刹那主義のデメリット
9月26日をもって、24歳になった。
月日の経つのは早い。
「一瞬一瞬が勝負だし、輝きだ」って思いながら生きてきた。
その瞬間はただ其処に存在するだけで、それでいいと。
だから多分トロフィーを貰っても僕はすぐに捨てる。
そんな誕生日。午前一時。仕事を終えた後輩達が口々に「お先に失礼します!」。
まだまだ仕事が山積みの僕はそんな後輩達には目も合わさず「お疲れさーん・・・」。
業務用集塵機を片手にパチンコ台の間のホコリを片っ端から吸い込む。
とてつもなく滑稽な姿勢で日常ではまずお目にかかれない量のホコリと格闘する僕は、
なんとなく視線を感じてそのおかしな格好のまま顔だけ左側に向けた。
10メートルぐらい先に後輩が三人並んでいる。
僕はまだ同じ格好のまま言った。「何してんの?みんなもう上がったよ。早く上がんなさい」
三人のうち真ん中の後輩が言った。「せーの」
三人声を揃えて、「・・・さん、誕生日おめでとー!!」
僕はまだ同じ格好のままポカンとあっけにとられている。
三人はそれだけ言うと「お先に失礼します!」と言って上がっていった。
しばらーく僕は変な格好のままスイッチの入ったままの集塵機の轟音の中に包まれる。
暫くしてから、ハッと思って「おい!」と叫んだけど、もう彼らはいない。
そのまま椅子に腰掛けて、彼らの20歳という歳と、自分の24歳という歳について考えてから、
大事に、大事に、呟いた。
「ありがとう。」
僕はそんなに後輩に優しい方じゃない。付き合いも悪いし、叱ることも多い。
後輩からは怖い先輩だと思われているかもしれない。
彼らのコミュニケーションだったのだ。
普段は怖くてあまり話せない僕に対するコミュ二ケーション。
僕はありがとうを言うタイミングを逃すのがうまい。
その時言わなければ意味が無い「ありがとう」は存在するのに。
損なんだ。
彼らに次会っても、僕はまた叱ってしまうだろう。
でも、それでいいのかも知れない。
それが彼らの為になるなら、僕の感情や、寂しさなど。。
最近印象に残った出来事
また死に関すること。やばいな。ブログ名「DEAD」に変えようかな(笑)
一つ。
店の前に雀の死骸が落ちていた。
可愛そうに、と思いどこかに埋めてあげようと手にとって周りを見渡して愕然とした。
どこにも土が無い。
本当に、どこにも無い。
アスファルトやコンクリートで埋め尽くされていて、彼を(彼女を)埋葬することが出来なかった。
結局、どこにも埋められずに人の目に付かないところに移した。
この世界に対して吐き気がした。
二つ。
会社の同僚の祖母が亡くなった。
その同僚の男はとても素直で、みなのいる仕事前の休憩所でずっと泣いていた。
だれも彼を慰めたりしなかった。何も言ってやれなかったのだろう。
人目を憚らずに自分の感情に素直になれる彼を心から素晴らしいと思った。
TVのCMで丁度おばあちゃんの映像が流れた。
彼はもっと大粒の涙を流した。
誰かを心から愛し、その人を失った悲しみが横にいる僕にも伝わってきた。
僕は彼にあるアーティストのCDをプレゼントした。彼の悲しみが和らぐように。
それが僕ので きる精一杯のことだった。
人の涙の美しさと、人の薄情さの汚さを同時に見た。
Meaning of "Raison d'etre" and death
前に友達とこんなテーマで朝まで飲み明かしたことがある。
「人生の途中で人が死ぬ条件」。
百歳を超えて健やかに生き続ける人と、この世に生を受けてまもなく死ぬ子供。
その分かれ目は何なのか?この際唯物論は持ち出さぬようということで。
そして辿り着いた結論は、「Raison d'etre」だった。
「存在理由」。人がレゾンデートルを失った時に人は死ぬんではないか?
同時にそこに死ぬ意義が生まれるんではないか?
