昨日の続きです。


中学1年の時に(マネージャーとして)入部した僕の、当時の泳ぎは全くもって最悪でした。手足をばたつかせれば浮いてはいるので、ほんのり?進む事は可能です。ただし息継ぎができない為、息が切れたらそこで止まります。つまり足をついて立ってしまうわけです。ご存知のように水泳は体力を消耗するものですよね?目的地が目の前にあれば、わざとなのか無意識なのか誰にも(もちろん本人にも)わかりませんが(笑)、つい足を前に出して歩いてしまうものです。そう、きっとそうなんです!それは僕だけではないはず!

「お?少し近づいたな?でも・・・泳がなきゃまずいな。見られてるし。ただ、泳いだところでまた立つしかないんだな、これが。だいいち、泳ぐより歩く方が速いし。」

情けないながら、これが僕の現実でした。


もともと、喘息持ちに効果があると勧められたのは、水泳によって心肺機能が高まる事を期待したものです。大人たちの思いに反して、僕はといえば「泳げないからマネージャー」とのたまったのでした。マネージャーでは水泳部に入った意味がありません。笑っちゃいます。

この、自分の経験に照らして思うのは、子供にも「子供の自我」がちゃんとあるということです。「絶対にイ・ヤ・ダ!」と主張できる子はまだいいです。次の展開があるでしょう。ですが僕はそうは言えない子供でした。自分に一番近い存在である、母親とクラス担任から「そうしなさい」と諭されると、心の中の「イヤダ」に反して「はい」と言ってしまうのでした。そうして、矛盾を知りつつも「マネージャー」を提案するトホホな僕。そこで、先生は「お前はな~んば言いよるとか?泳がんならな~んもならんやっかぁ」とは言いませんでした。僕は、内心ほっとしながら、そのくせうしろめたい気持ちを持ったのです。ですから、逆に言い出した手前、マネージャーとして役に立とうと仕事にいそしみました。そのあたりは担任のY先生の方が1枚うわてで、僕の性格を見抜いた上でうまく誘導してくれたんだなぁと、今になって思います。


「練習生」として(昨日の記事を参照)泳ぎ始めた僕は、何とか息継ぎが出来るようになり、25メートルを泳いで更に、ターンまで身に付けました。もちろん、男女の全部員を含めて最も遅かったのは言うまでもありませんが、主力の練習にマネージャーとして仕事をこなし、それが概ね終わったら自分がざぶんと飛び込んで指導を受ける日々でした。慣れてくると、先生ではなく、先輩が指導してくれたりもしました。


「腕をもっと小さく!」

あごを引いて!」

ローリングしよるぞ!平面を意識して!平面!」


腕の振りは、水から抜いた腕を前に戻す時のことです。それが大きいのはフォーム的に無駄です。抜いたら小さく前に戻すのが原則です。当然その後、水をかく時には推進のために力強くかきます。

あごは、息継ぎの時です。どうしても空気を吸おうとして口を大きく開けがちですが、空気は吸うのではなく、「噛む」意識です。吸うと「はぁー」ですが、噛むと「ぱくっ」で済み、一瞬で息継ぎが終わるわけです。あごを引くことで、水中から水面へ最短距離で口を出す事ができます。

そういった、無駄のないフォームを意識する事は、身体を出来る限り平面に保つ、「ローリングの少ない泳ぎ」を生みます。


次第次第に、泳ぎに格好もついてきた僕ですが、中学時代は結局「練習生」で終わりました。試合に出るためには速さが求められます。僕はようやく「泳げるレベル」には到達したものの、「速さ」や「スタミナ」の面で全く「選手」としての使い物にはならなかったというわけです。


あれ?・・・高校に入ってたんでしたね?

じゃあ、続きをまたお楽しみに。