あるいは因果応報。
相変わらず毎日忘年会してます。
昨日は二件の忘年会はしご。
クリスマスもパーティとは言ってみたものの、内容的にもメンツ的にもほぼ忘年会。
(あ、曲も作りましたよ)
色々様々。
さて本題。
自分を取り巻く全てが、自分と言う存在が作用した結果だというのはあらためて言うまでもなくそうなんだろう。
うまくいったことも、そうでないことも、天がふいに与えてくれたわけじゃなく、自分の作用の積み重ねの結果だと。
同様に、命というのも、自然発生的に突然現れるようなものではなくて、遥か彼方過去から続く膨大な因果の結果であって、今このときの生もまた、遥か彼方未来へ続く因果の一部なのだと言うのが自分の死生観。
好きも嫌いも、自分に向けた感情には大差なく、自己防衛やエゴの一種のように思った。
だから、自分を過度に嫌う必要がないのと同じように、自分を無理やり好きになる必要もないのだろう。
自分を好きにならないと、という現代的なある種の脅迫観念にも似た思想は、個の自立に繋がる反面、危うさもあって、端的に言えば、どれだけ自分を好きになっても、そこから新しい命が生まれることはない。
命と言うのが、世代を重ねることで未来へ続いていくものだとして、そう考えると、生命の本質は「自分以外の誰かを好きになる」ということなのかもしれない。
個としての生が誰かのためにあるなんて、なんだかロマンチックです。
来世や前世を信じるのは少し利己主義的かもしれなくて、自分は大きな流れの中のほんの一部なのだと思うのは友人達の子供を見たばかりだからだろうか。
(笑っている友人の子供をみて「ああ!この子のためになんでもしてあげたい!」なんて、親バカ思考が発散してこんな記事になるまで妄想が膨らむ僕です)
魂が不滅とか考えるより、種として世代を重ねると言うことの方が、輪廻という言葉の意味には納得がいくような気もする。
そんなクリスマス終わり。
いろんな人がいろんな人生を生きてるのだと素直に思った。
望む結果を得るためには、それを得るだけの因果を積み重ねないといけなくて、そんなことはみんなわかっているはずなのに、なかなか実行に移すのは難しくて、さらにそこから結果にたどり着くのも同様に難しい。
ではでは。
また更新しますね。