本日は私の失敗について書いていこうと思う。
小学2年生の時、一人のクラスメイトに恋をした。
小さい頃の好きというのは例えば、キリンさん好き。ぞうさん好き。◯◯ちゃん好き。と言った具合に恐らくlikeと表現される好きなのだと思う。
今思えばその子以前に好きだったのはlikeだったと思う。

そして小学2年。

人生で初めてlove好きという感情をクラスメイトの女の子に抱いた。
それはもう頭に雷でも落ちたかのような衝撃。

その後告白をするでもなく、遊びの誘いをしたり学校で話しかけたり。
所詮小学生の出来る範囲でのアプローチ。
そんなこんなで6年が経過し、中学2年生。


さて、ここからが本題。


中2の春。
6年の片思いを吹き飛ばすような恋に落ちたのです!!

それはもう衝撃的でした。
宮川大輔の「あかーーん」が聞こえるくらい。
自分はオタクなので、オタクに理解のある。
話せて距離の近いという感覚がとても新鮮で、かつ可愛い。

6年間片思いを続け、漠然と実らない恋の感覚が分かっていた。また、なぜ実らないか
そうなる経緯は告白への踏ん切りがつかなかった自分の行動に非があることも理解していたため、後悔ないように。
何としても実らせてやる!という気概で本気で恋をした。

幸い他人の顔色を伺うのは得意なタチだった故、うざがられない程度に話しかける。
話の中で遊びに誘う。
夜はメールで連絡を取り合う。
という具合にいい感じの関わり合いを築けたと思う。
それはもうメールが来るのを待つ時はわっくわっくのわくわくさん。

工作でも出来るようになるんじゃないかと錯覚してしまいそうなほど(๑╹ω╹๑ )

そして中3。
間に色々ありましたが、今回は割愛。

中3の冬か春か、卒業前の地味な時期に想いを伝えることを決心し告白。
返事待ちの末、話が流れた。
あれはフラれたといって差し支えなかったと思う。

さてここからが今回のタイトルになっているしくじりです。


前提として私は保身的性格をしている。
それはどういったものかというと、いの一番にリスクの計算から行う。
何事においても自発的な行動を行う場合、また自分に影響のある物事の場合、一番にどういったリスクが降りかかるか、どういった影響が自己に及ぶのかということを考える。
要するに傷つきたくない。
自己防衛の果ての行動。
故に告白の場合も保身的思考からスタートしてしまったのだ。

自分の場合、拗らせすぎていたのもある。
なんせ石橋は叩き過ぎて壊すのだから。
絶対的確信を得るためならば手段は選ばなかった。
外堀から埋めていかないと気が済まなかった。

幸い他人の感情の機微や勘の働くタイミングや、きっかけを読み切るのは本当に得意だったため、友人にあーだこーだ台詞まで用意してとんとん拍子で彼女の情報を聞き出したのだ。
無事に必要な情報を聞き出すことが出来、相手も自分が好きだと裏が取れ、確信を得たことで告白へと踏み切った。
これが告白までの顛末。

しかし返事待ちのタイミングで裏で動いていたことを友人がミスゲロりん。
全て露見してしまった。

さあ!地獄へようこそ!

返事待ちどころか、口さえ聞いてもらえなくなったァァァァ。
高1の夏手前で再度連絡するも、結局付き合えず。
経緯割愛。


まず保身的思考に支配されるがまま。
相手の裏を取るため友人に協力を仰ぎ情報を得る。という絵面は相手にとって私と友人はただの裏切り者に他ならない。
私自身も裏切る形になったと思うし、何よりその友人に裏切らせてしまった。
罪悪感に苛まれる。

反省をするのであれば、自力でぶつかれば良かった。
反省点を挙げるのであればリスクの読みが浅かった。
誰しもフラれるのが分かってて告白をするのは恐怖を感じると思う。
死ぬのが分かっていて戦場に好き好んで赴く兵士が居ないのと同様。

そして何よりも関係性の瓦解が告白のネックな点、及び恐怖を感じやすい点。
フラれた際は友人関係にも戻ることが出来ない場合もある。
これは保身的な思考の持ち主でなくても感じる不安だと思う。
私はそれら全てに勝てないと確信し、背を向けた故に失敗をしてしまった。
敗北者じゃけェ。
つまり何が言いたいかと言うと。
結局は当たって砕けろ。
「テメェが好きならテメェでなんとかしろ。
テメェでぶつかれ。」
これが恋愛だと強く学ぶことの出来た出来事だったと思う。
人に相談するのが悪いわけではない。
ただあくまでヒントをもらう程度に留めるべき。

これを読んだあなた。
どうか自力で切り開いて欲しいと思う。