まず

何も無い

状態になるには


物理的に 

そこには

何も無かった


ないしは

何かで

片付けなくては


ならない様に

なっていなければ

やはり


結論は変わらないのですね。


不可能でしょうか。


人類の危機ならば

私は

例え危険が


近くにあるならば

やはり

遠くに離れなくては


なりませんし、


躓きの元を

見出さないで

居られるならば


それは幸いです。



















アスファルトを

見つめながら

何時間も


今だから

出来る事

私が出来る


たった幾つかを

必死に

捉えてみて、


何時間も

歩いても

いつも通る道、


真っ直ぐな道だからこそ













達成感が

果てしなく

続くんです。


可笑しいでしょう。


ワクワクですよ。

負けちゃダメ🙅

だという、


自分への期待や

鼓舞ですよ。

確信は


裏切ったりしません。


他の誰かが

居なくても

私は寂しくなかったのは


必然でした。















初めから

一人でしたから

私は


淋しくならなかったのです。


痛む

足を

どうしてるんだ!と























もう2度も

訪れたりしないから、

心配いらないのです。


だから、

道はこの様に変わり

部屋は


この様になります。


泣きたくなる様な

現実も

住めば都。


新しい部屋。


学びの日。

私には

パラダイス。


彼とあなたが

作って下さった

キレイな


言葉がある

私の

帰られる家🏡