今回のギックリ腰は今まで数回してきた中で、
最強のギックリ…

無理したくても無理できないほど。
こんなのは初めて。


安静にすることしか出来ない数日で、
いろんなことを考えた。


たまたまお姉ちゃんは出かけて、
弟くんは早く寝てしまい、
パパとゆっくり話す、珍しすぎる時間がもてた。


短い時間だったけど、たくさん話せた。


私は人に頼ること、甘えることを情けないこと、いけないことと思ってしまっている。
そうじゃない、頼っていいとわかっているつもりだけど、

できない…


今回もパパに申し訳なくて、
こんな自分の体に情けなくて泣いた…


パパはなんとも思ってなかった。
『仕方ないじゃん、なってしまったものは。
しっかり治るまではやるよ、いつもやってくれてるんだから』


そう言ってくれた。
そうだったんだ…
そう思ってくれてたんだ…


でもまだごめんなさいと思ってしまう自分がいた。


『俺だってインフルエンザの時、薬飲んで熱もなくて元気なのに隔離部屋(寝室)で一週間休ませてもらったじゃん。ごめんねとは思ったけど、仕方ないな、できることはこの部屋にいることって思ってたよ』と…



そっか…そう思えばいいんだよね。
『仕方ない、今はそういう時』って。



私はなんでも完璧にやりたがる。
生真面目人間。
だから、逆流性食道炎にもパニック障害にも体がこりやすくて腰痛持ちにもなるんだ。


力を抜いて、完璧を求めず、
仕方ない、ってあきらめたり、
開き直ることも必要。


たまにはカップラーメンやコンビニのお弁当でもいい。
具合の悪い時はパパに保育園のお迎えをお願いしたっていい。
仕事だって、痛くて歩けないんだから、できないものはできない。


がんばってるつもりはなかったんだけど、
体は頑張りすぎだって警告を出した…


整体もいつもギリギリまで行かなかった。
4000円/回。
自分のためにお金を使うことに罪悪感を感じていた。
子供のために貯めないとって。


でも違った。
どこか痛かったり、健康でいないと心に余裕がなくなってしまう。
それは家族に対してよくないことだった。
元気で明るいお母さんでいることの方が大事だった。


コスパの悪い母だけど、
これからは

『仕方ない』

きちんとメンテナンスして、
元気なママでいたいと思った。


『やる事』にがんじがらめにされず、
手を抜くことを覚えて、
それで罪悪感を感じなくていい。
たまのカップラーメン、私も子どもの頃憧れた。
ファミレスも行ってみたかった。
母が完璧に家事をこなす人だったから、
私の中でそれが当たり前になっていたのだろう。


でも私と母は違う。


私は私のやり方でママをしていけばいい。
完璧なママだと子供も息苦しい、うんうんその通り。
ちょっと抜けてるくらいがちょうどいい。




そんな風に思わされた、気付かされた、
ギックリ腰事件だった。


何だか、ギックリ腰、痛いけど、つらいけど
こんなにゆっくりいろいろ考える時間がもてたのは久しぶりだった。


まだ痛いけど、神様がくれた『考える時間』だったのかなって思った。


そう思ったことを忘れたくなくてブログに書いておこうと思いました。