こちらではお久しぶりになります。
色々…Pixivにてドライブとか電王とかタイバニとかいろんな捏造駄文書いてたりしたらこちらがすっかり疎かになってしまいました。
さて。
タイトルにあげましたように…ちょっと僕の体験を語らせていただこうかと思います。
体を動かすことについて。
twitterでは色々ぶつぶつやってますが、もういっそここで思い切り語らせていただこうかと。
まず。
僕はアクションなどという凄いものは一切、できません。
無理ですあんな難しい技術。
それがなんでプログで語るつもりになったのか。
僕はアクションを見るのが大好きだからです。
そして…もうひとつ。
例の事故です。
殺陣の稽古中に模造刀が腹に刺さって死亡した…という、事故のことです。
亡くなられた方はさぞ無念だったことでしょう…ご冥福をお祈りいたします。
話によれば、模造刀を持った人の近くでバック転をしてぶつかり、刺さったということのようです。
少し検索かければ、詳しいことはすぐに見つけることができると思います。
僕はこの情報が出るまで気が気ではありませんでした。
僕は時代劇もアクションも好きで。
そこで行われている殺陣が、いかに高度な技術であり、どれほどの注意を払い、相互の信頼関係があって成り立っているのかをわずかなりとも知っているので(その理由については後ほど)、何故「刀が腹に刺さる」という事故が起きたのかが理解できませんでした。
間違って頭に当たってしまったとか、脇腹に当たってあばらを折ったとかいうなら理解できます。
そういう動きは、チャンバラの中にあってもおかしくないので。
しかし腹に向けて刀を突き出すなんてことは普通、ありえないんです。腹を刺したように見せる場合、間違っても絶対に刺さらないような位置で刀を突き出し、それを真横から撮るとか見せるとかして刺したように見せるもんなんです…時代劇とか見てればわかると思うんですけど。
プロなら脇腹かすめるくらいの位置に突き出すこともあるかもしれませんが…それはたぶん受ける側の技量も相当に高くないと(相互の信頼がないと)やらないと思うんですよね…
失礼…話がそれました。
何を心配したかというと。
「アクションとか殺陣というものは危険と隣り合わせの大変に高度な技術であり、それを使いこなすアクションマンは、厳しい鍛錬を重ねてきた言わば職人である」
という事実が。
「アクションは大変危険なもので、アクションマンとは命知らずの連中である」
という誤った認識を広めてしまうのではないか…という点でした。
きちんと安全管理をした上で稽古を行っている団体や講師が、そんな誤解を受けたり木刀や模造刀に不必要に重い規制がかけられたら、それはもう大変なことです。
規制や基本を守っている人たちは、大概、まず事故は起こしません。
守らない人たち、油断をしてしまった人たちが事故を起こすんです。
そもそも守らない人たちに対して、厳しい規制は何の意味もない…真面目にやってる人たちだけが苦労する形になってしまう。
なので、詳しい情報が出て「何がいけなかったのか」「原因は何か」がわかり、納得しました。
やっぱり、油断はしちゃいけないんです。
どんなに慣れている動きでも場所でも仲間でも、刀持ってる人がいる時には、最大限の注意を払うしかないんです。
例えるなら『箸先を口にくわえたまま全力疾走をしてはいけません』とか、もうそういうくらいの話なんです。『寝タバコはやめましょう』『飲んだら乗るな、乗るなら飲むな』とかそういう話なんです。
恐ろしいことに、それでも「自分は大丈夫だ」と何故か信じ込む人たちは存在するんですけど。
つまり、人の話を聞かない、想像力というものが欠如している人たちです。
実は僕、昔ちょっとだけ…格闘技をかじったことがありまして。
その時、人の話を聞かない輩に、膝の靭帯をぶっちぎられそうになったことがあるんです。
わかる人にしかわからないかもしれませんが…
ヒールホールド、という関節技がありまして、これは相手のカカトを極めて捻るように締めることで膝の靭帯に痛みやダメージ、場合によっては断裂を起こさせる非常に危ない技です。
しかし実戦で使うには、ちょっと極める形にもっていくのが難しくもあり…それでも一応、怪我のないように、感覚をつかむため、その形を学ぶために練習はします。
練習する際、指導者は、口を酸っぱくして
「あくまで感覚を掴むための練習。
絶対に急に締めてはいけない。
靭帯を痛めてしまう恐れがある技なので、ゆっくり、少しずつ締めて、感覚を覚えること」
と繰り返しました。
ところがその時僕と組んだ相手は、その話を無視して僕のカカトを一気に極めようとしやがりました。
僕は悲鳴を上げて力のかかった方へと転がり…痛みはあったものの、なんとか後に残るようなダメージは免れました。
当然そんな悲鳴をあげたのも転がったのも僕だけ、視線は一気に集まり、当然ながら僕は相手に抗議、指導者も厳しく注意。
しかし相手が言った言葉は。
「(月之介の)体が柔らかいから大丈夫だと思った」
…そういう問題じゃねえよ!
