「その子はたち櫛に流るる黒髪のおごりの春の美しきかな」と詠んだのは与謝野晶子ですね。僕ははたちでした。20年前ですよ。
彼女と行く初めてのお泊り旅行で、伊豆に出かけました。天気は良かったけど、3月は冬の初旬でグレーのコートを着ていた事を覚えています。伊豆は西伊豆。戸田と書いて「へた」だったと記憶しています。雑誌を見て問い合わせて、確か蟹とか魚とか、とにかく新鮮な海の幸を堪能できるという宿泊プランを丸々申し込んで・・・金額としては二人合わせて4万円台じゃなかったかなぁ。
宿に着く前に、箱根登山鉄道に乗りました。途中下車して韮山(にらやま)のイチゴ狩りを楽しんだり・・・あとは覚えてないけど。修善寺(しゅぜんじ)まで行くと、迎えの方が待っていてくれました。そうしてクルマで山越えをして宿までご案内です。宿ではうまいもん食って温泉に入って、まぁあとはいろいろと。彼女とのお泊りはそれが初めてではないものの、何せ全く知らない土地で蟹やら何やらですから、そりゃもう、○×▼◎♪△※□ごにょごにょ・・・自粛。
強い印象を残したのは、翌日の帰りでの話なのです。行きと同様に修善寺まで送ってくれるという事で、他の泊り客の方とご一緒に小型のマイクロバスで宿を出発いたしました。総勢10名くらいだったかな?山越えの途中で雪が降り始めたのです。
「おうっ!雪だ雪っ!」
僕は長崎生まれですが、雪がそれほど珍しいわけではありません。小学生くらいの時には毎年きっちり降っていたし、雪合戦やら雪だるまやらで遊んだ経験は何度となくあります。ただ僕の経験では「朝起きたら積もっていた」というレベルで、真っ白な雪面に誰よりも先に足跡を付けるのがめっぽう楽しかった。夜の間に雪を確認した時は「積もるかな?大雪で学校閉鎖になってしまわない程度に積もれ!」と願っていました。
ところがその伊豆の雪は、僕のちゃちな経験とは比べられない凄まじいものでした。
吹きすさぶ風に舞うその雪を眺めながら「すごいねぇ。積もるかな?」「積もりそうだね」などと会話しているうちに、その会話の舌の根も乾かないうちに、「あちょぉ~!!」「びゅを~っ!!」「あたたたたた!」「びゅわ~っ!!」ってな具合に北斗の拳よろしく白いカケラがバスの窓を叩き、みるみるうちに辺りはシロ一色に塗られていったのです。
ほぇ~!!凄い!すごすぎるぅ!!大自然の猛威の前に、僕らはただ口をあんぐり開けたままその銀世界に圧倒されたものです。
バスが途中で停車して、運転手さんが対向車のドライバーと何やら言葉を交わしているようでした。かなりの積雪なのでしょう。ずいぶん話し込んでるなと思っていたら、運転手さんがこちらを向いてこう言ったのです。
「申し訳ありませんが、積雪がひどくて進めなくなりました。この先は道が見えないんだそうです。」
え?何それ?どういう事?
バスはそこで『立ち往生』してしまいました。間抜けな事に、そのバスはチェーンさえしてなかったのですよ。なんでも、チェーンをしていても進めなかったらしいですが、とりあえず、その場所から山を降りる事も叶わなくなってしまったのです。僕らはそこで待つしかありませんでした。迎えの車(4駆車)が来るまで、バスの中に閉じ込められたまま2時間くらい待っていました。文句を言ったところで状況は何も変わりません。もともと、宿から最も近い鉄道の駅が修善寺だったはずで、そこを車で行き来するのが最短ルートだったと記憶しています。そのルートが使えない今、ひとまずは宿に戻るしかなく僕らはじっとひたすら耐えて待つ以外にありませんでした。
宿にようやくたどり着き、さてどうするのか?もう一泊する程度の金はありました(ただし素泊まり)が、彼女は「都内の友達の家にお泊り」の筈!ですから、なんとしてでも帰らねばならんのですよ。海岸線は降雪が少ないので三島までお送りしますというお話だったので、僕らは言われるままにまた別の車に乗りこみました。これも2時間くらいかかったんじゃなかろうかと思います。今度は(山に乗り捨ててあるので)バスではなく、ワンボックス車でした。狭い車内に6人くらい乗って、半ば居眠りしながら三島まで耐えました。
三島駅は超混雑していました。人でまさにごった返す状態。何じゃ?
新幹線がストップして、JRは山手線も確かダウンしていました。東京へ向かう普通列車もダメで、僕らはとりあえず三島の駅で「何か食べようか・・へろへろ」と食事をとりました。
電車が動いたのは夜の7時あたりだった気がします。その普通列車はまさに通勤ラッシュの山手線状態で、座る席なんてありゃしません。座席にしがみついて網棚をつかんで、三島から東京まで立ったまま凌ぎました。ぐったりぐたぐた。その頃は京浜東北線や山手線もようやく復旧していて、あとはどうにか彼女を送り届けて、僕が家に帰り着いたのは深夜12時を回ってましたね。もう細かい事は知りませんが、東京も大雪で大変な事になっていたわけです。1985年の冬の話です。
「今まで一番印象に残った旅行体験は?」というTBステーションのお題だったんですが、いい印象ではないですな。
ちなみに、その彼女はのちに僕の苗字を名乗りました。
でも今は違います。
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