初めまして、ももちんです。 


私はキャンプをしています。 


なぜかというと、 キャンプっておもしろいからです照れ


この記事では、ちょっとした工夫で、ただのストレス解消のキャンプが、学びある充実したキャンプになったときの話をします。

 

私が今キャンプで楽しいのは、仲間と一緒にテントの設営をしたり、料理をしたりすることです。

 

過去に店長経験をしてきたことからも感じるのが、お互いを思いやりあいながらも思い切り楽しむことができている。

このことがとても嬉しいんです。

 

別にこの記事で、パートナーシップの大切さとか、そんなたいそうな話は語れません。


ただ、今の私は、一生懸命作ったキャンプ飯をみんなに振る舞えること。

 

満ち足りた気持ちで、夜の星空をみんなで眺めること。

 

そんなときに、満ち足りた気持ちになります。

 

 

なんにも考えずにキャンプに臨むと、「想定外のトラブル」に悩まされることになります。

 

例えば、、

 

夜の周辺のテントがうるさくて眠れないムキー

 

虫がいっぱいいるのに、虫よけや軟膏を持ってきていない笑い泣き

 

春なのに、夜は寒くて凍え死にそう・・・チーン

 

などなど。

 

私ももれなく経験していますが、キャンプではあるあるなトラブルでもあります。

 

ここで必要になることってなんだと思いますか?

 

私は、キャンプする場所や道具などを揃えることより、大切なのは、「コミュニケーション」だと思いました。

 

なぜかというと、「どんな役割分担をするか」を前もって決めておくことが、キャンプの充実度に直結することを知ったからです。

 

簡単に言うと、「当事者意識」が大事です。

 

このコミュニケーションをないがしろにすると、準備不足に加え、キャンプ当日も、誰か一人の負担が大きくなってしまうことにも繋がります。

 

これを知ったとき、今までのキャンプは、正直、もったいなかったな、と思います。

 

もちろん、私は「会話のキャッチボールが全てを解決する」とか、そんなきれいごとを言うつもりはありません。

 

ただ、コミュニケーションしながらキャンプを進めていくことには、意味があります。


それは、キャンプの創造性が広がることです。

 

簡単に言うと、料理のバリエーションや、時間の使い方の選択肢が増えました。

 

コミュニケーションがないと、慣れてない作業には時間がかかり、経験ある人、ない人によって作業量が偏ります。

 

だけど、コミュニケーションを取ってキャンプをすると、作業量の偏りが解消されます。

 

それは私にとって、火おこしができるようになることでもあり、カップラーメン以外のものが作れることでもありました。


また、言葉をかけあってキャンプをしたら、レクリエーションの選択肢も変わってきたんですよね。

 

以前は、自由時間は個々でテントでマンガを読んだりしていました。

 

今は、仲間と一緒に釣りをしたり、温泉に行ったりするようになりました。

 

つまりコミュニケーションを取るようになると、「作業ができた」だけにとどまらない、その先にある喜びを早く分かち合えます。

 

私はキャンプ初心者ですが、初心者でも頼ってもらえることの意義を知りました。

 

ただ単に、その場限りでそつなく過ごすのではなく、大変さの先にある充実感、共有できる仲間ができました。

 

 

これから話すことは、大げさじゃなく、未来に生きることだと思っています。


もともと私は、気を使ったり使われたり、どこかで遠慮するのは嫌いな人間です。

 

好きな人とだけ、なんの気兼ねもなく楽しみたいと思っています。


これからするお話は、 それが叶った話です。

 

気を使い合うのを避けて、 でもお互い思いやり合い、 好きな人と楽しむことができる。

 

それってめちゃめちゃ幸せだな。そんな大切な気づきです。


この記事は、キャンプのやり方の話ではないですが、理想のキャンプを叶えたお話です。 

 

つまり、自然の中で焚き火を見つめる静かなときや、ワイワイ言いながら準備をする、そのすべてを楽しめるようになった体験です。

 


あくまで自分が忘れないようにまとめますが、ここまで読んで何かしら共感するところがあった方には、何かしらヒントになるかもしれません。

 

 

 

理想のキャンプを叶えるために必要なものって、何を思い浮かべますか?