必ず死ぬ意義があって死する、なんてロマンチストなんだ僕は。
そうだといいのにな、と僕は思う。
妻と子供を残したままガンで死ぬ夫。家路を急ぐ途中で車に撥ねられる少年。
戦争で流れ弾にあたって死ぬ兵士。子供を産んでそのまま息絶える母親。
救いがないじゃないか。。「はい、死にました」って傍観できないだろこの手の他界は。
ストーリーの無い死に方がないように、そこに意義のない死はないはずでしょ。って考える。
ワイドショーなんかでよく言う「何故彼は(彼女は)死ななければならなかったのか?」
をもうちょっと「何で?ねえ何で?」と突っ込んで考えると意外と容易に考え付くことだ。
ガンで死ぬ夫は残された妻と子供に悲しみと逞しく生きる試練を与える。。
車に撥ねられた少年は残された家族に悲しみと諦観をもたらす。。
流れ弾に倒れた兵士は故郷の家族に亡骸と平和への希求を届ける。。
子を産み終わった母親はもちろん、新しい生命をこの世に解き放つ。。
残された人間は、故人には死した意義があったと思わないととやってられない。死を受け入れられない。
そこで故人の "Raison d'etre" は失われる。言っちゃえば当たり前だが、同時性を持つが故に、
あんまりそこにこだわられてないが、"Raison d'etre" と”Meaning of death”はすっごく
親密な関係にあると思わん?「だから何?」って言われると困るんだけど、
同時性があるんだからしょうがない。だからちょっと遠い人の死には人は関心を示さない。
夢をめぐる冒険
唐突だが、今日とある会社の代表取締り役と会ってきた。
ひょんなきっかけと、ひょんな成り行きからだ。
その人が経営する飲食店にPM6:30に到着。
店の人にその人の名前を告げると、そんな人はいない、という。
なんだか全て夢だったかのような気になってくる。
そんな人はいない?
帰ろうかな、と思った僕の後ろから、「君かい?」という声。
スーツを着た若い男。
彼は僕を席に座らせると、「さて」と言った。
「君は何を僕から聞きたいのかな?」と続ける。
僕は自分の店を持って、それで食べていくにはどうしたらいいか、と言った。
彼は笑いながら、「そんなに焦ることはない。まず僕がどんな人間かを説明しよう」と言った。
彼は自分がどんな生い立ちで、どんな生き方をし、どんなビジョンを持っているかを話し、
それから僕がどんな人間かを知ろうとした。僕はだいたいにおいて全てを話した。
彼の話はとても新鮮で、かつ視野が広かった。僕の用意してきた質問とメモ帳の出番は無かった。
そして最後に彼はこう言った。
「君が目標を達成しようとするならば、僕は協力しよう、ただし、等価交換だ。
僕が君に何かを与えたとしたら、その分を僕に、僕じゃなくてもいい、誰かに何かを還元してくれ。
それから僕とのパイプは切らないほうがいい。チャンスは人生にそう何度も巡ってこないから。」
僕は言った。
「百万円分ぐらいの話を聞いた気がしますよ」
彼は笑いながら、
「君がそう思ってくれるなら嬉しい。なら今日僕は10万円分君からもらった気がするよ。
君のそのわざわざ僕に会いに来るエネルギーが僕に10万円分の活力をくれた。また電話をくれるかい?」
「もちろん」と僕。
人の運命なんてわからんもんだ。どこでどんな出会いがあるかわからない。
僕はこれから彼とどのように付き合っていくのだろう?
今日あった、ちょっとイイ話。”一本の缶コーヒー”
僕の店にある同期がいる。そいつはどちらかというと世渡りの上手いタイプで、
僕とは初めからあまり反りが合わなかった。入社して僕は釘師見習職として働き、
彼は「自分の時間が無くなるから」という理由で、一般職、つまり釘調整をやらない道に進んだ。
僕等大卒組は、初めから釘調整組(総合職、とうちの会社では呼ぶ)としての道を進む事を義務付け
られていて、それを拒否するということは、それ相応のペナルティを負う事になる。
例えば、基本給の大幅な減給、会社からの信用低下、それによるまかせられる仕事の減少など。
だから実質彼と僕は、同期入社であるにも拘らず、任せられる仕事の重要性が全く違ってしまっている。
それもあってか、ただでさえ合わなかった反りは、僕と彼の間で致命的なほど深い溝となってしまっていた。
