ソラを背に。陰を前に。
外延部は主に下層、中層、上層と区分けされており、下層は主にセキュリティ関連の施設が詰まっていて、中層は主に観光客や向けの展望台施設、レストランなどの商業地として開放されている。但し上層以上は現在Sクラスのパスでももっていないと上がれず、外延部頂上にでるとなると軍関係者ではないと無理になってしまう。
理由は明白。上層以頂上までは全て軍の管轄だからだ。トーラスが国であると蓮杖から聞いた以上、この外延部は外部からの攻撃や侵入を防ぐ重要拠点であり、国防に大いに関わるのは当然だからだろう。
なので、このクソ高い壁は頂上まで、千二百メートルもの高さを上るのには壁に張り付いているような紡錘状のリニアトレインか高速エレベーターで上までいくことになる。別にゆっくり階段か、自動昇降機でもいけるのだが興味が無いのでパス。しかしチューブのように何本も外延側壁上を走るリニアトレインやエレベータをみていると、最初に持った「閉じ込める」といった印象よりも「近代的な都市機能」といった開放的な印象に変わるから不思議だ。百聞は一見にしかず、というわけじゃないけど実際のところそんな国民などを拘束しているわけじゃないのだから当然といえば当然のことである。ただこういった区画ごとにパスのセキュリティがあったり、成り立ちの背景を聞いたあとではそういった先入観ができても……まぁ不思議じゃないだろ?
そういうわけで早々に専用のリニアトレインで頂上に上がろうとしたときのこと。
まぁ、その後も蓮杖の言っていたことについて終始考えていた。戦争だのは後回しにして「即席で自分の武器になりそうだ」と思ったからだ。
自己臨界性限界、といった。魔技だとか魔希ともいった。全てのものは崩れるぎりぎりの状態で、一定の形を形成している。そして崩れても形成している物体は動いているから見た目には壊れた、崩れたようには見えない。そこに限界性という崩壊させる決定的な理論を持ち込むことでそれらのおかしな現象、つまり干渉とやらを可能にしている、というわけだった。
「うーん、やっぱちょっとわかりずらいな」
肝心の限界性というのがなんだかあやふやだ。蓮杖曰く、自身を一つの生命体だの世界と繋がってるだの言っていたが、概念に飛びすぎてだいたいでしかわからなかった。音や光などに干渉するというからにはそういう区分けや分類があるのだろうが、もしそういうある特定のものに干渉したい、となればどうすれば出来るようになるのだろう?
まぁそれは蓮杖の言う『研究』とやらで頭に叩き込んで知ることが重要らしいが。
頭に知識いれてどうして使えるようになんの? っていうのが正直な感想。車じゃないんだから。
……つまり突き詰めてこのトーラス内で知れば、干渉とやらが使えるわけなんだよな。うん、つまり、たぶんだけど、限界性というものは、モノが崩壊しようとすることをわざと促進させてやることであり、それを使用して壊すのが――干渉、かな。
あの蓮杖とも話したがIEディファインはインターフィア・エフェクト・ディファインの略称らしく直訳「干渉効果の定義」らしい。
効果、ねぇ。何がしかが働いて「効果」を生むのならば、その仕組みは実は単純なんじゃないだろうかと直感した。効果がでるとわかっていてなぜそんなわけわからん説を知らんといかんのか。
「ふーん……」
僕は嘆息してから自身の右手に眼を落とし、握ったり開いたりしてみる。この目の前の手は実は今でも空気中に拡散して、さらに空気中から手の構成成分を取り込んで、見かけ状、ただの手になっている、ということなのだけど。
物質と空間に干渉して『持っている限界性を壊す』とあいつは言った。自分が臨界の状態であればその限界にたどり着けるとも言った。
「んー……」
そもそも人体の構成物質が拡散なんかしやしねぇだろとは思うのだが、とりあえずイメージしてみることにした。方法なんぞわかったもんじゃないが、想像するのが一番だろう。眼を閉じて、刀を振るう前の禅道へ入ったような、気持ちに落ち着ける。順番待ちの人の列の中、自分だけ上に見える空へ向かって顔を上げて。