練習だっつってんだろ、ゆっくり締めなきゃ本当に靭帯切れる技なんだよ!
膝の靭帯切れたらてめえ再建手術の費用をすべて出してくれるってのか、動けない間の生活費も出してくれるんだろうなゴルァ!?
…人の話を聞かない輩というものは、本当に斜め上の思考です。
人に怪我をさせるということがどういうことなのか想像ができないというのは、恐ろしいことです。
結局その人はしばらくして道場に来なくなりましたが、別の道場にも通っているという話をしていたので…
どこかで、重大な事故を起こしていないといいんですけどね…。
あまり懲りている様子がなかったように記憶しているので、どうしているのやら…。
で。
何故、僕がアクションというものについて多少なりとも知識があるのかというと…
実はほんの少しだけ「現代アクションの授業」というものを受けたことがありまして。
その時に痛感したんです。
実際に殴る、当てるということとは全く別の技術なんですよ、アクションって。
極端に言うと、実際に相手をぶん殴ってしまう方が楽です。
大雑把な表現になりますが
「当てる」「当てに行く前後のガード」
を意識することが重要な殴り合いに比べ、
「当てていないのに当たったように見せる」ために「相手との呼吸を合わせる」しかし「それを周囲に気取られてはいけない」「相手にダメージを入れてはならない」「演技をする」
と、意識する事柄の方向が全く違うものになるんです。
もっと言ってしまえば、
武道やスポーツは「相手にダメージを与えて戦闘不能にする」ことを目的として手を合わせる。
アクションは「ダメージを与えているように見せながらダメージを入れない」のが大前提で手を合わせる。
見た目はそっくりでも、内容はほぼ真逆なんですよね。
実際当てる方が楽なのに何故わざわざ難しいことやるか…それは実際当てちゃったら、リアクションどころじゃないからです。痛かったら演技が続けられないことも起こります。怪我したら演技どころじゃなくなります、場合によっては命の危機ということだって起こり得ます。
そうなったら演技だの撮影だの言っていられません。
だから、アクションという高度な技術が必要になるわけです。
もう少し細かい表現をすると、
武道やスポーツの試合の場合、相手に勝つために、自分の意図や動きを読まれないように立ち回ります。フェイントなど、相手の意図から外れたことをして隙を作らせ、そこをみつけて攻めます。
しかしアクションの場合、意図や動きを相互に理解して動きつつ、しかしそれを周囲に一切気取らせずに立ち回ります。攻め手と受け手のタイミングが一瞬でもズレてはいけないんです。互いに相手の意図から外れてはいけないし、万一外れた場合でも、不自然ではないように次の流れにつながないといけない。
意図から外れたことをすれば事故につながったり、求められる形の演技ではなくなってしまうことがあるからです。
…演技が完成されないだけであったら、やり直せばいいんですけどね。
最悪なのは事故がおきて怪我をしたり、させたりしてしまうことです。
事故というものは、気をつけていても、起きる時には起きます。だからこそ事故なんです。
油断から起こる怪我は、厳しいことを言うようですが事故ではなく、過失です。
僕は自分自身が、格闘技の稽古中に、冷静さを欠いた行動で自爆して…杖なしで歩けるようになるまで1年かかった怪我を負いました(治療の途中で色々と別の問題が起きたので、順調にいけばもう少し期間は短かっただろうとは思いますが)。
だからこそ、油断から起きるものは事故ではなくて過失だ、と断言します。
そして怪我をしたのが自分自身で良かったと、自業自得であると、そう思っています。
人様に怪我をさせて杖が手放せなくなる暮らしを強いていたかもしれないと思うと…本当にぞっとするんです。
本当に不便だったことが、たくさんありましたから…道路のちょっとした段差や縁石が杖にひっかかって転びそうになったり(僕は視力もあまり良くないのです)。道端のゴミで杖が滑りそうになったり、松葉杖の時には道端に留めてある放置自転車に本当に悩まされました。雨の日に、大きな駅などの大理石系のつるつるとした床や階段で転びそうになったことも数知れず。