僕は彼の「自分の時間が欲しいから」という理由で苦しいことから逃げたことが情けないと当時は思っていたし、彼は彼で僕のそんな考えと仕事の格差が憎かったらしかった。
顔を合わせればお互い憎まれ口を言っていたし、粗をさがしあっては、それを突いたりしていた。
僕たちは、僕の会社に厳然としてある、冷酷な出世競争の犠牲者だった。
しかしいつからか、そんな僕等に転機が訪れた。
僕は総合職として順調に役職者からの信用を得て、彼は一般職としてまた別の才能を発揮し始めた。
それぞれに立場が固まり始め、同時に僕と彼の上下関係がはっきりし始めたところで、お互いに
ある種の「割り切り」が生まれた。それによって僕と彼の間で「和解」が起こっていった。
僕の会社では、閉店後に「外回り」という作業がある。駐車場や、店外に不審者や停泊車がないか見て回り、戸締りを行う仕事だ。今日は、僕と彼の担当だった。責任の伴う仕事なので、立場上僕が「頭」で、
彼は「付き添い」だ。点検や戸締り、書類記入や報告は全て僕が行うことになる。
そんな外回りの最中の話。昨日と今日、僕はとても辛いことがあって、ダメになりかけていた。
僕は今日本当に一般職に降りて、彼のような責任の無い立場になりたい、と思ったことを話した。
一番愚痴を言いたくない相手に言ってしまうほど、僕は限界を迎えていた。
彼は笑いながら、やめちまえよ、お前がそんな辛い目に遭う必要はないさ、と言った。
僕はその時心の中で、気楽なもんだ、と思う。でも同時に思ったことがあった。
そういう気楽さが人間には必要なのかもな、と。それを正直に彼に言った。
そこで彼は、いかに彼が不満を率直に上司にぶつけてその手の苦しみを乗り越えてきたかを
話してくれた。僕と彼の間でその手の会話が交わされたことは今まで無かったのだ。
僕はとてもびっくりする。そんな風に彼もまた苦しんでいたことを僕は知らなかった。
しばらく彼がその話をして、僕は、僕の気持ちが少し和らいでいることに気づく。
外回りが終わると、、彼は彼の、僕は僕の持ち場に戻る、彼は責任のないドル箱の片付けへ、
僕は責任のある集金作業へ。お互いの壁がなくなる、親密な時間は終わったのだ。
それぞれの作業を終えて、終礼が終わると、彼は休憩に、僕は金庫に気の遠くなるような額の
金をしまいに行った。僕が戻る頃には、彼は休憩を終えていた。
通路で休憩から作業にもどる彼とすれ違いざま、笑いながら彼は言った。
「景品カウンターの上に、コーヒーがあるぜ。飲むと元気が出るらしい」
僕が戻ると景品カウンターの上には、彼の言ったように一本の缶コーヒーが置いてあった。
彼らの休憩が15分であるのに対して、僕等の休憩は3分だ。僕は冷たい缶コーヒーのプルタブを
開け、涙が滲んでくるのを必死で堪えながら飲んだ。美味かった。
缶コーヒーって、
こんな美味かったっけ?
その瞬間なんだか、同期争いとか、しがらみとか、すべてが馬鹿馬鹿しく思えた。
世の中には、こんな美味しいコーヒーがある、それで十分じゃないかと。
鏡で目に涙が滲んでない事を確かめてから、僕は彼のもとへ行った。
「バカやろう、俺は涙もろいんだ、卑怯じゃねーか」と僕。
作業の手を止めて顔を上げ、「何の話よ?」ととぼけたように笑う彼。
「あのよ」 「ん?」
「ありがとな」
彼はまた笑いながら言った。「元気出たなら、良かった。」
僕は問題の上司に、今不満に思っていること、やめて欲しいと思っていることを率直に話した。
上司は僕の考えていることを聞いて、悪かった、お前を厳しく育てようとするあまり、
傷つけていたことに気づかなかった、本当にすまなかった、と言った。
「飲むと不思議と元気が出るコーヒー」のおかげだな、と、
午前1時にはもう仕事もなくなって退社した彼のいないホールで、
一人思った。時計を見ると、午前4時だった。僕の仕事はまだ終わらないのだ。。
ミクシイを始めた。。
大勢の人間に僕の心底を見られることに関していささか抵抗があって
参加することをためらっていたミクシイ。
でも考え直した。
最近強く思うのだ。
友達って最高だなって。
幼稚園児でも知ってる。
でも僕は大きく遠回りしてきたのだ。
そんな遠回りを超えて大切なことに気が付けたのは君達のおかげだ。
今はネットっていう利器を通して君達と繋がれてることがとても嬉しい。
よって、こう使うことにした。
