水泳の話はこれを最終回とします。こんなに何本も書くつもりではなかったんですが、「どうせならちゃんと」と思っていたらこういう分量になってしまいました。


大会の日に合わせて、練習メニューは次第に増えていきました。最初4キロ程度だったのが1キロづつ増えて、とうとうピーク時8.5キロほどの量がありました。泳ぎ始めの頃に比べて倍!!です。各メニューが単純に10本が20本という具合になったのですよ。

ただ、毎日泳いでいると、なんかスタミナついたのかなぁと思う時もやっぱりありました。泳いでいて楽しいのは、練習を始めたばかりの時間帯からメニューを3ぶんの1くらいこなしたあたりでしょう。身体が軽いんです。もう「す~いすい」って感じで、自分の泳ぎにアメンボを連想してひとりごちるわけです・・・あくまでもバテのバの字もない段階までですが。


大会当日がやってきました。中学1年の時、「先生、僕は泳げないからマネージャーでいいです」と言い放った僕が水泳選手!として出場するのです。何か、言葉に出来ない感慨といおうか、「とうとうここまで」という思いはありました。わくわくしながらドキドキです。ひとつ心配だったのは、泳いでいる最中に足がつらないか?でした。これをやってしまうと、まずはそこで棄権です。僕は練習中にも一度もそれを経験していませんでしたから、なおのこと不安が頭をよぎるのです。そして、ベストタイムを出せるのか?も心配です。自分のタイムがかなりのものとは聞いてなかったし、少なくとも一緒に泳ぐやつには負けない気持ちでいましたが、求められるのは自分の最高を出せるかどうか?です。これは速さを競う競技に共通しますが、それが何番であれ自分のベストなのかどうか?ある意味それこそが重要と言っても言い過ぎではありません。


そして、自分が予選の何組で泳ぐのか、何コースなのかを聞かされました。

それは・・・もちろんそんなに速いとは思ってませんが、僕にはかなりのショックでした。予選第1組の6コースです。

はて?これは何を意味するのでしょう?

予選の組み合わせはくじ引きで決まるわけではありません。くじ引きなら、1番くじを連想させる1組だし、どうせなら早く終わっちゃった方がとなりますが、違います。事前に練習におけるベストタイムが伝えられていて、それを参考タイムとして組み合わせを決めるのです。僕の記憶では全部で6組くらいでしたので、8コース×6組で48人。約50名の選手がいます。第1組ということは、要するに50人中最も遅い8人の中に入っているわけですよ。そして、4コースと5コースが8人中の最も速い2人となります。その次が3と6で、順に2と7、1と8になります。従って、選手が力どおりの泳ぎをすればきれいにヴイの字を描きながらゴールに向かうのが普通なのです。もちろん、あくまでも参考タイムだし、それより大幅に上回るタイムを出す本番に強い、あるいは成長著しい選手もいるでしょう。でも、それはそれ。僕は50人中で最も遅い8人に入り、更にその中の2人に既に抜かれ、順位としてはケツから数えて5番か6番だという事がわかってしまいました。

これは性格なんでしょうか?そんなこと、よく考えたら「その辺りが妥当」なんですが、僕のやる気はがっくり失せてしまったのです。たとえその組で1番になったところで、上に40人いますから決勝(速い順に8人)に進める可能性なんてゼロです。え?決勝に進む気でいたのかって?いやいやそんな大それたこと考えてもいませんでしたが、ふたを開ける前からそれがわかってしまうと・・・ねぇ?


「よーい。。。。。。。バンッ!」

水に飛び込んでも、僕の気持ちは重いままでした。そんなことでどうする?せっかくここまで来たんだから精一杯ベストタイム出そうや!ほんの何年か前まではカナヅチ同然だった僕じゃないか!こんな風に大勢が注目する中で泳ぐなんて考えられなかった事やろ!?「もうさっさと終わらせようとか、どうでもいいやとか」思いながら、肉体の限界の他に、自身の葛藤とも闘いながら競技を終えたのでした。

結果は8人中の2位。でももちろん予選敗退。しかもベストタイムではありませんでした。俺って「気持ちの弱い」やつです。

例えば、びっしびっし三振を取ってるのに変なところでフォアボールを出してしまい、すると途端に崩れる投手。先頭バッターではよくヒットを放つのに、得点圏に走者がいるチャンスに打席に立つと簡単に凡退する打者。

メンタルな部分ってすごく大事なんだなあと僕はつくづく思います。


そうして、僕は高校の3年間をごくごく平凡な水泳部員として過ごしました。僕がベストタイムを更新するのは、こんな時です。

例えば、400のタイムトライアルで女子マネージャーがタイムを取ったとき。50のベストは男女一緒に競う形でリレーをやったとき。200のベストタイムが出たのは練習に入るその2時間ほど前、ある女の子にコクられてOK返事をした日でした。ある意味おバカです。


もともと、僕が200と400を専門種目にした(自ら選択したのでなくT先生が指名したのですが)のは、短距離を泳ぐには速くなく、さりとて長距離を泳ぐ持久力もなかったからです。でも、毎日打ち込むものがあったのは幸せだったという思いは確かにあります。40を越えた今では見る影もありませんが、身体は痩せ型ながらぼんやりとした逆三角が作られました。また、自分はスピードはないけども、泳げるんだという自負がありますので、日本が沈没してもどこかの島にきっとたどり着けると思います。