信じてもらいなさい、そうしなければ裏切ることができません。
その気があれば。
「ぐあ、ありえねえ。さみい、ねみい」
僕が身を縮めながらそういうと一緒に白い息がこぼれた。まだ空は澄んでいるように青くて、それでも京都の空はぼんやりとかすんでいるだけだ。ちらほらと舞い踊るように白い欠片は服と髪に触れては積っていく。
自動車の走る中、二限目を終えた僕と由紀はそうそうに弘風館を後にして徳照館経由で烏丸今出川のファミマで弁当を買おうと寒い寒いと繰り返しながらそこを後にした。だけどなんてダサい名前だ。最初に入学時はさっぱり読めなかった館名もいまじゃすらすら読める。先輩におしえてもらったS館だとかの俗称を使って呼んではいるけど。
「寒いのか眠いのかどっちかにしなよ」
「……もうわからん」
ふーん、と意味ありげに彼女はにやけると降り注ぐ雪空を見上げる。
「なんだか春なのに寒いねぇ」
僕の隣りで明るい声でるんるん気分な鼻歌を歌う由紀が言う。
ブリーツのブーツにジーンズ。その上に麻のワンピースに厚手の白いフード付きのジャケットを着ていた。手袋もファーがついた白い色でそれを見ていると由紀の白い肌がますます透けて見えるように見えた。異常に白いその肌は生まれつきだとか昔聞いたことがあったが、それに黒髪が異常に映えるためによく注目される。特に男に。そこは別段、どうも思わないが、逆に「僕がそういう関係なのだろう」と思われるのが侵害だ。
「なんか楽しそうだな……」
僕が厚いコートだけで身を震わせるとそういいながらキャンパスの車両通用門から道路にでた。他の学生も同じ目的なのか僕らと同じくぞろぞろと町にくりだしていく。どっかそこらへんのファミレスで飯を済ませる気だろう。
「へっへ。こういうおかしな気候がくると私は気分が良くなるのさ」
そういうとやっぱり鼻歌を歌いだした。髪を綺麗な葵色の髪留めとめ、歩くたびにこぼれた髪がひらひらとまう。
おかしいのはお前だろう、とは言わなかったが今に始まったことじゃない。慣れるとこれでも一緒にいればそれなりに愉快な性格だなと容認できるようになる。
……つまりは慣れなんだろうな。僕はこいつに毒されてるんだろうか。
ああ、しかしなんでこんなにも建物がふるっめかしんだろうか同志社は。ブランドだけで普通に居眠りしてても注意されんばいところを同列にすると素直に東京の大学のほうにいっとけばよかった、なんて頭の片隅でどうでも良く考える。
「……学食もどこもいっぱいだろうしな。めんどくせ」
僕と由紀は大学と車道の塀沿いを歩きながら交差点のコンビニを目指していた。両手をポケットに入れながら身をかがめていると、どっかの草原を散歩するかのような陽気の横の女をみていると少し馬鹿馬鹿しい気分になってきた。
四月のコノ時期になると今出川は学生で溢れかえる。芋もあらいようがない、いや、荒いようはあるか、そこまではいかないがいっぱいになる。二年まで約四〇キロほど離れている京田辺で勉強していた学生がどんど押し寄せるからだ。建物改築する暇があったらとっとレストランでも作れといいたかった。いえないけど。そもそも言ったらしいが無理だったとかどうとか。キャンパス回りに飲食店が多いのはそのせいだろう。
僕は大学生というのが最近心底いやになってきた。別に変ったことといえば時間割に九十分授業に自炊にサークルぐらいで、別に高校とかわらない。
そんなもんだろう、なんて思う。
どうせ社会人になってもそんなもんだろう、って思うんだろう。少し偉くなってもこんなもんだろうと思うのだろう。例え社長になってもこんなもんだろうとおもうんだろう何様だ自分死ねば良い。
くだらない思考をしているといつの間にかに交差点の信号まできていた。信号で立ち止まると、地下鉄からたくさんの人が押し寄せ、同じく学生も押し寄せそれ避けつつ道路端で立ち止まる。
「なあ、部長。お前ってさ。高校の頃とか覚えてる?」
僕がなんとなく尋ねてみた。由紀は、ん? って言った感じで僕を見てきて腕を組んでは心底どうだったのか悩んで見せていた。黒密の髪がさらさらと流れる。
「まあー、覚えてるっちゃーおぼえてるかなー。今年成人式でトモダチとあったしねーん」
ふーんと僕が口を尖らしながらざわざわと回りにたまる人を見つめる。誰も彼も寒そうに身を屈め、白い息を量産していた。
「俺さ」
「なに?」
「なんか、こう、大学とかいったら今までと変らないけどさ、でもなんか今の高校生のときよりも何か変るんじゃないかってきがしてたわ」
