東京に住んでいる頃は、大きな書店がいくらでもあったから本を探すのに苦労はなかった。ピンポイントで「これを欲しい」という時になかなか見つからない際は、書店のおねーさんに聞いたらたいがい手に入りもした。また、書店内をうろついたら自分が読みたくなる本は腐るほどあったから、これもまた苦労しなかったのだ。だが田舎に帰ってくると、自分が欲しい本は滅多にない状況に陥った。もちろん佐世保まで出て行けばそこそこの規模の書店だってあるわけだし、探せない事もないが、出て行く機会自体があまりない。こちらの日常は車社会だし、料金を払って駐車場に停めて何時間も書店をうろついている暇もないしその料金がばかばかしい。

で、地元の書店をもっぱら利用するのだが、地元では人口の少なさもあって、極端に言えば売れ筋のモノしか置いていない。コンビニ形式。ベストセラーものばかり。別に、そういう類の本は読むに値しないなどと言うつもりは決してない。自分の興味の対象からはやや外れるという事。結果的に、東京にいた頃のように書店内をウインドウショップするのは極端に減り、あらかじめ興味のある本を見繕っておいてからまとめて注文する買い方が増えた。

見繕い方は、主に新聞の書評欄から集める。僕が読んでいるのは読売新聞だが、日曜に掲載されるここの書評を毎週チェックするのだ。それをつらつら眺めて、「ふむ、おもしろそうだ」と思ったら携帯のメモ機能に入力しておく。新聞を見ていると、必ずしも書評に掲載されずとも書籍の情報は入る。最下段に載る広告だ。その広告で興味を引かれた場合はネットで漁る。ネットにはその本を読んだ人のレビューもあるし、内容がおおむね知れる。そうやって集めた情報がある程度のボリュームになったら、これは自分の財布とも相談するが、まとめて地元の書店に注文するという寸法。情報を集める場合、例えば単行本はよほど「今読みたいのだ!」というもの以外は文庫本の登場まで待つ。価格がおおむね半分以下なのだから、安いにこした事はない。


活字を切らさないように、僕の部屋には常に読んでいない本がある。まとめて買ったものを、自分のペースでちびりちびり読むからそんなに「未読在庫」は減らない。未読が溜まる溜まらないはお構いなしに、読みたい本はあとからあとから出てくるから「いつか買うつもりの」書籍情報もまた溜まっており、財布に余裕があるときには「金があるうちに」買っとくからまた本が溜まるのだ。

でも、東京にいた頃のが読んでたと思う。何故って電車の中という「そこにほぼ無条件で集中できる」環境があったから。


こないだ買って、まだ読んでいない本。

「古道具 中野商店」川上弘美

「内臓のはたらきと子供のこころ」三木成夫

「胎児の世界」三木成夫

「バイオポリティクス」米本昌平

「パンダの親指(下)」スティーヴン・ジェイ・グールド

「若者殺しの時代」堀井憲一郎

「いま私たちが考えるべきこと」橋本治

一番目と2番目の2冊が1400円の単行本だが、他は全て新書本と文庫本で1000円以下。一時期は脳死に関する本をしこたま読んでたし、僕の興味の対象ってのはホント節操がないなと我ながら思う。


それほどハイペースではない僕の本との付き合いでも、やはりじわじわと溜まる一方で、経済面や蔵書スペースを考えると新書の類が増える。昔は小説の単行本をぽんぽん買ってたから本の置き場に悩み、ダンボールに5箱とか古書店に処分した事が数回ある。けれど、何年か経ってから、「あれは読んだよなぁ」などと本棚を探し、見つからず、「あぁ、古書店行きかなぁ」と後悔する。だから近頃はなるだけサイズの小さな本にしている。


※店で今読んでいるのは、ジェラルド・カーシュの「壜の中の手記」でした。