RED. MONKEYSのブログ

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あぁー、これはヤバい!

元WBA世界バンタム級チャンピオンの鬼塚勝也さんがアーティストになっていた!

僕も小学校6年生の頃に初めての鬼塚さんのボクシングの試合を見て、衝撃を受けたのを今でも鮮明に覚えてる。激しい打ち合いに真っ向から打ち合い勝利する姿に男を感じた。
勝利インタビューではなんて言ってるのかわからないくらいだったが、中学校に入りどうしてもあんな男になりたいとボクシングを始めることを決意した。
常に鬼塚さんのまねばかりしていた、全てのものにSPANKYという文字を入れて自分のおこづかいでサンドバッグも買った。
同じパンチンググローブも買った。
当時のライトフライ級でインターハイを優勝したと知れば、自分の体重もそれに合わせていたし、鬼塚さんの通ってた福岡県の門司の高校まで当時の先生に話を聞きにいったりもした。
生徒手帳には鬼塚さんの記事しか貼っていなかった。
とにかく、まねをした。
毎日がボクシングで毎日が鬼塚さんでとにかく憧れていた。鬼塚オタクと言うべきか。
当時セコンドには片岡鶴太郎さんがいつもついていて、その片岡鶴太郎さんもアーティスト活動をしているのはたぶんみんな知っているだろう。
よくテレビの番組でみてそれまたすごく憧れていた。
僕のおじいさんは福岡県で映画館の看板を手描きで描く仕事をしていた。
その家系は絵描きだと知るとますます絵を描きたくなった。小さい頃から絵を描くのは好きだったけどとくに上手というわけでもなく、少しコンプレックスを感じていたくらいだ。
でも、そんなときは僕のおじいちゃんがいつも、【何色を使ってもよかけん、好きなように描いたらよかとよ。】いつも頭から離れない。
僕は、ある事情でボクシングが一時期出来なくなってしまいグレてしまった。
そんな時、いつも優しい言葉をくれてたおじいちゃんが天国へいってしまった。
たくさん泣いたし、たくさん自分を責めたけど
それでもまだグレていた。
たいした仕事もせず生きてきてしまった。
そんな時、よく当たるという占い師さんのところへ行ってみた。
おじいちゃんの事からなにから知ってたかのように見事に当てた。
最後にその占い師の先生は僕に言いました。
おじいちゃんのその才能を一番受け継いでいるのはあなたなんだから、芸術、芸能などを仕事にしなさい。
だから僕は、すぐエアーブラシを習いに横浜まで行きました。
そしていまも絵を描いています。
そんな中、鬼塚さんの事を知り興奮がおさまりません!
とにかく行きたい!会いにいきたい!絵をみたい!話をしたい!
こんなときに限って金がなーい!
早くいまの絵を仕上げて福岡まで行くぞ!