「詩とは翻訳で失われる何かである」
と誰が言ったかは忘れてしまったが、
日本語を理解できることで、
八木重吉の詩に触れられることは幸せなことだと思う。
彼の詩を翻訳した途端、言葉の上で息づいていた「何か」は死んでしまうだろう。
僕にはそんな気がしてならない。
そんな消えてなくなりそうな彼の言葉が生み出す独特の浮遊感は、
日本語が持ちうる「美しさ」と「儚さ」を孕んで漂っているようだ。
彼が29歳という若さで結核のため早逝したことを、
そして最期まで残していく子のことを案じていたことを思うと、
彼の住む世界は「直視できないほどグロテスクで繊細な世界」だったのではないかと思う。
たった数行の、しかもひらがなの易しい言葉で記された彼の言葉が
今もこうして僕の涙を誘う理由。
それを「言霊」と表現すること以外、何と呼んで良いか未だに分からない。