骨や筋肉、皮膚が拡散していくのを、崩壊していくのを創造し、それらがあらゆるものに還元されてまた戻ってくる。そんな夢想を広げてみる。
そう考えると、自分自身が、他人へと「入っていく」という感覚はわからないでも――
唐突に。
急激な変化。
急転直下。
――誰かに声を掛けられた気がした。
僕は、『驚愕』して、思わず後ろを振り返る。眼を世話しなく動かし、周りの風景から空の様子まで「眼に入れないと駄目であるような」そんな強迫症状に似た行動に出ていた。
奇異な行動であるとはわかる。理屈では了解できる、だが。そうせざるを得なかったとしか言いようがない。
後から考えれば羞恥この上ない行動だったがこの時の僕は体の奥から湧き上がる、何か、なんというか不安感を払拭するためにそんな行動に出ていた。
当然周囲の乗車待ちの客は不審げに僕を見つめ、その目線でようやく自分は何をやっているんだと認識できた。
リニアトレインの乗車場所は落下防止の自動開閉ガードレールがついた普通の電車のホームのような場所だ。特性上、壁に向かって外に設置されているところを除けば。
先ほどいきなり来た不思議な感覚に焦燥を覚えながらも僕は曖昧に周囲へ笑みながら頭を振って前を――
また、来た。
今度は明らかに、露骨に――身体に来た。何かに呼ばれるような、引っ張られるような感覚の後に、立ちくらみ、耳鳴り、動悸の激しさ、冷や汗、嘔吐感、悪寒、両手の振るえ、それが一気に来た。
言ってみれば一気にいきなりインフルエンザと熱中症になったような感覚だ。平衡覚、感覚、回転覚があやふやに、自分が立ってるのか浮いているのかさえの境界すら判らなくなってきた。
「――ぐっ!」
今後はさすがに思わず呻き声が口から漏れる、立っていられず、片膝をついて右手を地面につける。
この手に触れている感覚すら熱いのか冷たいのか、ここにいる自分は自分なのか他人なのか、そもそもこの思考自体一体なんなのか、もはやそれすらもわからなくなってきた。
曖昧亡羊。
感覚が、境界が、輪郭が限界――だった。
その時。
手が、なんの前触れもなく重力を失った。いや失ったわけじゃない。支えを失ったというのが正しいのだろうが、もろもろの身体症状のせいでそれすら判別出来なかった僕にはそう思えた。
だがそうじゃない。
地面についた右手が――地面にめり込んでいたのだ。
まるでそれが当然のかのように、最初から僕の右手が地面とセットだったかのようにただその様子がそこにあった。右手首から先から、下が。めり込んでいるというより地面がその部分だけ液状化して僕の手首がただ入っている、沈んでいるという体だ。
だがその時の僕はぐらぐらする頭と身体を維持するのだけでいっぱいいっぱいでその現象をただ驚きながら注視することしか出来なかった。身体の変調のせいで周囲の音が遠ざかっているように感じられ、自分だけが狭い空間に閉じ込められたような錯覚にすら感じられ、場所はどこだ? という疑問すら湧く。
ふいに。
『大丈夫ですか?』
そんな声が聞こえてきた。背後から。むしろ前後左右すら確認しようがないのになぜか背後からと判別出来た。
ああ――後ろの人が心配して声を掛けてくれたのだろう、そう僕はうっすら思った。そしてその『声』を契機にのろのろとした動作で地面にめり込んでいた手首をゆっくりと引き抜いた。感じた感覚は皆無。そこは何もない空間で、地面じゃないんじゃないかと思ったほどのあっさりしたものだった。
『あの、本当に大丈夫ですか?』
その声でどうやら声の主は十代後半の女性とわかった。異常に頭に響いて聞こえるのは僕の身体の異常のせいだろう、その優しげな声も一音一音脳髄と頭蓋に響く。
『大丈夫。しっかり気を持って』
その声の主はそう言って、僕の肩に触れた。いや、触れたような感触を受けたといったほうがいい。依然僕は身動きできず感覚麻痺に陥っていたのだから。
なのに。その主が『肩に手を置いただろうという圧力』はなぜか判った。
