日光街道を走破しましたが、今回は帰りがあります。
同じ道ではなく、日光西街道を通って小山に戻ります。
まずは、一度来た道を今市宿まで戻ります。
道の駅日光で、少し休憩しながら帰り道を確認します。

道の駅 日光の先に追分があります。
左が行きに来た道で、宇都宮に続く道、右は日光西街道、鹿沼宿、小山宿方面です。
帰りは右側を通ります。
脇街道なのですが、江戸時代の将軍は日光東照宮からの帰り道はこちらを通ったのだとか。
板橋宿
文挟宿
なんか、このあたりはどこが宿場町か、わかりませんでした
中山道にも板橋宿がありますが、日光西街道にも同じ名前の宿場町があります。
文挟宿は、ふばさみと読むらしいです。
読めないですよね(汗)

追分から右側の道を入ったところに、例幣使杉並木街道と書かれている標識があります。
このブログでは日光西街道と書いておりますが、実は、追分から先は群馬の高崎の倉賀野宿までを例幣使街道と言います。
途中から分岐して日光西街道または壬生街道と言ったりします。
ちなみに、例幣使とは天皇の代わりに京都から日光に使いを出すことがあり、その使いのことを例幣使と呼び、例幣使が通った道なので、例幣使街道と呼ばれているらしいです。
今回は、日光西街道で統一します。
いつか、日光から倉賀野まで走ることがあれば、ブログには例幣使街道と書きたいと思います。
日光街道、日光西街道トータルで37キロもの杉を植えたのだとか。
昔の人はすごいですね
この、日光西街道とても気持ちがいい!!
あまり車が走っておらず、道もきれいで凸凹していないので、気持ちよく走れます。
ずーっと下りでした。行きはあまり気が付かなかったのですが、結構上ってきたのかも知れません。
疲れていたので、下り坂は助かります。
鹿沼宿
奈佐原宿
楡木宿
長い杉並木を抜けると、下り坂も緩やかになり、街になってきました。
鹿沼は屋台のまちと言われているらしく、日光東照宮の装飾を行った職人たちが、屋台にきらびやかな装飾をしたのが始まりとされています。
ここで言う屋台は、お好み焼きとかリンゴ飴とか売っている屋台ではなく、山車(だし)のようなもの
です。
屋台のまち・中央公園というところが物産店のようになっていて、ご宿場印を売っています。

屋台のまちの駅中央公園には、掬翠園と呼ばれているお庭があります。
門の前には松尾芭蕉が立っております。

屋台のまち中央公園の近くには、今宮神社があります。
ここには、ツールド御朱印の御朱印をいただけるところです。
※ツールド御朱印とは、サイクリストのための御朱印で、関東に10社ほど提携しています。
linkerさんに教えてもらい、現在5 つ目です。
お参りして、ツールド御朱印をいただきました

楡木駅を過ぎると、高崎の倉賀野宿に向かう例幣使街道と小山宿方面の日光西街道に分岐します。
ちなみに楡木はニレギと読みます。
なかなか読めないですよね。
壬生宿
飯塚宿
壬生宿にも、ご宿場印があるのですが、17 時を過ぎてしまいゲットできず。
今度、このあたりに来たときに、いただくことにしましょう。

このあたり、古墳がたくさんあります。
昔の豪族とかたくさん住んでいたのでしょうか。
それにしても、古墳と丘の区別って、昔から分かっていたのでしょうか?
それとも、近年の調査で分かってきたのでしょうか。
木でセパレートされているものの、コースと道は結構近い。ボール飛んできたりしないのかな
そして、ゴルフ場を抜けると・・・
喜沢追分
ゴール🏁
日光街道(奥州街道)と日光西街道の合流地点の喜沢に到着!!

男體山と書かれている石碑。
写真の右側の道が日光街道(奥州街道)で、左側が、今走ってきた日光西街道です。

石碑の下のは、右奥州 左日光と書かれています。
今回は、五街道のうち3つ目を走破!
奥州街道、東海道を走破しなくては!
ご宿場印は壬生宿以外を揃えることが出来ました。そして、ツールド御朱印もひとついただきました。
満足の日光街道ライド、日光西街道ライドでした。
ここから、3キロほど南下して、駐車場まで戻ります。
走行距離 132.2 km
日光街道走破やご宿場印、ツールド御朱印など、目標を達成できました。
また、次の目標に向けて走りたいと思います。
日光街道・日光西街道ライド
おしまい![]()





