私は

ワガママに

自分を


苦しめた

ラーメンを

まだ


食べようとしている笑


それは、

彼があまり

すれ違っていた


時間に

理解しつつも

周りとの


調和が

取れているのか

または


何か犠牲的な

物質を伴わない

空虚的な時間に


なるかを

意味している事は

明らかだったからです。


しかし

その時の

感情や突発的な


怒りは

もう隠せなく

なっていた。


互いに。


私は知っていた。

しかし、

胸に秘められた


淡い感情にせよ、

強い憤りに近い

恋心にせよ、


違う形を求めていた。


全く予期せぬ形である事は

間違い無かった。

私の方針も


これまでの

学びも全て

覆ってしまうかの様な


明日は

彼にも父にも

そして私の倅であっても


受け入れられる

答えでは無かった。

それだけ


目の前にある

現実や自分達の

明日は


到底誰かに

手を差し伸べる

暇も無いほど


身に切迫が迫っていた。


胸が締め付けられる

痛みと戦わなくては

ならなくなるという


時間を

私にも

知らせてくださいました。


ありがとうございます。


あの日と

呼べる日から、

他愛もない


会話をして

過ごしながら

これを見ていたのか。


彼は

呆れただろうと思いますが、


私達の現実です。


そして、

どの様な時間を

過ごしながら


どんな時間を得て

死を迎えるかは

誰も解りません。


それだけ人間の

治癒力も薬の力も

かけがえの無い


素晴らしく

尊いものです。

あなたご自身が


尊い様に、

薬や助けも

同じく信じなくては


なりません。


助かった自分が

話すのですから

偉くなるより簡単です。























あなたの治療や

あなたの生きる時間に

私は命をかけ、


お時間を作らせて

頂きました。

今日もしも


喉が渇き

あなたを

思いながら


その飲み物を

飲むことが

許されるならば


私は幸せです。


そして、

この場所に

子はおらず


自身の幸せに

例え孤独感に

苛まれようと


私が回復に

向かう迄の

お時間を


共に大切にし、

生きる意味を

間違わずに


一生懸命

身を守る姿勢とは

静かに待つとは


どんな幸せに

変わるのかを

よく見出して


欲しいのです。

あなたの

健やかなお顔を


また拝見したいと

願うのは

私からでは無い事は


神がご存知です。


私が1番に早いと

感じるならば

あなたの健やかに


生きる場所を

拝見出来る場所で

待ちたいと思います。