沈黙の迷宮 | ランニングとフライトシミュと・・・♌スフィンクスのホロスコープ☄

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星好きな市民ランナー 兼 バーチャル・パイロットの日記、フィクション、タワゴト、ちょこっとボランティア

今年最後の記事は、
現在も謎の多いクレタ島のクノッソス宮殿

をもとに、いろいろと考察していきたいと

思います。

その前に、私の話はどうしても、天体と結
び付けてしまいますこと、ご容赦願います。

さて、世界最古と言われるエーゲ文明の中
で、最も栄えた交易の中心地であり、
ミノア文明の象徴であるこの宮殿が残して
いる謎とは何なのでしょうか?
 

 



謎-⑴ 怪物ミノタウロスと迷宮

ミノタウロスは、海神ポセイドンがつくりだした
牡牛とミノス王の妃との間に生まれた、人間
の体に牛の頭を乗せた怪物で、ミノス王は、
迷宮を造ってこの怪物を閉じ込め、アテネの
子供を生贄として与えていたといいます。

クノッソス宮殿は、1000~1500もの部屋
があったとされ、階層も4~5階建てもある、
まさに迷宮です。
また、ブリストル大学の古典考古学教授
ピーター・ウォレンは、クノッソス宮殿の地下室
で子供の部屋と骨を発見しました。
子供の部屋では人骨と人骨の断片371個
あったそうです。

「ミノタウロス」


from:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%AD%E3%82%B9

しかし、怪物は後に作られた神話の世界の
話であって、本当に怪物がいたとは考えられ
ません。
また、生贄の儀式は、現代では残酷なもの
ですが、当時はエジプトでも生贄の儀式は
普通に行われていて、エジプトと交易が盛ん
だったクレタ島でも一般の儀式として行われ
ていたと考えてもいいのではと思います。

ともあれ、この時代は春分点に「牡牛座」が
あり、牡牛との関わりが深かったと

考えられます。

イギリスのアーサー・エヴァンズ卿がこの宮殿を
初めて発掘したときも、宮殿の装飾に牛のモ
チーフが多用されていたことから、伝説のミノス
王の迷宮だと確信したそうです。

「牛飛び」の儀式

from:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%8E%E3%82%A2%E6%96%87%E6%98%8E#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Knossos_-_06.jpg


ここで、紀元前2000年頃の牡牛座の
ヘリアカル・ライジングを再現してみましょう。
場所はもちろん、クレタ島です。

「紀元前2000年頃の
       牡牛座のヘリアカル・ライジング」


残念ながら、春分の日ではなく、5月10日
頃の図です。春分の日では、太陽が牡牛座
の中に入り込んでいるので、日の出前の東の
空に牡牛座は見られません。
日の出前の東の空に牡牛座が見えるには、
5月まで待たなければなりません。

この時代の牡牛の天空での象徴は、どうやら、
「夜明け」ではなく、「日没直後」のようです。
それは、次の古代ギリシアの詩人ヘシオドスの
叙事詩に表されています。

”そしてもし嵐の海を渡ろうという望みが
汝を捕らえたとしても
プレアデスが強大なオーリーオーンを避け
深い霧の奥に潜り
激しい風が荒れ狂うなら
汝の船を暗紅色の海に出してはならぬ
しかし我が言のとおり忘れずに地を耕すのだ”

これは、牡牛座のもっと狭い領域
「プレアデス星団」が、豊かな農耕や狩猟の
収穫の女神ハトホル(古代エジプトの女神
で天の牛を意味する)の象徴であり、古代
ギリシャにおいても、農業歴としての役割が
あったことを表しています。

詩の意味は、
「プレアデス星団が、オリオンを避け
深い霧の奥に潜って西にある時期、
春の夕方早くは一年で地を耕す
のにちょうどよい時間になる。」

つまり、当時の春分の日には、太陽が
ちょうどプレアデス星団付近にあり、西の空に
プレアデス星団が沈んだ後にオリオン座が西
の空に見えてきます。
(下の図)

