私はヒョウだ。ヒョウと言っても空から降ってくる氷の粒の方ではない。ネコ科の猛獣の方のヒョウだ。私はヒョウの雌として約15年生きた。何となくだが、もうそんなに先は長くないように思う。思えば、昔と比べると足腰の動きが悪くなってきた気がする。体もどことなく重たいし、1日の中で横になっている時間が長くなった。振り返るほどのことでも無いが、私の15年を振り返ってみるとする。

 私は動物園で生まれた。私の父も母もそうだった。なので、野生を知らない。だからなのか知る由も無かったが、私は「アムールヒョウ」という種類らしい。祖先はロシアの極東の出身らしい。私が暑がりなのもそのせいだろう。一生のうちに行くこともないだろうと思っていた。どうやらその通りになりそうである。私が生まれたのは神戸の動物園だった。母親は飼育をしなかったため、人間に育てられた。だからなのか、母親は産みの親という印象しかない。父親に対しても特に思い入れは無い。父が10歳、母が4歳のときの子だった。父はイギリスの動物園で生まれ、3歳で広島の福山の動物園に来た後、日本国内の動物園を転々とし、私の生まれる1年前に神戸の動物園にやってきたらしい。逆に、母は神戸の動物園で生まれ、神戸の動物園しか知らなかった。年齢からなのか、性格なのか父の方が堂々としていた印象がある。

 神戸の動物園では5歳まで過ごした。神戸の冬は比較的暖かく雪が積もることは滅多になかった。そうした気候だからか、私たちヒョウの獣舎は室内だった。ちゃんとクーラーもついていた。それでも、夏は暑いが、特にストレスを感じることも無かった。父や他の動物園にいたことのあるヒョウは

「ここは恵まれている。」

と口々に語っていた。ここしか知らない私や母や他のヒョウはいまひとつ彼らの話がピンと来ていなかった。

 神戸の動物園では、客が引っ切り無しにやって来た。近隣の小学校の遠足の定番になっているのか、毎日、違った小学生たちがワンサカと来た。それ以外の大人の客も多かった。ただ、思い返せば、子どもの次に多いのは白や灰色の髪をした老人たちだったように思う。混雑時は、いろんな人が流れるように、私たちを一瞥して去っていった。一部の好き者は、ガラスの前に陣取り、混雑に関わらず長時間私たちを眺めていた。何枚も写真を撮ったり、絵を描いている者もいた。中には、ほぼ毎日のように通う老人もいた。毎日、何かを話しかけているようだったが、ガラス越しだったので、あまり何を言っているか分からなかった。ヒョウの中には、人間に見られることをストレスに感じる者もいたようだが、私は特に何も感じなかった。小さい頃は、歳の近いヒョウたちと思うがまま遊んでいる内に一日が終わっていた。身体が大きくなり、歳を重ねるにつれ、無邪気にじゃれ合って遊ぶことは少なくなったが、エサの時間以外は獣舎の中で居心地の良い場所を見つけて1日を過ごしていた。退屈ではあったが、特にストレスもなかった。そんな生活だったが、人間からもらえるエサの量も決まっているので、太り過ぎることも痩せ過ぎることも無かった。

 そんな生活だったので、自分と同じヒョウよりも、人間を見ることの方圧倒的に多かった。来る日も来る日も、違う人間が私たちを一瞥しては去っていくので、本当に人間という生き物は数が多いんだなと思った。人間の中にもいろいろな種類がいた。子どもは着ているものに差はあれど他は特に変わらなかった。皆一様に肌がキレイで無邪気だった。だが、大人は違った。肌にツヤがありつがいで見物をしているものもいれば、つがいになっておらず、肌のツヤや色が悪くどこか余裕が無さそうな大人もたくさんいた。彼ら彼女らの服の多くは色褪せていたり、使い古されていた。夏は大汗をかいており、冬はたくさんの服を着込みとても寒そうにしていた。同じ獣舎にいるヒョウたちは年齢や性別による見た目の差はあったが、特にそれ以上の見た目の差はあまり感じなかった。対して人間は違った。それは観客たちでなく、飼育員たちもそうだった。老若に関わらず、ある者は血色が良く目も生き生きとしていたが、ある者は目に力が無くいつもどこか怯えたような素振りをしていた。これは見物客だけに限らず、動物園の職員や飼育員たちもそうだった。数が多いからなのか人間と一口に言ってもいろんな種類があるんだなと思っていた。思えば大きくなるにつれ、つがいになっていない余裕の無さそうな大人の人間を見ることが多くなっていった気がする。

 5歳の頃、神戸の動物園から北海道の旭川の動物園に移ることになった。他のヒョウたちから聞くところによると、日本の中でも相当北にあり、気候も相当冷涼だと言う。長いこと寂れていたそうだが、「行動展示」という展示の仕方が成功し大繁盛しているとのことだ。私は、正直環境の良い場所であれば、どこでも良かった。ただ母など神戸の動物園で生まれ、ここしか知らないヒョウたちは、自分で無くて良かったと内心ホッとしているようだった。何頭かは哀れむような目つきで見てきた。父や他の動物園にいたことのあるヒョウたちの話だとそんなに悪いところでも無さそうだ。なので、旭川の動物園に行くことに対して、特に思うところも無かった。数頭の哀れむような目線も気にならなかった。産みの親と離れることにもそんなに抵抗も無かった。ただ、旭川の動物園に移ることが決まってから、長く世話をしてくれた飼育員の人間たちが一様に寂しそうだったことは記憶に残っている。

