フジファブリックの動画を何気なしに再生するといきなりそれは志村の挨拶とともにお別れ会の映像が流れた。
鼓動が早くなり胸が締め付けられた。
もちろん死んでいるのはわかってはいるのだが、何故か見られなかった。
消えたら嫌なのでとりあえずクリップボックスに保存はしたけど、こんなにドキドキしていることにとまどっている。
見れない。
東京、音楽、ロックンロールも志村が休養に入ったところから中だるみというか、私も休憩みたいな気分になってなんとなく読めていない。
気づいてしまった。
私は志村が死んでいることを受け入れられていないようだ。
ミュージシャンとは、毎日声を聞いていればそこに存在して、当たり前に志村がそこにいて、もし生きていたとしても同じ日常なのだから、生活に変わりはない。
ライブに行けば会えるけど、本人を目の前にしても今ここに存在してるって思ったら感激するけど、峯田だって岸田だって小さく見えて人間なんだって思うけど、握手したり目の前にしたことはないし、ライブの臨場感だけで、あまりにリアルにミュージシャンの生を感じたことはない。
だから志村が死んでいることは、音楽が更新されないこと以外は感じられない。
更新はされなくていい。あの頃のあの声のあの音楽が好きだから、ずーっと変わらなくてそれがいい。
なのに志村が死んでいることは受け入れたくないんだな。不思議。
もし志村が生きていて、生で志村の声を聞いたら、それだけでミュージシャンの生を感じただろうか。
あの動画の冒頭の志村の挨拶は、喋り口長も、声も、言葉もなんかとてもリアルで、ほんとに志村らしくて、志村が生きてる様な雰囲気で、それと同時に、志村が死んでいることを突きつけられたような、変な気持ちになった。
いつもMCも大好きだから、何回もそれ込みで聞いて志村の話口調には慣れているのに、大好きな志村の話口調を聞いていられないなんて、お別れ会の映像がそれほど強烈だったんだろう。
ミュージシャンって遠い存在なのに、毎日声を聞いているだけで、まるで身内の死を受け入れられないかのような、そんな気持ちになるってすごいな。
クリップボックスに保存された動画、いつかちゃんと見ようと思う。東京、音楽、ロックンロールも最後までちゃんと読もうと思う。
まだまだ毎日志村を感じながら、生活を繰り返すんだ。