僕がチラッと由紀を見るとびっくりしたように目を大きくして僕を見ていた。でもすぐにマジメな顔をして前を向いた。
なんだよ。
「二、三年経ってさ。別のところにいくと少し大人な感じがしてさ。ていうか親から離れるっていうのがなんだか大人な感じがしてさ。でも意外にそんなことないんだよな」
そう。そんなことはない。
自分がどこにいようが自分が変わらなければ、それはどこにいようと同じなのだ。
そんな単純なことすらようやく最近気づいてきたただの子供だった。
ただそれだけの話。
雪がちらつき始めた。京都は本当いうと四季なんてものはない。暑いと思ったらすぐに夏だし、寒いと思ったらすぐに冬だ。京都の四季折々なんぞ考えてるヤツはさぞかしがっかりするだろうな。
「すげえことが待ってる。絶対なにか変わる、ってバクゼンとおもってたけどさ、そんなことなかったよな。だからシャカイとかにでてもオッサンになっても同じことを感じて考えんじゃないかなって思うのさ」
絶対に、何かが変わる。そう信じても何も変わらない。
それが現実だ。でもそれを夢見るのは僕の妄想か理想なんだろう。
由紀少し考えるように通り過ぎる車の集団を見つめ、
「そんなもんじゃないの?」
彼女はなんでもないように、ただそう言った。
「そうかなぁ」
僕も少し黙って走る車両を見つめる。
「あんま、変った気がしないんだよな。やっぱし。高校のころはすげぇー変る気がしたんだけど、『ああ、やっぱりこんなもんなんだなー』ってさ。そうおもっちゃうわけ」
ふーんと由紀は聞いてるのか聞いてないのかわからない返事をしてまた鼻歌、じゃなくて本当に歌を静かに口ずさみ始めた。
―――Freude, schoener Goetterfunken,Tochter aus Elysium!
僕は急にへんなことを、今にはじまったことじゃないけど、しはじめた由紀を見て、
「それなんだっけ? 第九だよな?」
そう言うと同時に信号が青に変わる。僕と由紀は自然と押されるように歩き出した。由紀は白い息を吐きながら、白い手袋で、白い雪を手に取る。
「よーくわかるねぇ! すごい」
「わかるよ、あの年末にやってるやつ。シューベルトだっけ?」
「ベートーベンだよ」
そういって今度は日本語らしい発音でいう。
フロイデ、シェーナー、ゲッターフンケン
トホター アウス エリージウム!
「独語とってたっけそういや」
僕が呟くと由紀はたのしそうに頷いて車道を渡りきった。僕がその続きを独語の発音で言う。
――Wir betreten feuertrunken,Himmlische, dein Heiligtum!
Deine Zauber binden wieder,
そういって僕がファミマの前で空に目をやりながら言う。
「独語とってたっけ?」
「いんや。フランス語」
そういってから僕はどんな訳だったかおもいだして、
「美しい神なる閃光は大きな喜びだ。天国の楽園からの娘は大きな喜びだ。神よ! 我々は貴方様の天国のような聖域に情熱を持って踏み入る。だっけ?」
「よくできた。評定A」
ありがとさん、と僕が笑うと、
「フランス語でもやったんだよ。昔な」
随分昔に必死に覚えて試験前にやった気がする。確かあれは夏の前で、かなり暑く、大学の図書館にも行かないでもくもくとアパートで勉強していたころだ。
随分と、変った気がする。
その頃と比べると。でもまだまだそれは僕の主観なのかどうなのかわからなくて、とりあえずまぁ、そうなだろうと考えを落ち着かせる。
「気付かないからね」
急に由紀が言う。相変わらず機嫌は上々。
「何?」
「成長って言うのは気付かないものなんだよ副部長君。『じゅうよう』なのは何が変わって、何が変わっていない、なんだよ明智クン。比較するなら変わっていないとダメだ。でも変わらないのに比較してもダメだ。それを考えるのが、成長っていうのさ」
……いつもながらなにを言いたいのかわからないやつだが。
つまり、人はいつのまにか変わってる、っていいたいのだろうか。
不思議と足はコンビニの目の前で止まっていたらしく、由紀は僕を見上げたまま不思議そうに立ち止まっていた。
「行くか」
「うん、あ、驕って」
「何を?」
「ファミチキ」
僕が声で渋るとと由紀はやはり鼻歌を歌いながらコンビ二入った。
walk long long time.
ベートーヴェンの交響曲第9番の第4楽章引用
同社大学2004年度入学パンフレット引用
同志社大学掲示板及び公式サイト引用
2002 京都の四季 引用