こっちは僕の内面を書き出す場。
あっちは僕の外面を書き出す場、ってね。
たいした話ではないんだけど、そういうこと。
闇が友達だった。。
昨日の話から続くんだけど、自分について正直に語ってみようと思う。
結構衝撃的な告白をするから、僕を知る人は覚悟して読んで欲しい。
僕は、子供の頃から闇を抱えて生きてきた。
それは、暗い過去があるとか、障害を抱えていたとかそういうんじゃない。
ヒトに潜在的に在る闇の部分から目を逸らさずに、蓋をせずに生きてきた、って事だ。
小学校2年生の時、とても仲が良かった女の子がいた。
その子と僕はいつも学校から一緒に帰っていた。
ある日、帰り道で別れた直後、その子はダンプカーに轢かれて死んだ。
家に着いてしばらくして、その子の顔がニュースに映っていた。
僕は別れた交差点まで戻った。僕はその子の死体が見たかったんだと思う。
今思えばすでに踏み出してた。僕は中学に上がっても高校に上がっても、人の死に執着し続けた。
前のブログで話した男なんかは知ってるが、死体写真を片っ端から集めた。
その頃からもう僕は人の死に様より美しいものはないって思い込んでたんだ。
奇形児の写真も好きだった。異形のものが美しいと思った。
あの頃はただ、闇を闇雲に見たがってた。
僕が今でも野球やサッカーなんかにイマイチ熱くなれないのは、みんながそれに熱中してる時に、
僕がそんなものに熱中してたからだ。やるべきことをやってないんだな。
そんな高校の夏に、僕は今でも忘れ得ない世界で一番好きな写真と出会う。
白黒の写真で、救急車の中を写した一枚。多分中東かどこかだろう。救急車の中には長いすが一つ。
その長いすに腰掛けた男は、既にぐったりと息絶えた最愛の女性を抱きながら、
顔を天に仰ぎ、この世の絶望と悲しみを一身に受けた表情を浮かべている。
僕はその時知った。この世で愛より尊いものは無いと。
そうして僕は歪んだ闇から脱却していく。僕は今でも闇を抱えてる。
でも僕は変質者でも偏執者でもない。死姦マニアでもカニバリストでもない。
むしろ僕はまともで優しい人間になったと思う。闇から目を逸らさない人間は、
正気を見失うことはないと信じてきたんだ。今でもペシミストではあるし、冷酷な部分もあるけど、
総合的に見れば暖かい人間だと自信を持って言える。
僕は何よりも愛を最優先する。
その純度たるや並みの人の比じゃない。
気が遠くなるほど闇と向き合って、人間にはこんな残酷な側面があるんだと悲観しながらも、
ダンテが言った様に、「この世界は素晴らしい、戦う価値が在る」と思えた。
僕は闇を隠す人間が嫌いだ。誰もが持つ闇をまるで持たないかのように生きている人間は、
生きることそのものに原罪を感じる。
僕は光をずっと求め続けてきたんだ。闇に染まった僕を中和してくれる暖かい光を。
そして僕は君という光を手に入れた。僕はそれを手放す気はない。
思考の奥深くには必ずカオスがあるんだ。それと向き合う一つの方法が瞑想だ。
人間の善悪なんて儚い。まともな人がまともな日常で大罪を犯していることにほとんどの人は気づかない。
僕は君がいる限り、自分は何のために生きて、何のために死ぬか見失うことはない。
それが生と死の意義だと知り、辿り着くまでに僕は闇雲に闇を貪ってきたんだと今は思える。
狂気と正気の狭間に真理があることに、プラスもマイナスも意味を為さないことに、
僕はこの生命の灯火を費やすつもりだ。
簡単にいうと、オヤジに殴られた人間は、人を殺したりしないのと同じこと。
最後に言えば、僕は今はあんまり死体写真は好きじゃない。躍動する自然の写真のほうが好きかな。
でも今は廃墟の写真が好き。死体の写真と大差ないんだけどね。
僕はグロいものが好きなわけじゃないから。
ただ、朽ち行くものが美しいとは今も思うよ。それってさ、秋が美しいと思うのと一緒なんだよ。
ほら、普通の感覚に近づいてきたでしょ?わかりやすく説明するのって大変だ。。
それぐらい紙一重なんだ。人間の意識なんて。吹けば飛ぶんだよ。
だから僕はいつも確証が欲しいんだ。「なんでそんなに確認するの?」って言われても、
絶対が欲しい、と答えたくなるんだね。
とにかく僕は色んな闇を愛して、友達にしてきた。だから人の心の闇を照らし出す癖もある。
一種の悪戯なんだと思う。だから人の気持ちもわかるし、痛みもわかる。
