ルークと散歩をしながら、空を仰いでもそこには青空がありませんでした
私はふと、この詩を思い出しました。
智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。
高村光太郎作
「智恵子抄」 あどけない話 より。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山の山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
そう言えば私、ちゃんと読んだ事が無かったな
そう思い、ある日の朝ネットで検索し、
読みました。
(本が直ぐに買えないのも辛いところ…)
朝から読んではいけないものでした。
涙が止まらなくなってしまいました
こんなにも
愛
それも、夫婦愛
に満ち溢れた作品だったとは…。
無知であった自分を恥じました。
同郷にもかかわらず、智恵子さんに関しても、高村光太郎氏についても、
あまりにも知らなすぎた

「智恵子抄」を読み、すっかり文学に酔いしれ、おセンチになっていた私。
ある休日、主人に
「智恵子さんは東京には空が無いと言ったけど、インドのこの空を見たら、
東京にはやっぱりあったわ〜
って言うかな?」
と聞いてみました。
すると、
「え?なにそれ?智恵子って誰?」
というお答えが…。
「「智恵子抄」の智恵子だよ!」
と私。
主人
「ちえこ師匠ってだれ??」
…し、ししょう!?
私は、それまでのおセンチな気分も吹っ飛び、テーブルに突っ伏して、
笑い転げてしまいました
きっと主人の頭の中には、こんな感じの
人が浮かんでいたと思われ…
あー、我がおっと、
凡人なり!!
説明する気も失せた私に、
「何処までが苗字で、どこからが名前?」
と言う愚問をさらに投げかけてくる、おっと…。
「智恵子抄」すら知らないんだ
名前だと思ってるよー

さらに笑う私
どうやら、彼は本当に知らなかったようです。
まあね、理系男子だし、仕方ないのかな…
と思ってみるも、
高村光太郎氏のあの詩を読んでからの落差激しく、
凡人夫婦はこんなものか…
とガックリしたのでした。
きっとこの人は、私が死の床でレモンを
噛んでも、
「なんで最期にレモンだったんだ??
」
くらいにしか思わず、
レモンの記憶も翌年には、ミカンにすり変わり、仏壇にはミカンが置かれることでしょう



あんなにも智恵子さんを愛し、
一挙手一投足までを記憶に残し、
亡くしてなお、その存在を
あなたは万物となつて私に満ちる
と謳った光太郎氏。
は〜〜。
この感動を誰かと分かち合いたい。
できれば主人と分かち合いたかった…。
智恵子さん亡き後、彼は東京を捨て、
岩手の山中に籠るのですが、
この時の詩も泣けます。
(画像拝借)
智恵子さんは晩年、精神を病み、
その最期の日々は凡人には想像もできないような辛いものだったと思います。
でも、こんなにも光太郎さんに愛されて、
彼女は幸せだったのではないか。
光太郎さんも、悲しい別れはあったけれど、智恵子さんを愛し、愛され、
幸せだったのだ。
と、私は思いました。
なんと美しき夫婦愛。
西洋や、ここインドのラブストーリーなど霞んでしまうほど、
深く、美しく、お二人の人生がそのまま
何か重厚な映画を観ているような、
そんな気持ちにさせられます。
ある日、見上げたインドの空。
そこには、やはり私にとっての、
ほんとの空
は無く、
そんな些細な切なさが、積もり積もってゆくわけで…。
いま、モーレツに
日本に帰りたい、いや、福島に帰りたいです
でも、インフル警報と大雪

3月までガマンだな
昨年の秋、体調を崩して実家に帰った私。
父と温泉に行き、この景色を見て、
私が欲しかったのは、きっとこれなんだと、涙が出ました
露天風呂から、この景色です
私にとっての、ほんとの空
は、これでした。
モルディブでもなく、インドであるはずもなく、やはり故郷の空が、
ほんとの空
なのです
だから先程の私の質問も愚問なわけで、
智恵子さんにとっての
ほんとの空
は、故郷の二本松の空以外にはなかったのです
さて、「智恵子抄」を全く知らなかった我がおっと。
こんな風におとぼけ君ですが、
こうやって、たまに私を爆笑させてくれます
だから、インドであっても、やはり一緒に生活したいと思うわけです
あと数年後(できれば2.3年
)、
)、懐かしのマイホームに戻り、
互いに歳を重ねて、平穏に生きていけたらな、と思います

向こうはどう思っているのやら…。
ま、あまりに繊細だとインドでは仕事が出来ないだろうから、
凡人で良かったね!お互いに!
というお話でした
まだ、「智恵子抄」を読んだ事が無い方、
是非読んでみてください
私も日本に帰ったら本を買ってじっくり
読みたいと思います
最後に。
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