「紀元前2000年頃の春分の日の日没後」


まさにオリオンを避けて先に地平線に潜った
夕刻の時期に、農耕の準備をしなさいと言
っているようです。

謎-⑵ 高度な建築技術

それにしても、3500年前に高度な建築技
術があったということは驚きです。
巨大なホテルのような建築物です。

木材と石を組み合わせた独特の構造で、
なぜか、柱は木を逆さまにして、上側が太く
なっています。

それに、クノッソスが当時世界最大の都市
であったにもかかわらず、防御のための城壁
が全くないのも不思議です。

この建築様式や文化、文字はミノア文明
滅亡後、ミケーネが支配した時期を除いて
継承されず、のちのポリス国家のいわゆる、
古代ギリシア文明よりも洗練された文明
は途絶えてしまいました。

謎-⑶ 何のために造られたものか

ドイツの地質学者H・ウンダーリヒは、
「玉座の間は普通外国の使節が王に会見
する部屋なのに、風も光も届かない地下の
迷宮にあるのはおかしい。」として、
「死者の宮殿」だと主張しました。

また、中庭の石畳は、「石」でなく、「石膏」
でできていて、不思議なことに、その上を人
が歩いた形跡がなく、キレイなまま残ってい
ることも、この宮殿は少なくとも、人が居住
する目的で建てられたものではないとする
根拠となっています。

それから、「宮殿」ではなく、「神殿」だと
いう学者もいます。
城壁や武装設備がなく、他の場所に神
殿がないというのがその根拠です。


謎-⑷ 滅亡、そして400年の暗黒時代

これが、クノッソス、それだけでなく当時の
東地中海周辺地域一帯(トロイも含む)
で起きたとされる史上最大の謎の出来事
です。

それは、紀元前13世紀末から前12世紀
初頭の50年間に起こり、それから400年
もの間浮上できなかった最悪の災難。

何かの、史上に類を見ない大惨劇があっ
たであろうということは、ほとんどの学者は
認めていますが、それが一体何なのか、
犯人捜しはまだ続いて、解明できていま
せん。
(参考:前1200年のカタストロフ

大きな流れとして、「青銅器時代」の終焉
と「鉄器時代」の到来がありますが、
それは、経済システムの変化に影響が
あっただけで、文字や芸術、建築技術、
絵画、土器など、あらゆる文化的なものが
失われ、忘れ去られ、まるで文明がリセット
されて再スタートを余儀なくされる事態に
結びつくものではないと学者は考えています。

しかも、それはローマ帝国の盛衰とは違い、
あっという間に崩壊、破壊されて起きました。

研究者たちは、考えられる原因をひとつ、
ひとつ検証していきました。

飢饉、戦争、病気、政治的激変、火山、
地震、津波、海賊、民族移動、システム
崩壊、あるいはどれかとの組合わせなど。

しかし、決定打はないようです。

有力なものとして、クレタ島に近いティーラ
火山(サントリーニ島)の噴火が挙げら
れたのですが、確かにそのときの津波によって
ミノスの宮殿は破壊された可能性はあるもの
の、年代推定が紀元前1500年頃と、文明
崩壊よりも400年ほど早く、疑問が残ります。

クノッソス宮殿がエヴァンズ卿によって発掘
されたとき、遺跡は破壊しつくされていたと
いいます。

同じように、紀元前1200年頃、東地中海
沿岸の主要都市アナトリア、キプロス、トロイ、
ウガリット(現シリア西部)などほとんどの
都市は焼き尽くされています。それも、2回
にわたって。(ロバート・M・ショック著:
VOICE OF ROCKS)

考古学者や歴史学者が犯人として挙げない
ものがあります。
それが、「隕石の衝突」です。

もともと、考古学者と地質学者は折り合い
が悪く、考古学者は地質学者の声に耳を
傾けないようです。

スフィンクスの建造年代指定にしても、全く
地質学者の意見は無視されてきました。

英国人天文学者のビクター・クリューブと、
ビル・ナビエは、牡牛座流星群とエンケ彗星、
それと数個の大型小惑星が互いに影響しあ
い。大きな筒状の中の流星物質の軌道が
毎年4月から6月下旬と、10月から12月
の2回地球がこの中に入るとしています。

