感情は理性の燃料である
理性とは、「身体主導の感情を原動力に、広く深く統合された安定した意味構造を形成する能力」です。
シンプルに言うと、「感情を燃料に意味構造を拡張する能力」です。
身体主導の感情とは、外部の出来事によって生じる脳活動の変化に伴う「受動的な情動」のことです。
意味構造とは、出来事や対象に対して人がどのような意味付けをしているかという認知構造のことです。
その意味付けは、人によって「内容」「幅」「深さ(理解度)」が異なります。
例えば同じ自動車を見ても、
「ただの移動手段」と捉える人もいれば、
「車種は○○で、色は白、ナンバーは…」と細かく認識する人もいます。
このように、意味付けの内容・幅・深さの違いが、「意味構造の違い」です。
つまり、
「意味構造=内容×幅×深さ」
の3次元です。
意味構造の更新
意味構造の更新とは、出来事に対する意味付けが変化したり、既存の意味付けに新しい視点や理解が加わることです。
意味構造(外部の出来事への意味付け)が更新されるほど、身体主導の感情は二次感情(新しい感情)、三次感情…へと変化していきます。
つまり人間の思考は、
「出来事→身体主導の感情→理性的思考(意味構造の更新)→二次感情→理性的思考→…」
という循環で進行し、感情は理性を駆動するエネルギーとして働きます。
基本的な感情(喜び、怒り、悲しみ、恐れなど)や高次感情(恥、罪悪感、誇り、共感など)は、身体主導の感情を原動力に感情と理性の循環を通して形成される「二次以上の感情」です。
身体主導の感情は「受動的」ですが、「二次感情→三次感情→…」と変化するにつれて、次第に「主体的な感情」へと変化していきます。
意味構造は更新されるほど、他の意味構造と統合されていきます。
その結果、意味付けも感情も徐々に安定していきます。
具体的には、
「クラクションを鳴らされる(出来事)→驚く(身体主導の感情)→クラクションの音だと理解する(理性的思考)→イライラする(二次感情)→鳴らされた理由が自分にあることに気づく(理性的思考)→申し訳ない気持ちになる(三次感情)→今後は気を付けようと反省する(意味構造と感情が安定)」
といった例が挙げられます。
意味構造が広く深く統合されるほど、統合が済んでいない未知の領域は少なくなっていくため、意味構造が更新される機会は少なくなっていきます。
すると当然、理性的な思考は形式化していることが多くなります。
ようするに、理性と感情は対立する関係ではありません。
感情は理性を動かす燃料なのです。
この考え方は、ダマシオのソマティック・マーカー仮説(感情と理性の循環が成立しないと、理性による意思決定は成立しない)や、カーネマンのシステム1(速い思考)・システム2(遅い思考)の相互作用モデルとも深く一致します。
ダマシオの患者エリオットは、一次の身体主導の感情(驚きや軽い苛立ち)は残っていたものの、前頭葉(眼窩前頭皮質)の手術により感情と理性の循環が断絶されてしまったため、感情という燃料を理性に送ることや、二次感情の生成が著しく困難になりました。
既存の意味構造は残っていたおかげで知能は健在でしたが、意味構造を拡張することは難しい状態です。
その結果、新規に意思決定を生成することも難しくなり、日常生活が困難になりました。
補足①
意味構造の拡張(更新)とは、単に知識を増やすことではなく、統合的に拡張することを意味します。
エリオットは知識を増やすことはできましたが、統合することは困難になったのです。
補足②
「感情を理性に活用できない」というこの症例は、実は現代のAIにも当てはまります。
意味構造から物語構造へ
理性とは「身体主導の感情を原動力に、広く深く統合された安定した意味構造を形成する能力」と最初に説明しましたが、厳密には「物語を形成する能力」も含まれます。
つまり理性的思考とは、「身体主導の感情を原動力に、意味構造を広く・深く・時間的に統合していく作業」です。
意味構造が時間軸(過去・現在・未来)にまで拡張されると、人は出来事を一つの物語として理解するようになります。
つまり、
「物語構造=意味構造(内容×幅×深さ)×時間」
です。
思考の型
特定の出来事が起きたとき、その後の思考は以下の5つに分類できます。
