先日、買い物をたくさんしたので一回で車から家まで運ぶことができず、下に住んでいるインド人、Sheelaにちーすけを預かってもらいました。
アメリカは子供への虐待にセンシティヴ。
13歳以下の子供をひとりにしてはいけない、という決まりがあります。
駐車場から家まで少し歩くので、ちーすけを家に置いて、また車に引き返して荷物を取ってくる・・・、ということをやっていいのかどうか、いつも悩みます。
私が荷物を取りに行っている間、ちーすけは家にひとりぼっちになるから、これが法律に抵触するのかどうか・・・。
他にも、ゴミ捨ての場合。
ゴミ捨て場も家からちょっと離れているので(歩いて1分ぐらい)、そこへ行って帰ってくるのに、ちーすけを家に置きっぱなしで良いのかどうか・・・。
駐車場もゴミ捨て場もアパートの敷地内だから、私有地内と言えばそう。
だから、例えば一軒家の人が、家に子供を置いて庭に水を撒いたり、ゴミの日にゴミ箱を外に出すのと同じ感覚だと私は思っているのですが。
とはいえ、家の中にちーすけがひとりになる、ということも事実。
だから、私は買い物は頑張って一回で運ぶし、ゴミ捨ては夫が行くことが多いです。
先日は、一度では運びきれない量の荷物だったので、ちーすけを下の家にドロップしたわけです。
Sheelaは「Take a time !」---ゆっくりやってね!---と言ってくれたので、運んだ荷物を冷蔵庫に入れたり棚に片付けたりすることができました。
終わってからちーすけを迎えに行って、少しSheelaとおしゃべりをしました。
そのときに、彼らが買った新しい車、オデッセイの話になりました。
ローンを組んで買ったので、毎月支払いがあるのですが、それが$600ちょっとだそう。
私が、「ご主人は立派よね。家賃払って車のローンも払って、子供たちの学費とか、全部ご主人のお給料から出ているんだもんね」というと、彼女は「確かに、お金はかかるわよね。ここは物価も家賃も何もかも高いから」。
「でもね」とSheela。
「買ったものについて、ネガティヴなことは考えないのよ、うちでは。 車のローンのこととか、ガス(ガソリン)代のこととか、車を買ったがために支出も増えるけど、新しい車を家族全員が気に入って生活がうんと便利になったんだから、それで私たちは満足なのよ」
胸がすくような思いがしました。
私が忘れていた感覚。
モノを手に入れる、買う、自分の所有にする、ということは本来、こういう気持ちがするものなのでしょう。
買ってはみたものの、「ちょっと高かったなあ」とか「本当はああいうのが欲しかったけど、まあこれでいいか」と思うのは、その買い物に対して満足していないということ。
ご存知のように、下の一家は2年前から7人乗りのバンを探していました。
そして、私たちも忘れた頃に新車でオデッセイを購入。
まあ、毎日毎日全力で車探ししていたわけでもないだろうけど、自分たちのターゲットを決めて、きっとリサーチしたり貯金もしたりしていたんだろうなあ、と思います。
ようやく手に入れた車。
みんなが喜んでいるのだから、それでいいのだ、と言いきれるような買い物。
生きたお金の使い方っていうのは、きっとこういうことなのでしょう。
おっちょこちょいで、よくカギを失くしたり、うちに砂糖やら塩、牛乳、アルミフォイルを借りに来る一家だけど、どんな状況に置かれてもいつも元気で仲良しな一家。
学ぶことが多いです。