僕はそんなちょっと変わった幼年期を誇りに思ってる。あんまり理解されないけど、
変態扱いされるけど、僕からすればすごく健全でまともな子供だったと思うんだけどな。
親は僕が三歳くらいの時、ある映画で子供が病気で死ぬシーンを何回も見たいと言ったから、
「この子は悪魔の子だ」って思ったらしいけどね(笑)
ブログタイトル
仕事について書くのは実は結構つまらない。
この間友達とチャットで話したけど、人生における仕事の割合は今んとこ30%。
それがそのままこのブログのテーマ割合になってる気がする。
で、
ブログタイトル。。
13.50mmって、パチンコの命釘っていう一番大事な二本の釘の間隔のサイズの一つなの。
パチンコ玉の直径は11mmで、それが通るように11.25mm、11.50mmと0.25mm間隔で開けたり
閉めたりするんだ。そんで、13.50mmは僕が最も好きなサイズ。綺麗なハの字になり、なおかつ広い。
大体今の3.5円交換店の最高サイズは良くて13.75mmくらいで、うちの店で14.25かな。
(これは実はかなり凄いことなんだけど)
0.25mm単位で釘を調整するわけだから、これは結構難しい。
熟練した釘師でもない限り、一定にあわせるのは至難の業。
人間の手作業の精度ってやっぱ限界があって、
それ以上のレベルを求めると、感性と慣性の問題になってくる。
この業界、実は知られてないけど、すごくセンスを必要とする仕事なんだ。
5センスと6センスの中間のセンスがとっても大事。
機械と人間を同時に相手にするわけだから、やっぱり大変なのさ。
壊れる寸前まで行こうじゃないか
久方思考の渦に立ち向かってみた。それもある男との会話がきっかけだ。
朝まで男2人で思考がオーバーヒートするまで語り尽くす。
お前がそんなに深いところにいたとは知らなかったよ。
ヒトは闇を抱えて生きる。
とてつもなく強大な闇を。
お前はその闇と共に生きていたんだな。
俺の知らないところで。
お前という人間と闇を通じて再び時間を共有できることに、
神という存在が、お前がいうようにヒトが創ったものだとしても、
感謝する。
ヒトは分かり合えない。ただこの混沌とした世界の中で、
少なくともリアルに生きていかなきゃいけない逼迫した状況でも
その闇を抱えて生きるお前と「通信」という手段をもって関われる
運命に感謝する。
在るものを在るがままに受け入れることが出来ない俺らは、
一体どこへ行けば良い?本当の真理を見定められないまま没落していく貴族のように
ただ自分を殺して平民と成り下がるしかないのか?
人間純度が高い人間として生きるにはこの世界は生きにくい。
ただ、軍刀だけは捨てまい。貴族の地位は失われても、
魂だけは、捨てまい。。
安定と不安定と完全と不完全
僕は一体何者なんだろう?
時々自分が判らなくなる。
何をしたいのか、どこにいたいのか。
一定した自分を保つことが難しいのは良く知ってる。
でも、自分があまりにも頼りない存在だと感じたとき、磁石が狂いだす。
言っとくけど病気じゃないよ。。そういう話じゃないんだ。。
例えばAがあって(それはとても確固)、その先にBがあるかもしれないとして、
Bをよく思う自分がいるのだけれど、Aの ってこの話はあんまり書きたくないからやめよう。
正直言って、僕はマトモになりたい。
何も考えない安定さと完全さが欲しい。そこにあるものを当たり前に受け入れる安定さと完全さ。
届くかどうか判らない、答えもあるか判らない思考の沼に身を投げることの不安定さと不完全さと
甘美な欲望は、生きる上でとってもとっても邪魔なんだな。ある人種や職を除いては。
余計な行ったり来たりがマトモな日常を阻害しちゃってる。
安定と不安定と完全と不完全の狭間で僕は不安定に、不完全に戸惑ってる。
今は太陽が西から上っても東から上っても構わないし、驚かない。
幽霊と話してもいいよ。素敵だ。
ただ、明日が来ないのは嫌だ。
贅沢なんだ。僕は。ただそれだけの話かもしれない。
宝物ばかり集めているようで、実は僕は全てを欲しがっているのかもしれない。
受動的でありながら能動的なんだ。
ねえ、これって完全なる不完全さだと思わない?
って「うん、そうだね」って言ってくれる人は一人もいないですよね。はい、わかってます。