最後のハンカチ 

第7章:形は愛情、愛情に囲まれて

タカシは静かな部屋に戻った。

ベッドの上には、畳まれたラグビージャージと私服。

――母が、いつものように畳んで置いてくれていた。

視線を巡らせると、部屋のあちこちに愛の証が散らばっていた。

写真。幼いころに描いた母の似顔絵。

手編みのマフラーや手袋。

その一つひとつが、母の手から生まれたものだった。

しかし、もう畳んでくれる母はいない。

畳まれたジャージや私服が、愛おしくてたまらない。

引き出しを開けると、整然と並ぶハンカチ。

――これらすべてが、母の愛情の形だ。

毎日の食事、その工夫。

おにぎりの形や味。

手編みのマフラー、小さな手袋。

生きている時になぜ気づかなかったのか。

感謝も言わず、当たり前だと思っていた自分を悔やむ。

部屋を見渡すと、愛に囲まれていたことに気づく。

手元にある母が畳んだ最後のハンカチ。

タカシはそれをそっと両手で包んだ。

――もったいなくて使えない。

引き出しに戻しながら、胸が締め付けられる。

ふと、祖母の誕生日を思い出した。

母と相談してケーキを買った帰り道、うれしさのあまり腕を振りすぎて、ケーキは変形してしまった。

涙を流すタカシに、祖母は笑って言った。

「ありがとう。買ってきてくれたその気持ちがうれしいんだよ。」

「ケーキはタカシの気持ちの表れなんだよ。それが通じただけでうれしいの。」

その言葉が、今になって胸に響く。

――形は愛情。愛情は形になる。

タカシは最後のハンカチを見つめながら、母の愛を全身で感じていた。

 


最後のハンカチ

第6章:突然の別れ

最終学年としての夏合宿を目前にしたある朝、電話のベルが鳴った。

「タカシ…お母さんが…」

姉の声は震えていた。言葉の意味を理解するまで、数秒かかった。

――急死。

その二文字が、タカシの胸に重く落ちた。

病院の白い壁、消毒液の匂い、冷たい空気。母の顔は、眠っているように穏やかだった。

「嘘だろ…」

声にならない声が喉で詰まる。泣きたいのに、涙が出ない。胸の奥で渦巻くのは、怒りと空虚だった。

 葬儀の日、家の中は静まり返っていた。

父は気丈に振る舞い、涙を見せない。

姉は声を上げて泣きじゃくり、母の名前を呼び続ける。

タカシは泣きたいのに、涙が出なかった。胸の奥で何かが固く結ばれていた。

その夜、玄関のチャイムが鳴った。

扉を開けると、ラグビー部の仲間たちが立っていた。泥の匂いがまだ残るジャージ姿。

「タカシ…」

言葉は少なかった。ただ、その目に込められた想いが、タカシの胸を震わせた。

顧問が静かに言った。

「心の整理がつくまでクラブは休んでいい。お父さん、お姉さんのこともあるだろうし…何よりもタカシ、君のことだ。」

その声は、優しくも力強かった。

「しっかり心を整理して戻ってきてくれ。大人の男としての準備だ。」

ダイスケが笑って肩を叩く。

「待ってる。来るまでは俺が引っ張るから。」

「俺たちもな。」仲間たちの声が重なる。

その瞬間、タカシの胸に熱いものが込み上げた。

――一人じゃない。

仲間がいる。このチームがある。

タカシは静かに頷いた。

葬儀の日の父は気丈に振る舞っていた。涙を見せることなく、淡々と進行をこなす姿に、タカシは苛立ちを覚えた。

――どうして泣かないんだよ。

心の中で叫んだ。

夜、タカシは自分の部屋に戻った。ベッドの上には、畳まれたジャージと私服。引き出しには、アイロンがけされたハンカチが整然と並んでいる。

「全部、母さんが…」

その事実が胸に突き刺さる。今まで当たり前だと思っていたことが、愛情の形だった。悔しさが込み上げる。もっと感謝を伝えればよかった。もっと話せばよかった。

 

 

トイレに向かう途中、居間からすすり泣きが聞こえた。暗闇の中、父が母の遺影の前で肩を震わせていた。

「ごめん…ありがとう…」

その声は、何度も繰り返されていた。

父の手には、ジャージ型のお守り。背番号の隅に、小さなハートが刻まれていた。

タカシは立ち尽くした。

――父も、母を愛していたんだ。

その不器用な愛情に、初めて気づいた瞬間だった。


最後のハンカチ

第 5章:最終学年、キャプテンとしての葛藤

春の空気がまだ冷たさを残すグラウンドで、タカシは顧問の声を聞いた。

「キャプテンは…タカシだ。」

その瞬間、胸の奥が熱くなると同時に、重いものがのしかかった。

キャプテン選出選挙でダイスケに二票差。今まではついていく立場だった。これからは引っ張る立場。不安が波のように押し寄せる。

 

部活帰り、駄菓子屋で仲間が笑いながら言った。

「タカシのやりたいようにやればいい。俺ら、ついていくから。」

トビがポテトスナックをかじりながらニヤリと笑う。

「変な方向行ったらしばいたるけどな!」

「男でしょ!腹決めなさい!」マネージャーのマキが喝を入れる。

笑い声が響く中、タカシは少しだけ肩の力が抜けた。

夜、タカシはノートを開き、去年のチームと今年のチームを比較した。

強みと弱み。自分なりに分析し、顧問の元へ相談に行く。

「積み上げより、引き算だ。」顧問の言葉は重かった。

「ゴールから考えろ。ゴールは何だ?」

「県大会優勝…」タカシは答える。

「そのために必要な思考は?行動は?現実は?その差を埋めるんだ。」

帰り道、タカシは副キャプテンのダイスケと話し込んだ。

「気づいた人が行動。周りは否定せずサポート。」

「いつも全力で楽しむ。」

「ボールがないところで活躍。」

二人の言葉が、タカシの胸に深く刻まれた。

 

――キャプテンとしての道は、孤独じゃない。仲間と一緒に進む道だ。

タカシは夜空を見上げ、静かに拳を握った。