瞬間に。目の前が開けた。
呼吸が正常に戻る。色彩が戻る。重力が身体に圧し掛かってきた。地面がわかる。周囲の喧騒や視線、雰囲気も感じ取れる。
「――!」
思わずその場で顔を上げた。身体は正常。何も悪くない。さらに場所は……電車のホーム、だ。
今更ながら冷や汗がどっとでてきた。震える手で額の汗を拭きながら、両手で顔や身体がちゃんとあるかどうか確認するかのように、異常がないかせわしなく弄る。
な、なんだったんださっきの。まるで別の空間に飛んだような、夢に落ちたような。言葉に出来ないものをまさに身体中で体験した。一気に窮屈な、逆になにもないとても広大な場所に放り出され、そして一気に箱のようなその場所から開放された気分だ。
名状しがたいこの嫌な気分。呼吸法で気分を整え、震える手を両手で包みながらゆっくりとその場で立ち上がった。
まだ動悸は乱れ、振るえと汗は止まらないが先ほどまでの身体の異常は不思議なまでに何もなかった。幻覚、いやあそこまで『リアル』なものは体験したことがない。久世さんの比ではないだろう。そこから自分だけが移動したような、逆に僕に向かって何かが来たような。そうすると誰かが僕に攻撃を? いやそんなメリットは「今のところ」なにもないはず、なのに。そもそもこんな精神だけを攻撃なんて聞いたことがない。
そこまで考えてようやく先ほど肩に手をやってくれた後ろの女性のことを思い出した。
この体調の回復。異常を回避してくれたのが彼女のような気がしたからだ。
「――あの、」
振り返ると、女性が、いた。だが。「肩に触れられるような位置にいなかった」。
「あ、」
僕は少し絶句して、ようやく冷静に思考する。電車待ちの時にいきなり前の人が苦しみ出したらそれは慄いて引くだろう。まして女性なら。周囲を見渡せば僕を中心に二メートルぐらいの輪でき、乗客だろう彼らが奇異の目を僕に向けて見ていた。
真後ろにいた彼女も同じように僕に恐怖と、好奇心の目を向けてきていて自分にその当人から視線を送られているためかかなり怯えた表情になっている。
ブラウンの膝上チェックスカートに同じデザインのブラウス、胸元には赤いリボン。それにローファーに学生鞄を持った見ただけでわかるどこかの女子高生だった。変わっているといえばその制服のうえから白衣を着ているというところだろう。
ティーア系ではないらしく、茶色の瞳、艶のある黒髪をセミロングでたらし童顔の顔は嫌らしくなく薄く化粧をしていた。全体的に大人しそうな可愛らしい普通の女子高生という印象。
当然彼女は約二メートルも僕と距離が開いているため、「僕の肩に手をおきようが無い」。だが僕は確かに、後ろから――
「あ、あの」
ふいに、その女子高生から声を掛けてきた。この外延部から頂上へ上がる待ち乗り場は大変広いホールになっており、飛行場のロビーのようになっている。遠く離れている外との扉の上は広い採光窓が何十にもあり、そこから外延周辺の高いビルや高速道路が垣間見えた。
出発アナウンスや先そぐ喧騒のその一角。どうやら僕は彼女を監視するかのように見ていたようで思わずあちらから話しかけてきたという具合だろう。
「た、体調、どこか悪いんですか?」
たどたどしい、高音のソプラノで僕に問うて来る。その間も周囲を世話しなく気にしているところを見るとかなり人見知りするようだ。「なんでこんなことを私がしなくちゃいけないの」、というのがありありとわかる。
そしてその声で、先ほどの女性とは違うということがよくわかった。僕に声を掛けてきた女性はもっと大人の女性のような落ち着いた声音色だったからだ。目の前の女の子とは全然違う。
それに……若干なんか涙目だし。僕そんなに異常者に見え――るよな。一旦深呼吸して息を整えてから声を出す。
「あ、いや……たいしたことないよ。ごめん、なんか驚かせちゃったみたいで。ちょっと、気分が悪くなって」
そこで僕が苦笑に近い空笑いをするが、彼女の表情は依然凍りついたままで笑おうとしているのか頬がひくひくしている。なんだか物凄く罪悪感が生まれるのだが……どうしようもないだろこの状況。下手に説明でもしたらさらに誤解を招きそうだし、彼女だけにするっていうのも変だ。
