思うわけ。安定した暮らしをしつつ、やりたいことをやっていきたいとかさ、あるいは怠けて暮らしたいとか正直な気持ちを追加すべきに一票です。

どんな安定志向の人でも、どんなに単調な作業に耐性がある人でも、その状態が延々と続くとすれば死ぬまでには必ず音を上げる。何なら自分でも驚くくらい早く飽きると思う。つまり変化がないことは人にとってとてもつまらない。このつまらなさをたまらなく愛しているような人だとしたら、おそらくこれまでの世界への適性が強い。うらやましい限りだ。けど実際そんな人はいないと思う。たいていのものは飽きるようにできているからね。こういう人に関してうらやましいとは言ってみたけど、そうなりたくはないと思う。

 

話を戻すけど、大事なのはこの二つが僕にとって正しくないということかな。

「後悔しないように生きます」

「安定した暮らしができればそれ(だけ)でいいです」

 

 

一つずつ説明していくね。まず後悔しないように生きる。これがどう違うかっていうと、後悔って失敗の一種なんだよな。これはみんなも聞いたことがあると思うんだけど、「失敗は成功の基」って言うでしょ。これはまさしくその通りで、失敗した、間違えたことの悔しさは記憶を強めることが解っているんだよね。同じことで失敗しなくなるんだから、単純に成功に近くなるよね。

 

例えば、グーグルマップを見ながら歩いて目的地が遠ざかるのを確認した結果方向転換するイメージだよ。目印になる建物が事前に入手できる手がかりだとすれば、歩くことがアクションだ。そして方向を間違えたことが失敗・結果であり、方向転換は解決策というわけ。周りにわかりやすい建物、つまり情報が得られなかった場合でも、本気でたどり着きたい場所、やりたいことがあるなら行動しないと始まらないよね?

結局後悔しないようにっていうのは慎重派といえば聞こえはいいけど、チャンスをうかがっているうちにそれをみすみす逃すってことだからね。

 

みんなが言う後悔しないようにっていうのは正しい選択をすることで失敗を回避したい、後で悩みたくないっていう回避的な発想だと思うんだけど、同じく後悔しないようにというならまずはやってみることのほうが悔いが残らないよね。やってみて初めて解ることもあるし、真剣に取り組む姿勢を誰かが見て助けてくれる場合もある。逆に先生になってくれそうな人を自分で捕まえることもできる。これはアクションを起こさないとわからないことでしょ。

ここからは感覚的な話になるんだけど、周囲の人やSNSの書き込みなんかでよくいるであろうネガティブな人や攻撃的な人を想像してもらいたい。どう?どんなイメージ?ネガティブな人は生気を吸い取ってくるような感じがするし、攻撃的な人っていうほど実力がない人がほとんどだと思うんだよ。彼らが自分のやりたいことに関してケチをつけてきた経験があるならそのことを思い出してみて。経験がない人は想像してみてよ。自然と腹が立ってこない?そうでなくても、きっと不快感を感じたはずだ。落ち込んだ人もいるかな。その人たちは基本的に生きる屍、ゾンビだと思ってくれて差し支えない。聞いてみれば、実際に経験がないのにあたかもそのつらさを経験したかのように語り、威張り、僕らを引きずり落そうとする。彼らの言うことには一切耳を傾けなくていい。聞いたところでそいつは呪術だ。心を蝕まれ、下手をしたら君もゾンビ化してしまうぞ。

本当にそれが自分の思う道なら脇目も振らず走り抜けてほしい。ゾンビの腕なんか振り払って自分のやりたいことを極め抜くんだ。その先には確かなスキルを持った君と、君の心意気に感動して追いかけてきた人たちがそばにいるはずだよ。

 

話が壮大になってしまったけど、次の話に移ろうか。

次は安定した暮らしができれば本当にそれでいいのか、についてだったね。多くの人はそれを求めて生きることになる。この段階では最低限の本能に従っているだけ。安定した環境に身を置くことは子孫を残すのに最も都合のいいことだからだ。だけど僕たちは高い知能を持つ数少ない種族、ヒトだ。多くの人たちはYouTubeを見るだろうから、そこから話をつなげていく。YouTubeを見ていると様々な特技を持った優秀な人たちが取り上げられると思う。多くの人たちは彼らに感心し、中には憧れる人もいるだろう。

僕から言わせれば憧れは理解から最も遠い状態だ。実際に彼らを目指してみないとわからないことだらけなのに、いいな、すごいなと思うだけではその人物の明るみに出ている部分しか解らないまま終わってしまう。それってつまらないと思わない?

何が言いたいかというと、安定した暮らしさえできれば欲が消えて菩薩のように穏やかでいられるの?本当にそれ以上何も望まない?っていう疑問なんだよ。これを僕はみんなにぶつけたくてたまらない。

人の中にはあくなき探求心が眠っていて、好きなことだったら夢中になれるという性質が共通しているんだ。夢中は努力よりも強いって誰かが言っていたはずなんだけど、これもまさしくその通りでね。特に好きなことが分かっているのに上には上がいるからとか、自分はへたくそだからとあきらめてしまう人がいるのはもったいないよ。確かに人は好きなことと得意なことが一致しない人が多い。それらが一致するなら、きっとそれが天才たる人物だと思う。でも天才は基本的に原理を理解する前に感覚でぐんぐん成長するから、僕らは原理を理解して人に教えられるくらいになればいい。努力や夢中で上り詰めた秀才なら十分勝機はあるんだよね。

どちらかというと、人は楽をしたい、楽な方に流れて行ってしまうという性質が強くて、だからやらなくていい理由を探しちゃうんだよね。その結果が言い訳だね。安定した暮らしがしたいというのはまさに楽をしたい気持ちがそういわせているんだと思うよ。決めつけるようで悪いけど、本当に安定していればいいと言い切れる人ってそれ以外に目指したいものが解っていないだけだと思うよ。あるいは今余裕がないからという可能性はあるけどね。

向上心を持って頑張る人を引きずり落とす人間がゾンビなら、怠惰な気持ちは超えるべき自分自身だ。まずは自分と向き合って自己分析してみよう。紙に書きだしてもいいし、何かの診断を受けてもいいね。でも自分のことでもわからないことはあるから自分のことをよく知る家族や友人に自分がどんな人に見えるか、何に向いていそうか訊いてみるのも一つの手かもしれないよ。

 

 

今回は後悔しない生き方について一個人の意見を解説しました。もし何か困ったことがあれば僕の策で解決できるかもしれないので遠慮なく相談してくれると嬉しいな!相談はTwitterアカウント@RefrainStrategy まで!繰り返し戦略の軍師ルフランをフォローして一緒に勉強を頑張ろう!