もちろん、見ず知らずの方の善意や優しさ、親切にもたくさん触れ、今では、いい経験だったのかもしれないと思える部分もありますが…しかし、やはりあの苦労を人様に味わわせるなどとんでもないことだと心から思います。
怪我は怖いです。
一生、治らないかもしれないという怪我だって起こり得るんです。
ちょっと体が動くからといって、アクションがすぐにできるようになるだろうなどとは絶対に思わないでください。あれは職人芸です。
お互いに意図を汲み合い、危険のないように、しかしリアルに見えるように立ち回ることは一朝一夕に学び取れるものではありません。
アクションに憧れているのであれば、やってみたいのであれば、必ずきちんとした、信頼できる指導者のもとで指導を受けてください。
刀…模造刀でも竹光でも木刀でも、抜いて構えたいのであればやはり指導を受けてください。
人間、背中に目は付いていません。
そして、前に意識を集中するだけで、とたんに左右が見えなくなります。
本当です。
刀(木刀でも竹光でも模造刀でも)をどう扱えばいいのか、そして、刀を持つことで高揚する精神をどう扱えばいいのかをきちんと教えてくれる師から、指導を受けてください。
自分の体が動かなくなるような怪我をしてから嘆いても。
誰かの体が動かなくなるような怪我をさせてから嘆いても。
もう遅いんです。手遅れなんです。
だから練習するんです。鍛錬を積むんです。
事故が起きても最小限の被害で済むように。
どんなに練習しても事故は起こります。100%防ぎきることはできないのが「事故」なんです。
しかし「過失」は防げます。
僕は格闘技がもうできません、もちろんアクションもできません。やりたくても足がちゃんと動きません。
真似事程度に体を動かすことはできますが、しかし、怪我をする前と比べれば体の柔軟性も、関節の可動域も、筋力も、何もかもが衰えて…蹴っているつもりでも蹴れていない、殴っているつもりでも殴れていないような有様です。
思っているのと違う動きしか、できないんですよ。思っている形にならないんです。
そんな体になりたい人がどこにいますか?
誰かをそんな体にさせてしまったら、責任が取れますか?
…と、さんざん怖がらせるようなことを書き連ねてきましたが。
怪我を恐れすぎてもまた、成果につながらないというのも事実だったりします。
じゃどうすりゃいいんだよ!とおっしゃりたい方もいらっしゃることでしょう。
どうするか。
「気をつける」「集中する」「周囲に意識を向ける」「指導者の話を聞き、指示を守る」
その、ごくごく当たり前のことを、途切れることなく積み上げるしか道はありません。
慣れてくれば変な欲が出て、油断も生まれやすくなります。
僕はそこで頭に血が上り、セオリーを無視した行動を取って怪我をしました。
うまくなりたいとか、強くなりたいという欲は素晴らしいものです。それがない奴は上達しません。
しかし、それは理性でコントロールできるレベルの欲でなくてはなりません。
攻撃ばかりに気を取られてガードがおろそかになれば勝てません。
守るばかりで攻めに出られなければやはり勝てません。
アクションの経験はほぼないに等しいですが、根本にあるのは同じことだと思います。
自分のことだけ考えて動いていては「手」が成立しません。
相手のことだけ考えていてもやはり「手」が成立しません。
稽古は技術を磨くと同時に、己の精神状態をいかにコントロールするかという非常に大きな意味も持っているんです。
だらだらと書き連ねましたが。
怪我は怖いよ、ということ。
体を動かすのなら、ちゃんと師匠について学ぼうねということ。
言いたいことはその二つにつきます。
これからも、たくさんの若い人たちが、格闘技の分野でも、アクションの分野でも怪我なく頑張っていって欲しいと願います。
しなくてもいい怪我する時間は、本当にもったいないからね!
…とか偉そうなことを、これからの若い人たちに言える分…僕の愚かさ故の怪我にも、意味はあったのかな?