未だに先ほどの事態とこの状況をどうすべきかと迷っていたところ――おかしな様子の人が目に付いた。
遠くロビー入り口付近にいた黒尽くめの人物が二人、今にもこちらに飛び出そうとせんばかりの物腰で僕を注視しているのがよくわかったからだ。
彼らがコンコース付近で、改札を挟み、群衆を挟んだ上で、さらに百メートルは離れているのに僕にわかったのは彼らのその雰囲気と格好からだ。
二人連れで一方は背が高く、もう一方は一般女性ぐらいに低い。高いほうが僕ぐらいあるだろうか。二人ともしたには服をつけているだろうが上に黒いフードつき外套を羽織っていた。外套の表面は白い幾何学模様でそういうデザインなのか余計際立って見える。
おそらくもう一方の女性らしい人物は薄手のフードつきパーカーに、下も黒いロングスカートのようにも見えるものを穿いていて隣の男性らしき外套と同じような模様が刺繍されている、見間違いようが無い格好だった。
男はまるで外套の中に隠し持っていた何かを僕に向けようとしているかのような低い腰の体制でこちらを見て、女性はまるでパーカーの腰あたりにある何かを両腕で僕に向けて何かしようとした瞬前で止まった、という事情にように読み取れなくも無い。
しかしそんなふうに観察できるのはそこまでだった。僕に気づかれた、というか僕に見られたという感じでゆっくりと二人とも直立不動になり、そのまま扉をくぐって外に出て行ってしまったからだ。
だけど、もっとおかしなことに。誰もそんな奇異な格好の二人組みには目もくれず、まるでそこにいて当たり間のかのように人々は通り過ぎていくことだ。
すでにいなくなった黒尽くめの彼らを遠く見つめながら僕は、今更ながら呆然とそこを見つめていた。
なんだったんだあいつらは。明らかに「僕だけに敵意を向けていた」のはわかったが、なぜ僕なのだろうかということだ。
情報が漏れたかばれたか。それとも別の事情か? 両人ともにフードに顔が隠れて相貌は確認できなかったが、あのまま行かして良いものではなかったような気がした、が後の祭りはこのこと。
その事情についても、思い当たることはある、つまり僕が今さっき会った変な「現象」のことしか思いつかない。どうやってか知らないがあの二人は何かの事情であそこにいて、それで変調をきたした僕に反応した、ということだろう。尾行の類は僕は早急に気づくのでこの場合無いと考えていい。
ではなぜあの二人は「どうみても攻撃を仕掛けるような姿勢をみせたのか」。それが問題だ。
「…………」
やはり情報が足りない。自分で推測するにしてもまだトーラスにきて数時間の僕にはわからないことだらけだ。それこそ蓮桐にしこたま聞くしかないだろう。蓮杖とは……やばい、よく考えたらトーラスの成り立ちと臨界の話以外全部雑談じゃねぇか。仲いいよなぁーあいつと僕。はははー。
とか、そんなあたりまでぼんやりとした風で遠くを見つめていた僕は先のソプラノの声で現実に引き戻された。
「えっと、本当に体調が悪いようでしたら医務室までご案内しましょうか?」
そして僕がようやく目線を戻すと、先の女子高生が僕の目の前にまで位置していた。どうやら例の黒尽くめの二人を観察しているうちに周りの乗客達はすぐに興味を失ったらしく、先ほどの僕を取り巻いていた輪が無いにしろ列に並びながらチラチラと好奇の目を向けてくる程度だった。目の前の彼女にしても恐怖などすでに通り越して本当に心配してくれてるらしく綺麗な相貌を悲しげに歪ませていた。
随分と順応性のある住民だなぁ、と率直に思う。偏見かもしれないがまぁそれもこれもここが軍関係施設ならば、この程度のことは日常茶飯事で驚くにも値しないからかもしれない。
僕は自分の体調を俯瞰してみたけど、少し動悸が早いだけであとはどこも異常なし。いたって正常。
そこで差し障りない、人当たりがよさそうな顔を作って彼女に言う。