①逃避型(思考の放棄)
例:距離を置いたり注意を逸らすことで、特定の感情を引き起こす原因を回避する
②未処理抑圧型(感情的思考)
例:ストレスを溜め込む
③未処理発散型(感情的思考)
例:ストレスを外部に表出する
④内部処理型(理性的思考)
例:頭の中で分析や試行錯誤をする
⑤外部処理型(理性的思考)
例:音楽、芸術、創作、文字などで、アウトプットしながら分析や試行錯誤をする
理性的な人は感情が希薄なわけではない
「感情というエネルギーを消費して意味構造を更新すること」
――それが理性的な人の感情表現です。
例えば画家は感情を言葉や表情ではなく、絵で伝えます。
それと同じように、言葉を主な表現手段としている人は、
「どれだけ語っているか、どれだけその内容が熟考されているか」
から、その話題についての感情や関心の強さが分かります。
つまり、思考にどれだけエネルギーが使われているかが、その話題への感情や関心の強さを表します。
感情をありのまま伝えることだけが感情表現ではありません。
理性的な思考も感情表現です。
会話は感情的になりやすい
「即応性」が求められる会話では、未処理抑圧型や未処理発散型の思考になりやすいです。
なぜなら、理性的な思考には「熟考」する時間が必要だからです。
会話は雑談や情報の効率的な共有には向いていますが、熟考する暇がありません。
話し合いで感情的になって失敗した場合は、「何を言ったか」ではなく、話し合いの方法に「会話」を選んだことが原因かもしれません。
理性的な思考が必要な場合は、文字でのやりとりなどにすると上手くいくことがあります。
会話よりチャット、チャットより手紙による文通の方が、たっぷり時間をかけて返事ができるため、落ち着いて交流できます。
悩みやネガティブな感情について
意味構造の更新が上手くいかず、同じ負の感情がループしてしまうとき(思考の空回り=未処理抑圧型)は、理性的思考で意味構造を更新する際に、広さ(多角的な視点)と深さ(理解度や根本的な動機の探求)を限定してしまっている可能性があります。
負の感情(怒りや不安)は強力な燃料になりますが、意味構造の更新に失敗すると「思考の空回り」を起こしやすいという側面があります。
また、物語的統合に至るためには、正の感情だけでなく負の感情とも向き合う(燃料として利用する)必要があると考えられます。
順風満帆なだけのストーリーに価値を感じる人は稀です。
心理学者のダン・マクアダムスが提唱する「物語的アイデンティティ」においても、人生のネガティブな出来事をどう意味付けし、現在の自分に繋げるか(償い、あるいは救済の物語)が、精神的な成熟に不可欠であるとされています。
感情は負の感情も含めて、「自己の物語を豊かにするための貴重な燃料」と言えます。
物語的統合までの思考の流れ
物語的統合まで踏まえると、人間の思考は次のような流れになります。
「出来事→身体主導の感情→理性的思考→二次感情→理性的思考→…→ネガティブ感情との対峙→意志形成→理性的思考→再びネガティブ感情との対峙(意志継続が試される)→強い意志による長期的な思考の循環→広く深く時間的に統合された意味構造の形成(物語と意志が安定)」
「意志」は、感情と理性の循環を通して形成される、「特定の意味を中心に意味構造を拡張する方向性を持つ長期的な感情的思考」です。
「意思」は、感情と理性の循環を通して形成される、「特定の意味を中心に意味構造を拡張する方向性を持つ短期的な感情的思考(例:読んだことのない漫画を読もう)」もしくは「既存の意味構造を再生成する方向性を持つ短期的な感情的思考(例:お腹がすいたからご飯を食べよう)」です。
物語的統合に至るまでの過程では、ネガティブな感情とも何度も向き合うことになります。
そのため意志はすぐには安定せず、葛藤を繰り返す中で広く深く再形成されていきます。
場合によっては、意志の方向性そのものが変わることもあります。
意志の方向性そのものが変わるというのは、単に挫折や諦めるという意味ではなく、「他の事柄にも価値を見出す」など、「意味構造の健全な再更新を伴う挫折や諦めなど」のことです。
具体例としては、「失恋を経て新たな恋を見つける」などが挙げられます。