多くの人が「キャンプする場所」「準備する道具」を思い浮かべると思います。


半分は正解です。でも、半分は足りない要素があります。

 

それは、「当事者意識」です。

 

広々したキャンプ場で、かっこいい道具をたくさん揃えても、参加する人の経験値で、作業量は偏ってしまいます。


未経験の人は、作業したくてもできず、手持ち無沙汰。

 

一つの作業をその場限り教えてもらってしのいで、あとは経験者にお任せ。


多少なりとも経験がある人は、道具を貸したり、使い方を教えるところまで任される。


そうこうしている間に、自分のテントの設営がなかなかできずに夕方になってしまう。

 

ようやく設営が終わったら、今度は食事までワンオペ状態。

 

ついでに、ゴミ袋を持ってきているのは経験者だけなので、ゴミの処理や道具のメンテナンスは、帰ってきてからの仕事になります。

 

だから、グループキャンプはめんどくさいというイメージがあるし、経験者ほどソロキャンを好むことが多いです。


実際私もキャンプ初心者なので、はじめは頼ってばかりでした。

 

 

でも、これってキャンプだけじゃなかったんです。

 

これまで私は就職やバイトで面接を受けてきました。

職場が求めることに合わせようとして、採用された職場もあれば、落ちてしまった職場もありました。

 

また、多少なりとも恋愛もしてきました。

自分が我慢して相手に合わせてしまい、疲れてしまうことがありました。

 

これらの問題が、その背景が、なぜそうなったのか。

 

これが、今回のキャンプでの気づきで解明しました。

 

 

先ほど、なぜキャンプとコミュニケーションの話をしたかと言うと、「迷惑をかけないように、作業をひとりでできるようにする」ということに限界があったからです。

 

これって、実は「当事者意識」と似て非なるものなんですよね。


ここで勘違いしてほしくないのは、わたしは一人でなにかできるようになることの意義も知っています。

 

一人でできるようになることは、めちゃくちゃ大事です。


一人でコツコツ進めることは、私がずっと大事に思ってきたことです。


むしろ、まずチャレンジすることなく周りに聞くことはサボりだとすら思ってきました。

 

でも、あるとき思いました。

 

キャンプは、一人の世界に入れば入るほど、限界を感じます。
 

一人でも、カレーだけは作れるようになるかもしれない。

 

自分のテントだけは設営できるかもしれない。

 

でも各自で準備だったら、同じ30分で、カレーだけは作れても、ポトフ、ステーキ、アヒージョは作れない。

 

つまり、各自での食事と、一品ずつ分担して分け合う食事は、仕事の効率がまるで違うわけです。

 

これがわかったら、コミュニケーションを取り合うという選択肢が生まれます。


この選択肢の存在を、多くの人は知っているはずです。

 

でも、そのカードをどこで切ったらいいのか。

 

ここがわからず、とりあえずの流れに委ねてしまっています。

 

この線引きの時に、何を作るか、どれくらい作るかが大事なのは言うまでもないですが、なによりも大事なのは、「わかり合える実感」です。

 

 

その結果、快適な夜の装備、翌朝のベストな朝食も叶うわけです。

 

 

SNSでテントや景色をシェアすることも、もちろん楽しい。

 

でも、寒さや雨、虫などにも、たとえ自分の準備が追いついていなくても、助け合える安心感。そこから湧いてくる連携プレー。

これには程遠い。


やっぱり思いを共有することって大事だなと知りました。

 

そして、このとき思いました。

 

今は、これをキャンプで感じているけど、これを家族と、日常で体験できたら。

 

もし日常での共有が叶って、それを他の仲間とも再現できたら。

 

その未来はシンプルに憧れるなと思いました。

 

つまり、自分の気持ちを言語化する場があることと、それを表現できる仲間がいること

 

これは宝であり、ありがたいことだな、と思いました。

 

これは、キャンプも、筋トレも、編み物ですら、すべて繋がるな、と感じています。


キャンプの場合は、キャンプ地選び、スケジュール、すべてにおいて、意見のすり合わせが大事であることを知りました。

 

それは、筋トレも同じです。

自分の気持ちと現状を直視して、目標を数値で明確にすることが大事であることを知りました。

 

そんな、「理想までの道のり」を明快にできたときの喜びや、その思考そのものが宝だな、ということに、キャンプを重ねるなかで気づきました。

 

そこに気づいたら、割り当てられた作業だけそつなくこなせばOKと思っている自分は、ただのエゴであることにも気づきました。

 

「キャンプに来てる自分、すごい。」ここに酔いたかっただけなんだなと思いました。

 

以上を踏まえたら、私にとってのキャンプは、「誰にも遠慮することなく、おもいっきり自然を満喫する」ための大事な場だな、と気づきました。

 

ただ孤独感を否定するためにSNSで自慢することではなく、本当に好きな人と心から楽しむ。

キャンプはそのための大事な機会だな、と思います。

 

だから、ただ周りの動きに合わせるというわけではなく、初めての設営でも、自分でチャレンジするし、みんなで食べたい料理を自分で考えて作ります。

 

なぜなら、流行りのキャンプで仕事のストレスを解消しているOLさんを否定するわけではないですが爆  笑

 

乗っかりで、お客さんに近いスタンスで利用して終わり、体験して楽しかった、で終わるのは、一見楽しいようで、実は退屈もするわけです。

 