「心配ありがとう。でももう大丈夫だから。俺、ちょっと貧血持ちで時々酷い時があるんだ。でも今増血剤飲んだから問題ないよ」
スラスラと嘘がいるっていうのもなんか考え物だ、と思う。だって後からのフォロー面倒だし。とはいってもこの彼女とはもう会うことはないだろうし。
「そ、そうですか? あ、あの物凄い変、だったので。いやおかしいというか、奇妙? 奇抜? というか。本当に、大丈夫ですか?」
「…………」
いや、確かに「変」だったのは認めるけどさ。
そこまで言われるといろいろ僕のアイデンティティが傷つくというかなんというか。彼女なりに普通じゃなかったことを察しているのは凄いと思うけどなんか言葉攻めにあってるみたいだ。
「ですから医務室行きませんか?」
「……えーと」
心遣いは大変痛み入るがその流れだと「あなた変ですから病院行きましょう?」ってしか聞こえない。そんなことを意図して言っているわけじゃないんだろうなこの子。見るからに人良さそうだもん。
彼女は仕切りに耳にかかる髪を掻き揚げて僕の反応を待っている。さてと……。
「いや本当に大丈夫だよありがとう。それより君しっかりしてるね、学生さんなのに」
「はい?」
僕の言葉に凄く不思議そうに彼女は首を傾げた。
おっと。無難な会話に持っていって終わらせようとしたのにハズレ踏んだか。
彼女は周りの乗客と同じように首からパスを提げていて、僕はそれをそれとなく見た。「行政庁第四区自然管理――」まで読み取れたが後は別の理由で観察するのが無理だった。答えは単純。首から提げているなら当然、胸にぶら下がっているということで、つまりそれは彼女の胸にあるということで。
うん、そういうことだ、そういうことなんだよ。あんまり思考するとおかしな方向にいきそうなのでそろそろ自重したい。彼女は百五十センチ後半の平均以下の身長なのに胸は平均以上なのでこれ以上おかしな行動をしていると本当に変態になりかねない。
「そういうお兄さんは法化の方ですよね? 制服が随分と新しいようですが……。パスは本当に首に提げないんですね」
ふーん……。 法化ってそんなに有名なのか?
「よくわかるね。まぁ、制服が新しいのはまだ新米……だからだけど」
そもそもこのスラックスにデザインに凝ったワイシャツが制服であるなんてさっぱり忘れていたけど。ていうかパスそういえば提げないで今まで全部セキュリティ通ってきたな。この子に言われて初めて気付いたけどなんでだろ。まぁいっか。
「ああ、いえいえ、えっとその、法化の方たちが頑張っていらっしゃるのでここは平和でして、えーと……で、ですからその頑張ってくださいと、その、ちょっと声を掛けた感じでして」
そして今度は困惑気味に微笑む彼女。物凄い口下手だが、まぁつまり法化に対して何らかの恩義があって御礼とかいいたいとかそんな感じだろう。なるほど。ならこの状況で声を掛けた理由もわからないでもない。まぁ事情は突っ込まないけど。
――この子も、本当のこのトーラスの事情は知らないのだろうな。
私たちは被害者であり、他人に守られ、また守っている存在だと。そう卑屈に考えなければならない。それは……知らないほうが幸せなのか、それとも不幸であるのか僕でも解らなかった。
「頑張ってるって言うか、俺はまだなにもしてないんだけどね。頑張れるように努めるよ」
「へぇ! やっぱり新参は違いますね!」
「やっぱ狙って言ってる? それ狙ってんの? 本当に、ねぇ?」
「は、はい? ふぐっ、ええ?」
両手を合わせながら嬉々として話していた彼女はすぐに涙目になってしどろもどろになる。
ナチュラルに毒舌言うのかこの子。しかも人見知りに口下手。すげぇやりにくいな。蓮杖の比じゃない。とりあえずこの機会だから試しに聞いてみることにした。
「あー、えっと。その俺たちが使える干渉ってのあるじゃん。それ知ってる?」
「知ってますよー! あの魔法みたいなのですよね!」
言っちゃった。
俺でも思ったけど言っちゃだめだと思ってたこと言っちゃったこの子。
魔法って言っちゃった!
