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日刊アマリリス

音楽=昭和&80年代特に大好き!
カフェ、アロマ興味あり。
発酵食など食べることにも興味あり。
イタリアン、エスニック料理大好き!!
水彩画は習い中。
日常ことを書き綴っていきます。

「憑依するボーカリスト」

この言葉はマツコデラックスが言ってた言葉。


普段だいたいマツコさんの言っていることに
私は賛成!とほんまやなーと感じることが多いです。


でも憑依というのは
ちょっと違うかなあ。と思いました。


なりきる。でもないなあ。


まんまの人。


バンドしている時によく思いました。
普段もミュージシャンみたいな感覚というか
性格も生活もそのまんま
そういう人だったらいいのになあ、
そのまんまボーカリスト。
若いものだから、そういうのにあこがれいた。


ということは私はまったく違ったから。


音楽理論がわかっていなかったし
勉強しようとしたけど
入らなかった。
アホなのかもなとも思ったけど
興味がわかなかったのだと思う。


上から目線じゃないよ。
興味がないことは入らない。
そういっていたら成長ないやん。って
また違う方向の話になっていくので
今日はそっちにはいきません(^-^)


生活そのものが
ミュージシャンな人はある意味
全員が理論を知っているとも言い切れない気がする。
感覚、勘がするどい、
それに向いている人なのだと思う。

生まれながらになんだろう。


私は
普段の生活がかっちり基盤にあって
そこから何かしたいことをするタイプ。


普段の生活をかっちりかためるということだったり
たとえば音楽などそういうことをいっさい
やめるとする。
数字を求めたり、それこそ現実をみていたら
だんだん夢がなくなっていく。


アイデアがわかなくなっていく。
詩をかいてみたいなと思っても
うかばなくなる。
まったく違う次元なのだと思います。
モードや意識をかえないとと思いますもん。


そこは背中あわせなんだと思う。


そういうのがまったく関係ない人もいる。
そういう人こそ、
すべてがまるっと憑依。
そのものの人なんだ。


バンドをしていた時も
テンションを無理やりあげていたし
そういう人そういう自分を
作っていたと思う。


家族でなんとはないテレビを見て
笑いまくってたり
職場の人と仕事をしていたり
昼休み楽しくしゃべっていたりしていたのも
私自身。それも楽しかった。


テンションをあげて
歌う自分を作っていたのも
自分だったと思う。
どっちも自分。


私はそうしないと
プレイできない人でした。
音楽を楽しんでいなかったのかな?も
考えました。

いやいや、
すごく鳥肌がたつほどその瞬間は
楽しかった。
楽しかったという次元じゃないです。
言葉には表せない。


なりきってみるのが
楽しかったのだと思う。


もしかしたらそういうタイプは
ずっと続かないのかもしれないとも
思いました。


まんまの人は生活そのものだから
呼吸するように
音楽をするのだと思います。


そして。。
音楽=音を楽しむ。
私も楽しんできた。
今もカラオケに行って楽しんでいる。


けどそのニュアンスもちょっと
違うことに気づいた。


セッションしよーというのが
バンドしている人だったら
よくその会話がある。
それで曲がうまれたりもあるのです。

私は実はセッションは嫌いでした。
アドリブがきかないからとか
音を感じて瞬時にメロディが
うかばないからだと


ずっと思ってきたけど


そこも最近、 微妙に違うと気がついた。
音を楽しみながら自分がプレイするのではない
タイプなんだと。


私の音の楽しみ方は歌っている人を見ることや
じっくり聴く体制でいるやり方だと。
そして
かたちのできかけているものに
どういう風に歌わせてもらおうかと
考えてからするタイプでもあると気づきました。


コンセプトから
こまかく歌詞の一言一言や
小節単位でのメロディの雰囲気で
こういう風な感じで歌ってみようという感じ。
ライブではこういう風な
動きでやってみようと考えていました。


バンドする人でも
プレイヤーと
職人とわかれるよね。と
話したことがある。


当時は職人だよね。って言われたけど
私はプレイヤーなんだと思う。
かたちになりかけているものを
どういう風な感じで
歌うか考えるだから。


そっちなんだと。
そしてそれがすごく楽しかった。


バンドをやめたのは
そこがあったからでもあるなあと
今になってわかりました。


まんまの人は
生活にしみこんでいるから
体そのものだから
辞める、辞めないのではないと思う。


セッションしようよ。と
ありがたくお声をかけてもらうことがある。
でも実は私にとってそれほど
興味深いものではないの。。


カタチになりかけたものに
どういう風に歌わせてもらおうと
考えるのはすごく嬉しくて楽しい。
表現するのは楽しい。


でも私の考えは
難しいことだと思う。


バンドをしましょう。と
かっちりなっていると
成り立ちはするけど


私は才能豊かでもないし
認めてもらっていた意識もないので
これを作りました。
あなたに歌ってもらいたいです。
は、ない。
難しいこと。


そこは意識しておかないと
いけない部分だと思っています。


どこで表現しようか。
それは私にとってすごく楽しい
どんな自分が出るのだろうと
興味がわく部分。


残念ながら
私は曲が作れない。


そこで
カラオケだったのです。


正当な私と正反対なタイプの
職人気質のミュージシャンだったり
技術のあるプレイヤーとされる人は
カラオケーー??はあ?って
なるかもですね。


バンド時代、カラオケのことは
馬鹿にしていたと思います。
カラオケにいきました。って
みんな言わなかった。


それでもいい。
自分のできる範囲での
自分の作業。
それを見つけた。


マツコは
憑依する歌い手に
中森明菜をあげていた。
そうかなあ。


あ、でもそうかもしれないね。
歌の技術では
松田聖子の方がたけていると思うけど
味があるのは彼女。


歌っている歌詞の中でも
何を歌っているのか
聞き取れない時がある。
それも曲の雰囲気でそうしているのでしょう。
聖子ちゃんはすべてかっちり
歌っているもの。
それも素敵なんだけど。


憑依って言い方だったら
私は戸川純だと思う。
いや、戸川純は憑依じゃないなあ。
まんまの人、体にしみこんでいる人だ。


憑依。。うかばない。
また考えることにします。