人間は道具を使えることにより他の哺乳類よりも抜きん出る存在となった。ツールを使えるのは人間以外では猿しかいないらしい。細い棒を木の穴に差し込んで中に入る昆虫を取り出して器用に食べている猿を見たことがある。

ここでは私の人生におけるツールとの関わりについて、述べてみたい。

 

 十歳で東京に出てきて初めて都会らしい空気に触れた。まず文明の象徴である電車が小学校の近くを走っていた。そこで悪ガキどもは線路に釘をおいて電車が通った後まっ平らになるのを楽しんでいた。子供心にもし電車が脱線したら大変なことになると思っていたが、ぺっちゃんこになった五寸釘には非常に興味を持った。というのは我が家にはツールらしいものはなく、いわゆるねじ回しもなかったように思う。 工作に興味を持ち始め、小刀とのこぎり、金槌が唯一の道具であった私が初めてネジに触れた。ネジを扱うためにはドライバーが必要である。それまではスプーンの先とか何か先の平べったいものでネジを回していた。そこでぺっちゃんこになった五寸釘がねじ回しに丁度いいと思った。悪ガキに頼んでそのねじ回しを譲ってもらった。これが私の人生における最初の自分のツールであった。ぺっちゃんこになった釘を指で回しながらなんとなく嬉しさに包まれていた。ドライバー一本をバカにしてはいけない。明治維新後初めて英国に留学したある英傑は、帰国にあたりポケットにスクリューのネジを一本忍ばせて帰った。彼は英国の文明をこのスクリューねじ一本で日本に持ち帰った。我が国においてもこのようなネジができるように、またそのように日本を 文明国にするのが私の使命であると深く心に刻んで帰国した。

 私が育った延喜村の すでに100年を経過した庄屋の家には丸釘ではなく昔の四角い釘が使われている。一本一本鍛冶屋で叩いて作った太い釘であった。 正面の摩擦力のみによって支える力のこのような釘ではいかに太かろうとも、その支持力はしれている。また木に打ち込むためにはその摩擦力に打ち勝つため金槌を叩いて深く打ち込む必要がある。一方スクリューネジは縦方向の動きをネジの斜め方向に変えてネジの角度、溝の数だけ力を分散し容易に打ち込むことができ、またまっすぐ抜く際には全ての溝が平行となり抵抗するため、大変な力を必要とする。まさに釘の革命である。この釘で汽車や船が建造され、文明都市が建設されたのであった。

 私は大学では計測制御の研究室に在籍した。測定器やツールは最高の技術を要する。教授は内藤正先生で、計測制御学会の会長をつとめ、日本の権威であった。やがて大学院を卒業して、NTTの研究所に入った。日本最大の研究所で研究員だけで3千名を擁し、博士が2割の600名いた。ここでは最高の測定器と最新のツールを使うことができた。数億円するツールも自由に使うことができた。

 研究所では開発の完成期には現場で実験をすることが多かった。私が北海道と本州をつなぐマイクロ波回線の現場実験を担当しているときに事件があった。大雪のなか、実験所につく前に青森の田舎のバス停で持参した測定器をおろし、雪深い道端に放置してそばの食道で腹ごしらえをすることになった。食事を終えてかえってみると測定器がなく、だれかがもちさったものと思い警察に電話した。ごくありふれた測定器であったが、外国産であり5千万円はした。そのことを警察にはなすと、警官はおどろき周囲に非常線をはって大変な騒ぎになった。結果は放置に気づいた現地の方が気を利かして車で移動し保管してくれていた。この報告を聴いたときに、私は、はじめて得た五寸釘のドライバーを思いだした。研究所のそこいらにたくさんころがっており、なんとも思わず利用していた測定器であったが、五寸釘のドライバーからはじまり、今の身分はこのような最高級の測定器やツールに囲まれている自分をあらためて倖せだと認識した。