このスタンスを作るから、今までどこか楽しめなかったんだな、と思いました。

 

本気になれないスタンスを作ってしまう、と実体験で学びました。

 

私自身、色んな場面を思い返すと、自分から積極的に作業に加わった方が、本気になれて楽しかったんですよね。

 

「うまくできない」「どうして」「なんで」という試行錯誤が、充実感のきっかけだと改めて思いました。

 

 

でも、あるとき、ふと気づきました。

 

これって、言霊の法則と同じなんですよね。

 

私が書評記事を書いているからこその視点かもしれませんが、気持ちを言葉にすると、現実化が早いんです。

 

過去の店長経験からも言えるのは、風通しの悪い組織って、大事にしていることや方針を、言葉で共有できていないことが多いです。

 

つまり、想いを明確にする、言葉にする、そして伝える。

 

これが、わかり合えるために必要なんだな。

 

このことを、キャンプを通して再確認しました。

 

とはいっても、これって簡単なことではなくて、自分の違和感をキャッチする力、相手の思いを感じ取る力、言葉の選び方など、いろんな要素が必要になってきます。

 

そう考えても、火おこしのやり方を素直に聞けること、カツカレーを分担して作ること、

 

そんな行動につながる自分の謙虚さと好奇心、これらが前提だな、と思いました。

 

 

※画像は私たち夫婦がキャンプでよく作る、カツカレーですナイフとフォーク

 

 

このことに気づいたとき、つくづく、書評を書いてきてよかったなー、と思いました。

 

私は今、キャンプだけでなく、いろんなものに書評の経験が生きています。

 

その経験とは、言葉にして伝えることであり、どの視点で相手の話をキャッチするか、です。

 

「言葉にしないと1ミリも伝わっていない前提で話す」とでも言えばいいでしょうか。

 

そうすることで、ただの体験、ただの時間共有、そんな「流れに任せる」思考から、

 

経験に関係なく一人ひとりの要望、疑問を一緒に解決していく場作りができる、そんな経験ができました。

 

 

 

でもこれって、結局のところ、書評でも何でも同じなんですよね。


例えばこちらの『赤毛のアン』の書評記事では、小説『赤毛のアン』の感想を書くことを通して、「自分がどう感じたか」を丁寧に言葉にしています。

 

 

 


特に本を購入してほしくて載せたわけではないですウインク

 

見てもらったらわかりますが、一般的な感想とはちょっと違い、個人的に響いたことや違和感を洗い出してから書いています。

 

策を練ったわけでもないですが、この記事、実は「赤毛のアン あらすじ」で検索1〜2位をキープしています。

 

 

検索結果画面をスクショしました

 

 

あくまで、気持ちの言語化力を磨く目的で書いていますが、多くの人に読んでもらえるのは嬉しいです^^

 

基本的に、自分の愛読書について書いていますし、マニアックな本についても書いています。

 

書評って、愛読書がより味わい深くなり、その魅力を周りにも伝えられるのがやりがいです。

 

 

結局、気持ちを言語化する力って、キャンプにも、家族との日常にも、もちろん書評を書くのにも、全部繋がるな、と思いました。

 

一言で言うと、自分の好きなものを好きな人と共有できる喜びは、何物にも代えがたい。一人では味わえないものです。

 

そんな場をどう作るか。意識するのはここだけでした。

 

自分が何が好きで何が嫌いなのか。どんな未来を作りたいのか。

 

そこが明快になるとき、自ずと気持ちが言語化されています。


 

キャンプでも同じです。

 

 自分がキャンプをちゃんと意識して、理想のキャンプが見えたとき、そこに必要なものがはっきり見えます。

 

当日の天候はどうか。

キャンプ場までの距離と時間はどのくらいか。

必要なものは、スケジュールはどうか。

そんな全体を把握するから、理想のキャンプを描くことができます。

 

つまり大事なのは、理想の未来までの道のりを自分が理解し、そして共有できる力をつけることです。


その視点で言うと、先程の書評記事はすごく参考になると思います。


書評で結果を出せなかったとき、キャンプで満足いく結果を出せなかったときは明確で、理想の着地点と、それに必要な条件がわかっていなかったときです。


この書評記事に反映されているのは、その思考を言葉にするやり方です。

 

そんな気持ちの言語化を練習する無料のメール講座も作りました。


見るだけただなので、興味があったらどうぞニヒヒ

 

 

 

 

 

内容盛りだくさんでしたが、一言でまとめると、 キャンプを通して、わかり合える場の大事さを私は学びました。


自分がどの視点で過ごすのか。


これが全てです。


家族や仲間に対して、自分の気持ちを伝え合える風通しの良い場を作るきっかけに、この記事がなると嬉しいです。

 

ももちん。