確かにそうだけどさぁ、臨界性を魔法とかファンタジーでファンタスティックなこと言っちゃったら、それを科学だと信じて使ってるあの子達が馬鹿みたいじゃん。でも信じる事柄ごとに違うからそうでもないかもしれない。魔法と信じて使っても、自己臨界性限界現象と信じて使っても、それは――どちらも同じだ。
ただ、信じる基準が違うだけ。
言葉の相違なんてどうでもいい。そういうことだと思う。
「こう、いろんなことを何の機械も使わないで凄いこと出来ちゃうんですよね! いいですよねぇ、私も使ってみたいです魔法」
「魔法じゃなくて干渉ね?」
魔法みたいなもの、が魔法になってるぞ。残念ながら自分にマジックポイントがあるかどうか僕も知らない。
「ああ、あう、ふぐぅ、す、すいません。よく言動が迷子とか言われてるんで。良く間違えちゃうんです。すいません」
「……いや、そんなに謝らなくていいよ」
ちょっと引いた僕。言動が迷子とかひどい言われようだな。
依然として彼女は指摘されることによる間違いを異常に恐れてるようにも見えた。ただの馬鹿な子にもみえなくもないけど、理知的な可愛らしい顔(今は泣き顔で潤んでいるが)からしてそれは無いだろうと思う。愛玩動物みたいな子だという印象は僕の中で依然変わってない。ていうか相変わらず無駄に人と接触するなぁ。
ふと、僕は少し疑問に思ったことを口にする。
「あのさ、『私も使ってみたい』とかさっき言ってたけど、このトーラス内で干渉使えるのって法化の人だけなの?」
そう自分で言っていてそこでようやく気付いた。そう言えば久世さんが「法化制圧部のみ全員使える」的なこと言っていたな。あの時「持っている」だのなんだの言っていたが、この干渉の理論を知ってるかどうかの問答だったのだろう。
「え? そうですよ。私たち一般人が干渉に関して理解しても使用できないのは当たり前じゃないですか」
そう言って冬の晴れ間にあるような暖かい笑顔で見てくるものだから、少し言葉を繋ぐのに躊躇した。
「あー……、そうなんだ。俺さっき言った通りここ着たばっかりでさ。一般人っていうのは、法化以外のティーア系も含んでのこと?」
目の前のこの子はどうみえも日本人だから、ティーアはどうなのかということなのだが。
「ええ、一般のティーアの方々も使えませんよ。そもそも理解できませんし、理解できても使えないんです」
「へぇ――」
それは、どういうことなのだろうか。同じティーア系であるのに法化に属する者だけが使えてしまうというギミックにはなにか意味が、あるのだろうか。そうすると蓮杖が言っていた「エリート」という言葉もわからないでもない。ティーアがティーアより抜きん出る方法、といったか。それがこれなら納得がいく。干渉という、言ってみれば巨大な武力を法化制圧部という組織は独占しているわけだ。そこに配属されるということはそれなりに厳しい審査と基準をクリアしなければならないはずだろう。それを持って蓮杖は「エリート」といったに違いない。他の人が使えない物を、使えるようになる。
だがそうするとさらにおかしい。
なぜ法化制圧部しか使えないように意図的にしているか、ということだ。
意図的なのか偶発的なのかはまだわからないが今の現状を見てそう考えて差し支えないだろう。いや、そもそもどうして使えるのかは法化の連中もわかっていないのかもしれないが、制限する方法を知っていると見ていいだろうからある程度は知っていて、あとは手に持て余している、ということか……?
そんな黙考している僕に目の前の少女はことさら不思議そうに首を傾げてその僕の様子を見守っていた。きっと僕が考えをやめるのを律儀に待つつもりだったのだろう、だけど、少女は「あ、」と声を上げた。
「もう電車来ちゃいますよ。はい、前ちゃんと向いて並んでください」
意外にはきはきとした言い方で僕を嗜めると、強引に僕の身体を引っ張り前を向かせる。先ほどまでのものじいしていた態度がおかしな程積極的な行動だなぁ、と思っていると電車の到着アナウンスがホームに鳴り響き聞こえてきた。
そして。僕は自分の右手をもう一度見て。もう一度握って。
「……この感覚も六年ぶりだよな」
Do you not take a short break?