 旭川の動物園は神戸の動物園と比べると、園全体は少し小さかった。ただ動物たちの獣舎は、来る前にも聞いた「行動展示」の一環だからか、どの獣舎も比較的広めだった。さらに繁盛している証でもあるのだろうか、どの獣舎も比較的新しかった。設備も良いものだった。そして、ロシアの極東地域が原産の私にとっては、気候的には旭川の方が神戸よりも楽だった。エサも悪くなく、元いたヒョウたちとも比較的すぐに打ち解けた。やりにくいヒョウもいなかった。何不自由ない生活だった。

 動物園の規模が小さい割には、見物客は神戸と遜色ないほどだった。ただ、神戸と見物客の客層が違った。黒いマスクをしていたり、髪や服が派手な外国人の客が多かった。不思議なことに外国人は大人も子どももそんな出立ちだった。顔や体躯は日本人と変わらなかったが、出立ちや細かい所作ですぐに外国人だと分かった。日本人の客は、神戸と比べると年配の客が多かった。特に、青年と呼ばれる年代が圧倒的に少なかった。そして、旭川の日本人たちは神戸と比べると、肌の色艶が悪くどこか余裕の無さそうな人たちの割合が多いように思えた。これは見物客だけでなく。動物園の職員や飼育員たちもそうだった。対して、外国人の客たちは、服装が綺麗で余裕があり堂々としている人間が多かった。

そして、私が歳を重ねるにつれその傾向は強まっていった。外国人の見物客は増え、日本人の見物客や動物園の人間には全体的に余裕が無さそうな人間が増えてきた。ただ、そうした人間たちの変化が私たちに与える悪い影響はほとんど無かった。見物客の総数は横ばいか微増だったので、動物園自体の景気は良いようだった。獣舎の環境やエサなども悪化する事は無かった。飼育員の中には、あまり良くない人間もいるとは噂に聞いていた。ただそういう人間が自分の鬱憤の矛先を向けるのは、自分よりも弱そうで大人しそうな動物だけで、肉食の猛獣の私たちにはあまり関係の無い話だった。

何不自由ない生活の中で、私はゆっくりと歳をとっていった。6歳か7歳の頃には、歳の近い雄と初めての子どもも作った。何不自由ない獣舎の中で子どもは順調に育った。2年程すると、また子どもが生まれた。今度は双子だった。双子も何不自由ない獣舎の中で順調に育っていった。子どもが小さい間は、子どもたちの相手をしているといつの間にか一日が終わっていることがほとんどだった。決して楽では無かったが、我が子の成長を日々実感できるのはとても充実感があった。我が子が大きくなり手が離れると、居心地の良い場所を時間ごとに移動しながらゆったりと1日をすごした。平和で不自由の無い日々の中で私はだんだんと歳を取っていった。

私を担当していた飼育員の女も私よりはスピードは遅かったが、だんだんと歳を取っていった。彼女はほぼ毎日、朝から晩まで世話をしてくれた。私たちにとっては良い飼育員で具合の悪いことも不満も一切無かった。だが、私はあるときから彼女は何が幸せなのだろうかと思うようになってきた。彼女は年がら年中仕事づくめでいつもくたびれた顔をしており、目には力が無かった。そして、そのままだんだんと歳を取り、もう子どもが産める歳ではなくなったようにも思う。毎日余裕の無さそうな顔で仕事をし、そのせいか、他の人間と比べて、容姿も年相応以上に老けてきた。同じ人間でも外国人の見物客の方が、明らかに肌艶が良く、全体的に生き生きとしていた。だからと言って、檻の中のヒョウである私が彼女にしてあげられることは特に無かった。私は獣舎の中で、平和で不自由の無い暮らしをし、良く世話をしてもらい、ゆっくりと歳を取っていった。

気がつけば、旭川の動物園に来て10年が経っていた。足腰も昔のようには動かなくなり、身体も全体的に重くなってきた。行動範囲も狭まり、寝て過ごす時間が増えてきた。今年も例年に増して、外国人の見物客が増えたような気がする。対して、日本人たちは無邪気な小学生たちを除いて、客も動物園の人間もどこかくたびれている人間が増えてきた。彼ら彼女らのくたびれてどこか難しそうな顔を見ると、私は動物園のヒョウで良かったなと思う。飼育員の彼女は今日もどんよりした顔をしながらもあくせくと一生懸命仕事をしている。野生や他の動物のことは知らないが、とりあえずこの時代のこの国の人間では無くて良かったなと思った。今日なぜかいつにも増して眠たい。あまり動く気にもなれない。思えば、最近このような日が続いている気もする。眠気がゆっくりと襲ってきた。私は抗うこともせず、まどろんでゆっくりと眠りに落ちた。