そして、この中の小惑星の一群と地球との
遭遇は1000年ごとにピークを迎えると。

こうした事件は、あまり知られていませんが、
つい最近とも言える、1975年6月下旬に
「月」で起きています。
月が牡牛座流星帯に遭遇し、5日間で
5年間分に相当する量の1トン級の隕石に
見舞われました。
地球で流星雨として見られなかったのは、
これが昼間の地域に起きた現象だからです。

また、今から844年ほど前の1178年6月
25日、
イギリスのカンタベリーで数名の修道士が。
三日月の角が割れて割れたところから、松
明の炎のようなものが立ち上った様子を見
ました。これは十数回くりかえされ、月全体
が黒くなっていたといいます。

隕石の専門家は、これは幻視ではなく、
本当にあったものと捉えて計算したところ、
月面探査によってピタリ計算に当てはまる
クレーターが発見され、衝撃による月自転の
ブレが計算どおり今も残っていることを実証
しました。

この二つの事件はいづれも牡牛座流星群
から地球が脱出する6月下旬に起きている
ことも偶然とは思えません。
1908年のツングースカ爆発も6月30日に
起きています。

ツングースカの事件がもし、大都市の上で
起きていたら、それは、広島型原爆の
1000倍以上の炸裂となり、数十万から
数百万人の死者で出て、都市機能が破壊
されてしまうと考えられています。

こうした直径が50m級の流星物質はありふ
れた存在で、探査網にも引っ掛かりません。

東地中海沿岸がこのような隕石でやられた
としても、その痕跡は残らないでしょう。

地上5~8km上空で炸裂し、焼失して、
クレーターも残らない。

熱風と衝撃波で都市を焼き尽くし、破壊
して消え去ります、

以下にツングースカから100km離れたワナ
ワラの町での目撃証言を載せます。

「空が割れ、巨大な炎が現れた。
気温が上がり、耐えられないほど
暑かった。
耳が聞こえなくなりそうな爆発音が
して、友人は6メートルほど飛ばされた。
揺れのために天井から土が落ち、
窓ガラスが割れて桟から外れた。」

そして、大量の塵によって大気の透明度の
低下がカリフォルニアの天文台で観測され
ました。

前1200年の東地中海沿岸部の空は、
危険に満ちた空であった可能性は十分
あると思われます。

それは、もしかしたら、何年か「小爆撃」で
続いたのかもしれません。

歴史の検証は、永遠に答えは出せずに
続くでしょうが、私たちは未来を考えなけれ
ばなりません、

最後に、これまで地球に危機を及ぼして
きたとされます、エンケ彗星を軸とした、
牡牛座流星帯を表示した太陽系図を
スケールを変えながら表示したいと思います。


時期は、今年の6月25日、

過去の隕石衝突事件のあった、

牡牛座流星群から 出る時期です。


最初の冥王星の軌道サイズから、スケールを5倍ずつ

拡大していきます。


グレーの帯が、エンケ彗星の軌道を中心とした、牡牛座

流星帯の「彗星デブリ」の流れです。

 

これは上(北側)から見た図なので、地球がスッポリ中

にハマったように見えますが、彗星デブリは地球よりも

下(南側}にあります。これが牡牛座流星帯の本流と

考えられます。そして、この軌道は変化していきます。

 

最後の画像で、やっと地球と月の大きさの違いがわかります。

最初の画像の、なんと15625倍です!

いかに、ちっぽけな地球に住んでいるかがわかります!

 

皆様、よいお年をお迎えください‼️ 

 

私の青春時代の曲、天使の歌声 岡村孝子 「TODAY」

「ありふれた今日がある、幸せ!」

 

 

 

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